Rocking, Reading, Screaming Bunny
Rocking, Reading, Screaming Bunny
Far more shocking than anything I ever knew. How about you?


全日記のindex  前の日記へ次の日記へ  

*名前のイニシャル2文字=♂、1文字=♀。
*(vo)=ボーカル、(g)=ギター、(b)=ベース、(drs)=ドラム、(key)=キーボード。
*この日記は嘘は書きませんが、書けないことは山ほどあります。
*文中の英文和訳=全てScreaming Bunny訳。(日記タイトルは日記内容に合わせて訳しています)

*皆さま、ワタクシはScreaming Bunnyを廃業します。
 9年続いたサイトの母体は消しました。この日記はサーバーと永久契約しているので残しますが、読むに足らない内容はいくらか削除しました。


この日記のアクセス数
*1日の最高=2,411件('08,10,20)
*1時間の最高=383件('08,10,20)


2006年05月20日(土)  He Hit Me (and It Felt Like A Kiss)

18時に渋谷でなかむらさんと待合せ。の、筈が。
一時間近く遅刻。今日はライヴのチケットをなかむらさんにおごっていただいてるっていうのに。一時間も。
すみません、正直に告白します。ただでさえ遅刻だったっていうのに、出掛けにふと思いついて久々に化粧しました。しかも例の、「美容部員が見てたら気絶しそうな」滅茶苦茶メイクで。
瞼にはきらめくシアン・ブルー、唇にはローズ・ピンクを、文字通り「塗る」。リップのラインもなければ(持ってるけど)、シャドーのグラデーションもアイラインもない(持ってるけど)。子供がセルロイド人形にクレヨンでお化粧してるのと変わらない。で、実はそれが狙い。お人形のようなメイク。

私は7〜8歳くらいまではおしゃまな子供だった気がする。写真を見ても既に女の表情をして、しなをつくっていたりする。それがどういうわけか、10歳頃にはがさつな子になっていた。殆どおしゃれに興味がなく、本ばかり読んでいた。自分より知性で劣る男の子達には何の興味もなかった。
女という性に反発していたのかもしれない。いかにも田舎の中高生らしくちまちまとおしゃれしている同級生を見下していた。自分を綺麗に見せようとすることをいじましく感じた。今思えば、孤高を良しとする父の思想教育の弊害である。
それで私はずっと、何につけてもとにかく自分の内側だけを見てぐるぐると葛藤していたのだ。いつもいつも。

高校2年の時、同級生の男の子からいきなり、「おまえなら、女でもこれがわかるかもしれない」と二枚組のレコードを渡された。二枚組かよ、迷惑な、と思ったが、とりあえず帰宅して聴いた。
ライヴ盤。ラフな音。ああ、いかにも男臭い。これまで全く食べたことのない食べ物のようで、最初は少し抵抗があったが。
聴くうちにだんだんと。これは凄いものを聴いているかもしれないと思った。
実は、多くのロックン・ロールやブルースに見られるように、男の渋さかっこ良さだけで勝負している音楽は好きじゃない。何十曲やったって、ああはいはいかっこいいですねえとしか思えないのだ。
けれどこの音楽は違った。男臭いのには違いないが。まず曲が良かった。16曲全てどれを聴いても、ひとつひとつの個性がくっきりと際立っているのに驚いた。
同時にこのバンドは、少しも「セックス・ドラッグ・ロックンロール」的な男性的魅力がなかった。それどころか、ダサかった。
今も私は、このバンドを賞賛しようとすると、「ダサい」という言葉が真っ先に出てきてしまう。私はこの言葉を、このバンドに限っては賛辞として使っているのだ。
ロックは本来欧米のものだ。元々あちらで生まれたんだからしょうがない。英語の方が似合うのも当たり前だ。ロックをやる日本人達は皆、欧米に憧れてやっている。その私の基本概念をぶち壊した暗黒大陸じゃがたらとの出会い(実はあれも全く同じで、同級生のお兄さんから「おまえのクラスのBunnyだったら、この音楽がわかるかもしれない」と渡されたのだ)から一年。またここにひとつ、日本人のロックを地でやっているバンドがいた。
「ダサさ」と私が表現するのはつまり、日本人である身の丈のまま、己の中からだけ引き出して全てを提供していたからだ。少しも飾っていない。日本語でやる必然性のあるロック、というより、日本語が暴れていた。
終盤のこの歌詞を聴いた時の衝撃は忘れない。
ルイーズ 夜を蹴飛ばせ ルイーズ 甘くとろける囁き響きわたれ
ルイーズ 腰骨にくるぜ ルイーズ 極めつけのダンスをしまった足首できめてくれ

はじめは正直恥ずかしかった。そうしてどうしてもこの言葉が頭から離れなくなった。このフレーズは、いわば私の腰骨を蹴飛ばしたのだ。
特別男性的アピールをしようとしない男が、そのままの姿で女に要求しているのがこれか。女だからってどうして綺麗にしてなくちゃいけないのよ、などというお嬢ちゃんのたわごとを蹴飛ばす力がこのフレーズにはあった。どうしても、言い返すことが出来なかった。
────ちくしょう、腰骨にくる女になりたいな。そう思った。
PANTA & HALの「TKO Night Light」を聴いてから、私の中で何かが折れた。

だから。今の私が、女として綺麗になりたいと思うのは、あの時植えつけられたトラウマみたいなものなんだよ。

今夜クロコダイルで観た「PANTA & HAL 2006」については、あまり細々と語りたくない。
ただとにかく、すっごくかっこ良かったよ。昔よりかっこ良くなってるなあ。
2003年に何度か観た演奏よりも更に良かった。
「マラッカ」で始まり「マラッカ」で終わったけど。二度とも全く違っていて、全然飽きなかった。大好きな「屋根の上の猫」も、脈絡のないような「マーラーズ・パーラー'80」も、PANTAの言葉はいちいちドラマがあって、いちいち体で納得する。
楽しかったし、嬉しかった。

なかむらさん、ねふーどさん、今日はありがとね。

* 蛇足: 「ダサい」の反対は「オシャレ」で、私が「オシャレ」からイメージするのは例えばAOR。・・・大っ嫌いなんだよねw

He Hit Me (and It Felt Like A Kiss) (まるでキスのような殴打)  *Hole (1995) / The Crystals (1962)の曲。



2006年05月15日(月)  Bluebird

mixiには日記の更新をあえて反映させていないが。今日書いた青森旅行の日記のURLを貼ってみた。そしたらまたたく間にコメントがたくさん来た。コメント機能があることなんて忘れていたのでびっくりするやら嬉しいやら。
その中に、しょうじさんからのコメントがあった。お会いしたことはないが、うちから1分くらいのところに住んでいるらしく、同じスーパーを使っているのがご縁で知り合った方だ。そのしょうじさんのコメントが、
「あー、太宰って、天沼在住だったんすよねー。碧雲荘、まだありますよねー」

・・・うそ。太宰って荻窪に住んでたの? しかも天沼はまさに私の住所。
すぐに検索で調べた。本当だ。
うちからすぐじゃん!!(○丁目まで一緒)
上にリンクしたページによると、この碧雲荘には7ヶ月住んでいたらしい。三鷹や吉祥寺との縁は知っているが、荻窪とは。まして天沼。

行ってみた。途中道がわからなくなり、地元民に何度か訊いたが。皆、「太宰治が住んでたぁ??」と聞いたこともありゃしませんな風情。・・・まあ、私だってそうだったんだけどさ。

ふと。道の右側に。別世界が出現した。
まるで文化財指定のようなたたずまいの古い木造建築。今は普通の民家らしい。
思い入れのせいなんだろうか。そこだけぽかっと空間が違う。濡れたようにしっとりと、静かに在る。
・・・うわあ。
ただの人んちなんだから、あまりじろじろ見ていてはまずい。でもじいっと眺めてしまう。ここにいたのか、太宰。うちからたった数分の場所なのに、知らずに二年も過ごしていたよ。

わざわざ津軽まで太宰を訪ねて行ってみたら、実はうちから数分のところにも彼の住んだ家があった。
幸福や真実をたずねて歩き回った結果、求めるものはすぐ近くにあったことに気づく。これは物語の世界ではよくある話。メーテルリンクの「青い鳥」、もしくは昔話の「鼠の嫁入り」w

でも。探し求めたからこそわかるということもあるのよ。
そして、探し求める旅は楽しい。津軽には、いずれまた行くわ。

Bluebird (青い鳥)  *Leon Russell の曲。(1975)



2006年05月11日(木)  Where the flowers grow

5時起き。だって私、出かけるのに3時間かかるからw
ゆっくりシャワーを浴びて、コーヒーを入れてゆったりくつろぐ。カーテンを開いてみると、街が濡れてる。夕べ私が寝ている間に結構降ったらしい。
最近お天気運が良くて、帰宅直後に降ったり、外出直前にやんだりする。今回も青森は昨日・今日と雨の予報だったが、結局私は雨音すら聞いていない。昨日はずっと薄曇だったが、あれで晴れていたら暑くてまいったと思う。また、花曇は青森のイメージによくあう。要するに「津軽」で太宰が津軽半島をまわる間、天気がよくないのだ。

8時にホテルを出るつもりだったが、その前にレストランで朝食をとることにした。理由はホテルが非常に気に入ったからだ。立地の良さなどで選んだこのシティ弘前ホテル、驚いたことに文句をつけるところが何一つない。今まで泊まったホテルは三ケタになるが、こんなことは殆どない。
なのでレストランでも気分良くなれるかな?と行ってみたのだ。果たして、窓際の眺めのいい席にすっと案内された。岩木山が目の前だ。
たっぷりの朝食をきれいにたいらげ(・・・あ〜あ)、チェックアウトして駅に行ってみたら、金木行きの電車が20分後に出るところ。見れば電車の本数が非常に少なく、この次は2時間後、この前は3時間前だった。・・・何て運がいいんだ、私。

五能線で五所川原へ。津軽鉄道に乗換えて、太宰の生地である金木に向かう。筈だったが。ひとつ先の芦野公園に変更。
最初から、斜陽館(太宰の生家)に行く気はあまりしなかった。個人の家を記念館にして晒すというのはある種悪趣味だし。また弘前駅の時点から、斜陽館に向かうらしい観光客がちらほら見えていて、偏見かもしれないがその殆どが太宰を読んだことがあるのかも怪しい風情だったのだ。
観光の為の観光地には興味はない。金木に行こうかと思ったのは、単にそこで太宰が生まれたからだ。だったら芦野公園に行こう。太宰が子供の頃よく行ったという公園のある無人駅。

電車が駅に到着した瞬間、ああここに来て良かったと思った。駅の両側が桜の海だ。線路をアーチ上に覆っている。

降りる。肌寒い。公園は駅を挟んで両側の一帯だが、南側のがらんとしたあたりは人の気配が殆どない。ただただ桜が咲き誇っている。冬の空気に、春の花。
北側には動物園があるとの表示。動物園?と思って行ってみると、いきなりいたのが「山羊」w 次いでニワトリ。と思ったら金網越しのお隣には孔雀w 「何で俺こんなところに・・・」と憮然とした感じのインド孔雀。思わず「寒くない?」と言ってしまったw
・・・と思ってたら。何と熊がいた。くま! 青森の無人駅の公園にくま!! ・・・何を考えとんねん。見れば熊自身も「やってられねーっすよ」という風だ。

駅前の「ラ・メロス」という喫茶店でコーヒーを飲む。太宰の写真が飾ってあったが、東京の三鷹で撮られたものだとか。まあ、そんなもんだw
11:51発で帰る。一時間ちょっとしかいられなかったのだが、電車の本数が少ないうえに帰りは接続が非常に悪いので、これを逃すと弘前発の帰りの電車に間に合わないのだ。

五所川原からバス(たまたますぐ出るのを発見)で弘前へ戻り、バスでりんご公園へ行き、ちょっとだけ見てすぐ同じバスで弘前公園へ戻る。
昨日と同じ通路が、昨夜の雨で散った花びらでピンクに染まっている。

16時05分発で帰途につく。21時08分に東京着。中央線に乗換えた途端、周りの人間たちの慎みのない態度や、喋り方のうるささが神経に障る。

津軽で何が心に残ったかって。ひとだ。出会ったひとが一人残らず気持ちのいい人たちだったのだ。
例えば止まっているバスの運転手に、「〜行きのバスはどこから出ますか?」と訊く。東京なら、見向きもせずに方向だけ指差されたりするのはザラだ。ところが津軽だと、運転手が料金箱の上に身を乗り出してきて、「あのね、あっちに止まっているバスに乗って、○○停留所で降りると、その向かい側に別のバスの停留所があるから、そこから乗ると〜に行けるよ」とにこにこしながら親切丁寧に教えてくれる。ちなみにその「別のバス」とは彼のバス会社とは全く関係ないバスだ。
太宰が「津軽」で書いているように、津軽人はサービス精神旺盛らしく、バス停の前で中年の女性に時間を訊いた時も、時間をおしえるだけでは飽き足らず、「どこに行くの?」から始まってえんえんと、あのもういいですと言いたくなるくらい情報を与えてくれた。上記のバスの運転手も、実際には上に書いてある三倍は喋った。
一人居酒屋に入った時も、店の人もお客も皆が話しかけてくれたので退屈しなかった。東北のひとはあまり喋らないと聞いていたが、とんでもない。
バスの窓口、JRの駅、公園、和菓子屋、本屋、通りすがりのひとまで全員含めて、一人残らず親切で気持ちよかった。

しかし。そんなわけないよな、とも思う。津軽にだって、性格の悪い奴がいない筈がない。私は今回は運が良かったのかもしれないし、また、私自身が今度の旅の間中とても気分が良かったので、旅の間に出会った人たちの親切は、私自身の愛想よさを映しかえす鏡だったのかもしれない。
けれど少なくとも、ふたつのことが言えると思う。まず、津軽の人たちには東京をはじめとする都会の人間にないゆとりがある。時間に追われず、自分の仕事や生活を楽しむ余裕が見える。
もうひとつ、これはよその土地ではあまり感じたことがないが、津軽のひとには(私の今回の乏しい経験の限りでは)慎みがある気がする。小さい子にすらそれを感じた。

とにかく。いい旅だった。
今回は、「津軽に行って、何もせずただ花を見る」ための旅だった。その通りの二日間になった。
そして津軽の人たちは、そんな私に気をつかってくれたかのように親切で慎み深く接してくれた。私の心の中の、勝手な思い入れのある「津軽」を壊さないでくれた。
出会った人たち全員に、感謝します。ありがとう。

Where the flowers grow (花の咲きほこる土地で)  *Shiny Happy People(生き生きと幸せそうな人たち) / R.E.M. (1991) の歌詞。



2006年05月10日(水)  こんないいところにいるなんて こんないいところにいるなんて

8時28分の新幹線で青森へ。行く、筈が。
家を出たのが7時45分。嘘でしょう!
雨の中を荻窪駅まで走り、東京駅でも走って、新幹線に乗り込んだのが8時26分。信じられない。私って最低。
大阪でも帰りの新幹線の座席に座った途端に発車したんだっけ。神戸に行く時も走ってた。おかげで最近どうも私、即座の状況判断が優れてきたような。一瞬で自分の乗る電車の表示を見つけ、正しいホームに走りこむ。
って。何の自慢だ。それより、早く家を出ろ。

新幹線の座席に座った途端、後ろの席にいたオヤジがいきなり私の隣に移動。・・・おい、どういうことよ。車内はがらがらで、全員が窓際だっていうのに、私の隣だけが埋まって。
ま、気を取り直して熱いコーヒーでも。サンドイッチも買ったが珍しく食欲がない。

八戸で乗換えて、弘前に13時7分着。駅で100円の傘と殆ど食べなかったサンドイッチを捨てる。旅は少しでも身軽がいい。今日の荷物は、通勤に使っていたマリークワントのナイロンバッグひとつ。中身は着替え(下着と靴下とブラウス)と、弘前周辺以外破り捨てた青森のガイドブック、そして太宰治の「津軽」だけ。11年前に読んだ本だが、東京〜弘前の間に再度読みおえた。
ここが、「津軽」か。
途中、仙台や盛岡までは、少なくとも新幹線の駅から見える風景はつまらないくらいに普通の都市で、東京の大田区だと言われたらああそうかなという感じだったが。弘前は駅前の雰囲気もどちらかというと、私の田舎を思わせるようなのんびり具合だ。
勿論ここは太宰のいた頃とは何もかもが違っているのだろうが。それでも、私は今「津軽」にいるんだ。その思い入れだけでもう、じーんとくる。
ホテルは駅の目の前だが、そのまま駅から100円バスに乗って弘前公園へ行く。

桜は、種類にもよるが、その殆どが満開から散り始めだった。うす曇りの空と淡い桃色の景色がとけあって、桜がトンネルのようにかぶさった通路では、はらはらはらとやむことなく花びらが降ってくる。空気は少々冷たいかと思ったが、歩いているとあっという間にかなり暖かくなってくる。
ひとがいない。
全くいないわけではないのだが。大抵は何だか同じところに固まっていて、ちょっと外れたところを歩くと、見わたす限り誰もいなかったりする。周りじゅう花だらけだ。梅・桜・梨・すもも・椿・雪柳・こぶし・ツツジ。本当だ、太宰の書いていた通り、いっぺんに咲いている。
白い綺麗な桜があって、立札に「白妙」と書いてある。「白妙の」は「衣」の枕詞だな。「ひさかたの」は何だっけ・・・「光」か。そんな風にどうでもいいことをぼうっと考えながら、緑やピンクの中をひとり歩いた。通路は何車線ぶんもあるような広さで、そこに人っ子一人いない。雲の切れ間からやわらかい日がさして、見えない鳥の鳴き声がする。新緑のしだれ柳が顔の高さまで垂れ下がり、足元ではうっかりタンポポの花を踏みつぶす。
いつもの全天候型厚底ブーツで砂利を蹴るようにしながら歩き回る。自分の足音だけがざくざくと響く。静かだ。たまに人がいても、誰も声高に喋ったり笑ったりしない。子供も泣いたり喚いたりしない。まるで誰もがこの雰囲気を壊さないように、慎みをもって行動しているようだ。

東門の前のだだっ広い通路を歩きながら、だんだんとゆっくりになって、ついにはぴたりと立ち止まる。
ひとり。私はひとりでここに来ている。ほんのりと寂しいような気もするが。でもやはり、やっぱり、しみじみと。「幸せだなあ・・・」と口に出して言う。誰も聞いていない。
自分がどんどん大気に溶け出していく。意識が拡散する。
そうか、やっぱり私は狭いところが怖くてパニックまで起こして、でも今はこんなにひらけた空間を前にして、ようやくほうっと肩の力を抜いて弛緩している。私のそばに誰もいない。
昔から聞くたびに泣きそうになる歌詞があって、それは
ひとりきりでも ひとりだけでも 釣りに来れるようになった
・・・こんないい時がくるなんて こんないい時がくるなんて

と、いうのだ。
私はこのことばを聞くたびに、ひとりを引き受ける強さにうたれると同時に、ほんとうにうつくしいものはけっして二人では見られないという、単純な恐ろしい真実を思ってしみじみと泣いたものだ。
悲しかったのではない。その事実は、愕然とするほど美しかったのだ。

そういえばこの歌をつくった矢野顕子も、青森の出身なんだっけ。


・・・どこだ? どこなんだ? あの場所は。
ある一点を求めて歩き回ったがわからない。どの場所がそうなの?
「あれは春の夕暮だつたと記憶してゐるが、弘前高等学校の文科生だつた私は、ひとりで弘前城を訪れ、お城の広場の一隅に立つて、岩木山を眺望したとき、ふと脚下に、夢の町がひつそりと展開してゐるのに気がつき、ぞつとした事がある。(中略) ああ、こんなところにも町があつた。年少の私は夢を見るやうな気持で思はず深い溜息をもらしたのである」
あちこち歩き回ったが、そもそも町が見渡せる場所など殆どない。
ふと、建物の角を曲がった瞬間、目の前に山があった。真正面、風景のど真ん中に、まだ雪化粧の岩木山。
そしてその手前に町が見える。ここだ。
目の前の空間は、山まで何もない。崖っぷちの手すりにもたれて、真正面の山と対峙する。黙って見ていると、いつの間にか視線が落ちて大きく息をついている。圧倒されるのだ。けれど重苦しくはなく、気持ちよく敗北する。
ふと気づくと、弘前公園について以来ずっと、全く自分の内面に意識が向いていなかったことに気づく。私のパニックは、肉体的な自分を細部にわたって意識することが引き金になることも多い。それは閉所恐怖と連動しているのだ。肉体に囚われた自分、というかたちで。
それがこの場所に来て以来、完全に自分を見つめることを忘れ、視線がいつも遠くへ漂っていた。
じーっと山を見つめた。見つめては、眼下の町に目を落とす。また目を上げると、何度見ても飽きない山があった。しみじみと見て、その時しみじみと思った。
・・・ああ・・・・・ハラ減ったw
今日はまだ、新幹線の中で6個パックの薄いサンドイッチをふた切れ食べただけだ。昨日も一日でロールパン1個にお団子2本というとんでもない食事内容だし。なのに私はふと気づけば、時々こうやって何かを見る為に立ち止まる以外は腰を下ろすことすらせずに、ひたすら2時間半歩き続けていたのだ。
既に公園内は、弘前城を含めて見尽くしている。そろそろ帰ろう。西濠沿いの桜のトンネルをくぐって、入ってきた追手門に戻る。ぐるりと一周したことになる。急に疲れを意識したら、一足ごとによろけるほどだ。3時間くらい水一滴飲んでいない。コーヒーが飲みたい。

このまま東京に帰ってもいいくらい、心底満足したなあ。

ホテルにチェックインし、駅ビルで今夜の為の本と和菓子とコーヒーを買って、フロントで薦められた居酒屋へ行く。
とにかく地元のものをと思い、普段は日本酒は苦手なのだが、白梅という地酒を冷やでもらう。そして貝焼き味噌。これは「津軽」にも出てくる料理で、帆立貝の殻を鍋にして魚介のだし汁に味噌をとき、帆立や山菜などの具をゆるい卵とじにしたものだ。津軽では病人食でもあるらしい。けの汁(大根や山菜を細かい賽の目に刻んだ、具沢山の汁物)ももらう。地方の飲食店は量が多いからこれだけでも満腹だが、せっかくだからと山菜(うるい、こごみ、アスパラ、ふき)の天ぷらもいただく。
カウンター内の店員さんがずっと話しかけてくれた。両隣のお客もそれぞれに話しかけてきて、サラリーマンらしい三人連れの一人は「東京に5年いました」と嬉しそうに言った。荻窪にもやたら詳しかったし。

ホテルに戻ったら、携帯の充電が完了していた。実は弘前に着くと同時に充電が切れてしまったのだ。(電波状況の悪い車内でずっとネットとメールをしていたのが原因) なので当然カメラ機能も使えず。(デジカメなんかはなから忘れていた) おかげで逆に無心で花や山のうつくしさを堪能出来た。元々旅行にはカメラを持っていかない(&お土産を買わない)のが父譲りのポリシーだ。
岩木山に向かって放心していた時、横に一度だけ観光客が来て、山を背景に写真を撮っていた。私にとっては雄大な広がりのある空間を、切り取って保存しようとしているのがいじましく感じた。
・・・ま、もっとも私だって、携帯が使えたら一応は撮っただろうけどw

先ほど買ってきた地元の和菓子と濃い林檎ジュース、それとコーヒーを飲んでくつろぐ。
昨夜も2時間も寝ていない。本を読みつつ23時前には寝てしまう。

こんないいところにいるなんて こんないいところにいるなんて  *Angler's Summer / 矢野顕子 (1991) の歌詞。



2006年05月09日(火)  Placet is a Crazy Place

昼にkenjiくんから来たメールを読んだら、奇妙な夢の話が書いてあった。「この街がおかしいのか、それともわたしがウサギの国に紛れ込んでしまったのか」というのがキーワードだという。その言葉を読んだ途端、ただ思いつくままに返信を打ったら、こんな文章になった。
「ソレはアレね、Rabbit Tail Syndromeといって、イリノイの人がよくかかるのよね。
出典はやはりアリスらしいんだけど、今のところ医学では解明できない部分もあり。
(ソレだとRabbit Taleだろうとういう反論もあり)
一般的には、チャールズ・フォートの書いたWild Talentsに出てくる『アンブローズ・コレクター』が原因ではないかと言われていてるみたい。」

我ながら、何だこのうわ言は?と思う。その瞬間、「書ける!」と思った。詩が書ける。
数日前からぼんやりとかたちになりかけていた詩があった。いやかたちというには程遠いが、いわばフォーマットが決まったとでもいうか。雰囲気の輪郭のようなものが出来てきているので、正しいタイミングをとらえたら、自動筆記のごとく書けるはずだと思っていたのだ。それがどうやら、kenjiくんのメールの文章でスイッチが入ったらしい。
で、それから2時間かけて一気に書き上げた。
もうこれが私のこの3年間で一番の会心作だ。何度読んでも「・・・いい詩だなあ」と思うw だって、ここにはきっちり、私の困惑、私の無能、失望と希望、愛といたわりが、気負わずにそのまま書いてあるからだ。
私の詩は私をあらわす為にある。これはいい出来だ。満足。

蛇足の解説。アンブローズ・コレクターとは、チャールズ・フォートが書いた冗談で、私はフレドリック・ブラウンの'Compliments Of A Fiend'でそのことを読んだ。
Loopとはシカゴの中心街のこと。エド・ハンター(ブラウンの《Compliments Of A Fiendを含む》一連のシリーズの主人公)が住んでいる。
タイトルの"Placet"は、ブラウンの有名な短編に出てくる、全てがおかしな惑星の名前。

Placet is a Crazy Place (プラセットはおかしなところ)  *フレドリック・ブラウンの著書(邦題=「気違い星プラセット」) (1954)



2006年05月08日(月)  Speed of Light

12時半にネットの光接続の工事。1時間で終了。工事の人が帰るなり、さっさと家の電話を外してしまう。何しろ光にしたのは、接続速度がどうのというより、固定電話を解約したかったのが理由だもの。
この世で一番嫌いな会社NTTと縁が切れるのも嬉しいが。更に嬉しいのは部屋が一段と片付いたこと。電話機、電話線、電話機の電気コード、ADSLモデムへの電話線、モデムの電気コード、これらが全部なくなったのだから、何ともすっきり。勿論今までも殆ど目に付かないように工夫してはあったが、なくなるにこしたことはない。ああ、気持ちいい。

夜、ジョンから電話。かなり久しぶり。また「今は彼氏いるの?」と訊かれる。いませんわよ。
ジョンに初めて口説かれたのは、つまり初めて会ったのは、何ともう20年前だ。私がストーン通いをやめてからは滅多に会わなくなり、たまに新宿で出くわすと、必ず「で、今彼氏いるの?」と訊く。いないと答えようがいると答えようが、「俺のことも考えておいて」と言う。で、私は毎回、「うん、わかった」と答えて終わる。そしてそのまま数ヶ月から数年が経過する。

ジョンはScreaming Bunnyという名前を知らない。20年前と同じように私を本名で呼ぶ。そして彼は20年間髪も服も話す内容も変わらない。
20年後に私が立派なバーサンになった時も、「で、今は彼氏いるの?」と訊くのかな。それならそれでいいけど。

Speed of Light (光速)  *Teenage Fanclub の曲。(1997)



2006年04月30日(日)  Hear within the divide

というワケ(昨日の日記参照)で。今日は書くことは何もない。出来るだけ寝て、家から一歩も出ないで、口に入れるものはコーヒーだけ。

なのでちょっと、数日前のことを書く。
例の1,500曲消失騒ぎで、木曜にbbsに「データちょうだい」と図々しくも書き込んだ私だが。その夜のうちに、kenjiくんからアルバム24枚分のデータが送られてきて感激し、これはもしや、データ消失前よりも音源が豊富になってしまうかも、などと思ったり。

翌日にはsKamさんからも音源が送られてきた。けれどMacとWindowsのやり取りがどうも上手くいかず、ファイルを開いてみたら、WMPがアルバム1枚を1曲と認識してしまい、1曲ごとに分かれない。
で、sKamさんが仕事中にもかかわらず半日がかりでアレコレ試して何とかしてくれたのだが。
その間私は、とりあえずその届いている音源を聴いていた。曲で分かれていないので、アルバムをかけっぱなしてそのまま聴く。
あれ? これって何か、昔こんなことがあったような。と、思ったら。
あ、この状態って、要するにレコードじゃん。
私はsKamさんに、「聴けるんですけど。1曲ずつに分かれてないんです」とうったえていたわけだが、思えばレコードというのはまさにそういうものなのだった。昔はこれが普通だったんだよなあ。

ちなみにsKamさんに送ってもらったデータはYMO。意外と私の音楽のルーツを形成するひとつだったりする。

Hear within the divide (分かれたものを聞く)  *Ain't It The Life / Foo Fighters (1999) の歌詞。



前の日記へ次の日記へ