2008年09月19日(金) |
I'll settle for a cup of coffee, but you know what I really need |
荻窪リンキーで19時からリハ。最初は弦楽隊の合せがあるとのことだったので、私は40分遅れで入る。んが、しかし。
コーさん(drs)がなんと2時間40分遅れで到着。3時間のリハなのに2時間40分遅れ。
「ビジュアル記憶障害」、「片付け魔」などと並んで私の大きな特徴である「遅刻癖」が、このバンドにおいてはまっったく目立たない。負けている。うーん。
コーさんはライヴも遅刻するので、ライヴ用の曲はアコースティックバージョンも用意しておこうと、残り3人で検討しあう。(どこまで冗談に出来るんだろうなあ)
しかし。アコースティック状態でも、時間は全く無駄にしていないのである。今日は新曲2曲をみっちりやらして頂いた。
パティ・スミスのほうは、私は別バンドでリハでのみやったことがある曲。モッチー(g)に、「この曲の間奏、Bunnyさんの嫌いなアメリカン産業ロックっぽいんで、このままやりたくないんだよね」と言われ、そうか私は産業ロックが嫌いなのかと思う。言われてみれば確かにそのギターソロは安っぽい。いつの間にやら理解されてるわ。
もう1曲、キルズの'Murdermile'は、私も完全に初めての曲。国王(b)がコピーしてきてない様子だったが、iPodで一度聴かせたらすっと弾きだした。おお、器用な。
この曲は実はモッチーが半分近く歌うのだ。だけど彼のパートは同じ歌詞の繰返しなので、その場で訳しておしえた。
It's a train wreck (僕たちは激しくぶつかりあう)
You got me on the wrong track, honey (君は僕のことをわかってないんだ)
It's piling up one by one(食い違いがたまっていくばかりだね)
'wreck'は電車の衝突、'track'は電車の線路、'pile'も「電車に大勢の人が乗り込む」の意味があるから、この部分は全部電車のことに例えているのだ。これをホテル(g)があきらめ半分にだらーっと歌うのが色っぽい。
リハ後、スタジオ下のカフェへ移動。コーさんが全部おごってくれるというので、コーヒーに加えてクッキーも注文。
お喋りしていて、私がふとコーさんの遅刻の件に触れたら、すかさず「コーヒーをもう一杯いかがですか?」と言われて、笑った。
I'll settle for a cup of coffee, but you know what I really need (コーヒーを頂きはするけど、こんなことでごまかされはしないのよ?) なんちて。 *I Don't Sleep, I Dream / R.E.M. (1994) の歌詞。
2008年09月18日(木) |
The Late Lamented |
マイ・シューヴァル&ペール・ヴァールーの「テロリスト」読了。これでマルティン・ベック・シリーズを全て読んだことになる。'86〜'94年にかけて8冊を読み、最後の2冊だけがずっと未読だったのだ。数日前に9作目の「警官殺し」を読み、そして今日で10冊全部読み終えた。
これは1965〜1975年にかけて書かれ、当時のスウェーデンの10年間を描きだした警察小説だ。これがもう圧倒的なまでに面白い。
14年ぶりに読んだが、どうして今までこれを中断したまま放っておいたのかと思うほどの手応えだ。そして、14年の時を経て、レンナルト・コルベリ、グンヴァルド・ラーソン、メランデル、スカッケ、ルン、といった名前を見るだけで、瞬時にそれぞれの記憶が蘇る。
このシリーズは、鮮烈なのだ。全ての描写が映画のように生き生きと眼前に繰り広げられる。「笑う警官」におけるバス内大量殺人現場、「密室」の冒頭のあまりに手際の良い銀行強盗の場面などは、もう「見た」としか思えない。しかも、仰天し口をあいて「見た」のだ。
実は8冊は既に元ダンナに送ってある。このシリーズは絶対に彼の気に入る筈だ。同じ理由でエラリー・クイーンのライツヴィル・シリーズも送った。
元ダンナといえば。昨夜南阿佐ヶ谷ロックバーBでマスターと美香さんに、9/7にライヴを観に来ていた元ダンナをえらくほめられた。実は当日他のお客にも同様のことを言われた。つまり、「背が高くてかっこよくて、性格も良さそうで、Bunnyさんと似合う」って。・・・確かに元ダンナは、たいていの人に初対面から好かれる。一度会っただけの西荻ロックバーBのマスターも、後日私が元ダンナが他人に好かれるという話をしたら、「俺も大好き」と言っていた。
Bマスターに、元ダンナは元高校球児で、学生時代に絵で県知事賞を取っていると話したら、「才色兼備ですね。天才じゃないですか」とまで言い出した。うーむ。リップサービスにしても持ち上げすぎじゃないかな。
本はよく読む。私ほどじゃないが。音楽は相当に広く深く聴く。私なんぞは比べ物にならない。
でも、16年も一緒にいて、一度も彼をすごいと思ったことはなかった。音楽に関してはアレが普通かとすら思っていて、別れて初めてあんなロック馬鹿が他にいないことに気づいた。その点を別にすれば、やはり人に言われてもぴんと来ないなあ。
昨夜は。もうひとつ書いておくべきことがある。
Bで、誰も触っていないのにライトがひとつ消えたのだ。スイッチを入れなおしたらついた。私が「何今の。怪奇現象?」と笑い、「今日誰かの命日だっけ」と言った。そのとたん。
思い出した。まる一週間も忘れてた。9/10のBLACK AND BLUEのマスターの命日。亡くなってから、初めて忘れた。
このところ色々あって、気がそれてたから。
4年もたってるし、そもそも家族でも恋人でも、いや友人とすらいえない私がいつまでもめそめそとしていることが逆におかしい。ただ私が、あの時期ずっとあの店に気持ちを吐き出して、マスターが亡くなった直後から同じようにカウンターに一人で立ち始め、勝手に思いを重ねていただけだ。
死んだひとを神格化してはいけないし、もうない店よりも、今ある店に通うことを考えたほうがいい。
しかし。そうか。忘れちゃってたか。
なんだかとてもがっくり来て。一週間遅れで何かしようという気も起きない。
4年前のあの時―――亡くなって一週間後に店に集まって飲んだ時は、逆に、誰も触っていないのに、カウンター中のライトがいきなりついたんだっけなあ。マスターの大好きだった武道館ライヴの"Jumpin' Jack Flash"がかかったその瞬間に。
日付も同じ、9/17か。
私は基本的に幽霊を信じない。でも何だか「忘れたの?」と言われたようで、切ない。
(10/1up)
The Late Lamented (遅い嘆き) *フレドリック・ブラウンの著書(邦題=「消された男」) (1959) *本当の意味は「故人」だが、字義通り取ると「遅く嘆かれた人」となる。
2008年09月17日(水) |
Just like I told you before! Before! |
南阿佐ヶ谷ロックバーBに行ったら、美香さんがいた。
荒れてて申し訳ないなあと思ったけど。今日は美香さんが何か面白いし、マスターも酒のピッチがいつもより早いらしくて、テンションが高い。じきにkzのことなど忘れはて、楽しく盛り上がる。
最近ロックを色々お勉強中だという美香さん。フー・ファイターズのことを話すので、「なんでフーファイなんて訊いてるの??」と言ったら、私が日記に書いていたからだとか。おお。素敵。
マスターに、「ジューダス・プリーストのボーカルは?」と質問された美香さん、軽く固まった後で、「ろばーと・はるふぉーど」と語尾が自信なさげながら正答。なんでそんなマニアックなのから覚えさせるんだw
美香さんは最近まで「ジョン・ボン・ジョビ」と正しく言えなかったらしい。言ってみせようとするところへ、「ボン・ジョン・ボビだよ」と混乱させて楽しむ。「色々デタラメをおしえると面白いね。ヴァン・ヴァンヘイレン、とか」と言ったらマスターにウケる。しかし「Bunnyさん、それ2時3時のギャグですよ。惜しいなー、今が2時だったら爆笑だったのに」と言われる。確かにw しかしその後2時3時までの間に、何かといえば「ばんばんへいれん」と繰り返し、そのたびにウケる。今夜はテンション高いのである。
そして今夜はスゲー収穫があったのだ。
皆さま覚えていらっしゃるでしょうか。あの、「オノ・ヨーコは火サスに出ていた」事件を。あれは半年前、Bで美香さんが、「オノ・ヨーコって火曜サスペンスに怖い役で出てたんだね。しかもとんねるずの番組にも被り物をして出ていたし」と言ったのだ。その場にいた全員で「それは違う」と説き伏せ、私はそれはおそらくノギワ・ヨーコではないかと言ったのだが、美香さんが頑としてオノ・ヨーコだと言い張ったのだ。(しかもその時美香さんは、オノ・ヨーコがジョン・レノンの妻だとは知らなかったとも言った)
この話を私とマスターが思い出して語ったところ、横にいた客がこともなげに言ったのだ。「それ、小野みゆきだ」って。
・・・・・ああああああ。てっきり「ヨーコ」違いだと思っていたら。まさか「オノ」違いとは。
美香さんも、「あ、ほんとだ」と毒気を抜かれたような顔になり、「・・・じゃ、オノ・ヨーコって誰なの?」って。
「だからジョン・レノンの奥さんだって!!!!」と全員で叫んだことは言うまでもないw
すんごく楽しく、3時帰宅。
(9/29up)
Just like I told you before! Before! (だから前にもおしえたじゃんかよ!!) *Ain't Talkin' 'bout Love / ばんばんへいれん (1978) の歌詞。
2008年09月15日(月) |
What hope for the turning, if everything you know is wrong |
10時半にKJ(g)からの携帯メールで目を覚ます。今からニューヨークに行くというのだが、同行する友だちが偶然少し前までカナダで毎日私の日記を読んでいたことがわかって、KJが知り合いだと言ったら驚いていたとのこと。「有名人ですね」と持ち上げてくれている。
・・・「カナダで」って言われると、なんかホントに有名人のような気がw(すいません、つけあがりました)
そして明け方のkzからのメールにも返信する。「私の時間を無駄にしないでくれる?」って。・・・ああ、他の友だちとの楽しいメールのやり取りとは、何て違いだろう。
もう大分前から、無意味なメールを送るのはやめてほしい、次のメールは「離婚届を送りました」だけにしてくれと言ってあるのに、いつも来るのは「ごめんなさい。今日送ります」だ。今日もそう。
日記の冒頭部分に、ネットで見つけたオアシスの映像をアップ。オアシスの、というか、オアシスが新譜をニューヨークのストリート・ミュージシャン達に演奏させるというかたちで発表したという、そのいわばメイキング映像だ。これがえらくかっこいい。
何がかっこいいかって。日本の駅前で腑抜けた雑音を垂れ流している連中とは格段にレベルが違うNYのミュージシャン達の余裕のある演奏・・・じゃ、なくて。
リアムがかっこいいわあw
黒ずくめで決めてて。かつてヴォーグ誌にその服装を「悪夢のよう」と叩かれた頃から、かなり頑張ったのね。相変わらず痩せてて。相変わらずかっこつけて、動作もいちいち人目を意識したこけおどし的で、底が浅くて頭悪そうで、素敵w
あれは4月だったっけ。南阿佐ヶ谷ロックバーBでマスターに、「一体どういう男性が好きなの?」と訊かれたので、しばし考えて、「・・・アホがいいなあ。気に入らないとすぐ殴るヤツとか」(注:私以外を)と答えたのだ。実例も訊かれたので、「リアム」と即答した。
で、5月にkzに会って7月に入籍しちゃった時に、「・・・ああこりゃBマスターに突っ込まれるだろうな」と思った。だってkzは、その真反対もいいところだもの。(実際後日、突っ込まれました)
(9/27up)
What hope for the turning, if everything you know is wrong (全てが嘘ばかりだとしたら、やり直すことに何の意味があるの?) *The Turning / Oasis (2008) の歌詞。 **その「新譜」より。
2008年09月13日(土) |
Can't you see we're wasting all this time |
授業後、先週も行った古本屋へ本を売りに。私好みの痩せた店主は、私を見て「はっ」としたように顔を上げた。・・・まあ、あなたも私のことを意識してるのね?(お読みの方へ。すいません、妄想なんでほっといて下さい)
14冊で300円。その後しばらく店内を物色していたら、大分たってから急に店主が私に歩み寄り、200円を渡す。「・・・よく見たら、絶版本があったので」って。・・・フツー後からわざわざそんなことしないわよね。やはりあなたも私のことを憎からず思って。(すいません、最新の妄想なんで、いちいち怒らないで下さい)
アホはさておき。「サキ選集」を買う。最近はこの手の「お話」が読みたいのだ。サキを読むなんてのは、これぞまさしく「読書」だ。しかし、今の日本にサキを読む人間が一体何人いるんだろう。
読書はどうしてこれほどあっという間に、マニアックな行為になりはてたんだろう。まして「文学」を読む人間はどこにいるんだ。
小説は本来は芸術だったんだ。今、電車の中で暇つぶしに読まれているのは、ノンフィクションか、それに近い時代小説か、プロ意識に欠けるエンターテインメントばかりだ。
本を読む人間と、語りたいなあ。
私はkazuがそうだと思ったんだ。でも多分見込み違いだった。或いはこれも単に彼の嘘かも。彼は本を殆ど読んでいない。手をつけても大抵はきちんと読了出来ないし、しても何も捉えていない。そう確認したわけではないが、少しの会話からでもそれと知れる。
モームが好きだなんていうのも、適当に私に話を合わせただけだろうな。あの文豪は、本当に「文学」好きでないと、好きにはならないもの。
久々にカルディに寄って、ホットチリビーンズ、パンプキンバウム、ショートブレッド、パセリ、タイのイエローカレーを買う。読みものと食べものを買って帰るというのが、小学生の頃からの一番の幸せだ。
夜、kazuに長いメールを送る。これまでだって毎日毎日、すぐに離婚届を送るようメールしているが、毎回「ごめんなさい。送ります」というばかりで、送られてこないのだ。
「もう無意味なので怒らずに、噛んでふくめるように言うから、よくきいて」で始め、書類上の妻になんか何の意味もないから、これ以上時間を無駄にしないで欲しいという内容。「離婚届を送ってください。私はもうあなたは要りません」と書く。
書いてから、「もうあなたは要りません」っていうのは、私が彼氏と別れる時の、毎回のキメ台詞だなあと思う。これが出たらもう終わりだな。
―――しかし返信が来ない。・・・ああもう。どうすりゃいいんだ。
(9/25up)
Can't you see we're wasting all this time (時間を無駄にしているのがわからないの?) *Write A Letter / Bay City Rollers (1976) の歌詞。
2008年09月12日(金) |
All I'm saying is you're deaf to the fact that there's |
シャワーから出て、ベイ・シティ・ローラーズの'Once Upon A Star'のアルバムを聴く。モッチー(g)に焼いてあげる為にCDを出したついでに聴いているのだ。地味かもしれないが、好きなアルバムだ。
1曲目'Bye Bye Baby'が不倫の歌だと知った時は驚いたっけなあ。
体と顔を化粧水で拭いて、唇と鼻の頭にワセリンを薄く塗り、体にベビーローションをすり込んでから、下着を着る。
3曲目'La Bell Jeane'とか、(アルバムは違うが)'Here Comes That Feeling Again'のような曖昧に発光するような甘さも好きだった。
髪にアイロン用フォームをつけ、ドライヤーで乾かし、トリートメントをつけて、オイルをつける。
7曲目'Once Upon A Star'は何だか安っぽく始まるが、聴いているとそれが、きっちりとつくられたノスタルジーの仕掛けなんだとわかる。じっくり聴くとちょっと涙ものだ。この曲が終わって、元気に素直に力まずに'Let's Go'が始まるところがたまらない。
今日も化粧はしない。ブラウンのアイブローとリップグロスのみ。
10曲目'Teenage Heart'―――なんて説得力のある曲なんだ。どう論破するのも無理だな、これ。
エタニティを手首と、胸の蝶につける。
13曲目の'All Of Me Loves All Of You'が・・・って、げっ、こんな時間だ。ち、遅刻する。
新宿のカフェで授業。21時終了。当然そのまま飲みに行く・・・筈が、何となくそのまま帰宅。最近ぱったりと飲みに行かなくなっちゃってるな。
iPodでXTCの'White Music'を聴きながら帰宅。・・・くぅ、かっこいい。
この世に「お前らは頭が悪いだろう?」と挑みかける音楽があるとしたら、これがそれだ。一般ウケしないのも当然で、ものすごくリスナーを限定する。これをいいと思う為には、まずその挑戦に気づくくらいの頭がなくてはならず、同時に「俺は頭がいいから大丈夫」と確信するくらいアホじゃないといけないんだ。ひねくれた、神経にさわる、快感。
出勤前と帰りで聴いているものがおそろしく違うけど。実は発売年が3年しか違わないこの2枚。
'70年代ブリティッシュ・ロックも、相当に様々なんだよね。
(9/24up)
All I'm saying is you're deaf to the fact that there's (俺に言わせりゃおまえらは目の前の事実すらわからないんだ) *Radios In Motion / XTC (1978) の歌詞。
2008年09月10日(水) |
First of all there is Blue. Later there is White, and then there is Black |
明け方4時に詩を書いてアップ。5ヶ月ぶりに書く詩であるが、5ヶ月前の詩も今度の詩も、BGMはスマッシング・パンプキンズの"Adore"に入っている曲だ。
私はもう、この半年'Adore'に首ったけなのだ。今でもスマパンで一番好きなアルバムはやはり"Mellon Collie"であり、中でも"1979"は、この曲が私をつくったと思っているほど別格であるが。
しかし"Adore"―――この繊細な未完成。「美しさ」は退屈だという意見があって、しかしそれは「美」の定義を「瑕のない球体」と捉えた場合のことではないか。パルテノン神殿に見られる黄金比の美のような。
"Adore"における「美」は、まったく隙だらけであるし、球体どころか円にすらなっていない。
中でも9曲目の"Pug"(私にとっては「恋」という錯覚の具現化)と、11曲目の"Annie-Dog"(私にとって、肉と臭いと咀嚼と排泄の、昇華のような抽象化)の2曲は、今述べたような見事な対照を見せて、私に突き刺さる。
その2曲の間にあるのが、10曲目の"The Tale of Dusty and Pistol Pete"なのだ。明るい陽光をぼんやりと通しながら、弱い熱をたくわえる硝子のような曲だ。
今日はそれを聴きながら、詩を書いた。
実は。5ヶ月前に書いた詩とこれは、対をなしている。あれは5/4の早朝――つまり、kazukと初めて会う日の朝に書いたのだ。
自分が会ったこともない彼に、既に頭の中で好意を持っているのを知っていて、それに反発してみせたのがあれだ。(詩の内容自体はkazuと何の関係もない) 結果、その日には何の恋心も生まれなかったが。
そしてその詩のBGMが"Annie-Dog"だった。
もう今は、スマパンしか聴く気にならないな。
この頃、レッチリを、ニルヴァーナを、ビートルズを、ツェッペリンを、グレアム・コクソンを、全く聴く気になれない。全部kazuが好きだからだ。
聴けるのは、kazuが私に合わせて実際より好きなふりをしていた(そんなのすぐに判るわよ)R.E.M.、そして好きなふりすら出来なかったスマパンだ。
だから、今回書いた詩―――私からすればはっきりとkazuへの失望を表した詩のBGMがスマパンだというのは当然だ。
もし私が"Pug"をBGMにして詩を書けば、いわば三部作の完成ということになるが。その場合もうkazuは関係ない。何故なら、先に書いたように、あれは私には「恋」という錯覚の具現化だから。
ちなみに今回の詩の出だしは、
First of all there is Blue. Later there is White, and then there is Black, and before the beginning there is Brown.
私がサリンジャーと同じくらい美しいと思っているポール・オースターの'Ghosts'の出だしだ。
・・・ああ、書いてから気づいたけど。これもkazuが読まない作家だな。彼はサリンジャーは読むけど。
もっとも。こんな拘りは一過性のことに過ぎない。そうでなくてはならないのだ。kazuだろうと誰だろうと、私が文学や音楽を愛する妨げになんかさせるもんか。
First of all there is Blue. Later there is White, and then there is Black (まず青いのがいた もう少したつと白があらわれる、それから黒が) *Ghosts / Paul Auster (1986) の出だし。*日本語訳は私の詩の出だし。勿論実際はそういう意味ではない。
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