そよ風


2005年04月26日(火) 花嫁は声を張り上げて・・・

海の見えるチャペルで、無事結婚式を挙げた二人、

翌日、娘は日常会話すら不便なほど喉の調子が悪く、
二日後に控えたイタリア旅行に出発できるのか
私はずいぶん心配した。
が、なんとか無事に日本を発ったようだ。

準備のために我が家に帰って来てから挙式までの約一週間、
娘はほんとうに忙しかった。

ウエルカムボード、ミニカード、席辞表などの作成、印刷、
プチギフトや二次会の景品などの袋詰め、ラッピング、
様々なシーンでのBGMの録音、編集、
その合間を縫って、エステ、ヘアーメイクリハーサル、マネキュア、
遠路遥々、大阪市内まで毎日のように出かけて行く娘。

挙式当日にむけて、我が身の美しさの最高潮に達するために、
花嫁は物凄い努力をするものなのね。

でも正直、思ってしまった。
あまりの忙しさに、かえってゲソっとやつれてしまい、
目の下に大きな隈ができてしまうのではなかろうか。
お肌がガサガサに荒れてしまうのではなかろうか。
のんびり、健やかに過ごした方が、美肌になるのに・・・と。

でも当日、親の心配をよそに、娘のウエディングドレス姿は、
なかなかよく似合っていた。
すごいね!! 式場の美容室スタッフの力は偉大だ。
熟練した技術力の結集に感服!!

翌日、娘の喉が嗄れて声が出なくなってしまったのは、
疲れて風邪をこじらせてしまった為・・・・だろうか。

いいえ、披露宴でカラオケを熱唱し過ぎたからだと思う。

職場の友人でもあり、キューピット役でもあったWさんと二人で
(新郎をひとりポツンと残して)
花嫁自らドリカムの歌を声を張り上げて熱唱する姿、
息もピッタリで、まさしく「女傑」のイメージだった。

隣の席のおばあちゃんがボソッとつぶやいた。
「時代は変わったなあ。昔の花嫁はずっと俯いてたのに・・・」
(ほんまに・・・)

カラオケの熱唱の後、娘の家族への手紙の朗読が始まった。
横で主人がシンミリと鼻をすすっていた。
親戚の人達も感動して涙が出たと言ってくれた。

でもその時、私の心中は複雑な気持ちでいっぱいだった。
「カラオケ熱唱の後、今度はお手紙、娘ばかりひとりで出過ぎだよ。
新郎の御家族や親戚の方達は、どんな風に感じておられるだろう」
なんて心配しても、今更しかたがないが・・・

無事、披露宴もお開きになった時、

うるうる・・・の花婿、にこにこ・・・の花嫁、

スタッフの人がひとこと、

「女は強いですねー」

(ほんまに・・・)



2005年04月14日(木) ストレスの原因

この町に引っ越すことになった時、周囲の知人達は皆同じことを言った。
「○っちゃんは、絶対に大丈夫! 活発だし、シッカリしているし!」
母親の私もそう思っていた。
大人しい息子の方は少し心配だけど、娘は誰が見ても大丈夫な子。
転校しても、すぐに新しい環境にも学校にも慣れるだろうと。

小学校二年生の秋だった。
すぐに新しいお友達もできた。
転校して一週間後の運動会にも参加した。
予想通り何もかも順調に行っていると安心しきっていた。

でも、ある朝、娘は学校を休むと言い始めた。
たしかに顔色は優れない。熱は無さそうだが全く元気が無い。
ただただ「しんどい・・」と言う。

活発で元気な子、友達も学校も大好きな子だから、
ウソを言ってズル休みなどする筈がない。
きっと、いろいろな疲れが出たのだろう、と思った。

でも、家で寝ているわけでもない。
閉じこもって、所在無さ気にボーっとして過ごしている。

そして翌日も学校に行かないと娘は言った。
初めて、アレ? おかしいぞ・・・
とり合えず、近所の医院に連れて行った。
特に悪い所は無かったが、触診の後、医者は
「ストレスでしょうね。胃がカチカチに硬くなってます。」

ストレス? この子がストレスなんて・・・


原因は給食だった。
転校先の担任の方針は「絶対に給食を残さないこと」

娘は食が細くて食べるのが遅い。
昼休み中ずっと食べて、それでも残った分は、そのまま保存。
そして放課後に再びそれを食べる。全部食べ終わらないと帰れない。

知らなかった〜。

前の小学校では、残すも残さないも自由だった。
楽しく食べるということをモットーに
机を寄せ合ってグループになり、お喋りしながらのランチタイム。
担任は毎日順番に各グループの中に入り、いっしょに食べる。
「○○さんは、プロ野球は好き? どこのファン?」」
などと話しかけてくれた。

ここの小学校は、食事中は喋ってはダメ、
できるだけ、サッサと食べ終えること。
学校によって、こうも方針が違うものなのか。

娘は輪切りのコーンがどうしても食べられないと言った。
「そんなもの、コーンをかじったら、すぐにパンを押し込んで、
パンといっしょに食べればいいよ」
すると、驚くべきこたえが返ってきた。
「コーンはデザートだから、全部食べ終わってからでないと
食べたらアカンの!」


まだ、周りには全く友人も知人もいない私は、
担任に医者の証言も交えた手紙を書いた。

幸いなことに、娘は再び元気になった。
自分の食べきれる量を自分でとる、という方法になったそうだ。

すぐに解決して下さったことに感謝もするが、
私はその後、娘の担任が変わる度に、先生にその話を愚痴ってしまった。

それは、決して給食を無理強いしないで欲しい、
給食のせいで登校拒否になることだってあるのです、
と言いたかっただけなのだが、
かなり、恨みがましい口調だったと思う。
今でも根に持っているくらいだから。
もう、二十年近く経つというのに・・・

でも、最近その話が出た時、娘は言った。
「私はね、いつも、あの子は絶対に大丈夫、
と思われることが一番イヤだった」

そういうことだったのか。
いつも無理して、必死に頑張らなければいけなかったのね。
ほんとうのストレスの原因は、意外なところにも潜んでいたのね!


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