そよ風


2005年01月25日(火) あの頃

歌手のばんばひろふみの熟年離婚がテレビで報道されると、
決まったように流れてくるバンバンの歌声、
「いつかー、君と行った〜♪ 映画がまたくる〜♪」
懐かしの「イチゴ白書をもう一度」
それが聞こえる度に、胸キュン状態になってしまう私です。

あの歌を口ずさんでいた、二十代だった頃に、
気持ちだけが、タイムカプセルに乗って・・・
という状態でしょうか。

そして、目に浮かんでくる光景といえば、
学生運動が盛んだった時代、ビラだらけだった教室の柱や廊下の壁、
マイクを片手に独特の口調で叫ぶ学生、「我々がぁー、我々のぉー」

突然、教室に乗り込んで来た学生達によって、
「今から、安保条約と沖縄のことを勉強しましょう!」
と、本来の授業が変更になったり、
テストの筈が、「もっと大切なことを話し合いましょう!」と、
誰かが言い出し、突然の延期になりかけたり。

そんな中で、きっと私は、ボーッとした学生だったのでしょう。
その頃、二、三人の仲間で「聖書研究会」を発足して、
いっしょに聖書を読み、学んでいた時代でした。

そんな青春時代(と呼んでいいのかな)が、自分にもあったんだなあーと。

こんな昔のことを書くなんて、やっぱり、あの歌のせいでしょうね。



2005年01月24日(月) 親離れ

六年前の三月末、息子は大学に通うために名古屋に発った。
三月生まれの彼は、18歳になったばかり。
下宿生活のかけ出しの頃には、息子の方からも、電話がかかってきた。

「洗濯機で洗濯したら、服が全部シワだらけになったぁ! どうしよう?」
「オクラを買ったけど、どう料理するん?」

あの頃は、まだオボコくて、かわいいヤツだった。
こちらから電話をしても、自転車に乗ってる時でも、あわてて電話に出てくれた。

何年かが過ぎ、下宿生活にもすっかり慣れてきた頃、
「クラブでスキーに行くから」「合宿とバイトで忙しいから」
そんなことを言って、盆にも正月にも帰省しなくなった。
(最近は、帰省するようになったが)

この母は、基本的には、それでも嬉しかったよ。
それまで全く知人もいない、初めての名古屋という都会で、
ちょっと前までは、きわめて甘えん坊だった子供が、
ひとりで生活し(もっとも費用はコチラ持ちだけど)、
友達もでき、楽しく学生生活を送ってるのなら嬉しいと思った。

でも、その頃から、何度電話をかけても、いつも留守電ばかり。
特に用が無いのがわかっているので、全然連絡をよこさない。

この母は、のん気なわりには、とても心配性。
おまけに、ミステリー小説の読み過ぎで、
ちょっと連絡がとれなくなると「何か事件に巻き込まれたのでは?」
と本気で心配してしまう。物騒な事件の多い昨今だし。

一回目、二回目の電話が繋がらない時は、「どうしたんだろう?」
三回目、四回目では「病気で臥せってるのかも・・・」
五回目、六回目では「ひょっとして、あの子の身に何か起こったのでは?」

だんだんと、心配がエスカレートしてしまう。
先日、とうとう、こんなメールを書いた。

「何度電話をしても連絡がないので、ますます心配になり、
ますます電話をかけてしまい、それでも繋がらないと、
また、ますます心配になり、という悪循環に陥ってます。
返事だけでもして欲しい」

それで、やっと連絡があった。
「ごめん、ごめん。携帯、ずっとカバンに入れっ放しで気付かなかった」
(だって・・・ふ〜ん、パソコンにもメールを何回も入れたぞ)

そういえば、私とよく似た状況にある友人は、
「おばあちゃんからのお年玉を預かってます。このまま、こちらで預かっておきましょうか?」
と、下宿中の息子にメールを送ったら、滅多に返事をくれない息子が、
「ありがとう。すみませんが送金してください」と、すぐに返信してきたよ、
と、笑って言った。

ほんとうに、ただ「元気にしてるよ」の、ひと声だけで安心できるのに!


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