Mako Hakkinenn's Voice
by Mako Hakkinenn



 F1レポート更新
2004年03月23日(火)

●「F1マレーシアグランプリレポート」をアップ

 一昨日の日曜日に行われたF1世界選手権第2戦マレーシアグランプリのレポートをアップしました。今回は灼熱の赤道直下でのレースだったため、ブリヂストンタイヤよりもミシュランタイヤの方が有利だと思われていましたが、ふたを開けてみればブリヂストンタイヤを履くフェラーリのM・シューマッハが開幕2連勝を飾りました。ブリヂストンが強かったのかシューマッハが強かったのかよくわかりませんが、シューマッハがマレーシアを制したことで、今シーズンはまったく彼とフェラーリに死角は存在しないように思われます。

 一方、開幕前のオフシーズンテストで好調だったBAR・ホンダでは、エースドライバーのジェンソン・バトンが見事に自身初表彰台を獲得し、早くも結果をもたらしました。今回のレースでバトンはトップチームのマシンと遜色ない走りを見せていたので、今後も期待できますね。残念ながらチームメイトで日本期待の佐藤琢磨は、残りレース数わずか3集という場面で8位走行中にエンジンが悲鳴を挙げ、リタイヤとなってしまいました。今回は予選で痛恨にスピンを喫して最後尾スタート、レースでも不用意なスピンで順位を落とし、ちょっとガッカリとさせられるレースでした。しかしまだシーズンが始まってたったの2戦ですからね。バトンに続いて琢磨にも日本人で2人目となる表彰台に立って欲しいものです。




 長さん逝く
2004年03月22日(月)

 ザ・ドリフターズのリーダーで、テレビドラマなどで渋い脇役としても活躍した、いかりや長介(ちょうすけ、本名・碇矢長一=いかりや・ちょういち)さんが20日、72歳でこの世を去りました。東京都出身。アマチュアのハワイアンバンドで活動を始め、1961年、ウエスタンバンド「ジミー時田とマウンテン・プレイボーイズ」でベースを担当、軽妙な司会でも人気を集めました。64年にザ・ドリフターズを結成、映画やテレビ、舞台で活躍します。ドリフターズのメンバーがコントや歌を繰り広げるTBSのバラエティー番組「8時だヨ!全員集合」(69―85年)は平均視聴率が最高で50・5%に達し、“お化け番組”と呼ばれるほどのブームを巻き起こしました。いかりやさんが番組冒頭で言う「オッス」は流行語にもなりました。90年、黒沢明監督の映画「夢」に起用されたころから、演技派の脇役としても活躍。日本テレビ系の2時間ドラマ「取調室」シリーズや、フジテレビ系の連続ドラマ「踊る大捜査線」の刑事役などが高く評価され、映画「踊る大捜査線 THE MOVIE」では日本アカデミー賞助演男優賞に輝きました。

 昨年5月、頸部リンパ節がんと診断され、放射線治療のため入院。7月からのTBS系連続ドラマ「高原へいらっしゃい」を降板し、一度は復帰して「踊る大捜査線 THE MOVIE2」の舞台挨拶に出席、復活をアピールしましたが、その後再び容態が悪化し、完全復帰はなりませんでした。

 いかりやさんの役者デビューは遅く、出世作は「独眼竜正宗」でした。その後その独特の雰囲気と一歩引いた位置からの存在感が評価され、様々なドラマで活躍しました。僕が印象に残っている出演作では「甦る金狼(リメイク)」「恋人はスナイパー」「GOODLUCK」「サイコドクター」「あなたの隣に誰かいる」などですが、復帰後に出演しドラマでは最後の出演作となった「あなたの隣に誰かいる」では、もうほとんどセリフを聞き取ることができなくなっており、病状の悪化がとても心配でした。

 遺作は映画「恋人はスナイパー劇場版」で、4月14日より公開されます。テレビ朝日系列で単発2時間ドラマとして放送されたシリーズの劇場版で、ウッチャンナンチャンのウッチャンが主演のアクションものです。僕はドラマのエピソード1・2と見ましたが、天才的スナイパーでテロリストというシリアスなウッチャンを見ることができます。いかりやさんはウッチャンの相手役である水野美紀の父親役、ラーメン屋の店主役で登場し、その壮絶な生い立ちから狙撃手にならざるを得なかったウッチャンの理解者としての存在感を発揮しています。

 いかりやさんは72歳と、高齢といえば高齢ではあるのですが、まだまだこれからも元気で活躍してくれると誰もが思っていた矢先の訃報は、とてもショックでした。ご冥福をお祈りしたいと思います。




 F1マレーシアグランプリ決勝
2004年03月21日(日)

 マレーシアグランプリ決勝、ミハエル・シューマッハがスタートから一度も首位を明け渡すことなく、順調に連勝を重ねました。これで通算73勝目ですか、いやはや、この勢いは止まることを知りませんね。一体シューマッハが引退する頃には、どれだけの最多勝利数になっているのでしょうか。いずれにしても、シューマッハの記録は、今後破られることはないでしょうね。今のシューマッハは、レギュレーションによって出る杭を打たれても出てくる勢いですからね。

 BARに関しては、嬉しかったのと悲しかったのと両方でしたね。ホンダユーザーとしては、バトン3位という強いホンダはとても嬉しかったですが、肝心の琢磨はレース終了3周前でエンジンブローによってリタイヤしてしまいましたからね。最後尾だからとせっかくエンジンを載せ変えてレースに臨んだというのに、そのエンジンが壊れてしまってはまったく意味がないですね。やはり琢磨は最後尾からのスタートだったので、ついつい焦ってエンジンに負担をかけてしまっていたのでしょうか。金曜日から同じエンジンを使って走っていたバトンは琢磨よりも速いラップタイムで、3位まで上り詰めましたからねえ。あのまま琢磨があと3周走り続けていたら、海外での初入賞は確実だったのですが、残念でなりません。

 昨日絶賛したジャガーのマーク・ウェバー、決勝では散々でしたね。スタートに失敗していきなり順位を落とすわ、ラルフと接触してタイヤをパンクさせるわ、挙げ句の果てにエンジンブローで完走はならず、決勝では2戦連続でリタイヤに終わってしまいました。
 2戦連続でリタイヤと言えば、ライコネンも哀れでしたねえ。まああのまま走っていても表彰台には届かなかったと思いますが、それにしても昨年のランキング2位ライコネンが開幕から2戦連続でノーポイントとは……序盤からタイトル争いに暗雲が立ちこめていますね。昨年のライコネンは、シーズン序盤から飛ばしていたのになあ。マシンから降りた後、怒りからマーシャルに八つ当たりしていましたね。ああいう姿を見ると、ライコネンもまだまだ子供だなあと思ったりもします。

 怒りと言えば、トヨタのパニスが珍しく怒っていましたね。まあ無理もないでしょう、パニスは僚友で後輩のダ・マッタと10位争いをしているさなかにピットに呼び出され、入ってみたら実は間違いで自らピットスルー。その時ピットクルーに対して手を振り上げて怒りを露わにしていましたね。さらにその際怒りのあまり思わずアクセルを踏んでしまったのか、ピットレーンでの速度違反のために今度はほんとにピットスルーペナルティ。ミスがミスを呼ぶ典型的なパターンとなってしまいました。

 次戦はF1初開催となる中東バーレーン、マレーシア同様高温でのレースが予想されるため、ミシュラン勢の巻き返しに期待したいと思います。




 F1マレーシアグランプリ予選
2004年03月20日(土)

 昨日の続きではありませんが、F1がある日は、一応書くことがあるのでいいですね。でもあまり多くを書きすぎると、F1レポートの方で書くことがなくなってしまうんですよね。なので簡単に予選の感想を書きます。

 ミシュラン有利と思われた灼熱のセパンでも、ミハエル・シューマッハの優位は揺るぎませんでしたね。2位にコンマ6秒以上の大差を付けてのポールポジション、もうウンザリするほど速いですねえこの人。
 残念だったのは琢磨ですね、第1、第2セクターまではいいタイムできていたのですが、第3セクターで痛恨のスピンを喫し、明日の決勝は最後尾からのスタートとなってしまいました。マシンを壊さなかったのは不幸中の幸いでしたが、今回は期待していただけに、何だか落胆もひとしおでした。琢磨はスタートには定評があるので、明日のスタートでもきっとごぼう抜きを見せてくれると信じていますが、セパンの1〜2コーナーは下りのタイトなコーナー、そこを20台が一気になだれ込んでいくわけですから、接触が心配ですね。前回のオーストラリアでも琢磨は接触していますからね。そういえば昨年のマレーシアグランプリでは、1〜2コーナーでトゥルーリとミハエルが接触しましたよね。うーん、心配だ。

 驚いたのは2番グリッドをゲットしたジャガーのマーク・ウェバー。彼は2年前のデビュー戦で、ミナルディで5位入賞という快挙を成し遂げ、昨年ジャガーに移籍して6回の入賞を果たし、現役F1ドライバーの中でも非凡の才能を見せつけていますね。やはり性能の劣るマシンでもきっちりと結果を出すというのは、説得力がありますからね。もしかしたらウェバーには、あのアイルトン・セナ並みの才能があるのかもしれません。マシンを降りていても、何だかデビュー3年目とは思えないほどの貫禄がありますからね。きっと自信がみなぎっているのでしょう。実力のあるドライバーは、どんなにあごが割れていても、頼もしく見えてくるものですね。

 さて、今夜は毎週土曜恒例の天体観測会が開催されたわけですが、今夜も星8個と大盛況のうちに終了いたしました。皆様ご参加いただき、誠にありがとございました。




 得意な文章、苦手な文章
2004年03月19日(金)

 実は僕、Voiceで文章を書いたり小説を書いたりしていますが、感想文や日記、エッセイ、コラム、小論文と言ったたぐいの文章を書くのは、はっきり言って大の苦手です。小説は自分の創りあげた世界で、自分の創りあげた登場人物たちを好きなように動かせばいいので書いていて非常に楽しいし、まったく苦になりません。しかし自分の自由にならないもの、あるいは書くことがなくて必死になってネタを探し、何とかして話を広げていこうと頭をひねらなければならないような文章は、書くネタが見つかればいいですが、そうでない場合は苦痛以外の何物でもないですね。皆さんも「マツダイラ」と比べて、Voiceの文章は稚拙でボキャブラリーに欠けていると思いませんか?

 そもそもこのページの名前を「Voice」としたのは、書くことを限定したくなかったからで、「日記」でもなければ「コラム」でもないので、その日に応じて書きたいことを自由に書きつづる場所が欲しかったんですよね。だから時にはその日にあったことを書きつづる「日記」になるし、時には何かに関して思うことを書きつづる「コラム」的な内容になることもあるわけです。しかしそれでも、僕の場合1日の生活の中で仕事が占める割合がとても多く、仕事が終わればただ寝るだけといったケースが多いので、「日記」として特に書くような出来事は、そうそうないんですよね。さらにずっとパソコンに向かっているのでテレビもろくに見ることができず、新聞やネットのニュースで世の中の出来事を眺めるぐらいなので、仕事が忙しい時期はほとんど世間の話題から取り残されてしまいます。

 しかし、それでも意外なことに、このVoiceは2001年の9月に始まり、1ヶ月丸々休筆したことはありますが、それ以外では14日分しか抜けていないんですよね。もちろん更新は毎日しているわけではありませんが、簡単に書くことを書き留めておいたメモを元に、後になって遅れている分を意地になってまとめ書きしているからですね。ですから皆さんは数日分のVoiceをまとめてみることになり、逆に読む人の負担を増やしてしまっているのかもしれません。

 そんな感じなので、もうとにかく書くことで精一杯で、特にまとめてアップするときは文章の内容は二の次になってしまっているのが現実なんですよね。本来なら、1日も抜かすことなく続けるよりも、ヒデボーさんのコラムやMaxiさんの日記のように、書けない日は書かなくても、書きたいときに書きたい内容をじっくりと書いた方が読み応えのある面白いものが書けるのかもしれませんね。一番理想なのは、どんなに仕事が遅くなっても、毎日欠かさずまめに書くことなのでしょう。

 Maxiさんの日記やヒデボーさんのコラムは、読んでいて本当に面白いですよね。Maxiさんはご自身の趣味にとことんこだわり、購入したモデルカーに関する話、映画館に観に行った新作映画の感想、イベントに参加した時の体験談、それに日頃感じる何気ない疑問への考察と、実に興味深い内容ばかりです。またヒデボーさんのコラムは、世間で話題になっている事柄などを中心に、ヒデボーさん独自の見解を述べており、その確固たる思想を伺い知ることができます。ヒデボーさんのコラムは、話題になっている事柄を前文に置き、その上でヒデボーさん自身の考えが順序よく書かれ、小論文として完成されていると思います。

 あー僕もこのVoiceで、読む人を引きつけるような文章を書いてみたいなあ……。でもやっぱり全然書く時間がなくて、ネタにも困って支離滅裂な文章のまま、続いていくんだろうなあ……。




 「マツダイラ」見所
2004年03月18日(木)

 間もなく公開予定の「マツダイラ」第8話の見所などを勝手に紹介してしまいましょう。この作品は特に主人公を設定せず、アメリカのテレビドラマのように、毎回メインとなる登場人物を変えながら一つの大きな物語をつづっているのですが、今回のメインキャラクターは、ズバリ!マキシ・レッドフォードです。スカリーさんがBarで書いたようにマキシ・レッドフォードの登場を増やしてMaxiさんをBarにおびき寄せようという魂胆はありません。初めから決まっていました。

 今回レッドフォードは、マツダイラに関する新たな情報を得て渡英するのですが、実際僕が訪れてとても気に入った場所を舞台にしています。自分が実際に訪れている場所ですから、行ったことのない場所を本などで調べて描写するのと違い、その場所の雰囲気から空気、匂いまで鮮明に思い出せますから、書く方としては非常に好都合ですね。

 「マツダイラ」は言うまでもなくF1小説なので、当然ゆくゆくは世界各地を転戦していくことになります。僕はかつて仕事で、ヨーロッパを中心に色々な国へ行っていたので、「マツダイラ」ではそういった経験も生かしていけるのではないかと思っています。特にイギリスは音楽の関係でよく行っていましたからね。よくミュージシャンが海外レコーディングをしたりしますが、なぜわざわざ海外にレコーディングをしに行くのかというと、海外には素晴らしいエンジニアやバックミュージシャンがいるからですね。ロックやポップスの海外レコーディングは主にニューヨークとロンドンの2つに別れますが、ニューヨークは斬新でちょっと常識から外れるようなミキシングが主流で、ロンドンはどちらかというとオーソドックスで上質なミキシング、というイメージです。僕はロンドン派です。

 えーと、また話が逸れてしまいましたが、「マツダイラ」では、マツダイラというF1チームの活躍やF1グランプリのシーンだけではなく、今後は僕の経験を生かして旅行記のような要素も込めつつ、皆様を様々な国へご案内したいと思っております。第8話は、その第1弾といった感じです。お楽しみに。




 「マツダイラ」最終調整
2004年03月17日(水)

 「マツダイラ」最新作の公開に向けての準備がのろのろと進んでいます。仕事が立て込んでいて思うように作業が進まないのですが、今日も仕事の合間にちょこちょことやってました。
 あらかじめ作ってある1話分のフローチャート(簡単なあらすじや流れなどを図式化したもの)に沿ってざっと文章化し、その後参考資料や思いついたアイディアを書き留めておいたものを使って細かな描写などを加えながら肉付けしていくのですが、僕はこれまでにも書いてきた全ての作品において「映像の見える小説」を目指してきたので、人物の描写や背景描写は、できる限り詳細に書くようにしています。また人物の動作やしぐさや言い回し、あるいは話の展開などのアイディアは湯水のように出てくるので、それらを全て詰め込んでいくと、膨大な量になってしまうんですよね。

 でもそれらを詰め込んだものの中には、ストーリー上必要のないものも多いわけです。そういったものを入れすぎてストーリーの流れを鈍らせてしまうこともあり、読む側にしてみたら話の展開をわかりづらくさせてしまうだけなので、言ってみれば「このキャラにこんなセリフを言わせたい」「このキャラにはこんなことをさせてみたい」というアイディアの多くは、作者のエゴに過ぎないことも多いのです。

 それに、特に「マツダイラ」は、僕の作品では初めての「ネットで公開するための小説」なので、読む側は当然モニター上で細かい文章を追っていかなければならないわけですから、それも考慮してある程度の文章量に抑えなくてはなりません。しかしかといってあまり描写の部分を削ってしまうと、今度はその場面の「映像」が見えなくなってしまうことになるので、僕が作品の贅肉をそぎ落としていくときは、回りくどい言い回しを簡潔に書き直したりすることもありますが、1エピソード丸々削ってしまったりすることが多いですね。もちろん落とすときはそれなりの覚悟が必要ですが、削る前と削った後(公開している)の文章を読み比べてみると、後者の方がはるかに読みやすく、展開もスムーズなものに仕上がります。

 「マツダイラ」は僕のこれからのライフワークにしていくので、栗本薫の「グインサーガ」並みの長編になるかもしれませんが(それはないか)、果たして皆さんはどこまで「マツダイラワールド」に付いてきてくれるか心配でもあります。僕としてはこの「マツダイラ」には、もちろん以前お話ししたように盗用されないよう、ある程度クオリティーは落としてはいますが、かなりの情熱を注いでいます。しかし、実際読む側にとってみたら、「マツダイラ」って作品の面白さでいうとどの程度のものなんでしょうかねえ。

 近所のBookOffで、僕が出した本が100円コーナーで売られているのを発見したときには、何だか悲しくなりましたね。まあ同じコーナーに村上春樹や筒井康隆、マイケル・クライトンやシドニィ・シェルダンといった蒼々たるメンバーが揃っていましたけどね……。




 おばあちゃん入院
2004年03月16日(火)

 近くに住んでいる僕のおばあちゃんは肺気腫を患っているのですが、検査の結果が思わしくなかったので、急遽入院することになりました。仕事の合間に病院へお見舞いに行ってきたのですが、心臓がエンストを起こしてしまい、酸素が供給されにくくなってしまったということでした。そのため鼻から管を通して酸素を常に送り続ける状態になっていました。

 僕は昔からおばあちゃん子で、小さい頃はよくおばあちゃんの家に泊まりに行き、おばあちゃんと一緒に大相撲を観ていたので相撲好きになりました。またおばあちゃんの好きな「大岡越前」や「鬼平犯科帳」なども一緒によく見ていました。僕が未だに虫歯になったことがないのは、おやつの多くが硬いお煎餅だったので、小さい頃から硬いものを食べさせて歯並びを良くしてくれたおばあちゃんのおかげでしょう。

 おばあちゃんは、とてもハイカラでした。若い頃はスポーツカーを乗り回し、戦時中は満州で諜報員をしていたこともあるそうです。あのラストエンペラーともあったことがあるらしい。そういえばうちの家系はそう言った歴史に関わっていることが多いような気がします。おばあちゃんのおじいちゃん、つまり僕のひいひいおじいちゃんにあたる人は、雪の降る日に近所のお酒屋に酒を買いに行き、帰りにチャンバラに出くわして木陰からそれを見ていたら、そのうち1人が斬られ、それが実はあの有名な「桜田門外の変」だったらしい。つまり、ひいひいおじいちゃんの目の前で斬られたのは時の大老、井伊直弼だったのです。伊豆の父の実家は北条政子の屋敷跡に建てられていたりします。(その地区一帯が北条家の敷地だったらしい)

 話が逸れましたが、お見舞いに行ったときに、かつては背が高く、わりと体格が良かったおばあちゃんが、幼児のように小さくなってしまったのがとても寂しかったです。しかも、僕が子供の頃は大きな声でよく笑っていたのに、今は肺気腫のせいでほとんど声が出ず、耳を澄まさないと何を言っているのか聞き取れないぐらいです。意識ははっきりしているのでたまに冗談などを言ったりもしますが、正直おばあちゃんの変わり果てた姿に、かなりショックでした。もちろんどんな風になっても僕の好きなおばあちゃんであることには変わりないのですが、「ある程度の覚悟はしていた方がいい」と言われたときには泣きそうになりました。

 今日はしんみりとした話を書いてしまいましたね、ごめんなさい。この件に関してのBarでのレスポンスは、申し訳ありませんがご遠慮下さい。




 仕事の愚痴
2004年03月15日(月)

 このところ徹夜仕事が多くなってきていますが、今日も明け方まで仕事です。お得意先で聞いた話だと、最近徐々に景気が回復しつつあり、クライアント側も広告をたくさん出すようになってきているらしい。だから仕事の本数はこのところどんどん増えているようです。しかし、仕事の単価はあまり変わっていないので、制作側としては相変わらず数をこなすことで稼いでいくしかないんですよね。

 うちの業界は98年頃から年々価格破壊が進み、僕らでは考えられないような値段で仕事を引き受ける業者が増え、一時はそういった業者に仕事が取られないよう、僕もクライアント側の要求を受けて値段を下げざるを得ませんでした。しかし最近、安い値段の仕事でとんでもなく高度なことをやってくる業者が増えてきて、僕としては非常に困っています。僕は基本的にDTP(デスクトップ・パブリッシング)の仕事では、3種の神器といわれている「フォトショップ」、「イラストレーター」、それに「クオークエクスプレス」という3つのソフトを使って仕事をしています。しかし最近の若手デザイナーは安い値段で、3D作成ソフトなどを多用してものすごく高度に作り込まれたCGを作って来たりするので、クライアント側も「この値段でこれだけのものができるのか」とあたかもそれが当然のように思うようになり、だんだん要求も高度になっていき、無茶な注文を付けてきたりすることもあります。

 そう言う人たちは大抵もともとCGを作ったりすることが大好きな人たちが多く、当然ソフトも自由自在に扱うことができるので作業も早いでしょう。しかも彼らは副業としてバイト感覚でそれらの仕事をこなしていますから、値段が安かろうが関係なくすごいものを平気で作れるのです。実際できあがったものはレベルもクオリティも非常に高いので、作品としてみればそれらは全く問題なく、僕も評価しています。
 ただ、そのクオリティを僕に要求されても困ります。僕はCGなんて作れませんし(マツダイラの扉の背景CGも、何ヶ月かかったことか……)、イラストにしても趣味で描いている程度なので、仕事でイラストが必要なときはフリー素材を使うかイラストレーターの方に発注し、発注した場合は当然イラストは別料金を請求しています。

 制作サイドの事情を全く知らない営業の方に「新人のこいつがこんなにすごいものを作っているんだから、ベテランの君にもこの値段でこれぐらいのことはやってもらわないと」といわれるのは、とても納得がいきません。「うちではこの値段ではできませんよ」と言っても、「僕が仕事を出しているメンバーは、みんなこの値段でやっているよ」と返されるし、「うちは安い値段でこれだけのことができますよ、というのが売りなんだから」と開き直られてしまいます。そりゃ、こんな値段でこれだけのもの見せりゃ、どこだって飛びついてきますよ。

 僕に言わせれば、これらは「技術の安売り」に過ぎません。たとえCGやイラストがとても得意で、何の苦労もせずにちょちょいのちょいでものすごいものを作れたとしても、できてきたものの完成度はとても高いものなのだから、それに見合うだけのお金はもらうべきです。逆にお金が出せないのなら、予算に見合った仕事をするべきだと思います。安いから手抜きをしろと言っているわけではありません。ただ、営業さんはクライアントの機嫌をとるだけではなく、もっと制作側の手間や作業時間を把握して、技術やセンスを保護して欲しいですね。




 ハッキネン&大治郎登場
2004年03月14日(日)

●「グランプリの肖像」新作をアップ

 えー、先月オープンした「FORMULA1」のページにある「グランプリの肖像」に、新たにミカ・ハッキネンと加藤大治郎をようやくアップすることができました。楽しみにしてくださっていた皆さん、たいへん長らくお待たせいたしました。

 まず、ハッキネンといえば言うまでもなく僕がセナの次に好きなF1ドライバーですね。まあハッキネンは好きなだけあって、ハッキネン関係の雑誌は色々買いあさっていたので、資料はたくさんあるんですよね。逆にたくさんありすぎて、どのハッキネンを描こうか悩みまくってしまいました。

 作品に添えてあるコメントでも書いていますが、今回は笑顔の素敵なハッキネンではなく、苦渋に満ちたハッキネンを選んでみました。ハッキネンといえば「F1界のいい人」と言われていたほど愛着溢れるキャラクターですが、一方でレースに賭ける意気込みは並々ならぬものがあり、レース前は常に眉間にしわを寄せて厳しい表情を見せていました。特にF1での最後の年となった2001年シーズンは、得意のスペイングラングランプリでの、ファイナルラップでのトップ走行中の劇的なリタイヤに象徴されるように、彼にとってはまさに不本意なシーズンだったでしょうから、その苦悩は想像するに固くありません。その苦しかったシーズンの、引退を決意するに至った彼の表情を切り取ってみました。

 そして、加藤大治郎。日本人初の世界最高峰2輪レースでのチャンピオンの期待がかかった若き才能の突然の悲報は、まだ皆さんの記憶にも新しいことと思います。僕自身は2輪レースは全く見ていなかったのですが、彼の死後、僕の周りのMotoGPファンの方々は、皆口を揃えて「現時点でMotoGPでチャンピオンになれるライダーは大治郎しかいない」と語っていました。加藤大治郎の死は、日本のみならず、様々な国で大きく取り上げられました。前途有望な才能がまたひとつ失われてしまったことは、残念で仕方がありません。彼の事故の原因は未だに解明されてはいませんが、このような悲しい出来事が二度と起こらないよう祈るばかりです。今回は何人かの方々のリクエストにお答えして、「グランプリの肖像」で描かせていただきました。


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