Mako Hakkinenn's Voice
by Mako Hakkinenn



 F1モナコグランプリ決勝
2004年05月23日(日)

 今年で62回目を数えるF1モナコグランプリは、昨日の予選でルノーのヤルノ・トゥルーリが自身初のポールポジションを獲得し、以降2番手ラルフ・シューマッハ(ウィリアムズ・BMW)、3番手ジェンソン・バトン(BAR・ホンダ)、4番手フェルナンド・アロンソ(ルノー)と続き、開幕6連勝、モナコでの通算6勝を狙うミハエル・シューマッハ(フェラーリ)は5番手に沈みました。2番手のラルフはエンジンを交換したことによるペナルティで決勝でのスターティンググリッドが10番引き下げられて12番手スタートとなり、それより上位のドライバーが1つずつ繰り上がることになりましたが、レースでは道幅が狭いためほとんどコース上での追い抜きが不可能と言われているモナコ、4番グリッドからスタートするシューマッハにとっては厳しいレースとなりました。

 決勝は、序盤から波乱の展開でした。7番手スタートから一気に加速した佐藤琢磨(BAR・ホンダ)は、バリチェロ、ライコネン、シューマッハを一気にかわして1コーナーの出口までに4番手に浮上しました。しかしそのスタート直後からマシン後部から白い煙が出ておりペースが上がらず、琢磨はわずか3周でエンジンブロー。琢磨の大量の煙に包まれたコース上では、後方を走っていたフィジケラがクルサードに追突してリタイヤ、レースは今年初のセーフティーカー導入となりました。

 レース中盤には2位を走行中だったアロンソがトンネル内でクラッシュして今日2度目のセーフティーカー、さらにそのセーフティーカー導入中にミハエル・シューマッハがまさかのクラッシュ、第62回モナコグランプリは大波乱の展開となり、完走わずか10台、実に半数のマシンがコース上から姿を消すこととなりました。

 レースを制したのはヤルノ・トゥルーリ、彼は見事にこのモナコでポール・トゥ・ウィンを決めてF1デビュー119戦目にして初優勝を飾りました。2位にはバトン、3位にはバリチェロが入り、F1は新たな息吹を予感させる結果となりました。

 ポイントランキングに目を向けてみると、首位ミハエル50ポイントに対して2位バリチェロが12点差の38ポイント、そしてその後ろ3位につけているのがバトンで18点差の32ポイントです。今回リタイヤを喫してしまったミハエル・シューマッハですが、おそらく次のレースからはまた連勝を重ね、チャンピオンシップをリードしていくことになるでしょう。モナコグランプリは他のグランプリとは違う極めて特殊なコース、シューマッハの巧さとフェラーリの速さをもってしても、そう簡単には勝つことのできない難しいグランプリであることを改めて実感しました。




 なぜ小泉首相は批判されなければならないのか
2004年05月22日(土)

 小泉首相が今日2度目の訪朝を果たし、拉致被害者家族のうち、蓮池さん夫妻と地村さん夫妻の子供5人が日本に帰国することになりました。しかし曽我ひとみさんの夫ジェンキンス氏と2人の子供は帰国させることができませんでした。小泉首相は日朝首脳会談の後、直接ジェンキンス氏と面会し説得に当たりましたが、ジェンキンス氏はアメリカから北朝鮮に亡命している身で、日本に行った途端に自分の身がアメリカに引き渡されることを懸念し、日本行きを拒んだようです。

 日朝首脳会談の結果を受け、拉致被害者5人が今日の夕方、都内のホテルで会見を開きました。子供の帰国が決まった蓮池さん夫妻と地村さん夫妻に笑顔は見られず、曽我ひとみさんの家族の帰国が実現しなかったことに複雑な表情をみせました。拉致被害者の5人は曽我さんへの配慮から言葉を選んでの会談でしたが、小泉首相の今回の訪朝に関しては評価しているとの見方を示しました。

 しかしその後に行われた「家族会」の会見では一転、日朝首脳会談が拉致被害者家族5人の帰国という結果に終わったことを受け、家族らは22日午後、東京都内のホテルで記者会見し、全家族が怒りをあらわにしていました。死亡もしくは入国が確認できないとされた安否不明者10人については、新しい情報は一つもなく再調査の約束がなされただけ。「期限も設けず、政府の対応には怒りを覚える」との声が相次ぎ、「予想していた中で最悪の結果」「不明者10人のことは、怒りを込めて言ってくれと伝えておいたのに、どうして。子供たちは置き去りにされたまま。怒りでいっぱいです」「拉致されたたくさんの人たちが、首相の訪朝で今回は助けてもらえると期待を持っていたと思う。こうした結果は本当に心外」などと、家族らの批判の声が会見中やむことはありませんでした。

 僕はこの家族会の会見を見ていて、家族会に対して憤りを感じてしまいました。それは僕だけではないはずだと思います。家族会のメンバーの心情はもちろんわかる、安否不明者に関しての新たな情報がまったく得られなかったことに対する苛立ちもわかる、しかし、あの家族会の会見は、いくら何でも言いすぎだろうと言わざるを得ません。僕は小泉首相の訪朝を評価しています。まずは致被害者家族5人の帰国という結果をもたらし、拉致問題がまたひとつ「前進」したからです。全てのことをいっぺんに解決することなど不可能なのです。物事には段階というものがあります。少しずつ前進して解決していくしかないのです。今回の家族会の怒りは、拉致事件の被害者という立場であるとはいえ、あまりにもわがままで横柄すぎます。被害者なら何でも言っていいのかと思わずにはいられませんでした。

 はっきり言って、日本政府は拉致問題だけに取り組んでいるわけではない。核開発問題もふまえた、北朝鮮との国交正常化という大きな目的に向かって慎重に調整を進めているのです。そしておそらく小泉首相でなければ、北朝鮮との首脳会談も、拉致問題もここまで前進することはなかったでしょう。小泉首相だからこそ、拉致問題はここまで前進しているのだと言うことを、我々は忘れてはならない。

 「首相は独断で訪朝したのだから、結果が悪ければ政治家として責任を取るべきだ」と語気を強めたメンバーもいました。もし小泉首相が責任を取って総理大臣を辞めたら、せっかくここまで進展してきた拉致問題は、間違いなくうやむやもうちに終わってしまうでしょう。「小泉首相は会見で拉致問題の扉を開いたと言ったが、閉めて鍵を掛けてしまった」という意見もありました。なぜそう決めつける!これで終わりだとは誰も一言も言ってないじゃないか!確実に前進しているが、後退はしていないはず!なぜこんな言葉が出てくるのでしょうか!「何をしに行ったのか。情けない国、情けない首相だ」……。

 小泉首相の帰国後、ワイドショーやニュース、新聞などでは小泉首相を批判する内容が延々と流されていますが、私は小泉首相の日朝首脳会談を評価します。弱腰といわれても、北朝鮮の言いなりといわれても、北朝鮮を刺激することなく、今後も穏便に、慎重に多くの問題に取り組んでいってもらいたいと思っています。

 もし小泉首相が総理大臣を辞任することになったら、全ての問題は一気に水の泡と化すことでしょう。現在の問題が山積みとなっている日本で、小泉さん以外に総理大臣としてふさわしい人がどこにいますか?野党は小泉さんが何をやったとしても批判しかしないでしょう。彼らはただ政権を獲りたいだけなのですから。国民のことを、国のことを真剣に考えているのならば、足の引っ張り合いなどせずに与党と協力しあってもっと建設的な議論をしろ!国民年金を払った払っていないなんてことはどうでもいい!そんなしょーもないことで国会の貴重な時間を割いているんじゃない!そもそも、野党なんて必要ない!




 本当の悪人はブッシュ
2004年05月21日(金)

 「F1小学校」のヒデボーさんもコラムで書かれていますが、イラク戦争後、米軍のイラク人収容者に対する虐待が次々と明るみに出ています。戦場下において人間は、この高度文明社会においてもなお、あれほどまでに野蛮で酷たらしい行為を平然とできるものなのかと考えさせられてしまいます。犬をけしかけて威嚇したり、収容者を全裸にして自慰行為を強要したり、全裸の収容者に頭巾を被せて人間ピラミッドを作ったり、挙げ句の果てには虐待死させた収容者の前で中指を突き立てて笑顔で記念撮影……まだ文明を持たなかった原始時代ですら、こんな野蛮な行為は行われなかったことでしょう。
 ブッシュ大統領はこの問題について「一部の兵士の暴走によるもので、極めて遺憾」と言っていますが、イラクの多くの場所で米軍によるイラク人虐待が行われていることが、次々と明らかになっているのです。虐待をした米軍兵士はもちろん悪ですが、ブッシュがその兵士を裁く権利はまったくありません。なぜなら、ブッシュこそが本当の悪人だからです。

 先日起こった、イラクのシリア国境との砂漠地帯で米軍の誤爆で民間人が死亡したとされる事件、この事件はイラク西部カイム付近で米軍機の攻撃により住民40人以上が死亡し、米軍が結婚式会場を誤爆したとの見方が強まっていますが、駐留米軍は外国人武装勢力の隠れ家を攻撃したとしており、周辺の治安維持を管轄する米海兵隊のジェームズ・マティス司令官は誤爆を否定。「兵役に就ける年齢の男が20数人いた」と説明し、女性や子供の死亡を伝える映像については「見ていないが、戦争では悪いことが起きる」と述べ、「敵こそ全世界に謝罪すべきだ」と語りました。また現場が「シリア国境から約16キロの砂漠で、町から遠い」として、結婚式を開くような場所ではないと強調し、「謝罪の必要などない」とまで言い切って見せました。

 アメリカの嘘や言い訳は、もう聞き飽きました。結局アメリカは今、国際社会で窮地に立たされており、本当にイラク戦争が必要だったのかという全世界の懐疑的な意見を振り払おうと必死になっているだけなのです。そもそもイラク戦争は、戦争好きのブッシュが、戦争をしたいがためにイラクに大量破壊兵器があると国際社会を騙し、その証拠をねつ造までして、国連の反対意見を無視して独断で戦争に踏み切ったのです。その戦争を正当化するためにブッシュは数々の「自作自演の演出」を行ってきましたが、それらの多くはその当事者に暴露され、今ブッシュは国際社会から、そしてアメリカ国民からも批判を浴びています。

 イラク人の虐待や誤爆、今イラクで起こっている災いの全ての根元は、他でもないブッシュであることは言うまでもないでしょう。イラク戦争や湾岸戦争、あるいはベトナム戦争など、アメリカが始めた戦争の裏側を見てみると、ハリウッド映画などで描かれてきた戦争映画の多くが、アメリカを正義と詠っている嘘ばかりであることがよくわかりますね。

 イラクが平和になるためにもっとも必要なこと、それは米軍がイラクからいなくなること、そしてブッシュがホワイトハウスからいなくなることでしょう。




 伝統のモナコグランプリ、いよいよ開幕!
2004年05月20日(木)

 2004年F1世界選手権シリーズ第6戦モナコグランプリが、モナコ公国のモンテカルロ市街地コース(1周3340km)で現地時間の今日、いよいよ開幕しました。通常F1グランプリは木曜日に定例記者会見が行われ、金曜日にフリー走行、土曜日に予選、日曜日に決勝というスケジュールなのですが、モナコグランプリに限り金曜日にサポートレースが行われるため、水曜日に定例記者会見、木曜日にフリー走行が行われます。今日は午前・午後2回のフリー走行(各1時間)が行なわれ、フェラーリのミハエル・シューマッハが両セッションでトップタイムを記録。今回のモナコグランプリでF1では前人未到の開幕6連勝、故アイルトン・セナの持つモナコ通算6勝の記録に向けて好スタートを切りました。午前のセッションでM.シューマッハにコンマ777秒差の2番手タイムを記録したBAR・ホンダの佐藤琢磨は、午後のセッションでトップからコンマ923秒差の7番手タイムを記録しました。またBARのテストドライバー、アンソニー・デビッドソンがフェラーリの2台に割って入る2番手のタイムを記録し、BARの好調さをアピールしました。

 1929年(昭和4年)4月14日に初開催され、今年で62回目を数える伝統のモナコグランプリは、フランスのル・マン24時間耐久レース、アメリカのインディ500と並ぶ世界三大レースのひとつとして数えられています。モナコグランプリはご存じF1唯一の市街地サーキット、地中海の美しいコート・ダジュール(紺碧の海岸)に面したリゾート地を背景に、ガードレールをかすめるように高速で走り抜ける、超難関のエクストラ・グランプリです。そのコースの難度の高さから、モナコグランプリで強いレーサーは『モナコ・マイスター(モナコ職人)』として特別な視線を送られます。また、モナコグランプリでの一勝は、他のグランプリの一勝よりも大きく評価されますし、表彰式も他のグランプリとは違い、表彰台がなく、公国の王室から直々に勝利者へのトロフィーが渡されのです。

 さて、Barでみるくねこさんから「そもそも、どうしてモナコの町ん中で走るようになったんですか?」という疑問を頂いたので、僕もいろいろと調べてはみたのですが、残念ながらその答えに行き着くことはできませんでした。ただ推測するに、モナコの経済基盤は観光、最大の財源はモンテカルロ地区にあるカジノの収益で、モンテカルロは「娯楽の街」としても知られているため、当時の王室が豪華なイベントのひとつとして、モンテカルロの市街地で自動車レースを開催しようと考えたのが始まりだったのではないかと思われます。

 ちなみに、F1グランプリが初開催されたのは1950年なので、それ以前のモナコグランプリは普通自動車かそれに近い自動車によるレースが行われており、当然最高速度も現在のF1と比べると、当時の自動車の性能を考えても相当遅かったのは言うまでもないでしょう。つまり、モナコグランプリが初開催された1929年当時では、市街地で自動車レースを行うという発想はそれほど奇抜なことではなかったということです。驚くべきは、最高速度が300km/h以上に達した現在のF1マシンで、今もなおほぼ当時のままの市街地コースでレースが行われていると言うことでしょうね。モンテカルロは変わらず、レースをする自動車だけが、年々速さを増してきたというわけです。つまりその分、長いスパンで考えると、年々難易度も増しているということになりますね。




 ブラット・ピット来日
2004年05月19日(水)

 え?いつの話だ?と言われそうですが、米人気俳優のブラッド・ピットが15日、主演映画「トロイ」のキャンペーンのため5年半ぶりに来日しましたね。え?もう帰った?ピットの来日は97年「セブン・イヤーズ・イン・チベット」、98年「ジョー・ブラックによろしく」のキャンペーンに続き3度目です。今回の「トロイ」は、あのトロイの木馬で有名な、ホメロスの叙事詩をもとに紀元前12世紀のトロイ戦争をめぐる男たちの戦いや愛を描いた作品で、ピットは伝説の英雄・アキレスを演じています。

 17日にはウォルフガング・ペーターゼン監督、共演のエリック・バナと共に都内のホテルで記者会見が行われたのですが、ピットは急性胃炎でこの記者会見に2時間遅れで出席するというハプニングもありました。会見前にピットが胃痛を訴え、おう吐などの症状があったため医師に連絡。風邪から来る急性胃炎と診断され、回復を待っての登場となったようです。約2時間遅れで姿を見せたピットは顔色が悪く本調子ではない様子だったそうですが、単独で約15分間会見し、「強いのは映画の中だけなんです」と苦笑いしていたそうです。

 男として、ブラット・ピットのようなアウトローなイメージのある男には憧れてしまいますね。ブラット・ピットの他に「トップガン」のアイスマン役、「バットマン・フォーエバー」のバットマン役で知られるヴァル・キルマーなども憧れていますが、やはりこういう人たちは普段の日常生活とは違う、非日常の「役」という部分でアウトローになり得るんですよね。実際のアウトローは、あまりいい意味ではないですからねえ。アウトローというと「危険な香りがする」というイメージがありますが、僕はどう見ても「危険」とはほど遠いですからねえ、むしろ笑うと目がなくなってしまうところが癒し系に近いような気もしますから、ピットやキルマーとはまったく正反対なんですよね。

 それにしても……ブラット・ピットって、もう40歳になったんですねえ。全然40に見えねえ……。




 ゲームの話で恐縮ですが……
2004年05月18日(火)

 プレイステーション2のサッカーゲーム「ワールドサッカーウィニングイレブン7インターナショナル」略して「ウイイレ7IN」では、マスターリーグというモードで自分のクラブチームを作り、各国のリーグに参加することができます。イギリス・ノーザンリーグのD1で活躍する僕のオリジナルチーム「M−NEST Euro」にベッカム、ジダン、ロナウド、フィーゴ、ラウールを招き入れようと再三に渡って交渉しているのですが、この5人がどうしてもうちに移籍してくれない!移籍金や給与を破格の条件で提示しているというのに、一向に首を縦に振ってくれない!

 この5人、このゲームでは5人ともシャマルティン(レアル・マドリード)というクラブチームに所属している選手なのですが、5人ともチームでは主力選手ですから、当然この5人を失うとシャマルティンは一気に戦力が落ちてしまいますからね、チームもどんなにいい条件を出されようと、手放したくないんでしょうかねえ。契約期間が満了するまで待つしかないのか……。くっそ〜!シャマルティンめ!いい選手ばかり揃えやがって!

 ……とかいいながら、うちも他のチームから「♪アンリ君が欲〜しい!」「♪カーン君が欲〜しい!」などとうちの選手の移籍交渉を持ちかけられても、「ぜってぇやらねえ!」と交渉を蹴ったりしているんですけどね。「M−NEST Euro」にこの5人が加入したら、もう怖い者なしなんですよね〜。ま、強くなりすぎて面白みは欠けてしまいそうですが……。

 しかし、この「M−NEST Euro」というチームを最強チームにしようとしているのには、ワケがあるんです。このゲームは当然2人での対戦プレイも可能なのですが、友達にサッカーゲームがとてもうまいやつが2人ほどいまして、そのうちの1人はこのゲーム自体は初めてやるのに、サッカーの基本知識が詳しいので、操作さえ覚えれば選手の配置や戦略が優れていてなかなか手強いのです!しかもこの男がこの間のうちでの飲み会でプレイして味をしめたのか、このゲームを買ってしまったのです!あんたが同じゲームをやり込んで強くなったら、鬼に金棒やんけ〜〜〜!!

 ……と、いうわけで、こちらは最強チームを編成して、その男に挑もうというワケなのですよ。おそらく彼は日本代表を使ってくるに違いない!日本代表相手なら、このチームなら負けないでしょう!向こうが戦略で来るなら、こっちは選手力で勝負だ!ま、一言で言うと、「目には歯を」というやつですね。え?そんな言葉はない?レースゲームだったら、誰にも負けないんだけどなあ。僕が強すぎて、誰も僕と対戦してくれない……。




 あんなに暇だったのに……
2004年05月17日(月)

 4月、つまり新年度に入ってからGW前までは、回れど回れどまったく仕事がなかったというのに、GW明けから仕事が入り始め、先週末から一気に仕事が重なってきてしまいました。しかも原稿が入るタイミングも同じなら提出日も同じ、どうせ入ってくるなら1物件が終わったらうまい具合に次の物件が、というように順番に入ってきてくれればいいのにと、いつも思ってしまいます。おかげで今夜は久々に深夜まで仕事が終わりそうにありません。

 締切は明日までのものが3つ、そのうちの1つはすでに終わっているのですが、残りの2つがかなり手間のかかる仕事で、こう言うときに限って眠気が襲ってくるのでもう泣きそうです。ずっとモニターとにらめっこをしているので目がチカチカしてくるし、眼精疲労のせいか首の後ろや肩、背中、腰が痛くなってしまいました。同じ時間帯に起きていても、飲んでいるときや単に家で夜更かししているときは全然眠くならないのに、なんで仕事をしているときばかり眠気が襲ってくるのでしょうか、不思議ですねえ。




 「ワイルドスピード×2」を観る
2004年05月16日(日)

 劇場に観に行けなかった映画「ワイルドスピード×2」をビデオで観ました。1作目は劇場で観てきたのですが、S2000が悪役で登場したので「2」はもっと活躍してくれるといいなあと思っていたら、「2」では人気モデルのデボン青木(♀)が乗るマシンとして登場すると言うことだったので期待していました。ただ、映画を観る前にポスターなどで見て知っていたのですが、このデボンの乗るS2、ドピンクなんですよね……。前作では悪い東洋人が乗っていたのでカラーリングも黒にファイヤー柄といかにも悪役カラー、そして今回はピンク……他のマシンのように、もっとカッコイイカラーリングにして欲しかったな……。

 しかし、実際に映画を観てみると、このデボンが乗るS2000、映画冒頭の本編とはほとんど関係ないレースのシーンで出てきただけでした……。それなりに見せ場はあったしかっこよかったのですが、これで終わりか〜いッ!短かッ!とガッカリしてしまいました。

 ストーリーそのものはどうだったのかと言いますと、まあ元々僕は車が好きなので面白いには面白いですが、前作ほどの「ヤバさ」がなかったのがちょっと残念でしたね。前作は純粋にストリートでのバトルやゼロヨンの大会などがフィーチャーされていましたが、今回はどちらかというと「運び屋」としての要素が強くて、話自体も前作のぶっとんだストーリーから一転、よくあるハリウッド映画の友情ものになってしまったというのが率直な感想です。

 しかしまあ、テンポも良く、カーチェイスのシーンもなかなか見応えがあって僕は好きな映画ですね。クルマが相当好きでない限り、女性にはあまり興味がなさそうな作品ですね。




 H・L・マーケットのジーパンを買う
2004年05月15日(土)

 僕の小学校時代の同級生がうちのすぐ近所のブティックの店長をしているのですが、そのお店は代官山にある人気ブランド「ハリウッド・ランチ・マーケット」の服が静岡で買える数少ないお店で、値段もそれなりに張るお店です。今日は仕事の合間に、別の小学生時代の友人が10年間の東京での美容師の修行を終えて静岡に帰ってきたのでその報告と、小学生時代の同級生で集まって飲もうという話をしに行きました。

 せっかく店に来たのでいろいろと店の中を見てみることにしました。ハリウッド・ランチ・マーケットのネイビーのジーパンがよさげだったので、ついつい試着してしまいました。前がファスナーではなくボタンが縦に5つ並んでいるタイプのジーパンで、ランチと言えばわりと奇抜な形のものが特徴ですが、ランチの中では比較的オーソドックスな形で、やや太めの腰で履くタイプのものです。後ろのポケットの横にさりげなく「H・R・MARKET」と書かれたタグが付いているのが奥ゆかしくて気に入りました。店員さんが「もう少し下げて腰で履くとカッコイイですよ」と言ってくれたのですが、もうすぐ30になろうとしているいい男がジーパンを腰で履くのもどうかと思い、「普通に履きます」と言って勘弁してもらいました。

 今までブラット・ピットがCMしていたEDWINの「E」を履いていたのですが、そろそろもう一本ジーパンが欲しいと思っていたので、かなり高い買い物でしたが、思い切って買ってしまいました。このジーパン、一度水を通して若干縮ませてからでないと裾上げができないと言うことだったので、今日は一旦持ち帰って、家で水洗いをしてからもう一度持ってきて裾上げをしてもらいます。前がボタンタイプでまだ新しいので着るのにも脱ぐのにも苦労しましたが、早く履き慣らして、両側を引っ張るとボタンがバババババッ!と一気に外れるぐらいにしたいです。

 しかし……この歳になってランチのジーパンを履くようになるとは……僕もリッチになったもんだなあとつくづく思いました。それも代官山じゃなくて静岡にいながらにして……。




 佐藤琢磨、またもコースレコード!
2004年05月14日(金)

 フランスのポールリカールサーキットで行われているF1合同テスト3日目の13日、この日からテストに合流したBAR・ホンダの佐藤琢磨が、同僚のジェンソン・バトンが3月のテストでマークしたコースレコード、1分10秒887を上回る1分10秒830をマークし、スペインのバルセロナ・サーキットに続いてここポールリカールでもコースレコードホルダーとなりました。

 参加したチームは6つ、ドライバーは9人。この日も2回ほどにわか雨に見舞われましたが、天候に恵まれなかった前日、トップタイムを記録したBARチームは、この日バトンから佐藤琢磨に交代。その佐藤が引き続き非公式ながらコースレコードでトップタイムをマークし、チームの勢いをあらためて見せつけtくれました。琢磨はこの日モナコの市街地コースを想定した「2D」と呼ばれるコースレイアウトで、最多となる107ラップを周回しました。

 来週末に開催されるF1第6戦モナコグランプリは、琢磨にとって2年ぶりのレースです。しかもその2002年はジョーダン・ホンダで、レース中ペースが速かった当時のチームメイト、ジャン・カルロ・フィジケラに道を譲ろうと、トンネルの中でラインを変えた途端に足下をすくわれ派手にクラッシュしてしまいました。今年のモナコは、是非とも予選からいいポジションをゲットして決勝で表彰台を狙って欲しいものですね。


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