林心平の自宅出産日記

2005年01月03日(月) 妊婦さんの不安と前向きな姿勢

 家族でデパートに行った帰りに、ぷーちゃんが下りの階段で転んでしまいました。そのときは、ぼくがまーちゃんの手を引いていました。妻は、自分のことで精一杯だったので、ぷーちゃんと手をつないでいませんでした。
 ぷーちゃんは階段を2、3段落ち、幸いなことにそこで止まりました。特にけがもなく、ほっとしました。
 妻は、このことに大きなショックを受けました。自分は、子どもたちと一緒にでかけたときに、責任を持って気を配ってあげることができないのだと思ったのです。
 現在、8か月になり、いよいよ妊娠後期になりました。おなかもぐっとせりだしてきて、自分でズボンをはいたり靴をはいたりするのにも苦労しています。

 そのことがあり、妻は、予定していた一つの計画をあきらめたいと言い出しました。それは、「子どもによい映画を見せる会」主催の新春おもちつき大会のことでした。
 ぼくたちは、昨年この会の会員となり、一度、映画会に子どもたちを連れて参加しました。その会からおもちつき大会のお知らせが来たので、連れて行ってあげようかということになっていたのです。しかし、1/7(金)の昼間であり、ぼくは1/6からは仕事があるので、妻が行くつもりでした。
「タクシーに乗れば、だいじょうぶ」と言っていたのですが、ぷーちゃんが階段で転んだことにより、すっかり自信をなくしてしまいました。
「タクシーに乗り降りするとき、地面が凍っていて危ない。そんなとき、自分のことでせいいっぱいだったら、子どもを連れてなんていけないよ」

 子どもたちを喜ばせることの大好きな妻は、そう言いながらも、残念そうでした。

 でも、前向きな報告もあります。自転車こぎ機をもくもくと続けてきた妻は、
「最近、負荷が軽くなってきたので、こぐ時間を長くしようかとも思ったんだけど、そうするとどんどん時間がかかってしまうから、負荷を重くしようかな」と言いました。
 体が鍛えられているとはすごい。ぼくは
「あまり長い時間同じ姿勢をしているのもよくないんじゃないかな。負荷を重くしたほうがいいよ」と提案しました。
 安産に向けたトレーニングは、外が凍りついた世界になっても、たんたんと続けられています。



2005年01月01日(土) ウィーン・フィル・ニューイヤーコンサート2005

 テレビ部屋を作ったら、そこに行ってわざわざ見るのは、映画館に行くようなものになりました。つまり、観るときは積極的に時間を作って観るようになったのです。
 元日の夜、妻が「ウィーン・フィル・ニューイヤーコンサートを観てもいい?」と言いました。そこで夕食後、家族そろってテレビ部屋に入りました。このコンサートは、お正月に毎年やっているのはなんとなく知っていましたが、観たことはありませんでした。
 ウィーンのすごいホールで、オーケストラによって楽しいワルツが次々と奏でられました。子どもたちはじっとしていられなくなり、楽器を取ってきました。気分はすっかりオーケストラの一員、というよりもオーケストラ全体のようで、まーちゃんは、口にはラッパをくわえ、左手では鈴をもち、右手でばちを持ってたいこをたたき、キーボードをひいています。ぷーちゃんはバイオリニストになったようで、たいこのばちでウクレレの弦をこすっています。じつに楽しそうに演奏していました。
 テレビの画面では、音楽に合わせて、バレーダンサーたちがくるくる回りはじめました。すると子どもたちは一転し、ひらひらしたスカートをはき、踊りだしました。ぼくも誘われて、一緒に飛び跳ねました。そして、曲が変わると子どもたちはオーケストラに戻ります。そんなことが2時間近く続きました。

 ぼくも妻も、ウィーン・フィルの素晴らしさと子どもたちの楽しげな様子にすっかり満足しました。これは、皆が惰性ではなく、積極的にテレビを観たからこそこうなったのだと思います。
 来年もみんなで観ようね。

 それから妻は言いました。
「明日の朝は8:15からムツゴロウサンの番組をやるよ」
「それなら、それまでに朝ごはんを終わらせなきゃ。7:30には食べよう」
 これからは、テレビを観ながらご飯を食べるということがなくなるのです。これは、とてもいいことですね。



2004年12月31日(金) テレビの置き場所

 夕食後、妻が疲れて横になっていました。そのとき、ふすまをへだてた隣の部屋では子どもたちがビデオを観ていました。
「テレビの音がうるさくて休めない」と妻が言ったので、ぼくは音量を小さくしました。
 しばらくして妻は、「テレビをむこうの部屋に移動させよう」と言い出しました。それから、大晦日の夜中の模様替えが始まりました。
 荷物置き場のようになっていた部屋を片付けます。物置やクローゼットに、これから捨てる予定だった古いコンピューターなどをしまい、さらに、使わなくなっていた二段ベッドも解体してベランダへ運びました。そして、テレビを台とともに置きましたが、小さい部屋だったので、どうしても近い距離から観ることになってしまいました。
 これではいけないと、子どもたちの寝室兼遊び場となっていたその隣の部屋を、テレビ部屋とすることにしました。そこで、子どもたちの絵本やおもちゃの入っている棚を、荷物置き場のようになっていた部屋に運びました。それから、荷物部屋のソファを新テレビ部屋へ。
 そうこうしているうちに、夜も更け、疲れてきて、ぼくは妻や子どもたちにやつあたりをし、いやいやながら作業を進めていました。
「嫌ならそう言ってほしいし、やるならきびきびやって、早く終わらせてほしい」
そう言われ、ぼくははっとしました。そのとおりだと思ったのです。結局ぼくは、テレビに子守をさせ、一緒に遊んであげようともしていませんでした。家事などで忙しいのであればしかたないと妻は思い、模様替えが始まったのでしたが、そういうことを考えず、いらいらしてだらだら作業をしていた自分のふるまいが恥ずかしくなりました。ごめんね。

 できるだけ、子どもたちと関わってあげること。それができないときは、妻の居心地がいいように工夫すること。それがぼくの、しなければならないことでした。

 なんとかテレビ部屋は完成しました。妻はだいぶ疲れてしまいました。でも、じゅうぶんな距離を隔ててテレビとソファを配置することができました。
 居間にはテレビがなくなったと思っていましたが、妻は「ダイニングとリビングが分離されただけだよ。今までテレビのあったところがダイニング専用になって、今テレビのあるところがリビングになったんだよ」と言いました。なるほど。
 さて、このテレビ部屋にはすごい効果があったのです。この続きは明日。



2004年12月30日(木) 年賀状と妊婦好みのにんじん

 妻がすばらしい年賀状を作ってくれました。少しでも早く出そうと思い、二人でせっせと宛名書きをしていました。
 子どもたちは、向こうでごっこ遊びに夢中です。
「家族ごっこしよう」「りすごっこがいい」などと不思議な会話が聞こえてきます。
 書き終えると、さっそく投函しに行くことにしました。今日は、最高気温が3度という、とても寒い日です。子どもたちに、スノーコンビ、手袋、帽子、脚絆、長くつを着せて出かけました。ぼくは、右手に犬の綱を持ち、左手で妻の手を握ります。
 妻は言いました。
「妊娠してると、手がつなげていいね」
 少し散歩をしていると、あまりに寒いためか、「おなかが痛くなってきた」と言うので帰りました。丈の長いコートが必要です。

 元旦にホームページの表紙に、年賀状の図案をアップします。お楽しみに。

【料理メモ】有機ニンジンの使いまわし(妊婦好み)
�“蕕鮓�くむいて小さく切り、レモンやみかんをしぼって、ミキサーにかけて、絞ってジュースに。
��皮はのちにごぼうときんぴらに。
��しぼりかすをパン生地に入れてニンジンパンに。
�い泙拭△蠅鵑瓦抜鼎�煮付けて、ジャムにしてスコーンにのせて。
�イ修譴任盪弔辰燭薀魯鵐弌璽阿寮乎呂貌�れる。

特ににんじんは、有機のものが、そうでないものと味がきわだって違います。皮もどんどん使えますし。



2004年12月28日(火) 保育参加

 子どもたちの通う保育園へ、「保育参加」をしに行きました。保育参加とは、保育園でいつもの生活を送る子どもと一緒に親がすごし、保育園の様子を知ろう、というものです。ずっと前から何度も「保育参加して」と子どもたちにせがまれていたのですが、なかなか行けないでいたのです。もうすぐ娘が卒園なので、思いきって休みをとりました。
 本来ならば、1人の子どもと朝から夕まで一緒にいるのが基本とのことでしたが、午前中しか時間がとれず、また、子どもが2人いるので、行ったり来たりすることにしました。

 まず、3人で登園し、そのまま息子のクラスで、木のビーズにひもをとおしたり、絵本を読んだりしてすごしました。息子はすっかり甘えてぼくのそばにいました。普段の様子を見るというのは難しいなと思いました。
 それから、息子は庭で雪遊びをしに行くというときに、娘のクラスに移動しました。今日は大掃除の日で、部屋の荷物をすべて別室に移して、掃除機とぞうきんをかけるという本格的なものでした。ぼくは、20人ほどの小さな人たちと一緒になって、積み木や棚を運びました。5、6歳児とはいえ、大勢いるとけっこうはかどるものです。娘はぼくが来たのが嬉しいようで、機嫌よくにこにこしていました。

 それから昼食時間になりました。再び息子の部屋に戻り、一緒に給食を食べました。息子は、自分でお椀に入ったおつゆをゆっくりと運び、お行儀よく座り、煎り卵なども上手におはしで食べ、一番に食べ終わり、自分で食器をさげ、みかんをむいて食べ、ぼくにもむいてくれ、着替えて昼寝の支度をしました。これらは、うちはほとんどしないことでしたので、ぼくはびっくりしました。
 中でも、おはしづかいの上手なことといったら、ありませんでした。保育園のおはしは小さく、先が細くよく合わさるものでした。いいおはしがあれば、うちでも使うかもしれないと思いました。

 早々と食べ終わった息子は、ホールでけっこう激しくはしごに登ったり、跳び箱からとびおりたりして遊びました。娘はこま回しをしました。昼寝の時間になり、ぼくは帰らなければならなくなりました。
「帰らないで」と言われるかなとおもいましたが、息子はふとんに入りながら、満足した表情でぼくに向かって
ばいばいをしました。

 用を済ませ、夕方になって、お迎えに行くと、娘は「今日は楽しかった。また、保育参加に来てね」と言いました。
 いつもは、ただ、朝送って、夕方に迎えに行くだけなのですが、子どもたちの日常はこうやって保育園の中でも流れているのだということがよくわかりました。ぼくも、楽しかったよ。


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