Mako Hakkinenn's Voice
by Mako Hakkinenn



 評判は上々
2003年01月31日(金)

 髪型と色を変えて初めて、いつも出入りしているお得意さんの会社に行ったのですが、特に何も言わずにすーっと入っていったら、何人かの方に「ん?あり?」と僕の頭をじろじろ見て「雰囲気変わった?」と言われました。「……へ、変ッスかねえ……ガラ悪くなってないッスかねえ……」と聞いてみると、「いい感じなんじゃない?」と言われました。ホッ!とりあえず不評じゃなくてよかった。そんなに激しく抜いたつもりはなかったのですが、やっぱりここの方たちは97年からずっと真っ黒だった僕を見てきているので、その印象が強かったと思います。僕自身は、髪の色が薄くなったことで頭全体が軽くなった気がして気に入っています。でもこれからしばらく維持しようと思ったら、こまめに脱色しなければ……。

 そういえば目上の方に、「今髪の色変えていないの、中野君ぐらいだったからねえ」と言われました。そういわれてみれば確かに、特にこの会社はデザイン会社なので当然みなさんデザイナー、ほとんどの方が髪に色が付いているし、年下の渋チンなどはGakt並みにマッキンキンだしなあ。むしろずっと黒髪だった僕の方が珍しかったのかあ……。でもこの年で色気づいてると思われるのも嫌だなあ……。




 Makoもブランニュー!
2003年01月30日(木)

 えー、このクソ寒い中、髪の毛がうっとおしくなったので散髪に行ってばっさりと切ってきました。で、僕は元々髪の毛が真っ黒で、量も多くてくせっ毛なので、鏡に写る自分を見て、見た目が何となく重いなあと常々思っていました。なので今までずっと「日本人は黒髪が一番だ」と言い張って黒髪で通してきたのですが、今回思い切って、約9年ぶりに髪の毛を茶色に脱色してみました。
 前回9年前に初めて髪を茶髪にしたのは大坂芸大に入学するときで、2年生頃まで茶髪だったのですが、そのうち飽きてきてやめていました。それで卒業してもずっとそのままだったのですが、最近「短い髪の毛の茶髪は、意外と似合うのでは?」と思い始めていて、この次髪を切ったら脱色してみようと考えていました。大学時代はそれこそ結構髪がむさ苦しいときに茶髪にしていたのであんまり似合わなかったのですが、今回は中田英寿よりもちょっと長い程度の短さで、前髪は長めに残してあるので、これならたぶんおしゃれになるだろうと確信したので、さっそくブリーチ剤を買ってきて脱色を敢行しました。

 あまり色を抜きすぎるとガラが悪くなりそうだったので、そんなに時間をかけないでやめておいたのですが、それでも白熱灯の下に立つと、かなり茶色くなっていました。たぶん太陽の下だと真っ茶色なんだろうなあ……。明日はお客さんのところに行く予定があるので、みんなの反応がちょっと気になります。




 この冬一番の寒波到来
2003年01月29日(水)

今日は寒かったですねえ、朝はちらほらと、静岡では珍しく雪も降っていました。朝と夜は言うに及ばず、一番暖かい正午頃も厳しい寒さでした。おかげで僕は今日は服装も重装備でした。ジャンバーの下にはYシャツの上にセーター、頭には耳まで隠れる毛糸の帽子、手には毛糸の手袋、そして例年は滅多にしなかったのですが、マフラーで首をぐるぐる巻き、しかもそのマフラーはバーバリー、「女子高生かおのれは!」と突っ込まれそうですが、もうコーディネートを全く無視しててくてくと出勤し、途中何度かコーヒーを買いに出て、そして日付が変わって1時半過ぎ、一番寒い時間に帰ってきました。せっかく気に入って買った無印良品のシルバーの自転車も、寒いので全く最近は乗っていません。

 静岡は海に面しているせいか、南から北への風がきついです。だから南北に伸びる道を歩くときは特に寒い。しかも向かい風だったりすると、顔がもう凍り付きそうです。アラスカあたりにいるような感覚すら覚えます。こんな日は暖かいヒーターに当たりながら熱燗でも飲みたいのですが、いかにせん金がない。財布の中も寒い……。

 「クリフハンガー」のシルベスタ・スタローンは、大吹雪の冬山の中、よくタンクトップ一枚で動き回れるよなあ。しかもその格好で凍り付いた池の氷の中に身を潜め、敵を待ちかまえていたりもしましたねえ。いくら映画だからとはいえ、無理がありすぎないか?ま、確かにスタローンはブルース・ウィリスと並んでタンクトップがよく似合うが……。




 マクラーレンはブランニュー!
2003年01月28日(火)

 何だか「奥様は18歳」みたいなノリのタイトルですが、マクラーレン・チームのエイドリアン・ニューウェイ/チーフ・デザイナーは、マクラーレンの2003年新型車が全くのブランニューになることを明らかにした模様。ニューウェイは「マクラーレンの新型車は、早ければサンマリノGP(4月20日)かスペインGP(5月4日)辺りにはパラゴンの風洞実験を終えてお目見えするだろう。このMP/4ー18は旧型の改良型なんかではなく、それどころかこれまでの世界中のどんなF1マシンとも異なるものになるよ。どんなに違うか、今から楽しみにしていて欲しいね」と自信満々で語っているようです。かつてマーチやウィリアムズなどで数々の成功マシンを生み出し、98年にはハッキネンのタイトル獲得にも貢献した、『空力の鬼才』と讃えられるエイドリアン・ニューウェイが、果たしてどんなマシンを送り出すのか注目です。……でもなあ、いくらシャシーが良くったって、問題はメルセデスエンジンの信頼性なんですけどねえ。あとは、ミシュランタイヤ?そっちを何とかしてくれ。

 F1の話題をもう一つ、オーストリアグランプリが今年限りで終了することが明らかになりました。理由はベルギーグランプリ消滅と同様、オーストリア政府もタバコ広告禁止の前倒しに同意したからだそうです。バーニー・エクレストンは、来季からは上海とバーレーンが、さらに2005年にはバーレーンが新たにF1開催地として見込まれているので、EU圏内での開催が減っても問題はないと語っているそうです。
 僕も一通りのF1コースは把握していますが、オーストリアのA1リンクは、ゲームで走っていてもだいたいぶっちぎりで走れたし、一番難しいモードでも2位以下を周回遅れにして優勝していたので、結構気持ちが良くて好きだったんですけどねえ。……みなさん、ゲームだからといって侮ってはいけませんよ。最近のF1ゲームは挙動からコースの再現度からマシンの壊れる様まで、実際のレースのようなリアルさなのですから。走っているとドライバーがたまに捨てバイザーを捨てたりします。




 赤紙が来た!
2003年01月27日(月)

 昨年の2月に3泊4日で東京に出張し、ホテルは取ったけど出張先での徹夜作業が続き、全然ホテルに帰る時間がなく、明け方7,800円のシャワーを浴びにちょこっとだけ帰ってすぐにチェックアウトというもの凄く過密で過酷な労働をこなしたのですが、「今年も行ってくれねえか?」の一言で、今年も2月10日から14日まで、徴兵されることが決定しました。だから今から心の準備をしているところです。場所は木場、はっきり言って特にこれと言って珍しい場所があるところではありません。まあ、どっちみち観光している時間は全くないだろうから、それはどっちでもいいんですけどね。はあ、やっぱり今回も「30時間耐久労働」が待っているんだろうなあ。ル・マンでもデイトナでもなく、木場で……。



 新横綱誕生へ
2003年01月26日(日)

 平成15年大相撲初場所は、色々なことがありました。一時代を築いた平成の大横綱・貴乃花が引退、そして第三十代木村庄之助の定年退職。そんな中、モンゴル・ウランバートル出身の大関・朝青龍が先場所に続いて二場所連続で優勝を飾り、成績も14勝1敗で横綱昇進がほぼ確定しました。モンゴル人での横綱はもちろん初めてなんですが、貴乃花が引退してしまったので、これで日本の国技である大相撲の頂点、横綱は朝青龍と武蔵丸(ハワイ・オワフ島出身)で、またも外国人力士だけとなってしまいました。このところ朝青龍を除く大関陣がまったく奮いませんでしたからねえ。歴代のハワイ出身力士、高見山、小錦、曙、武蔵丸はパワー勝負の相撲で日本人力士を圧倒してきましたが、朝青龍は相撲の「巧さ」でのし上がってきましたから、日本の力士たちの立場がありません。今後は千秋楽の朝青龍対武蔵丸の結びの一番が楽しみです。ま、貴乃花が引退してしまったので、僕はしばらく相撲からは気持ちが離れると思いますけどね。




 励み
2003年01月25日(土)

 今日は一応うちの暦の上では休みなのですが、2つほど仕事をもらってきました。共に月曜夕方までの仕事なので、今日と明日は休日出勤です。でも今月は売り上げが行かず給料が出なかったので、お金もないことだし、その分仕事をして、少しでも売り上げアップに努めたいと思っています。もちろん仕事は仕事、趣味は趣味、遊びは遊びと、それぞれ割り切っているのですが、そのうちの趣味の一つ、今では僕の新たなライフワークの一つになりつつある「マツダイラ」に対して、Barやメールなどで多くの感想をお寄せいただき、とても感激しています。仕事の合間によくその感想を読んではにやけているのですが、こういった嬉しいお便りは「マツダイラ」への創作意欲だけでなく、仕事をする上でも大きな励みになります。たくさんの方々が応援してくださっているので、僕も毎日がんばれます。仕事は忙しいですが、毎日充実した日々を送っています。皆さんに支えられながら、これからも1日1日、時間を無駄にしないようにしたいです。お返事が滞ってしまうこともありますが、どうかお許し下さい。



 走る金塊
2003年01月24日(金)

●「マツダイラ」第2話アップ

 というわけで、さっそくF1小説「マツダイラ」の第2話を早くもアップいたしました。前回はアメリカ『モーターワールド』誌のジャーナリスト、マキシ・レッドフォードによって、「マツダイラ」の途方もない野望が明らかになったわけですが、今回はその「マツダイラ」の秘密兵器『走る金塊』がいよいよベールを脱ぎます。言うまでもありませんが、この作品では掲示板に来ていただいた方をモデルにした登場人物を、勝手に出演させています。誰がどの人か推測してみるのも「マツダイラ」の楽しみ方の一つだと言えるでしょう。もちろんそれを除外して、単純にただ内容を読むだけでもまったくストーリーに問題はありません。ちなみに今回の第2話には、僕も登場しています。探してみてください。ちなみに「マツダイラ」に勝手に出演させられた犠牲者の方の中で、「迷惑だ!」と言う方は、ストーリーが進む前にお知らせ下さい。別の架空の人物と差し替えます。また逆に「私も出演したい」という方も、ご連絡下さい。約束はできませんが、検討いたします。

 さて、今回は「南極」から物語は始まります。よねさんが掲示板で「なして南極?」とおっしゃっていましたが、別に対した理由ではありません。ただ単に、いきなり「南極」から物語が始まったらインパクトあるかなあと思っただけです。これだけは言っておきましょう。「南極に伏線なし!」。物語を読ませる上で大事なことは、「インパクト」だと考えています。小説というものは、まず序盤を読ませるのが大変です。いくら物語が進行して徐々に面白くなってきたとしても、読者に序盤を我慢して読んでもらわないことには、面白くなってくる部分までに飽きられてしまいますからねえ。そういった意味でよねさん、神宮さん(犠牲者3号)、スカリーさん、カズくん(犠牲者2号)に「物語に引き込まれる」といった感想を頂いて、とても嬉しかったです。これからも続きが気になるような展開を目指したいと思います。今後もご愛読よろしくお願いいたします。ご意見、ご感想などもたくさんお寄せ下さい。それが創作意欲の源です。




 マツダイラ誕生秘話(2)
2003年01月23日(木)

 Maxiさんの掲示板で「架空自動車CMシリーズ」が大繁殖した頃、僕はプレイステーションソフト「F1チーム運営シミュレーション」というゲームを買い、早速やってみようというときにチーム名を何にしようかと悩み、『マツダイラ』というコンストラクターでF1に参戦しようと決めました。当然掲示板の「架空自動車CMシリーズ」でも「マツダイラF1を応援しよう!」などというキャンペーンじみたものも織り込ませ、他社(?)との熾烈な戦いに対抗したのでした。

 で、この「F1チーム運営シミュレーション」におけるマツダイラの戦績は、当時立ち上げたばかりの僕のHPで「マツダイラレポート」として、随時克明なレポートを掲載していました。僕自身、モータースポーツジャーナリストになりたかったこともあり、文章を書くのも好きなので、それはそれは大量の文字量でした。しかしよくよく考えてみたら、単なるゲーム上のレースレポートにこれほどエネルギーを注いで時間と労力を費やすのは、はっきり言って無駄だし、誰も興味がないだろうと思い、「マツダイラレポート」は廃止、「レースレポートを書く」という行為は、実際のレースをレポートする、いわゆる「F1レポート」に活かされることになりました。

 しかし、あれだけ大量に書き貯めた「マツダイラレポート」を封印してしまうのはもったいない、それこそそれに費やした時間を無駄に終わらせてしまうと思い始め、何とかこの「マツダイラレポート」を使って何かできないものかと悩みました。そして思いついたのが、小説化でした。
 もちろん「F1チーム運営シミュレーション」というゲームは、ただ単にF1の12番目のチームとして参戦し、他の実在するライバルチームと争っていくというもので、チーム名を決めてスポンサーと契約し、それによって得た資金でドライバー、エンジン、タイヤ、ガソリンを選び、1レース1レースに参戦しながらマシン開発やテストを重ね、さらにシーズンを重ねてワールドチャンピオンを目指すという、至って単純なゲームです。なのでこのレース結果をベースに、まずはF1参戦に至るエピソードなどを創作し、F1参戦後もただ単純にレースの模様を描くのではなく、様々な人間模様を盛り込んだF1小説を書こうと思い立ったのです。

 「マツダイラレポート」をご存じの方も何人かいらっしゃると思いますが、せっかくあれだけのレポートを書いたので、レースシーンなどではあのレポートの使えそうな部分を一部引用しますが、基本的にはシーズン中も「マツダイラレポート」のようなレースレポート形式ではなく、それを取り巻く人間模様がメインになっていくと思います。F1小説「マツダイラ」、今後の展開にご期待下さい。




 マツダイラ誕生秘話(1)
2003年01月22日(水)

 先週の土曜日にオープンした新コンテンツ「MAZDAIRA」は、元々大学時代に思いついたくだらないギャグから始まりました。友達何人かの雑談の中で、架空の自動車のCMをみんなで考えて喜んでいたときに僕が思いついたCMは「乗らぬなら、私が乗ろう、その車。スーパーセダン『イエヤス』デビュー!」……。このギャグは『イエヤス』というクルマなしからぬネーミングとキャッチコピーで、友達からは「うわっ!シブッ!」となかなか好評ではあったのですが、その後すっかり忘れていました。で、大学卒業後しばらく経って、ちょうどMaxiさんがご自分のHPを立ち上げた頃、まだ僕は仕事がそんなに忙しくなかったので、仕事の合間や仕事が終わってから、夜な夜なMaxiさんとこの掲示板に入り浸り、いろんなF1パロディのギャグを書き込んでいました。そのときふと大学時代の『イエヤス』のギャグを思い出し、書き込んだのでした。ちなみに『マツダイラ』という社名は、実は『イエヤス』にちなんで、しかも『マツダ』とかけてこのとき初めて後付けされた名前だったのでした。そうしたらまあこれに続いて故・ノリオ・アンドレッティさんの『ノブナガ』やらMaxiさんの『ヒデヨシ』といったCMが登場し、「架空自動車CMシリーズ」はMaxiさんの掲示板で大繁殖していったのでした。

(続く)


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