2008年03月26日(水) |
Preserving the old ways from being abused |
訳したばかりのYMOの'Citizens Of Science'をiPodで聴きつつおもてを歩く。外で聴くと妙に古臭い。1980年リリースだからではなく、当時の最先端の無機質さを描き出そうとした曲だからなんだろう。2008年の東京の風景の中で聴くと、その違和感が際立つ。
ビートルズが古臭くならないのはそこだろうなとも思う。彼らは実は時事ネタを扱う時でも、普遍的な事柄になぞらえて歌ったから。ビートルズが古びてしまうことなんかあるんだろうか。それともやはり既に、若いイギリス人の感覚からしたら、日本人の私には感じ取れない微妙さにおいて古臭いんだろうか。
ふと、同じイギリスのキンクスを思い浮かべる。・・・キンクスが新しかったことなんてあるんだろうかw
夜は2週間ぶりにYO(b)の授業があり。後の授業がないからお酒を出してあげたりして。
私はこの子を今後どう扱うかさっぱり考えてないな。ま、いっかw
Preserving the old ways from being abused (古いやり方が損なわれぬようにしている) *The Village Green Preservation Society / Kinks (1968) の歌詞。
2008年03月25日(火) |
Memories should always match the video tape. |
昨日、メールで翻訳のリクエストが来ていたYMOの'Citizens Of Science'を一気に訳してサイトにアップしたら、今日リクエストをくれた方からメールが来て、「翻訳とっても、分かりやすいです」とのこと。
「わかりやすい」と言われるのは何より嬉しい。英語の歌詞はフィーリングだから意味不明で当然と思い込んでいる人が多いが、それは多くの場合翻訳が雑なのだ。
以前レッチリを訳した時に、「歌詞カードの訳を見て何だかわからなかったけど、Bunnyの訳を読んですっきりした」とママ(友だち)に言われて嬉しかったなあ。
CBSのニュースがヒラリー・クリントンを攻撃している。彼女が演説で、1996年にボスニアを訪れた際に「飛行機を降りるなり狙撃された。空港での歓迎セレモニーも中止になって、頭を低くして車まで走った」と述べたことが、全くの間違いであったからだ。CBSは当時のニュース映像を執拗に流し、クリントンが無事に飛行機を降りて、歓迎セレモニーを受けた様子を見せる。
クリントンは以前からそうしていたように、自分はオバマと違って外交経験が豊富であると強調したかったらしいが。記憶違いと誇張が重なったのか、逆に失点をこうむったわけだ。・・・ああ、この人はなんて軽率で調子に乗りやすいんだろう。かつての自分を見ているようで胸が痛む。プライドが高いから、こういう反論のしようのない失敗に彼女がどれだけ打ちのめされていることか。それを、これでもかと「映像」で間違いを証明してみせるニュース。明らかに非難と揶揄を含んだキャスターの言葉。「事実を報道する義務がある」という大義名分のもとに、人が人にこんなことをしていいのかよという気にすらなる。
それにしても。CNNによれば、このオバマとクリントンの泥仕合(主にクリントンが煽っているとは思うが)のせいで、両候補の支持者たちの多数が、もし支持候補者が民主党代表に指名されなかった場合、共和党のジョン・マッケインに投票すると言っているというのだ。今回の選挙は実質上、民主党代表選出イコール大統領決定かと思っていたら、思わぬ「漁夫の利」になりそうな気配が出てきた。―――そんなことになったら、せっかくのマイノリティー対決がぶち壊しだ。
Memories should always match the video tape. (記憶は常に映像と一致すべきだ) *CBSニュースの、傲慢極まりない結びの台詞。
2008年03月24日(月) |
The Return of the Black Widowers |
二日前にアーサー・C・クラークの訃報に接した。これで、SFのビッグスリーが全員逝ってしまった。ひとつの時代が終わった気がする。
あとは、ファンタジイ方面で、ブラッドベリという大物がいる。現在87歳で、今でも作品を発表し続けている。
SF以外なら、サリンジャーが89歳だ。だが彼はもう半世紀近く書いていない。
ブラッドベリは、1988年頃から作風が変わった気がして、それ以降のものを殆ど読んでいなかったが。やはり今のうちに残りも読んでおこう。生きて執筆しているうちに読むのが、礼儀だという気がしないでもないから。
今はアシモフの'The Return of the Black Widowers'を読んでいる。彼の死後11年を経た2003年に出た、「黒後家蜘蛛の会」シリーズの第6巻にあたり、最後の6作と第5巻までのベスト11作から成る。これの日本語訳は未だに出る気配がないので、今回原書を購入した。
まずはベスト作から読んでみたが、最初の一作が、シリーズ一作目である'The Acquisitive Chuckle'(邦題=「会心の笑い」)だった。あの忘れえぬ台詞――"If any man in all the world knows that chuckle and can recognize it, even behind a closed door, that man is myself. I cannot be mistaken."(世界中で、例え閉じたドアの向こう側からでも、あの笑いの意味を聞き取れる人間がいるとしたら、それは私自身だ。間違えようがない)を読んでぞくぞくする。いやあ、もうこの作品、日本語で何度読んだかわからないというのに。(ちなみに私が同じ本を再読することはまずない。サリンジャー、アシモフ、フレドリック・ブラウンくらいだ)
ラストのヘンリーの決め台詞は――もうすっかり暗記しているにも関わらず、やはりまたじーーーーんとなる。
「黒後家蜘蛛の会」――知識と教養の饗宴でありながら、予定調和的な規律のある娯楽作品――を読むのは、この世に生きていて最高の愉悦だと思う。ねえ、元ダンナ?
The Return of the Black Widowers (「黒後家蜘蛛の会」再び) *アイザック・アシモフの著書。(2003)
2008年03月23日(日) |
Wrong Girl |
22時に南阿佐ヶ谷のBROCKへ。SC(p)と飲む。昨夜久々にBITCHでばったり会い、今日はBROCKに行くとメールが来たので、来てみたのだ。
着いたらマスター(g)と二人でセッションの最中。SCがベースを弾いていた。で、私もしばらく飲んでから、二人と合わせて遊んだ。SCが好きなビートルズを歌う。何とSC、'Abbey Road'のアルバムを、曲順通りに次々と弾きだす。おお、そんなん出来る人(しかもべーシストでもないのに)なかなかいないぞ。
―――帝王さま(b)ならきっと出来るなw
ロックは全く知らないという女性客が、「オノ・ヨーコって、(日本の火サスのような)TVドラマでいつも怖い役ばかりやっている」と言い出したので、全員でそれは誰か別のヨーコだと諭すが、絶対にそうだと言う。オノ・ヨーコがジョン・レノンの妻だから有名ということも知らなかったと言いつつ、そう言い張るのだ。
―――とはいえ。酔っ払いのタワゴトを「絶対ない」と皆ではねつけてみたら、実は合っていたという経験もあるので。
3時半に帰宅後、一応Wikipediaで確認はしてみましたw
Wrong Girl (別の女だよ) *Jane's Addiction の曲。(2003)
2008年03月22日(土) |
Or try not to neglect you |
21時に西荻でMickey(アイルランド人)と会う、筈が。15分遅刻。あちらは20分前に着いたってメール来てたし。
西荻ロックバーBへ。隣にいたほっそりした女性客(クミコちゃん)に「Bunnyさんですか? 一度お話したかったんです」と話しかけられる。うわあ嬉しい。いい気になって名刺をお渡し。
ところでMickeyに会うのは何と15ヶ月ぶりにして二度目。新宿ロックバーMで会って、一緒に新宿ロックバーCに移動して放置しただけだから、殆ど話もしていない。だけどメールだけはよく来ていて、何度か飲みに誘われては断っていたのだ。
「君の彼氏どうした?」と訊かれて一瞬きょとんとなる。あの時一緒だったNobu(b)のことかと思い出し、「あれは彼氏じゃない。うちの元べーシスト」と答える。あの日はNobuのことも完全にカウンターに放置して、私は一人フロアで踊ったり他の客と話したりしていたっけ。彼氏だったらあんなにほったらかしたりしないわよ・・・と言いかけ、いやCでなら実際したことあるなと思い出す。
15ヶ月も会っていないので―――というか会った翌日にはもう顔を忘れていた(&ブサイクかと思っていた)Mickeyだが。久々に会ったら結構好印象で。ロックにかなり詳しいし、真面目だわで、いいひとって感じだ。
で、そのいいひとに有り金はたかして飲んじゃった。(本当に財布がカラになったので、電車賃を200円あげたし) これに懲りてもう連絡ないかと思いきや、明け方には「今日は有難う」と次回デートのお誘いメールが。・・・いいひとだなあ。
・・・今日会ったのは、久々に英会話がしたかったから、なんて言えないよなあ。
Or try not to neglect you (彼氏なら放置しないわ) *Locomotive / Guns N' Roses (1991) の歌詞。
2008年03月19日(水) |
Complete the motion if you stumble |
振替授業のため新宿のカフェへ向かいつつ、iPodでレッド・ホット・チリ・ペッパーズのハイドパークのライヴを聴く。耳がいかれてもいいわ、ってなフルボリュームで。
'Can't Stop'を聴いていて、初めて気づく。この曲のギターって、イントロでのキメのフレーズを一瞬弾いてしまえば、あとは何をしててもいいんじゃないか。後は全部、ベースとボーカルがきっちりと基本のメロをやってくれる。メロディ展開は単純な曲なのだ。実際ライヴにおけるジョンは、口をあいて放心して腰をふって、好きに弾いているように見える。
レッチリというバンドは4人(しかもボーカルが楽器を持たない)なのに、ライヴでもサポートを加えない。(これはものすごく評価する。ロックバンドで、ステージ上に妙にサポート要員が多いとウンザリする) だからスカスカになっても不思議はないのに、4人でおそろしくしっかりと空間を埋める。普通こういう場合、「足りないけどそこがまたいい」という感じになりがちなのに、「足りなく」ないのだ。
チャドが完璧な仕事をしているというのもある。レッチリを聴けば聴くほど、チャドの貢献度を感じる。呆れるほどの技術を持ちながら決して余計なことをしないこのドラマーは、「構築」という言葉を思わせるがっしりとした音を叩きだす。そしてリスナーの期待する決め所は絶対に抜かない。
しかし一番コアに感じるのは、アンソニーとフリーの二人の「律儀さ」だ。特にアンソニーは、ライヴにおいて(前もって変更したところ以外は)殆どアドリブをしない。メロはおろか歌詞も変えない。
'Can't Stop'でさえそうなのだ。スタジオでジャムっているうちに出来たというあの曲は、アンソニー本人が言っている通り、まったく歌詞に脈絡がない。一行ごとにばらばらだ。だからあの歌詞をその通り歌うのは、他の曲に比べてかなり大変なのだが、それでもアンソニーは何とか毎回再現してくれる。
比較するのも間違いかもしれないが。例えばレッド・ツェッペリンのライヴにおけるロバート・プラントのボーカルラインの肩すかしっぷりを思えば、アンソニーの、リスナーの聴きたいものを再現しようとする誠実さは、胸を打つものがある。
同様に、バンドで一番の個性を持ちながら、一曲一曲の構成をメロディを少しも適当に流さず大事に演奏しようとするフリーの真面目な努力。このへんが、しっかりとファンを熱くするんだと思う。
そして、安心して好きに遊び暴れるジョン。幸せなギタリストだなあ。
そしてそれを聴ける私たち。幸せです。ありがとう。
Complete the motion if you stumble (つまずく時でさえそれを最後まできちんとやり通せ) *Cant' Stop / Red Hot Chili Peppers (2002) の歌詞。
2008年03月17日(月) |
The Stars My Destination |
アルフレッド・ベスターの短編集、「ピー・アイ・マン」読了。ベスターは「虎よ、虎よ!」で有名な作家としか知らなかったが。この絶版本をヤフオクで入手して読んでみた。
―――文章はこんな具合。
「みごとに放送しているあらゆるもの。電磁気スペクトルを上下して。紫外線からは見えずに赤外部へは強引に割りこむ。悲鳴を上げる超短波。力づよいアルファ、ベータ、ガンマ放射作用。そして行き当たりばったりに、かつは気楽に、ぼーうーがーいする電磁波妨害物。ぼくはいま心安らかだ。イエス・キリストよ! 心安らかな瞬間さえ知っているとは!」
―――私はとても心安らかではない。そしてこれは散文詩ではなく「小説」なのだ。
久々に、体力を要する小説に出会った。いや、最近私がそういうものを避けていただけなんだけど。
全くSFというジャンルも、「ロック」と同じくらい幅広い。実際SFの細かいジャンルには「ニュー・ウェーヴ」も「(サイバー)パンク」もある。何なら「(スペース)オペラ」や「バロック」も。
ラストの「昔を今になすよしもがな」という作品。世界最後の女(自分が世界最後の人間だと思っていた)が世界最後の男を車で轢きかけて、交通法規を無視するなと怒鳴りつける。男は、TV修理屋を探す為に、女を置いて南へ行きたがる。
―――やっぱりこれは詩だな。何かが決定的にうつくしく欠落している。暗く笑ってすませられないものがある。
小説を読むという行為がどれだけ深いものか、今一体どれくらいの割合の人間が理解―――いや、想像すら出来るのだろう。
そして私は自分をその行為の熟達者だなどと間違っても思っていない。私は最低レベルの筈だ。この程度には達していないと話にならない。
私は未だに眼が開いておらず、ロバート・シェクリイの奇妙なロマンスにぼんやりと感動する。
The Stars My Destination (私の行く手にある輝くものたち) *アルフレッド・ベスターの著書。(邦題=「虎よ、虎よ!」)(1956) *本来の意味は「僕の目的地である星々」
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