林心平の自宅出産日記

2004年10月23日(土) 夫、料理に失敗する

 サラリーマンになって2年目に入り、まかされる仕事もけっこうできてきて、忙しくなって、日記の更新が滞っていました。

 妻の血液検査の結果を病院に聞きに行きました。やはり、貧血気味とのことでしたが、検査は、ぼくが心を入れかえて料理に取り組む前に受けたので、改善されていることを祈っています。
 産科・婦人科の病院の待合室で、付き添いの男性がビデオカメラを持っていて、ファインダーをのぞいていました。待合室には、検査着を着ている女性もいたし、録画していなかったのかもしれませんが、とても不快な気持ちになりました。よくないですね。

 自宅出産志望仲間の雑把さんの日記に、ビーフシチューが食べたいという切なる願いが書いてありました。ちょうどつい先日、ドミグラスソースなしの、でも、驚くほどおいしいビーフシチューを作ったのでレシピを紹介します。
 栗原はるみ『ごちそうさまが、ききたくて。』というとても有名な料理本がありますが、その中に「ビーフシチュー」があります。

材料:牛肩ロース肉600g、玉ねぎ3個、じゃがいも3個、にんじん1本、赤ワイン1カップ、A(固形スープ3個、トマトピューレ1カップ、とんかつソース大さじ2、はちみつ大さじ1/2、ローリエ1枚、水5カップ)、小麦粉、バター、サラダ油、塩、こしょう

�ゝ軻�は塩、こしょうをふり、小麦粉大さじ3をまぶしてサラダ油大さじ2で表面を焼きつける。
��肉を取り出して、バター大さじ1をとかし、玉ねぎ1個の薄切りを入れて、15分ほど中火で炒める。
�6未佑�が薄く色づいたら、小麦粉大さじ1をふり入れ、弱火にして焦がさないように炒める。
�き�に赤ワインを注ぎ、手早く混ぜて、炒めた小麦粉と玉ねぎを溶かす。
�キい�煮立ったら、�,瞭�を戻して、Aの材料を加え、あくを取ったあと、ふたをして1〜2時間煮る。
�Π豸�大に切ったじゃがいも、玉ねぎ、にんじんを加えて煮、やわらかくなったら塩、こしょうで調味。

 実際には、このまま作ったわけではなく、牛肩ロース肉→豚のサガリ、赤ワイン→白ワイン、固形スープ→豚骨スープ、トマトピューレ→ケチャップで作ったので、「ビーフシチュー」ではなく、「サガリのトマト豚骨スープ煮込み」だったのですが、それでも、とてもビーフシチューのような感じになったので、このレシピはなかなかのものです。

 昨日、妻がビデオにとっておいてぼくに見せてくれた料理番組がありました。もちろん「これ、作ってね」ということなのですが、それはごまたっぷりサブレでした。
 そこで、今日作ってみました。うちのオーブンは火力が強いので、レシピよりも10度下げて焼きました。子どもたちもオーブンの前で「こんがりきつねいろー」などと歌いながら、じーっと中を見つめていました。
「あっあっあーっ」と言うので、見に行くと、たいへんなことになっていました。台にしたクラッカーは焼けすぎてそりかえり、上にかけたごまペーストも焦げていました。焼き時間も短く設定しなければならなかったのです。しょんぼり。
 それでも水あめがごまをしっかりつかまえて、そこにはちみつの風味が加わり、とてもおいしかったので、このレシピもおすすめです。

 夜、妻が頭痛がすると言うので、足裏マッサージをしていました。子どもたちが本を読んでとせがんできたので、上の子に「絵本、読んであげて」と頼みました。すると、向こうの部屋でしばらく読んであげていたようでした。
 それにも飽きたのか、また子どもたちはやってきました。下の子はすっかり眠たくなっていて、
「読んでくれなかったんだよ」と言いました。上の子は
「読んだよ」と言いました。すると、それは事実だったらしく、下の子は
「聞いてなかったんだよ」と、眠い目をこすり不機嫌になりながら、言いました。
 まったく、眠たくなった子どもって、なんて理不尽で、かわいらしいのでしょう。



2004年10月20日(水) ぜんそくからの脱出に向けて

 ぜんそく対策として、掃除にまじめに取り組んでいますが、同時にいろいろな住環境改善のための道具を、『通販生活』にて購入しました。まず、畳の上にじゅうたんを敷くのはダニの温床となると聞いたので、じゅうたんをはがしました。ただそれだけでは、畳のケバがたってしまうので、畳クリーナーというワックスを買いました。ユーカリ油などが配合されており、先日須永紀子さんより「ユーカリ油は風邪や鼻づまりにいい」と教えていただいたので、ぴったりでした。ぱさぱさになっていた畳は、ワックスがしみこみ、とても嬉しそうでした。かなり、かんきつ系の香りがしました。
 はがしたじゅうたんは、子どもたちのベッドのある部屋に敷いたら、すっかりいごこちのよい場所となり、喜んで二人して遊んでいました。ちなみに、これも、アレルゲン抑制カーペットです。
 また、妻の寝具を大幅に改善しました。ほこりのたたないかけ布団とベッドパット、ダニを通さないベッドシーツです。さらに、加湿器のフィルターを新しいものに替えました。夜は加湿器をつけて寝ます。
 オレンジの洗剤もよいものが『通販生活』にのっているのですが、こちらは「クロワッサンの店」にて、パックスナチュロン社のオレンジオイル入りふろ洗い用洗剤(実際には石けん)を買いました。これを使って、カビの生えている窓をきれいにしました。妻も、体調が良くなってきて、一緒に掃除に励みました。
 掃除には、ぞうきんモップを使っているのですが、最近使っていなかったアウロ社の床ワックスを、ワックスかけモップにて塗りました。まったく、『通販生活』のものばかりそろえています。
 
 「ぜんそくもおさまってきたので、散歩に行きたい」と妻が言うので、犬の散歩にも行きました。また、体重が増え気味になってきました。これまでは、体調が悪く栄養も不足気味で、体重が増えていなかったのですが、少々ひきしめなければならないくらいになっていました。ネパール人の友達が来てカレーを作ってくれたのですが、そこに中国人も加わって、おかずを作ってくれ、妻は期待に応えようとして、食べ過ぎてしまったのです。
「これは、いいことだよ。でも、しばらくは、お昼は鉄分入りクッキーとミックスキャロットジュースくらいにしておく。それで様子を見てみる」と妻は言いました。

 掃除機は、一度ミレー社の排気のきれいなものを注文しましたが、けっこう重たいものだったので、ダイソン社のものも検討していましたが、しばらくはなくてもいいのではないかという結論に達しました。そして、ぼくのとても欲しかったものを買うことにしました。届いたら、報告します。

 計画通り、ぜんそくは抜けられそうなので、次は、規則正しい早寝早起きの生活にしようと宣言しましたが、ぼくの管理していたずさんな家計簿を作り直しているうちに、すっかり朝方になってしまいました。またまたごめんなさい。



2004年10月15日(金) コロッケ工場

 朝方の部屋の乾燥を防ぐため、夜洗濯をして干しました。0時半までかかって、やっと、とりこみたたみ干しつけが完了。とても一日分の洗濯物の量だとは信じられませんでしたが、信じないわけにはいきません。
 15分ほどして、妻が目覚めました。「空気が冷たくなった」と言っています。どうやら、大量の洗濯物を干したので部屋の温度が下がって、のどの具合が悪くなったようです。そこまでは思いつきませんでした。吸入器を用意してあげ、結局、床暖房をつけたまま寝ることにしました。これはいい具合で、湿潤な部屋になって、妻はすやすやと眠りました。

 『クロワッサン』という雑誌に、主夫の人の記事がのっていました。その人は専業主夫なのですが、ぼくと生活がとても似ていておもしろかったです。熱血主夫というホームページを運営している方です。
 その記事の中で、家事の中に育児を取り込む、ということが書いてありました。どういうことかというと、例えば皿洗いをするときに、子どもと一緒にやるということでした。
 うちでは、特に3歳の子が料理が好きで、ぼくが台所に立っていると必ず寄ってきます。そして、「何か切るものがあったら言ってね」と言います。ぼくが「にんじんを切って」と言うと、実に嬉しそうにやってきて包丁を握り、けっこう上手に切ってくれます。
 今日は、妻の提案で、みんなで南瓜コロッケを作ることにしました。種は作っておき、成形を皆でしようと言うのです。
 まず、ぼくが丸めて粉をつけ、隣の息子に渡します。息子は卵をからめて、隣の娘に渡します。娘は、砕いたコーンフレークをまぶして、皿にのせます。それを妻が揚げていきました。名づけて、コロッケ工場。ぼくは粉の工場長。息子は卵の工場長。娘は衣の工場長。それぞれが責任ある主でした。工場の運営は、きわめて順調でした。
 しかし、大事件が起こりました。途中でコーンフレークがなくなってしまったのです。ぼくは、急いでパン粉を作ることにしました。冷凍庫の中にあるパンをオーブンで焼いて、フードプロセッサーでパン粉にしました。この間5分。しかし、その間、子どもたちがじっと待っているのは、至難の業でした。
「また、作るからそのままで待ってて」と言ったちょうどそのとき、
「ピンポーン」と玄関のチャイムが鳴りました。宅配便やさんでした。お届け物好きの息子は、手を卵だらけにしたまま立ち上がって走り出しました。 コロッケ工場は、非常に不安定な状態になってしまいました。結局、一度、手をふいてあげなくてはならなくなりました。
 それでも何とか、再び工場を稼動させることができました。
 そして、できあがったコロッケを子どもたちは、3個もたいらげました。
 ぼくにとっても、とても楽しいひとときでした。
 忙しさにかまけて、なかなかこんな時間を作ることわしていませんが、皆が楽しくなり、その結果おいしいものができ、それを子どもたちがいっしょうけんめい食べるなんて、いいことづくめでした。
あとかたづけが、少々たいへんでしたけれど。



2004年10月14日(木) 1人目を生んだ助産所をやめた理由

 1人目の子どもは助産所で生みました。2人目は自宅出産で、3人目も自宅で生もうとしています。助産所生むのをやめたのには、次のような訳がありました。
 助産所で、そこの所長である助産婦さんに検診を何度も受けたのちに、出産を迎えました。ぼくたちは当然、出産のときにも、その助産婦さんに立ち会ってもらえるものだと思っていました。しかし、陣痛の間隔が10分以内になって、いざ、助産所へ行くと、その助産婦さんはおらず、それまでほとんど面識のなかった助産婦さんに介助してもらうことになりました。そういうこともあるならば、事前に説明してほしかったと思いますし、一般的にはよくあることなのかもしれませんが、最後の最後で知らない人に手助けしてもらうというのは納得がいきませんでした。

 助産所の分娩室へ行くと、古い木製の、普通のベッドがありました。ベッドに横たわってすぐに、妻は言いました。
「寒い。ベッドの脇から隙間風が来る」
「ごめんなさいね。なにしろ古い建物だから」助産婦さんは、そう言いながら、部屋中のクッションを集めてきて、風の吹き込んでくる隙間を埋めました。
 北海道の真冬のことで、部屋ではストーブが燃え盛っていましたが、それでも冷たい風が常時妻に吹き寄せました。これは、6時間も続いた分娩室での出産の間中、妻を苦しめました。

 また、出産当日にぼくたちが助産所に着いたのは、23時50分でした。出産後、所長さんはそれを聞いて、手をたたいて喜んだのです。どういうことかと言うと、23時50分に入所し、翌日生んだ場合、料金が2日分発生するからなのでした。当時、とてもお金がなかったので余計、そのことが印象に残っています。

 以上のような理由で、2人目を妊娠したとき、ぼくたちはこの助産所での出産を選択肢から外しました。病院で嫌な目にあって、これも口コミでたどりついた助産所にはじめは期待していましたが、ぼくたちには満足のいかないものでした。
 自宅出産では、助産婦さん個人にお願いしているので他の人が来ることはありませんし、出産環境は自宅なので、自分たちで整えることができますし、出産開始時刻によって料金が変わるということもありません。



2004年10月13日(水) 夫の小さな喜び

 妻のぜんそくぎみは続いています。特に、朝方が調子が悪く、部屋が乾燥していると、のどがとても痛いそうです。でも、家に帰ると妻は洗濯をしてくれていました。もともと洗濯は主に妻が担当していたことなのですが、つわりが始まってからは、ぼくがやっていました。久しぶりに妻がすっかり、干してあるものをとりこんでたたんで、新しく洗濯して干していてくれたので、とても助かりましたし、何よりも、洗濯できるくらいの元気があったということに嬉しくなりました。
 もう、うちでは、朝晩暖房を入れていますが、洗濯を干すことは湿度を保つ上で、とてもよいことです。もっと早く、朝方の乾燥を防ぐために夜、洗濯物を干すようにしたらよかったのですが、いろいろなことが後手後手に回ってしまっており、自分のいたらなさに悲しくなります。

 今日は、初めて、職場からの助成によって、人間ドックというものに行きました。なんと、超音波による内臓の検査があって、それは、妊婦のエコーによる検診とまったく同じでした。望んでもいないのに、ベッドに寝かされ、ローションをおなかに塗られ、体の中を探られた、先日の妻のことが少しわかったような気がしました。
 検査が全て済んだあと、医師と栄養士によるお話がありました。結果はすべて、以上なしでした。血液検査のたくさんの項目も、すべて正常値の中におさまっていました。栄養士は言いました。
「とてもよい結果です。食事に気をつけていますか」
 こう言われ、ぼくは、とても嬉しかったのです。自分が健康だったことももちろん嬉しかったのですが、それよりも、ぼくの作る食事が評価され、それを妻や子どもたちが食べているということが嬉しくなったのです。先日、食事作りについて反省してから気をつけて料理してきたので、そのことを認めてもらえたように思いました。
 反省の多い夫の、小さな喜びでした。

 妻は「おいしいものを作って」と言い、連日、料理研究家有元葉子氏の出演する「きょうの料理」をぼくに見るようにとすすめます。そう言いながら妻は、眠たくなってしまうこともありますが、ぼくは言われたとおりにまじめに、おいしいものの作り方を学んでいます。


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