Mako Hakkinenn's Voice
by Mako Hakkinenn



 モー娘。まりっぺ脱退の謎
2005年04月18日(月)

 え〜、僕にとってはどうでもよいことではあるのですが、モーニング娘。のリーダー・矢口真里(まりっぺ)(22)が14日、グループを脱退すると緊急発表しましたよね。これは15日発売の写真週刊誌「FRIDAY」にイケメン俳優・小栗旬(22)との連泊愛を激写され、その責任を取った形なのですが、まりっぺはファクスで自らリーダー失格とファンに陳謝。現在全国で展開中のモーニング娘。のツアーも辞退し、今後はソロ活動に入ると発表しました。

 人気アイドルとイケメン俳優の通い愛が掲載されたのは15日発売の「FRIDAY」で、182センチの小栗と145センチのまりっぺの凸凹カップルが都内のまりっぺの実家と、そこから400メートルしか離れていない小栗の自宅マンションを行き来する様子が激写されたようです。交際は親公認の状態で同誌によれば、2人は4月に入ってから毎日のように逢瀬を重ねていたといいます。
 まりっぺは11日に所属事務所に相談。ファクスによれば「自分の自覚のなさから引き起こしたこと。リーダーとしての資格がない。『モーニング娘。』を辞めさせてほしい」と申し出たそうです。“引退”も覚悟していたまりっぺでしたが、事務所側はソロ活動を提案。話し合いの結果、まりっぺが提案を受け入れ、急きょグループの脱退、ソロ活動開始が決まったそうです。

 さらにまりっぺは「私にとってモーニング娘。はすべて。今回の騒動で私は『アイドル』として自分を裏切っていたと思います。私自身の責任として『モーニング娘。』を辞める決断をし、所属事務所に相談しました」と心境を明かしました。ファンには「申し訳ない気持ちでいっぱい。本当にごめんなさい」と謝罪し「もう一度、一からやり直します。一つ大人になった矢口真里を見ていてください」と、ソロ活動での出直しを誓いました。

 さて皆さん、この一連の騒動を見て、ものすごく不思議に思いませんでしたか?……え?どうでもいい?……ですよねえ……まあ僕も冒頭に書いたように、とてつもなくどうでもいいことなんですけどね。
 ただ、なぜまりっぺは、たかが通い愛を激写されただけで、モーニング娘。を脱退しようと思い立ったのでしょうかねえ。

 リーダーとしての資格がない?アイドル失格?責任を取る?そもそも、謝罪なんて必要あったのでしょうか?何か悪いことをしていたわけでもないですし、たかが彼氏の家に連泊していただけでしょ?何でまりっぺはそれが発覚したことを、そんなに重く受け止めているのでしょうかねえ。
 報道を見る限りでは、親公認の仲だったわけですよね。それに、事務所としても特に謝罪や脱退を促したわけでもなく、まりっぺが独断で謝罪と脱退を決断したようですからね。歳ももう22ですから、いくらアイドルだからといったって、恋愛の一つや二つしていても、別に問題はないように思えるのですがねえ。モーニング娘。の歌でも、

 ♪こ〜い〜をし〜て〜〜(ウ〜ベイベ〜)
 ♪キ〜ス〜をし〜て〜〜(ウ〜ベイベ〜)
 ♪ラブレボリュ〜ション なんちゃらかんちゃら

 とか歌っていることですし……。

 もし仮に、まりっぺが本気で今回の騒動に関して重く受け止めていて、責任を感じて謝罪と脱退を決断したのだとしたら、ただ単に彼女が自意識過剰なのだと言わざるを得ませんな。あるいは、責任感は自分なりに持っているのだけど、その意味を著しくはき違えているか……。いずれにしても、「けじめ」の付け方が間違っていますよね。
 モーニング娘。のメンバーもファンもまりっぺの脱退に衝撃を受けていて、「小栗旬と付き合ってていいからモーニング娘。を辞めないで欲しい」というファンも多いそうです。ですからまりっぺがモーニング娘。を脱退することの方が、小栗旬と交際していたということよりもよっぽど裏切り行為に近いわけですな。
 まりっぺにとって、アイドルとは、モーニング娘。のリーダーとは、そして矢口真里とは、どうあるべきだったんでしょうかねえ。モーニング娘。はみんなのアイドル、だから特定の男性と恋愛するなんて、ましてや男の家に連泊するなんてことはもってのほか……などと考えていたんでしょうか。

 でも、もし仮に小栗旬との交際が発覚しなかったら、モーニング娘。も脱退していなかったでしょうし、小栗旬とも交際を続けていたんじゃないの……?

 もしかして、「FRIDAY」に激写されたから脱退するというのはこじつけで、実は他に理由があったのか?例えば、以前からモーニング娘。を脱退したかった、あるいはモーニング娘。のリーダーなんてプレッシャーのかかる立場にはなりたくなかった……とか。それで、都合良く「FRIDAY」に激写されたので、これを理由にしてモーニング娘。を脱退したのでは……。

 そう考えると、一連の騒動はすべて納得できますな。



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 DTMのテレビ放送はいったい……
2005年04月17日(日)

 はて、今日は確か楽しみにしていたドイツツーリングカー選手権(DTM)の開幕戦がドイツのホッケンハイムで行われたはずなのですが……テレビ中継ってどこでやっているんでしたっけ?確か昨シーズンはスカパーの「スポーツISPN」で全戦放送されていたはずなのですが、今シーズンはどこで探しても、放送スケジュールが見つからないんですけど……。

 今シーズンのDTMは、98、99年のF1ワールドチャンピオンで、2001年にF1を引退してからモータースポーツから遠ざかっていた、僕が最も好きなドライバー、ミカ・ハッキネンが復帰するので、絶対見たいと思っていたのに、何で放送されないのでしょうか。「スポーツISPN」をつけてみても、やっているのはWRC、スカパーの週間番組を観てもDTMはどこにも出ていないし、「スポーツISPN」のホームページを調べても、DTMに関する記事は一切書かれていないんですよね……。

 もしかして……今年から「スポーツISPN」はDTMを放送しなくなったのか?今年はミカ・ハッキネンと同じく元F1ドライバーのジャン・アレジ、ハインツ・ハロルト・フレンツェンの三ツ巴の対決が観られると思って楽しみにしていたのに、今年からはネット観戦しかできなくなってしまったのか?

 悲しすぎる〜〜〜ッ!

 ちなみにそのミカ・ハッキネンの現役復帰第1戦となった開幕戦ホッケンハイムですが、予選ではDTM3年目のジャン・アレジ(AMG・メルセデス)が5番手と好調でしたが、ミカ・ハッキネン(AMG・メルセデス)は15番手に沈んでしまいました。ポールタイムから1秒以上も遅れてしまったわけですが、まあ、デビュー戦だからこんなもんかな……。
 で、DTM2年目のハインツ・ハロルト・フレンツェン(スティーン・OPC)は何と全20台中19番手、うーん、ハインツは今年も苦渋に満ちたシーズンを送ることになってしまうのでしょうか……。

 で、決勝は大波乱の展開となったようで、ニュースによると5番手からスタートしたアレジは、1周目に起きた混乱(混乱って何だよ〜〜!気になる〜〜!)で6位に落ちたのですが、レースはアクシデントの影響で入ったセーフティカーが6周目までコントロールしたようです。そんな中、ライバルが早めのピットストップを行なう中、アレジは15周目までレースをリードし、7ラップ後に短い2度目のピットインを行った後、再び首位争いを展開した模様。最後はパフット(AMG・メルセデス)、シュナイダー(AMG・メルセデス)らと激しくトップを争いましたが、37周のレースをトップでチェッカーフラッグを受けました。さすがアレジ!開幕戦でいきなり優勝とは!

 一方、注目のミカ・ハッキネンはピットストップの際に80キロのピットレーン速度違反を犯し、ドライブスルーのペナルティーを受けて大きく順位を落としてしまった模様。とほほ……。最終ラップに前を行くムッケを果敢に攻めたものの大きくはらんでしまい、元F1チャンピオンのDTM緒戦は結局8位に留まったようです。まあ、デビュー戦でまずは1ポイント獲得したことだし、よしとしましょうかね。DTMにすっかり慣れてからのハッキネンの才能発揮に期待したいと思います。とりあえず、今年は学習学習。

 もう一人の元F1ドライバー、フレンツェンは、結局最後まで後方から抜け出すことなく、25周遅れの15位に終わりました。時間にすると約26分遅れ、レースの映像を全く見ていないので詳しい状況がさっぱりわからないのですが、何かトラブルでもあったんでしょうかねえ。それとも、マシンが良くないのでしょうか。

 あー、それにしても、ホントに放送されないの?



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 一週間遅い花見
2005年04月16日(土)

 今日は天気がよかったので、静岡市中心部にある徳川家康ゆかりの駿府公園(駿府城跡)へ、お花見に行って来ました。静岡ではちょうど1週間前の先週土曜日が満開だったのですが、その日はちょうどおばあちゃんの法事が重なり、さらにその後3日ほど雨が降り、今日行ってみたら、もうほとんど花びらが散っていました。

 しかし、駿府公園の中でも一番のお花見スポットでは、今日も芝生の上にビニールシートを敷いて、頭上に咲いている桜の木の下でお花見をしている団体がちらほら見られました。とても気持ちのいいぽかぽか陽気だったこともあり、桜は満開ではありませんでしたが、のんびりできて気持ちがよかったです。時折風が吹くと、桜吹雪が舞ってきてなかなか綺麗でしたよ。花びらが散る間際の切なさのようなものを味わいました。
 もちろん桜が満開の時にお花見をしたかったですが、当然そんな時は人でごった返しでしょうから、いい場所はすべて取られ、かなりにぎやかな雰囲気になってしまいますから、花がほとんど散ってしまったとはいえ、ちらほらと団体がいる今日くらいの方が、ゆっくりと落ち着いて心地いい気分を味わうことができます。

 ものは考えようですな。



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 Voiceを読み直してみる
2005年04月15日(金)

 2001年10月29日からスタートしたVoiceをすべて「エンピツ」に移植する作業が一昨日完了したのですが、その初期の記事からざっと読み直してみました。最初の頃は徹夜仕事が多かったなあ。2001年というと26歳ですから、まだまだ無理が利いていたんでしょうねえ。本格的に仕事を始めて4年目、ようやく仕事が軌道に乗って、レギュラーの仕事も確立し、しかし不況真っ只中なので、とにかくできる仕事はすべてこなして、ひっちゃきになって働いていたような気がします。

 そんな中でも映画を観に行ったり、どこかへ遊びに行ったり、HPを更新したり、小説を書いたり音楽を作ったり、仕事以外でも色々なことをしていて、忙しいなりに時間を作って、遊びや趣味もこなしていたように思えます。もちろん広告業界も全体的に不況でしたから、仕事がない時はまったくないわけでして、そういう時を趣味の時間に費やしていたのかもしれません。忙しい時は忙しいけど、暇な時はめちゃくちゃ暇、その差が激しい分、1年を通しての仕事と遊びのバランスが保たれて、メリハリのある1年を過ごしていたように思います。

 僕は仕事でストレスが溜まることはほとんどありません。もちろん、ずっとパソコンやシンセサイザーに向かっている仕事なので、肩こりなどは結構ひどいものですが、精神的にはいつも充実していて、仕事には常にやりがいを感じています。大変な仕事もありますが、それをやり遂げた達成感があるので、ストレスは感じないですね。だから昔のVoiceを読み直してみても、色々なことに目を向ける余裕もあるし、Voice自体もここまで書き続けていくことができたのだと思います。

 現在はだいぶ仕事の量も安定し、以前のようにしょっちゅう徹夜仕事をしなくてもやっていけるようになりました。定時(午後6時)で終われるような日も増えてきて、仕事以外の時間もより増えてきて、それと同時に趣味も増えていったような気がします。その分Voiceの量も増え、色々な物事をじっくりと書く余裕もできていったのでしょうねえ。初期の頃と今とでは、記事1件分の文字量が全然違いますからねえ。
 個人的な記事がほとんどなので、第三者がVoiceを読んでどうこうと言うことはないですが、自分自身の記録としては、非常に価値の高いものだと改めて思いましたね。この先、続けられる限り書き続けていきたいと思っています。

 そういえば、僕は1997年からネットを始めたのですが、最初のうちは友達や仕事でメールをやりとりする程度で、当たり前ですけどそれほどネットに依存していなかったんですよねえ。それが99年に「F1速報」で掲示板デビューし、その頃からどっぷりとネット生活に浸かってしまうようになりましたね。その頃ネット上で知り合った方々には、今でもお世話になっています。
 その後2000年の6月に自分のホームページ「M−NEST」を開設したのですが、掲示板を設置したのが2000年の11月ですから、それまでの1年5ヶ月もの間、掲示板もVoiceもないままHPを運営していたんですよね。つまり、サイトとしてはこちらがコンテンツを公開するだけの一方通行で、管理人である僕と訪問者とのディスカッションの場がなく、コンテンツの感想などは直接メールで送ってもらったり、別のサイトの掲示板に頼っていたわけですね。今ではとても考えられないような状況です。

 実際に顔を合わせてご飯を食べたり飲みに行ったり遊びに行ったりする、いわゆる「リアルな友達」ももちろん大切ですが、ネット上で知り合った、ネット上でしか知らない友達も今では多くいますが、とても貴重な存在ですよね。仕事で夜遅くなったり、徹夜仕事をしたりしていても、ちょっとした息抜きの時に掲示板を覗いてみれば、必ずどこかで誰かが書き込みをしていますし、どこかのサイトの日記などを読めば、その人の存在を知ることができます。

 もしインターネットがなかったとしたら、夜遅くまで仕事をしたりしてなかなか友達と会えない僕は、きっと孤独だっただろうなあと思います。



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 今年はアインシュタイン・イヤー
2005年04月14日(木)

 アイ〜ン!

 今年はあの「相対性理論」を打ち立てたアルバート・アインシュタイン没後50年、そして「光量子論」「ブラウン運動」「相対性理論」の三代論文の発表から100年の節目の年なのだそうです。知っていましたか?
 アインシュタインは1879年(明治12年)3月14日、ドイツ南部の町ウルムで、ユダヤ人夫妻の長男として生まれました。幼い頃のアインシュタインはあまり目立たない子供だったようで、独りで考え事をしていることが多かったそうです。5歳の時に、父親にコンパス(方位磁石)を買ってもらい、見えない何かが磁石をいつも一定の方向に向かせることを、非常に不思議に思ったというエピソードが残っています。未知なるものや、それを解き明かす科学への好奇心を、子供の頃から持っていたようですね。

 ところが、アインシュタインは決して優等生ではなかったようです。代数や幾何などの数学は得意でしたが、外国語と博物(現在で言うせいぶつに近いもの)は全くダメ、暗記が大の苦手でした。さらに、物事をじっくりと考えるタイプだったアインシュタインは、先生からの受けも悪く、級友からは「のろま」というあだ名を付けられてバカにされていたらしいです。
 当時のドイツは「鉄血宰相」と呼ばれたオットー・フォン・ビスマルクのもと、富国強兵政策が推進され、厳格で画一的な軍国教育が行われ、知識の丸暗記と団体行動の徹底が重視されていました。このような雰囲気はアインシュタインの自由な精神に合わず、彼は15歳で学校を退学してしまいました。天才科学者も、最初は落ちこぼれだったんですね。

 そんなアインシュタインも別の学校に編入して、18歳で名門大学であるスイスのチューリッヒ工学大学に合格しました。しかし大学でも彼はあまり授業に出ず、自分の好きな勉強の没頭していたため、全般的な成績は中の上だったそうです。
 大学を無事に卒業したアインシュタインでしたが、彼が望んでいた大学の教師になることはできず、しばらくは臨時教師や家庭教師などをしていたそうですが、最初の妻ミレーバと結婚したこともあり、当時の生活はとても厳しいものだったようですね。
 1902年に知人の紹介でスイスの特許局に就職し、ようやく安定した収入を得られるようになったアインシュタインでしたが、彼は特許局での「申請された特許書類の検討」という1日のノルマを午前中に済ませてしまい、午後はこっそりと物理や数学の本を読みふけっていたそうです。職場の人たちがアインシュタインのさぼりに気付いていたかは定かではありませんが、このお役所の寛大さが、相対性理論を生み出したと言えるかもしれませんね。なぜなら彼は、就職して3年目の1905年、若干26歳のしがない公務員であったにもかかわらず、彼が書いた3つの論文が科学界に大きな衝撃を与えたのですからねえ。

 アインシュタインは「光量子論」「ブラウン運動」「相対性理論」の3つの論文を1905年に立て続けに発表し、1905年は「奇跡の年」とまで言われるようになりました。そして彼はこの3つの論文で博士号を得ることができたのでした。



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 全Voice完全移植完了
2005年04月13日(水)

 皆さん!褒めて下さい!ついに全Voiceの「エンピツ」完全移植が完了しましたぞ!2001年10月29日から書き始めたVoiceが、すべて閲覧できます!しかもキーワード検索もできます!Voice開始当初はまだ題名がなかったのですが、移植するにあたってすべての記事に題名をつけました!これでだいたいどんな記事か題名で判断することができます。

 移植作業が終了したところで、「ALL LIST」ですべての題名をズラーッと並べてみたのですが、いや〜圧巻ですねえ!よくここまでまあたくさん書いてきたものです。もちろん時々抜けていたりはしますが、我ながらこんなにたくさん書いてきた自分がえらいなあと思います。やはり継続は力なり、ですな。

 それにしても、今までいろんなことがありましたよ。移植作業をしながら読み直したりしていたんですが、その当時にあった出来事や考えていたことなど、今読むと懐かしいものばかりでした。自分自身忘れていたことなども多く、逆に新鮮に思えるようなこともありましたね。やはりこういう文章って、貴重ですよね。




 桜が散ったのは……
2005年04月12日(火)

 わたしのせいではありません。

 今年の桜の開花は例年よりも遅く、毎年4月上旬に徳川家康ゆかりの駿府公園(駿府城跡地)で行われる「静岡桜祭り」でも開花が間に合わず7分咲きだったようです。で、暖かい陽気に恵まれた先週土曜日、ちょうどおばあちゃんの法事の日に満開になったのですが、その後日曜、月曜と雨が続き、あっという間に桜が散ってしまいました。ちなみに今日も静岡は雨模様です。明日も雨のようです。

 先日Voiceで、僕が洗車をしてから1〜2日のうちに雨が降る確率は80%だったというお話をしましたが、先週金曜日に、確かに僕は洗車をしました。しかし!桜が早々に散ってしまったのは僕のせいではありませんからッ!皆さん、決して抗議のメールを送って来ないでください!

 しかし……マジであっという間に散ってしまいましたなあ桜……。今年は全くお花見をする間もありませんでした。どなたか無事にお花見をされた方はいらっしゃいますか?



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 静岡市、政令指定都市に
2005年04月11日(月)

 そうそう、すっかり忘れていたのですが、昨年の4月に清水市と静岡市が合併して新「静岡市」になり、全国で最も大きな市(当時)が誕生したのですが、昨年10月27日に静岡市を政令指定都市と指定する政令が公布され、静岡市は今月1日より政令指定都市に移行しました。この移行にともない、静岡市は3区に分区することとなりますが、3区の区名が次のように決定しました。

●静岡市葵区
 旧静岡市区域のうち、旧長田村の区域を除く、おおむねJR線以北の区域。
●静岡市駿河区
 旧静岡市区域のうち、旧長田村の区域を含む、おおむねJR線以南の区域。
●静岡市清水区
 旧清水市の区域。

 なのでうちの住所も、4月1日から変わっていました。今までは「静岡市○○町」だったのが、うちは駿河区になるので、「静岡市駿河区○○町」となります。このせいでうちの書類や名刺など、住所が入った様々なものを作り直さなくてはいけなくなります。……はあ、めんどくさ……。


静岡市の区分け(黄色は別の市町村)



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 降水確率80%
2005年04月10日(日)

 今日の静岡の降水確率ではありません。僕はシェルの「おまかせ君倶楽部」という会員に入っているので、毎月3回までの手洗いフッ素洗車と年3回のオイル交換が無料なので、洗車は梅雨時でも月に3回洗車しなければ損になってしまいます。
 で、昨日は法事でおばあちゃんを僕のクルマに乗せることになっていたので、その前の日の一昨日洗車したのですが、昨日は気持ちいいくらいのいいお天気でしたが、今日は昨日の天気が嘘のように雨模様となってしまいました。

 そこで、「おまかせ君倶楽部」の洗車記録と洗車した日の天気を照らし合わせてみると、何と驚くべきことに!僕が洗車した1〜2日のうちに雨が降る確率は約80%であることが判明しました!何と言うことだ!僕が雨男だと言うことが、データ的に立証されてしまったではないか……。



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 おばちゃんに最後の孝行
2005年04月09日(土)

 今日はおばあちゃんの四十九日の法要だったのですが、お墓のあるお寺はクルマで2時間ほどの静波というところにあります。なので静岡のおばあちゃんちにS2000で朝9時に行って、おばあちゃんを乗せて静波に向かいました。

 実は、S2000でおばあちゃんちにも行ったことがあるし、年賀状にもS2000の写真を載せて毎年送っていたので、おばあちゃんは僕がS2000に乗っていることを知っているのですが、おばあちゃんは常々僕のS2000に乗りたがっていました。僕もいつかおばあちゃんをS2000に乗せてあげたいなあと思っていましたが、残念ながらS2000はバリアフリーとはほど遠い乗り物なので、どうしてもおばあちゃんをS2000に乗せることは難しかったんですね。

 しかし、今日はようやく、おばあちゃんを僕のS2000に乗せることができました。一緒に同行した僕の叔父さん(=おばあちゃんの息子=母の弟)の膝の上におばあちゃんを載せて静波までの約2時間ドライブしました。静波にはおじいちゃんのお墓があり、親戚も住んでいるので、おばあちゃんもよく知っている道です。だからきっとおばあちゃんも見慣れた道を僕のS2000の横に乗って、懐かしがっていたことでしょう。今日の四十九日の法要が終わって、ようやくおばあちゃんは仏様になるので、仏様になってしまう前におばあちゃんに最後の孝行ができてよかったです。

 法要が終わると、おばあちゃんのお骨はおじいちゃんのお墓に一緒に埋葬されるのですが、今までおじいちゃんのお骨は、骨壺に入ったままお墓の中に埋葬されていたんですね。ところが、今回はまずおじいちゃんのお骨を骨壺から出し、直接お墓の中の土の上に蒔いて、さらにそこへおばあちゃんのお骨を直に蒔いてしまいます。つまり、おじいちゃんとおばあちゃんのお骨は、お墓の中で混ざり合ってしまったと言うことですね。
 僕が小学校4年生の時に亡くなったおじいちゃんは、今まで骨壺の中で寂しい思いをしてきたと思いますが、今日はようやく狭い骨壺から出してもらって、おばあちゃんと夫婦一緒になることができました。とっても素敵なことですよね。おばあちゃんは向こうで、久しぶりにおじいちゃんと再会するんだろうなあ。



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