歌手のばんばひろふみの熟年離婚がテレビで報道されると、
決まったように流れてくるバンバンの歌声、
「いつかー、君と行った〜♪ 映画がまたくる〜♪」
懐かしの「イチゴ白書をもう一度」
それが聞こえる度に、胸キュン状態になってしまう私です。
あの歌を口ずさんでいた、二十代だった頃に、
気持ちだけが、タイムカプセルに乗って・・・
という状態でしょうか。
そして、目に浮かんでくる光景といえば、
学生運動が盛んだった時代、ビラだらけだった教室の柱や廊下の壁、
マイクを片手に独特の口調で叫ぶ学生、「我々がぁー、我々のぉー」
突然、教室に乗り込んで来た学生達によって、
「今から、安保条約と沖縄のことを勉強しましょう!」
と、本来の授業が変更になったり、
テストの筈が、「もっと大切なことを話し合いましょう!」と、
誰かが言い出し、突然の延期になりかけたり。
そんな中で、きっと私は、ボーッとした学生だったのでしょう。
その頃、二、三人の仲間で「聖書研究会」を発足して、
いっしょに聖書を読み、学んでいた時代でした。
そんな青春時代(と呼んでいいのかな)が、自分にもあったんだなあーと。
こんな昔のことを書くなんて、やっぱり、あの歌のせいでしょうね。
六年前の三月末、息子は大学に通うために名古屋に発った。
三月生まれの彼は、18歳になったばかり。
下宿生活のかけ出しの頃には、息子の方からも、電話がかかってきた。
「洗濯機で洗濯したら、服が全部シワだらけになったぁ! どうしよう?」
「オクラを買ったけど、どう料理するん?」
あの頃は、まだオボコくて、かわいいヤツだった。
こちらから電話をしても、自転車に乗ってる時でも、あわてて電話に出てくれた。
何年かが過ぎ、下宿生活にもすっかり慣れてきた頃、
「クラブでスキーに行くから」「合宿とバイトで忙しいから」
そんなことを言って、盆にも正月にも帰省しなくなった。
(最近は、帰省するようになったが)
この母は、基本的には、それでも嬉しかったよ。
それまで全く知人もいない、初めての名古屋という都会で、
ちょっと前までは、きわめて甘えん坊だった子供が、
ひとりで生活し(もっとも費用はコチラ持ちだけど)、
友達もでき、楽しく学生生活を送ってるのなら嬉しいと思った。
でも、その頃から、何度電話をかけても、いつも留守電ばかり。
特に用が無いのがわかっているので、全然連絡をよこさない。
この母は、のん気なわりには、とても心配性。
おまけに、ミステリー小説の読み過ぎで、
ちょっと連絡がとれなくなると「何か事件に巻き込まれたのでは?」
と本気で心配してしまう。物騒な事件の多い昨今だし。
一回目、二回目の電話が繋がらない時は、「どうしたんだろう?」
三回目、四回目では「病気で臥せってるのかも・・・」
五回目、六回目では「ひょっとして、あの子の身に何か起こったのでは?」
だんだんと、心配がエスカレートしてしまう。
先日、とうとう、こんなメールを書いた。
「何度電話をしても連絡がないので、ますます心配になり、
ますます電話をかけてしまい、それでも繋がらないと、
また、ますます心配になり、という悪循環に陥ってます。
返事だけでもして欲しい」
それで、やっと連絡があった。
「ごめん、ごめん。携帯、ずっとカバンに入れっ放しで気付かなかった」
(だって・・・ふ〜ん、パソコンにもメールを何回も入れたぞ)
そういえば、私とよく似た状況にある友人は、
「おばあちゃんからのお年玉を預かってます。このまま、こちらで預かっておきましょうか?」
と、下宿中の息子にメールを送ったら、滅多に返事をくれない息子が、
「ありがとう。すみませんが送金してください」と、すぐに返信してきたよ、
と、笑って言った。
ほんとうに、ただ「元気にしてるよ」の、ひと声だけで安心できるのに!