Mako Hakkinenn's Voice
by Mako Hakkinenn



 世界登山史上最大のミステリー
2005年08月17日(水)

 昨日は日本を代表する冒険家・植村直己の話題を書いたので、そのついでに世界登山史上最大のミステリーをご紹介しましょう。

 世界最高峰エベレスト山脈の山頂に世界で初めて立ったのは、公式には1953年に第十次英国隊に参加してネパール側の東南稜から挑んだ、エドモンド・ヒラリー(ニュージーランド)と、シェルパのテンジン・ノルゲイ(ネパール)であるとされています。
 ところが、ヒラリーとノルゲイがエベレスト登頂に成功する29年前の1924年、1人のイギリス人登山家がエベレストに挑みました。彼の名はジョージ・マロリー。彼は「なぜ登るのか」と問われ、「そこに山があるからだ」の名文句を残した人物です。

 世界最高峰エベレストへの人類の挑戦は、英国山岳会が1920年に第一次遠征隊を派遣した時に始まりますが、マロリーも第一次からの隊員でした。そしてマロリーは37歳の1924年6月8日の朝、第三次遠征で同僚アーヴィンと2人で最終キャンプを出発し頂上に向かいます。しかし、午後1時前、数百メートル下から目撃されたのを最後にマロニーとアーヴィンは消息を絶ち、帰らぬ人となってしまいました。

 その後、マロリーとアーヴィンは頂上に達していたのか、それとも途中で力尽きたのか、大きな議論を呼ぶことになりました。
 2人を最後に目撃したオデルは「おそらく頂上に立ったと思う。しかし、下降中になにかまずいことがあって帰ってこられなかったのだ。」と語っていますが、「時間から考えて登頂以前にスリップした可能性の方が強いのではないか」との意見もあり、その後世界登山史上最大のミステリーとして語り継がれるようになりました。

 公式に人類初のエベレスト登頂者とされているのは先に述べたように、マロニー遭難から29年後の1953年に登頂したヒラリーとノルゲイですが、マロリーらが登頂後に消息を絶った可能性があることは、長く語られてきました。つまり、もしマロリーらがエベレスト登頂成功後に消息を絶っていたとしたら、人類初のエベレスト登頂者は1924年のマロニーとアーヴィンということになり、登山史が書き換えられることになるわけです。

 さて、この長く語り継がれてきたミステリー、1999年に大きな進展を迎えることになりました。何とアメリカのマロリー&アーヴィン捜索隊により、標高8230m付近でマロリーの遺体が、実に75年振りに発見されたのです。頂上の下約620mの地点でした。

 捜索隊によると、氷点下の気温と乾燥した空気のため、遺体の保存状態は極めて良好で、うつぶせで両手を広げた格好だったそうです。鋲底の登山靴を片足に残していましたが、衣服はほとんど剥ぎ取られ、露出した肌は太陽光線にさらされ、ギリシャかローマの大理石彫像のように白かったのだとか。服に縫い込まれていた名前と、妻など家族からの手紙が胸のポケットに納まっていたことからマロリー本人と確認されました。マロリーの腰には白色化したロープが巻き付いたままでした。先に1933年の第四次英国隊がアーヴィンのピッケルを発見した標高8320m付近の尾根から、アーヴィンとともに滑落したとみられています。

 では、マロリーは果たして登頂に成功していたのでしょうか。マロリー&アーヴィン捜索隊は、2人が頂上まで登った可能性を確かめるために、マロリーたちの時代と同じ条件で登り、どのくらい時間がかかるものか検証を行いました。その結果、実際に検証を行ったクライマーの個人的意見ではありますが、時間的に考えて、マロリーたちが登頂できた可能性は極めて少ないという見解に至ったのでした。今はまだ結論は出ていませんが、少なくとも状況は、オデルの登頂説よりは、時間的に無理だとする失敗説に近いものでした。

 しかし、まだマロリーとアーヴィンの謎は解明されたわけではありません。遺体発見の際にマロリーの服のポケットからゴーグルが見つかっており、日差しよけのゴーグルを外していることから、遭難時には日没を迎えていたと推定され、最後に目撃された地点からなら、時間的にも登頂して引き返してきた可能性が十分にあり得るからです。そしてこの謎を解明する鍵が、もう一つ残されています。

 実はマロリーらは、コダック社製のカメラを持参していたのです。これが発見され、フィルムが未感光で残っていれば、登頂に成功していれば記念写真を撮っていたはずですから、謎はすべて解けることになります。捜索隊は今もなおアーヴィンの遺体とともに、カメラ発見に全力を挙げています。



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 植村直己に関する驚くべき記述
2005年08月16日(火)

 昨日のVoiceで、30件のニュースをピックアップする際、各ニュースの年代をネットで調べていたのですが、その中の植村直己に関する情報を調べていたところ、驚くべき記述を発見しました。

 植村直己と言えば、日本でもっとも有名な冒険家ですね。彼は1941年2月12日、兵庫県城崎郡日高町(現在の豊岡市)に生まれました。1965年のゴジュンバ・カン登頂を皮切りに登山に傾倒するようになり、1966年マッターホルン単独登頂、同年キリマンジャロ単独登頂、1968年アコンカグア単独登頂、1970年には日本人で初めてとなるエベレスト登頂、1971年グランド・ジョラス北壁完登、1976年には年エルブルスに登頂し、これで五大陸最高峰を制覇します。
 その後登山から単独冒険に傾倒し始め、1978年に世界初となる単独犬ぞりでの北極点到達、さらに単独犬ぞりでのグリーンランド縦断を達成し、1984年には43歳の誕生日だった2月12日に、アラスカ・マッキンリーの厳冬期単独登頂を世界で初めて成功させます。しかし、翌2月13日連絡がとれなくなり、植村直己はそのまま消息を絶ってしまいました。明治大学山岳部によって2度の捜索が行なわれましたが、彼が発見されることはありませんでした。

 さて、ここまでの略歴は皆さんもよく知っているものですよね。植村直己の遺体が発見されなかったために、これまで彼の生死は不明とされてきましたが、彼が消息を絶った年に明治大学山岳部による捜索隊が編成され、3月に5200mの雪洞で彼の大量の遺品が発見されました。それらはどれも雪山で生存するには不可欠なものばかりで、それがすべて残されていたことで、植村直己の生存は絶望的となってしまいました。しかし、公子夫人を始め多くの植村直己ファンは、きっと彼はどこかで今も生きているに違いないとずっと信じてきたことでしょう。そしてもし本当にそうだったらどんなに素敵なことだろうと思ってきたに違いありません。

 ところが、冒頭で述べましたが、この植村直己に関することで、思わず目を疑ってしまうような記述が、ある世界的に信頼性のあるサイトに書かれていたのです。ただし、この記述に関して他の関連サイトや公式サイトを調べてみてもまったく情報が載っておらず、結局この記述はたった1ヶ所でしか発見することができませんでした。なのでこの記述に関する信憑性は現時点では不透明で、現在問い合わせ中なのでご了承ください。
 さて、その驚くべき記述とは、あるサイトで植村直己の来歴を紹介する文章の中の、一番最後に書かれていた一文です。


「2004年2月8日、植村直己とされる遺体が発見された。」


 この記述に関する詳しい情報はまったく書かれていません。誰によって、どのような経緯で発見されたのかということもわかりません。しかしこれが事実なら、日本でもかなり大々的にニュースで取り上げられてもおかしくはないはずなのですが、僕の記憶ではそんな話は一度も聞いたこともなかったし、その当時の新聞を調べてみてもまったくそのことには触れられていませんでした。

 どなたかこの件に関してご存じの方はいらっしゃいませんか?



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 日航ジャンボ機墜落事故から20年
2005年08月15日(月)

 僕がこれまで生きてきた30年間の間で、特に印象的・衝撃的だったニュースを、30年にちなんで30件ピックアップするとしたら、個人的なニュースを除けば、以下の30件になるでしょう。

 ○大韓航空機撃墜(1981)
 ○ホテルニュージャパン火災(1982)
 ○アキノ大統領暗殺(1983)
 ○植村直己マッキンリー遭難(1984)
 ○日航ジャンボ機墜落(1985)
 ○沈没船タイタニック号発見(1985)
 ○チェルノブイリ原発事故(1986)
 ○スペースシャトル・チャレンジャー墜落(1986)
 ○昭和天皇崩御(1989)
 ○宮崎勤・連続幼女誘拐殺人事件(1989)
 ○ルーマニア革命・チャウシェスク政権崩壊(1989)
 ○東西ドイツ統一(1990)
 ○湾岸戦争勃発(1991)
 ○ソビエト連邦崩壊(1991)
 ○横綱・千代の富士引退(1992)
 ○オードリー・ヘップバーン死去(1993)
 ○中華航空機エアバス墜落炎上(1994)
 ○アイルトン・セナ事故死(1994)
 ○阪神淡路大震災(1995)
 ○オウム真理教・松本智津夫逮捕(1995)
 ○ダイアナ元皇太子妃事故死(1997)
 ○伊丹十三自殺(1997)
 ○淀川長治死去(1998)
 ○アメリカ同時多発テロ(2001)
 ○ミカ・ハッキネンF1引退(2001)
 ○ジャック・マイヨール自殺(2001)
 ○スペースシャトル・コロンビア墜落(2003)
 ○イラク戦争勃発(2003)
 ○いかりや長介死去(2004)
 ○クリストファー・リーヴ死去(2004)

 (年代順)

 その中でも、当時10歳だった僕が衝撃を受けた、特に印象的だったニュースは、やはり何と言っても1985年8月12日に起きた日航ジャンボ機墜落事故でした。今月12日で、もう20年になるんですね。20年というとキリのいい数字ではありますが、もちろん遺族の方々にとっては「節目」などないわけで、あの事故の事実や教訓は決して風化されるべきものではないと思っています。

 当時小学校や家族の間でも事故の話題で持ちきりだったのですが、クラスの誰かが学校に写真週刊誌「フライデー」(講談社)を持ってきていました。それには、事故現場で懸命に創作活動を続けている現地の消防隊員たちの姿を背景に、茂みの上に人間の腕だけが落ちているのをアップで撮影したモノクロ写真が掲載されていました。当時10歳だった僕はそれを見て、クラスメートたちとともに「うお〜!これ人間の腕じゃん!怖ええ〜ッ!」などと無邪気に言ってたりしましたが、今にして思えば、いくらスクープ写真だからと言って、売上部数を伸ばすためだけに、遺族の心情や犠牲者の思いを無視したショッキングな写真を見開きで掲載してしまっていいものだろうかと思ってしまいますね。まあ、欧米などでは人間が惨殺された写真や映像など、平気で掲載したり放送したりしているんですけどね。

 Barでも少し書きましたが、当時の日本航空は、墜落したボーイング123便のフライトレコーダーやボイスレコーダーの公開を頑なに拒否していたため、まだ事故原因がはっきりわかっていなかった頃は、亡くなった機長のご家族の元に嫌がらせ電話が殺到したそうです。しかし、事故原因が先に123便が起こしたしりもち事故の修理の際の欠陥であったことがわかり、さらに2001年になってようやくテレビでボイスレコーダーの内容が公開され、機長、操縦士、機関士のコックピットクルーが、コントロールの効かなくなった飛行機を最後まで諦めず懸命に立て直そうと試みていたことがわかり、遺族が報われることになりました。

 改めて考えてみると、この事故で亡くなった坂本九が残した歌は、「上を向いて歩こう」「見上げてごらん夜空の星を」と、どちらも辛い時や悲しい時に、前向きに生きていこうと歌った歌で、まるで残された家族に語りかけているような内容ですね。そしてその他の遺族の方々も、悲しみを乗り越え、新たな出会いを経て結婚・再婚したり、成長して就職したりと、皆前向きにそれぞれ新しい人生を歩んでいます。これからも幸せな人生を歩んで欲しいですね。



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 ポーラ・ラドクリフ、念願の世界タイトル
2005年08月14日(日)

 元F1チャンピオン、ミカ・ハッキネンの出身地であるフィンランド・ヘルシンキで開催している世界陸上は今日、最終日を迎えましたね。

 今月6日から始まった世界陸上は、9日に為末大が男子400メートル障害で今季自己最高タイムの48秒10で2大会ぶりの銅メダルを獲得し、アメリカのジャスティン・ガトリンが男子100メートル、200メートルの2冠を達成、13日にはロシアのエレーナ・イシンバエワが女子棒高跳びで自身の持つ世界記録を1cm更新する5m01の世界新記録を樹立して金メダルを獲得、同日の男子マラソンでは日本の尾方剛が銅メダル獲得と、何かと見所が多かった大会でした。

 あいにく僕は今週色々と忙しくて世界陸上をまったく観ることができず、ネットのニュースで結果を読んだり深夜のスポーツニュースで観て知ることしかできなかったのですが、僕としては為末の男子400メートル障害での銅メダル獲得とともに、今日行われた女子マラソンの結果が嬉しかったです。
 メダルが期待された日本女子マラソン代表は、原裕美子の6位が最高で、97年アテネ大会から続いていたメダル獲得を5大会ぶりに逃し、団体も2位にとどまり、連続優勝は「4」で止まってしまいました。しかし、女子マラソンと言えば僕の中では何と言っても印象深いのが、イギリスのポーラ・ラドクリフです。

 世界記録保持者のラドクリフは、世界中の期待を集めた昨年のアテネ五輪で序盤は先頭に立ちましたが、25キロ過ぎの野口みずきのスパートに対応できず、体調も崩して36キロ付近で座り込み、涙を流しながら棄権。さらにその後傷心のまま挑んだ5日後の1万メートルも6000メートルでトラックを離れてしまったあの光景は、まだ皆さんの記憶にも新しいことでしょう。
 今回の世界陸上では、「自分のために走る」とあえて周囲に背を向け、報道陣の取材にもほとんど応じずに集中し、6日の1万メートル(9位)で好調を確認し、マラソンの金メダルへと準備を、着実に重ねました。決勝ではスタート直後からレースを引っ張り、一度も振り向かず前だけを見て走りました。世界記録の時のようにペースメーカーはいません。誰にも頼らず、自分の力を信じてひたすら走り続けたそうです。最初の5キロは慎重な16分47秒。しかしそこから徐々にペースを上げてリズムに乗っていきました。まさに勝つためのレースでフィニッシュへと突き進んだということですね。

 これまでラドクリフは、世界ハーフマラソンや世界クロスカントリーの優勝は何度もありましたが、本格的な世界タイトルは今回が初めてです。速さだけでなく強さも証明した31歳は、この優勝を機に、さらなる高みへと駆けることでしょう。
 アテネでの雪辱を果たし、悲願の世界タイトルを手に入れたラドクリフ、その表情はアテネでは決して観られなかった、すがすがしい笑顔でしたね。



金メダルを手にするポーラ・ラドクリフ
(2005 ロイター/Alessandro Bianchi)



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 DTM熱下がる
2005年08月13日(土)

 ドイツツーリングカー選手権(DTM)は今シーズン、僕の好きな元F1ワールドチャンピオンのミカ・ハッキネンが参戦しているのですが、そのハッキネンがDTMデビュー戦である開幕戦で8位入賞、第2戦で3位表彰台、そして第3戦で早くも初優勝を達成して波に乗っていたので期待していたのですが、その後第4戦は13位、第5戦ではコースアウトを喫してマシンにダメージを負い、ピットでレースを終え、第6戦では6周目にジェイミー・グリーンと接触しリタイヤと、3戦連続でリタイヤを喫してしまっているので、かなりDTMが下がってしまっています。

 しかし第7戦は久々に4位完走を果たし、先週末行われた第8戦でも連続4位を記録し、再び調子は上向きになってきているようです。

 ちなみに第7戦ニュルブルクリンク終了時点でのポイントランキングでは、第7戦で今シーズン2度目の優勝を果たしたマティアス・エクストロ−ム(アウディ・A4)が51ポイントとなって首位に返り咲き、ゲリー・パフェット(AMG・メルセデス)が1ポイント差の2位、トム・クリステンセン(アウディ・A4)が36ポイントの3位、パフェットと同様AMG・メルセデスを駆るハッキネンは22ポイントで4位につけています。首位エクストロームとは29ポイント差、しかもDTMは全11戦なので残りのレースはあと3戦、ハッキネンのデビューシーズンのチャンピオン獲得は絶望的ですね。来年に期待しましょう。

 ちなみにその他の元F1ドライバーでは、ジャン・アレジ(AMG・メルセデス)が19ポイントで5位、トヨタF1の立て役者として頑張ったアラン・マクニッシュ(アウディ・A4)が13ポイントで9位、ミスターDTMことベルント・シュナイダー(AMG・メルセデス)が15ポイントの7位、ハインツ・ハラルド・フレンツェン(オペル・ベクトラ)が9ポイントで10位につけています。
 僕としてはシーズン開幕前、2000年、2001年と2年連続でチャンピオンを獲得したベルント・シュナイダーとジャン・アレジ、そしてミカ・ハッキネンのAMG・メルセデス三巴対決を期待していたのですが、シュナイダーは今シーズンは、どうもパッとしないですな。まだ優勝もないですし……。

 ちなみにベルント・シュナイダーは元F1ドライバーという印象は極めて薄いですが、1988年にザクスピードからF1デビューを果たしたドライバーです。しかし、当時のザクスピードはチームメイトの鈴木亜久里が16戦全戦予備予選落ちを喫するほどの戦闘力しかなく、89年には本人も14戦において予備予選突破に失敗し、2戦は決勝に進出するもいずれもリタイヤに終わりました。翌年はアロウズからのスポット参戦にとどまり、結局3年のF1キャリアで1ポイントも獲得することなく姿を消し、F1ではまったく活躍しませんでした。



ノルベルト・ハウグ(髭なし)と談話するハッキネン
(c)crash.net



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 解散総選挙は熾烈極まる
2005年08月12日(金)

 いや〜今回の衆議院解散総選挙は、面白い選挙になりそうですねえ。自民党執行部は東京10区で郵政反対派の自民党・小林興起氏の対抗馬として小池百合子環境相を擁立するなど、反対派つぶしに走っていますが、自民党の造反者である反対派議員の間では「刺客」などと言われているようですね。

 これは、要は自民党の議員であっても、今度の選挙では郵政民営化に反対した造反者には自民党として公認しないで、代わりに郵政民営化に賛成する人間を自民党の公認として、造反者のいる選挙区に擁立して対抗馬にするという戦略ですが、選挙区によっては自民党の都道府県連が反発しているようです。
 郵政民営化法案に反対票を投じた亀井静香元自民党政調会長は、自民党造反組の代表格といえますが、彼にに放たれる「刺客」は一体誰になるのでしょうねえ。亀井氏は今日、衆院解散後初めて地元・広島入りしたそうですが、広島県連はこの日、亀井氏を党本部に公認申請する方針を決定しました。県連は今日の午前中に役員会・選対合同会議を開き、亀井氏を公認申請する方針を全会一致で決めたようです。
 会議後、奥原信也幹事長(県議)は県庁で記者会見し、反対派つぶしに走る党執行部の動きについて、「県連に相談なしに、『この人が出ます』と言っても難しい」と批判していましたね。しかし、広島6区にも刺客が投入され、分裂選挙となった場合について問われると、「その時の情勢を見て対応を決めたい」と述べ、苦渋の表情を浮かべていました。

 今回の解散総選挙は、言うまでもなく郵政民営化の是非を問う選挙であって、頭の悪い政治評論家が言っているような「八つ当たり解散」では決してないわけで、自民党執行部が党内の反対派議員を排除し、代わりに郵政民営化に賛成する議員を擁立し公認するのは、至極当然のことです。
 なぜなら、国民が「郵政民営化に賛成」と判断して自民党に票を投じても、その自民党内に反対派がいれば、自民党が再び選挙に勝って政権を握っても、当然次の郵政民営化法案の決議で造反者が出るわけで、解散した意味がなくなるというわけです。
 要するに、小泉首相は自民党の議員を郵政民営化法案賛成派で再編成するために、いったん衆議院を解散してリセットしてしまったというわけですな。

 今後も郵政民営化に反対する人間を、サクサクと強制排除してください。



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 「宇宙戦争」を観る
2005年08月11日(木)

 今日の話ではないですが、先日スティーブン・スピルバーグ監督、トム・クルーズ主演の映画「宇宙戦争」を観てきました。

 スピルバーグとトム・クルーズが「マイノリティ・リポート」に続いてコンビを組み、有名なH・G・ウェルズの同名原作を53年に続き再映画化したSFスペクタクル超大作。異星人による地球への侵略と壮絶な破壊、さらには思いもよらぬ事態に混乱しながらも家族の愛と絆を確かにしていく主人公の姿を壮大なスケールで描きます。共演は「ハイド・アンド・シーク/暗闇のかくれんぼ」のダコタ・ファニング。
 アメリカ東部のニュージャージーに暮らすレイは労働者階級のごく平凡な男。別れた妻との間には息子のロビーと娘レイチェルがいた。そして子どもたちとの面会の日、その異変は何の前触れもなく唐突に訪れた。晴天だった空が突如不気味な黒い雲に覆われると、吹き荒れる強風の中、激しい稲光が地上に達し、地面に巨大な穴を空ける。すると大地が震え、地中で何者かが激しくうごめき始めたのだった。その光景を呆然と見つめていたレイ。町が次々と破壊され、人々がパニックに陥る中、レイは子どもたちのもとへ駆けつけ、彼らを守るため懸命に奔走するのだった……というお話。

 この映画は、これまで何度か宇宙人を題材にした作品を作ってきたスピルバーグとしては初の“侵略型”宇宙人をテーマにした作品ですが、ストーリー自体は宇宙人が地球を破壊しまくるという至って単純なお話です。しかし、他の宇宙人侵略モノの映画と違うところは、スピルバーグ独特の“恐怖感”の演出でしょう。彼のモンスターパニック映画の代表作である「ジョーズ」もそうでしたが、とにかくその恐怖の対象物を非常に象徴的に表現しているので、その圧倒されるような出現シーン、そしてその襲撃から人々が逃げる様は、まさに夢に出てきそうな悪夢、日本的な表現をするならば、地獄絵巻図のような光景です。
 しかも、今回も音楽は巨匠ジョン・ウィリアムズが担当しているのですが、彼の真骨頂である「スターウォーズ」「スーパーマン」「E.T.」「インディ・ジョーンズ」などのメロディが印象的なスタイルを一切封印し、ただただ恐怖感をあおる重厚なポストモダンに徹しているため、映画館全体が恐怖のどん底に突き落とされたような雰囲気に包まれます。

 他にスピルバーグらしいところというと、細かいメカニックのディテールが「A.I.」や「マイノリティ・リポート」に通じるものがあり、スピルバーグファンの僕としては思わず「スピルバーグやなぁ〜」と思わずにはいられませんでした。
 それから、すでに様々な宇宙人の映画が世に氾濫している今、スピルバーグがどのような宇宙人を描いてくるのか非常に興味深かったのですが、さすがはスピルバーグ!あえてH・G・ウェルズの原作小説の表紙イラストに描かれているような、古典的な宇宙人(というかメカ)を出してきました!巨大な鉄のロボットが地上に向けて無数のレーザー光線を発している、あの印象的なイラストそのまんまでした。原作のブキミさをほぼ完璧にトレースしていると言っていいと思います。圧倒的な力に呆然としながら、逃げ惑うしかない人々、ひたすら撃つしかない軍隊。このあたりの見せ方は、スピルバーグの職人芸的演出だと思います。幼い頃に読んだ「宇宙戦争」の世界そのものです。ウェルズが観たら、間違いなく大喜びでしょう。

 いや〜、この映画は絶対劇場で観るべきですね!タモリさんちみたいに、自宅に大きなテレビや5.1chのサラウンドシステムなどを完備しているなら別ですが、DVDを借りてきて普通のテレビでステレオで観てしまったら、この迫力は半分も伝わらないでしょう。



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 「フェイス・オフ」「キル・ビル」を観る
2005年08月10日(水)

 デッキ型DVDレコーダーを買ってから、片っ端からWOWOWの予約録画しているMakoですが、その後「マトリックス」「マトリックス・リローデッド」「マトリックス・レボリューションズ」「キル・ビル」「キル・ビル2」「マスター・アンド・コマンダー」「フェイス・オフ」、ついでに劇場を含めもう3回ほど観ている「ラスト・サムライ」もやっていたので録画しました。で、そのうちの「キル・ビル」と「フェイス・オフ」を観ました。

 まず「キル・ビル」は「パルプ・フィクション」のクエンティン・タランティーノ監督が同作のヒロイン、ユマ・サーマンを主演に迎えて贈るアクション・エンタテインメント。結婚式の日にかつてのボスに襲撃され、すべてを失った最強の女暗殺者の果てしない復讐の旅を、壮絶なバイオレンス描写とタランティーノ監督が愛して止まないB級アクション映画へのオマージュを込めて描いています。最終的に2部に分けて公開されることが決定し、本作はその第1作目。
 ストーリーを簡単に説明しましょう。ひとりの女が長い昏睡状態から奇跡的に目覚める。女の名は“ザ・ブライド”。かつて、世界中を震撼させた暗殺集団の中にあって最強と謳われたエージェント。5年前、彼女は自分の結婚式の真っ只中に、かつてのボス“ビル”の襲撃に遭い、愛する夫とお腹の子どもを殺された上、自らも撃たれて死の淵をさまよった。いま、目覚めた彼女の頭の中はビルに対する激しい怒りに満たされていた。ビルに復讐することだけが彼女の使命であり運命となった。復讐の鬼と化したザ・ブライドは、自分の幸せを奪った者すべてを血祭りに上げるため、たったひとりで闘いの旅へと向かうのだった……というもの。

 まあとにかくヤクザ映画、チャンバラ時代劇、香港カンフー映画、マカロニ・ウェスタン、スパイ映画、ギャング映画、等々をごった煮したような感じです。完全にタランティーノ監督の自己満足的作品といえるでしょう。ストーリー自体は復讐劇という至って単純なものですが、映画全体の雰囲気はわりとコメディタッチで描かれているものの、アクションシーンはハードボイルドを好むタランティーノらしく、極めて残虐で必要以上に血しぶきが飛び散ります。僕的にはちょっと激しすぎる映画でしたね。まあ楽しめたには楽しめたのですが、この映画はタランティーノファンのために作られた映画と言っても過言ではないでしょう。それほどタランティーノに興味がない人はおそらく、このノリにはついていけないのではないでしょうか。

 主演は先程も述べましたがユマ・サーマン、僕は彼女の作品は他に「ガタカ」しか知りませんが、まあこんなに活発なユマ・サーマンは初めて観ましたね。他には「チャーリーズ・エンジェル」にも出演していたルーシー・リューが日本のヤクザのボス役で登場しますが、おっかないです。エンジェルさはひとかけらもありません。それから、主人公の敵役としてベテラン俳優のデヴィッド・キャラダインが出演しているのですが、まだ1作目では謎の存在なのか、顔は一切登場しませんでした。

 この映画の多くの舞台は日本なのですが、千葉真一、栗山千明、麿赤兒、國村隼、北村一輝と、日本の俳優も多く出演しています。しかし、千葉真一はかなり重要な役所で出演しているものの、他の日本人俳優は、それはもうすごい扱われ方をしています。特に日本では今や映画やドラマに引っ張りだこのベテラン國村隼などは、ちょっとセリフを喋っただけでその後とんでもないことをされてしまいますし、北村一輝などは出演していたことすら気がつきませんでしたよ。

 「キル・ビル2」は一転してラブストーリーでアクションも激しくなく、しっとりとした雰囲気らしいのですが、果たして「2」も観るべきなのでしょうか……。

 続いては1998年に公開されたジョン・トラヴォルタとニコラス・ケイジが共演した「フェイス・オフ」。憎むべき互いの顔を取り替えた二人の男の果てしなき死闘を描いた、ジョン・ウー渾身のバイオレンス・アクション巨編です。
 かつて冷酷無比のテロリスト、キャスター・トロイ(ケイジ)によって狙撃され、その際に最愛の息子を失っているFBI捜査官ショーン・アーチャー(トラヴォルタ)。彼は飛行場での壮絶な追撃戦の末、ついにトロイを捕らえたが、トロイがLAのどこかに細菌爆弾を仕掛けている事が判明。当のトロイは植物人間となっており、唯一の情報源は獄中にいるトロイの弟ポラックスだけだった。FBI特殊班はアーチャーにトロイの顔を移植し外科的手術で本人そっくりに変えてから刑務所に潜入させポラックスから爆弾の設置場所を聞き出そうと提案。それは完全な極秘結計画として行われ、トロイの外観を得たアーチャーは、凶悪な犯罪者だけを収監した特殊刑務所に送られた。
 だが一方で昏睡状態だったはずのトロイが覚醒、彼は特殊班の医師を脅迫し保存されていたアーチャーの顔を自分の顔に移植させる。そしてポラックスから爆弾の場所を聞き出すことに成功したアーチャーの前にアーチャーの顔をつけたトロイが現れた。計画に関与した人間は全員殺され、刑務所にいるのがアーチャーである事を証明する手段は何一つ残されていなかった。トロイはFBI捜査官アーチャーとして爆弾を解除した事で脚光を浴び、権力と金を手に入れようとしている。アーチャーはトロイの陰謀を阻止するために要塞のような監獄から脱走、トロイの仲間の元へ身を寄せるのだが、そこにトロイの指揮する特殊部隊が急襲をかけた……という内容。

 この映画は今回初めて観たのですが、いやいや、面白かったです!冒頭ではトラヴォルタが正義感あふれるFBI捜査官、そしてニコラス・ケイジが狂ったような高笑いをする冷酷非道な凶悪犯なのですが、顔を入れ替えたことで見た目が逆転し、今度はトラヴォルタが極悪人、ケイジが正義感あふれる役を演じることになります。
 この映画、映画の大半がトラヴォルタ悪、ケイジ善の性格で展開されるのですが、役者の演技として観ていると、その逆転振りがとても面白いですね。元々僕のイメージでは、トラヴォルタは悪役が似合ってるし、ケイジはいいヤツ役が似合っていると思っていたので、正直冒頭でのトラヴォルタ善、ケイジ悪というシチュエーションには違和感がありました。しかし途中からそのシチュエーションが入れ替わるので、その後はまったく違和感なく観ることができました。

 久々に面白いアクション映画を観たといった感じです。でもこの映画って、いったいどっちの演技が素晴らしかったと言えるのでしょうねえ。何だか映画を観たあとも混乱してしまいます。それにしても、ニコラス・ケイジ主演の映画は、面白い作品が多いですな。「60セカンズ」といい「ザ・ロック」といい、やっぱ好きですわ。トラヴォルタの「ソードフィッシュ」も好きですけどね。



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 スペースシャトル・ディスカバリー帰還
2005年08月09日(火)

 野口聡一さん搭乗のスペースシャトル「ディスカバリー」が今日午前5時11分(日本時間午後9時11分)、米カリフォルニア州のエドワーズ空軍基地に着陸しました。ディスカバリーは約1時間前にエンジンを噴射して軌道を離脱し、高度約120キロで大気圏に突入。2003年に大気圏で空中分解したコロンビアが通信を絶った約60キロの高度も無事通過して、夜明け前の滑走路に着陸し、帰還が完了しました。

 2003年2月1日、着陸16分前に空中分解したコロンビアの事故はまだ皆さんの記憶にも新しいと思いますが、その事故原因は、打ち上げ時に外部燃料タンクから落下した断熱材が翼に穴を開けたことでした。そして今回のディスカバリーも、度重なった打ち上げの延期、再び起きたタンクからの断熱材落下、さらに大気圏再突入も天候不順で遅れるなどのトラブルが相次ぎ、無事帰還できるかどうか心配されていました。

 当初米航空宇宙局(NASA)は、米東部時間8日未明(日本時間8日夕方)に予定していたディスカバリーの帰還を9日に延期しました。着陸するケネディ宇宙センター周辺の悪天候が原因で、NASAは、8日午前4時46分(同午後5時46分)と、シャトルが地球を1周した約90分後の2度の着陸機会を見送りました。センター付近は雲が低くたれ込め、滑走路の視界が相当悪かったそうです。高度2400メートル以下で空の半分以上が雲に覆われず、視界が8キロ・メートル以上確保されていることが着陸に必要な条件だそうですが、気象状況が安定せず、この日の帰還を断念せざるを得ませんでした。

 しかし、宇宙滞在の期限は燃料電池の寿命などから10日までとされ、9日はケネディ宇宙センターのほかカリフォルニア州のエドワーズ空軍基地、ニューメキシコ州のホワイトサンズ宇宙基地を代替着陸地とし、計6回の着陸機会を設定して帰還に万全を期しました。この日、ディスカバリー船内で目覚まし用に流れた音楽はビートルズの「グッド・デイ・サンシャイン」だったそうです。搭乗員たちはビートルズに好天と安全な着陸への願いを託したんですね。

 ところが、9日午前5時7分(日本時間9日午後6時7分)に予定された帰還は、ケネディ宇宙センター付近の上空に雨を伴う雷雲が発達していたため、再び延期されてしまいました。その後、付近の上空に雷雲が一向に晴れず、専用滑走路への着陸に適さないと判断され、ついにケネディ宇宙センターへの着陸を断念することとなりました。代わりにカリフォルニア州のエドワーズ空軍基地への着陸を試み、日本時間9日午後9時12分、ディスカバリーはようやく空軍基地に滑走路に無事着陸することができました。実に燃料電池が切れる1日前、ヒヤヒヤものです。

 コロンビア空中分解事故以来2年半ぶりの再開飛行はひとまず成功しました。しかし、1986年の「チャレンジャー」、そして2003年の「コロンビア」、もう2度とあのような事故は起こって欲しくありません。今回ディスカバリーが無事に帰還できたことはとても嬉しいですが、反面、まだまだ安全面に関する課題は山積みであると言っていいでしょう。今後の宇宙開発に期待したいですね。

 そして願わくば、日本の宇宙開発も、もっと飛躍して欲しいですな。



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 郵政民営化法案否決!衆議院解散へ
2005年08月08日(月)

 今日は非常に大きなニュースがありましたね。

 小泉首相が「改革の本丸」と位置づけている郵政民営化法案ですが、衆議院が今日の午後、本会議で法案を採決し、反対多数で否決されました。予想通り野党のほか自民党の一部が反対に回ったようです。参院採決では、投票総数233票、賛成108票、反対125票となりました。小泉首相は郵政民営化法案が参院本会議で否決されたのを受け、衆院解散断行を決断しました。政府は今日午後の臨時閣議で解散を決定、衆院はその後の本会議で解散されます。衆議院解散総選挙は30日に公示、9月11日に投票となります。

 僕個人的には、郵政民営化法案には賛成でした。従って今回参議院で法案が否決されたのは非常に残念でなりません。現在国が運営している郵便局には、国民が預けている莫大な郵便貯金があるわけですが、このいわば国民のお金が日本道路公団の負債に当てられたり、さらには各地の観光名所に点在する郵便局員専用の保養所の負債に当てられたりしています。しかも郵貯が道路公団に流れていることで、その資金で談合が行われているのは周知の事実です。また、郵便局員専用の保養所はどこも広大な敷地と豪華な施設を有しており、そのすべての施設は多額の赤字を出しており、さらにその存在が温泉地や旅館などの地場産業に影響を及ぼしているのです。

 そして、東京駅に降りたことのある方なら見たことがあるかもしれませんが、東京駅丸の内南口を出たところには、1931年に建てられた5階建ての東京中央郵便局が広大な敷地を占領しています。
 東京中央郵便局は逓信省の吉田鉄郎による設計で、完成した当時はブルーノ・タウト、アントニン・レーモンドという2人の著名な来日建築家に大絶賛をうけた傑作といわれ、歴史的建造物ではありますが、建っている場所は今や東京の一等地ですよ皆さん!そんな場所で、廻りには高層ビルがひしめいている中で5階建てって、どうかと思いませんか?しかもこの敷地内にある広い駐車場から、毎日何台もの集配車や大型トラックが出入りしていて、ただでさえ交通量の激しい東京駅前で渋滞を引き起こしているのです。
 そもそも中央郵便局が東京駅の目の前に建てられたのは、鉄道で郵便を地方に運んでいたからなのです。しかし、現在では地方へ送られる郵便物は陸路や空路を使って運ばれますので、中央郵便局が東京駅前にある必要は全くないわけです。


東京駅丸の内南口にある東京中央郵便局


 このように、現在のように国が郵便局を運営しているということは非常に無駄が多く、さらに莫大な郵便貯金が保養所や日本道路公団の負債に当てられ、しかもその一部が談合の資金にもなっているわけです。郵便局の運営が民間に委ねられれば、国民が預けている大事な預金は道路公団に流れることもなくなり、それによって談合の資金源を絶つことができることになります。また中央郵便局も、もっと値段が安く交通の便がよい土地に移転すれば、その跡地となる東京駅前の一等地も売却でき、有効に活用することができるようになるわけです。

 今回参議院で郵政民営化法案が否決されたことで、小泉首相が衆議院の解散総選挙に踏み切ったことは大いに賛成ですね。しかし、いくら国民にその是非を問うとはいえ、仮に選挙で郵政民営化法案が国民に支持され、再び自民党が政権を握ったとしても、自民党内の郵政民営化法案の反対派を何とかしなければ、状況はまったく変わらないことになります。自民党執行部は今回の選挙で、法案に反対した議員は自民党として公認せず、賛成した議員は公認すると言っています。選挙まで時間はわずかしかありませんが、郵政民営化法案に関しては、自民党としての考えを統一して欲しいものですな。

 国会でいつも揚げ足を取っては何に対しても批判しかしない、ただ政権が欲しいだけの民主党は問題外として、誰か亀井さんを説得してくれ〜!



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