Mako Hakkinenn's Voice
by Mako Hakkinenn



 仕事へのモチベーション
2003年01月21日(火)

 今年のHP上の抱負は「すべてのコンテンツをオープンすること」と書きましたが、プライベートでの抱負は「売り上げを上向きにする」ということです。僕のような個人で仕事している者にとっては、身体は一つなので、営業や打ち合わせに動いて制作もこなすとなると、1日にできる作業にも限界があります。もちろん僕がダウンしてしまったら、抱えている仕事がすべてストップしてしまいますから、大損害となってしまうのでうかうかと病気もしていられないのです(幸い身体はけっこう丈夫にできているらしい)。しかし、我々の業種はただでさえこの不況で年々単価が落ちているので、最近では「こんなに頑張ったのにこれだけしか売り上がらなかったのか」と切ない思いをすることが多くなってきました。このままではうちは潰れます。なのでこれからは、仕事がもらえる限り、なるべく休日も出勤してより多くの仕事をこなし、少しでも売り上げを上向きに持っていきたいと考えています。

 ただ闇雲に多くの仕事をこなすだけではだめです。仕事の質ももっともっと向上させ、ハイクオリティな仕事ができるように自分自身のレベルを上げていき、もう少し大きな仕事ももらえるように、努力をしていく必要があります。今年に入ってから、僕は仕事に対するモチベーションが上がっています。このままではだめだ、もはや老後の年金が期待できなくなった今こそ、必要なのは蓄えです。だから今うちが潰れるわけにはいかないのです。僕の将来が明るいものになるか真っ暗闇になるかは、まだ働き盛りの「今」にかかっているのです。




 増岡のパリダカ2連覇と、貴乃花引退
2003年01月20日(月)

 まずはパリダカ、増岡浩が最後までトップを守り、見事にパリダカで史上4人目となる大会2連覇を達成しました。最後までチームメイトのペテランセルとトップを争っていた増岡でしたが、ベテランセルはスタートから常にトップをキープし続け、増岡はずっと我慢の走りを続けていました。しかしベテランセルは終始限界走行でマシンはダメージだらけ、一方の増岡は慎重な走りを続けていたためにダメージはほとんどありませんでした。増岡のマシンをいたわる走りが、2連覇を呼び寄せたと言っても過言ではないでしょう。実際ベテランセルは予期しないラジエーターの水漏れが発生し、修復に20分費やしたために、25分差だった増岡に一気に詰め寄られてしまいました。そして三菱はパジェロが表彰台独占、同じく三菱のストラーダが4位に入って1〜4位を独占してしまいました。やっぱり三菱は悪路では最強でした。

 さて、今日は残念なニュースもありました。横綱・貴乃花の引退、今場所の戦いぶりからして、たぶん引退するのではと思っていましたが、やっぱり引退してしまいましたね。僕は相撲とF1が特に好きで、相撲は千代の富士ファンから若・貴ファンになっていきました。若ノ花が引退してからはずっと貴乃花を応援していたのですが、やはり怪我はどうしようもないですね。怪我さえなければ、もっともっと優勝することができただけに、残念です。僕としては、今場所は休んで欲しかったんですけどね。それでも、横綱の責任を果たして再出場に踏み切った貴乃花に敬意を表したいです。大相撲の1つの時代が、幕を閉じました。




 パリダカ、増岡が奇跡の逆転劇で2連覇目前!
2003年01月19日(日)

 増岡浩(三菱パジェロエボリューション)は18日の最後のロングSSで大逆転。2連覇へと大きく前進しました。残すSSは最終日19日のシャルムエルシェイク周回の僅か34キロだけ。連覇に向けて王手をかけました。この日、総合1位のステファン・ペテランセル(フランス、三菱パジェロエボリューション)が、SSのゴール約50キロ地点で岩に激突。フロント左のサスペンションを壊してストップ。パリダカ4輪部門の初優勝目前にして総合4位に後退してしまいました。増岡は2位ジャンピエール・フォントネ(フランス、三菱パジェロ)に1時間54分10秒もの大差をつけています。

 特にパリダカのような過酷な環境でのレースは本当に最後まで何が起こる変わりませんね。増岡は前日の順位ではトップのペテランセルと25分50秒の差で2位でしたからねえ。まさか残り1日という場面でこんなドラマが待っているとは思いもしませんでした。増岡はこのまま行けば余裕で2連覇。これは25年のパリダカの歴史では史上4人目、日本人ではもちろん初の快挙です。2年前に同じく過去に2連覇を達成しているシュレッサーの悪質な妨害行為で、ゴール前日にクラッシュして初優勝を逃していますから、2連覇はファンにとっても悲願です。明日も油断しないで、最後まで確実に走りきって欲しいです。




 マツダイラ始動
2003年01月18日(土)

●「MAZDAIRA」オープン

 新しいコンテンツがオープンしました。現在は仮のデザインなので、今後細かいところを作り混んでいく予定ですが、とりあえずようやくこの作品を公開することができました。このコンテンツの構想は3年前からあったのですが、色々変更に変更を重ね、当初の構想とは大きく変わった形で日の目を見ることになりました。
 今後M−NESTでは、この「MAZDAIRA」に特に力を注いで行く予定ですが、文字ばかりのボリュームのあるコンテンツなので、時間のあるときにじっくりとお楽しみ下さい。また感想などをBarの方にお寄せいただければ幸いです。よろしくお願いします。




 8年前の今日
2003年01月17日(金)

 8年前の今日は、阪神大震災の日でした。僕は93年から97年まで大阪に住んでいたのですが、この日はちょうど成人式で静岡に帰省しており、17日の朝帰る予定でした。で、地震のあった時間はすでに起きていたのですが、静岡でも少し揺れを感じました。静岡を含む東海地方は伊豆半島にプレートがある関係で地震がよくあるのですが、このとき感じた揺れはいつものとちょっと違うなと思いました。それで地震速報を見ようとテレビをつけたのですが、初めは静かな神戸の夜が写され、アナウンスでも「今のところ被害は出ていない模様」と報じていました。しかし、ちらほらと火の手が上がり始め、程なくして神戸の街は、まるで戦場のように火の海に包まれていきました。やがて夜が明け街の全貌が明らかになったとき、驚愕しました。とても恐ろしいことが起こったことを、ようやく理解しました。

 僕は結局この日は大阪に戻ることができず、1週間静岡で足止めされてしまいました。その間実家でずっとテレビに釘付けだったのですが、犠牲者の数が日に日に増えていくのがとても怖かったです。テレビで何度も映し出された、横転した阪神高速道路の光景は今でも脳裏に焼き付いています。僕が今住んでいる関東・東海地方は、昔から「いつ来てもおかしくない」と言われている東海大地震の脅威を感じながら生活しています。日頃から防災の心構えを忘れずにいたいと思います。
 阪神大震災のちょうど1年前の同じ日には、アメリカではあのロサンゼルス大地震がありましたね。阪神と同じように高速道路の橋桁が倒れ、多くの犠牲者が出ました。何か不吉なものを感じました。

 さて、話は変わりまして、今年の抱負は、ずっと工事中だった3つのコンテンツをすべて立ち上げることだと述べましたが、そのうちの1つ、「MAZDAIRA」を早ければ数日中にオープンすることができそうです。現在完成率は96.7%です。実は今後M−NESTでは、この「MAZDAIRA」を目玉企画にしていこうと考えているのですが、ま、今は詳しくは語れませんが、またMaxiさんに「オレをネタにするな!」と言われそうだなあ……。内容はシリアス、ギャグなしの小説なのですが、ま、とりあえず公開してみて、あまり反響がないようだったら、静かに消えて行くことになるでしょう。F1の歴史が、大きく変わります!




 コラボレーション
2003年01月16日(木)

●「S2000ニュース」更新

 忙しい状況はまだまだ続いています。今週末にはもう一つ大型の仕事が入ってくるので、土日も休めそうにないです。おそらくこの忙しさは2月中旬まで続くでしょう。
 さて、久しぶりに「S2000ニュース」を更新しました。F1のページでMaxiさんのサイト「F1GAP」の恩恵を受けているので、その感謝の意を「BC−01R」という形で表明しました。無論写真は合成で実際には存在しないのですが、「F1GAP」のロゴは本当に美しいと思います。こうしてマシンの横につけてみると、うちのブルーと上手く調和しているなあと思いました。ああ、このクルマが実在したらいいのになあ。でも街で走っていたら目立つだろうなあ……。




 お気に入りの穴場ラウンジ
2003年01月15日(水)

 別に今日というわけではなく、最近気に入って仕事の合間によく行っているのが、某駅前ビジネスホテルのラウンジ。12時から13時までは割と混むものの、その他の時間帯は写真でもおわかりのようにお客様はほとんど皆無。しかも店内には緩やかなクラシック音楽が静かに流れ、灯りも明るすぎず暗すぎず、全体的にもゴージャスだけど品があり、とても落ち着いた空間です。ソファーもふわふわで、ほとんど貸切状態なのでスターバックスよりよっぽどゆっくりとした時間を過ごすことができます。
 上の写真のカウンター席に向こうにはお酒の棚があり、夜はショットバーをやっていたようなのですが、今はホテル自体が経営不振のため休業中だそうなのです。しかし席は基本的に空いていればどこでも座っていいようなので、今度時間のあるときはノート型パソコンを持ち込んでカウンター席に座り、執筆活動などをしてみようかなと思っています。

 実はこのラウンジ、僕の知り合いがほとんど1人で任されているというのが最大の魅力ですね。知り合いなので何かとサービスをしてもらったりして、何だかちょっと申し訳ないような気がしているのですが、その知り合いにも「暇だからいつでも来て欲しい」と言われているので、お言葉に甘えて時間のあるときはちょっとここへ休憩しに来ているというわけです。
 ラウンジへ行くには当然ホテルの正面玄関から入り、カウンターのホテルマンに深々とお辞儀をされながら豪華な螺旋階段を上っていくので、スーツで行ったときなどは何だか一流の実業のような気分になり、かなりの優越感に浸ることができます。おすすめはアプリコットティーとレア・チーズケーキ。




 パリダカ、地雷爆発!
2003年01月14日(火)

 パリダカで、二輪部門のKTMチームのサポートトラックが地雷を踏むという事故が起きました。フラッシュネットによると、リビアとエジプトの国境付近、エジプト政府が管理する地域で地雷を踏んだ同チームのトラックは、爆発によって片方の後輪を破壊されたましが、幸いにも同車に搭乗していた3人のクルーにケガはなかったようです。エジプト当局は現場でこのトラックを移動させるための作業を行い、地雷が爆発した地点よりも後方にいた車両は、同地域に進入しないよう全車停止を命じられた模様。砂漠だけでなく地雷によっても危険にさらされる、何て過酷で危険なレースなんだと思いました。
 もう一つの注目だった、今年初参戦の元F1ドライバー片山右京(トヨタ・ランドクルーザー)は、残念ながらシワ一周ステージで転倒し、リタイヤとなってしまいました。砂丘で飛ばされ、前方から一回転したようで、最後はルーフを下にして止まっていたようです。右京は「飛ばしすぎたのがいけなかった」とガックリしていましたが、そうなんです、パリダカは、速く走ればいいというわけではないというところがロードレースとの大きな違いでしょうねえ。

 現在総合1位を争っているベテランセルと増岡は同チーム、このまま行けばラクラクワンツーフィニッシュを決められるので、チームも2位の増岡にリスクを冒すなと指示し、彼自身も安全に走りました。冷静な増岡は「今リスク覚悟で走るのはチームのためにもならない」と言っていますが、「でもベストは尽くします」とも言っています。ベテランセルはかなりハイペースで走ったためにマシンはかなり痛んでいます。一方増岡は安全に走ったため、マシンにはほとんどダメージはないようです。「今後はベテランセルにプレッシャーをかけながら走ることになるでしょう」という言葉が力強いです。明日は500キロ以上SSがありますから、後半のヤマです。注目です。




 パリダカ、三菱強し!
2003年01月13日(月)

 元旦からおこなわれている2003年ダカールラリー(正式名称テレフォニカ・ダカール2003/通称パリダカ)は、今日は休息日。今日現在での総合順位は、ベテランセルを筆頭に日本の増岡浩、フォントネ、ビアシオン、スーザと5位までを三菱が独占、相変わらずの強さを誇示し続けています。WRCでもそうですが、三菱は悪路で本当に強いですねえ。いつの頃からか、僕がまだ子供だった頃から「パリダカと言えばパジェロ」という印象が強いです。

 さて、このパリダカで僕が注目しているのはもちろん日本の新しいエース、増岡浩です。彼は昨年まで三菱に在籍していた、エース篠塚(現日産)のサポートとしてパリダカに参戦し続けていましたが、2000年までは優勝することを許されていませんでした。しかし2001年、彼はチームから優勝することを許され、篠塚を遙かに上回るほどの素晴らしい強さを発揮しました。しかしトップだったのにもかかわらず、2位のチームが反則して先にポイントを出発してしまったことに激情し、その車の後を追うものの冷静さを欠いていた増岡はマシンを壊し、その結果大きく後れをとってしまうことになってしまいました。結局リザルトでは2位に終わったのですが、その後主催者側の間違いで、実は優勝していたと言うことが半年以上あとになって判明し、2002年、その悔しさを払拭するため、万全の体制でパリダカに臨みました。

 彼がパリダカに臨む上で最も重視していたのは、視力でした。彼は動体視力を養い、さらに裸眼でも2.0ある視力で眼鏡をかけ、3.0の視力でレースに出場したのです。彼曰く、パリダカでは視力が非常に重要なのだそうです。パリダカの舞台は砂漠、起伏の向こうには何が潜んでいるのかまったくわかりません。そのため遠くからあらゆるコースのコンディションを察知し、如何に最適なルートをいち早く割り出して行けるかが、レースを大きく左右することになるのだそうです。
 また彼は、この日は全力で、この日は力を抜いて、と事前にペース配分を決め、すべての区間でハイペースで行くのではなく、プレッシャーをかけない日を作ることによって、精神的にも体力的にもそしてマシンにも負担をかけすぎないレース運びを心掛けていました。結果、増岡は見事優勝を果たし、新しい日本のエースが誕生することになりました。

 前の年の失敗を謙虚に受け止め克服し、精神的にも成長して試練に打ち勝った増岡、今年も最後まで諦めず、頑張って欲しいものです。




 フィジケラ、ドライバーの中のドライバーに
2003年01月12日(日)

 実力では通算5回のワールドチャンピオンに輝いたミハエル・シューマッハに次ぐとも言われながら、チームやマシンに恵まれず、その才能が埋もれ続けてしまっているF1ドライバー、ジャン・カルロ・フィジケラ(ジョーダン)が「ドライバー・オブ・ドライバー」という賞に選ばれ、話題になっていますね。圧倒的な強さでタイトルを総なめにしたシューマッハを押しのけての受賞ですからねえ。しかもフィジケラの昨年のランキングは11位でしたからねえ。嬉しいですが意外でした。
 この安易なネーミングの賞は、現役F1ドライバーたちが投票して決める賞で、ファン投票や成績を基準にして決めた賞とは異なり、各ドライバーたちが誰の実力を認めているのかというのがわかる、だいぶ意味合いが異なる賞だと言えるでしょう。

 僕は兼ねてからフィジケラの才能は認めていましたが(実力はハッキネンより上だと思っています)、やっぱり他のドライバーたちも、フィジケラには一目置いていたんですねえ。このF1界の影のナンバー2がチーム運を持ち合わせていたら、あるいはイタリア人でなかったら、F1の構図は大きく変わっていたかもしれません。同レベルのマシンに乗っていたとしたら、間違いなくシューマッハとフィジケラで極上のバトルを繰り広げていたことでしょう。若手、若手と言われ続けて今月の14日でもう29歳、この一番油が乗っている今、ぜひともフィジケラにチャンスが訪れて欲しいものです。もうこれ以上彼の才能が埋もれ続けるのは見るに耐えない……。


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