Mako Hakkinenn's Voice
by Mako Hakkinenn



 Makoの洋食屋
2005年11月06日(日)

 今日は洋食屋のような夕飯を作ってみました。献立は、ほうれん草とベーコンのガーリックパスタ、ガーリックチキン、茹で野菜、そしてコンソメスープです。2人前で用意するものは次の通り。

 ・パスタ(7分)…………2人分
 ・ほうれん草………………3房
 ・ベーコン…………………100g
 ・鶏肉………………………200g
 ・ニンジン…………………半分
 ・ジャガイモ………………半分
 ・タマネギ…………………1個
 ・ニンニク…………………2片
 ・ローズマリーの葉………大さじ2杯分
 ・とろけるチーズ…………2枚
 ・コンソメの素(固形)…2個
 ・塩…………………………適量
 ・コショウ…………………適量
 ・オリーブオイル…………適量
 ・バジルの葉………………適量
 ・冷凍茹で野菜……………2人分(冷凍食品かよ!)

 今回のテーマは、如何にすべての料理を温かい状態で食卓に配膳し、なおかつ能率よく作業をこなしていくかという点です。そのため今回は、作業をおこなった順序も忠実に再現しながらお送りしましょう。ちなみにうちのコンロは2つ火にかけられます。(普通はそうですよね)

 まずは水洗いしたほうれん草を切らずに器に入れ、ラップをしてレンジの「葉野菜の下ごしらえ」にかけます。その後お椀2杯分のお湯を沸騰させ、そこに切ったタマネギとコンソメの素を2つ入れ、さらに十分味見をして味の濃さに気をつけながら塩・コショウで味を調整してコンソメスープを作ります。コンソメスープはタマネギが柔らかくなったらとりあえずコンロから外し、蓋をして鍋ごとどこかに置いておきます。

 次にベーコンを細かく切り、さらにレンジにかけてあったほうれん草も付け根の部分だけ切り捨て、あとは3センチぐらいずつに切っておきます。その後ニンニクを2片みじん切りにし、そのうちの半分をフライパンでオリーブオイルで炒めます。すぐさまベーコンとほうれん草もフライパンに加えて炒めます。このとき塩コショウを振りかけて味付けするのですが、こちらもほうれん草をつまんで慎重に味見をしながら味付けをし、「ちょっと味が薄いかな?」ぐらいのところで止めておきます。ベーコンとほうれん草に火が通ったら別のお皿に移しておきます。

 その後皮を剥いたニンジン半分と、皮を剥かないジャガイモ半分を一口サイズに切り、これらを器に入れ、ラップをしてレンジの「根野菜の下ごしらえ」にかけます。

 ここでパスタを茹で始めます。予め沸騰させておいたお湯にパスタを入れ、塩を多めに加え、キッチンタイマーで7分を計り始めます。
 その間に今度はガーリックチキンを作ります。まずは鶏肉を一口サイズより一回り大きめに切ります。次にフライパンにオリーブオイルをやや多めに入れ、さらに先程残しておいたニンニクの残り半分とローズマリーの葉を入れ、そこへ鶏肉、そしてレンジにかけてあったニンジン、ジャガイモを入れて炒めます。このときも塩・コショウで味付けをするのですが、やはり「ちょっと味が薄いかな?」ぐらいのところで止めておきます。鶏肉、ニンジン、ジャガイモに十分火が通ったらお皿に移します。このとき鶏肉、ガーリック、ローズマリーはもちろん、オリーブオイルもすべてお皿に入れます。このガーリックチキンはこれで完成ですが、かなり熱い状態なので先に配膳しておきます。

 今度はパスタの世話をします。7分で茹であがるパスタを使用していますが、タイマーが7分に近づいたら箸でパスタを1本つまんで堅さを確かめ、好みの硬さになるまで茹でます。パスタが茹であがったらすぐさま火を止めお湯をこぼし、オリーブオイルで和えておきます。

 続いてフライパンにパスタを移し、さらに先程調理しておいたベーコンとほうれん草を加えて軽く火を通しながら和えていきます。パスタ、ベーコン、ほうれん草がほどよく混ざったら、パスタ皿に盛りつけてパスタは完成!

 さて、最後はコンソメスープです。時間的にコンソメスープはそれほど冷めていないとは思いますが、念のためもう一度最後に火をかけ熱くします。その後、お椀にとろけるスライスチーズを1枚ずつ入れ、そこへアツアツのコンソメスープをかけるように入れ、最後にバジルの葉を振りかけて完成!

 冷凍食品の茹で野菜は、時間の空いたときにレンジにかけて用意し完成!(おい)

 ……茹で野菜に関しては冷凍食品で手を抜きましたが、まあそこは妥協と言うことで、とりあえずメイン料理が脂っこいものばかりなので、もう一品野菜系を加えるという意味合いで「凝るところは凝る、手を抜くところは手を抜く」ということでいいんじゃないかと自分に言い聞かせてます。

 で、ベーコンとほうれん草、それにガーリックチキンの味付けを「ちょっと味が薄いかな?」ぐらいで止めておいたのは、僕のこれまでの経験上、味見の時点では薄く感じても、食べてみると結構しっかり味が付いていることが多いからです。それに、実際に食べる時にも味が薄いようなら、塩を少し加えることで調節できますからね。しかし、食べる時に味を足すことはできても、味を引くことはできませんからねえ。味が濃すぎて塩辛くなってしまうよりは、薄味にしておいた方が失敗しないということですな。

 で、味の方は……自分で言うのも何ですが、なかなか美味しかったですぞ!



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 電子レンジでジャガバター
2005年11月05日(土)

 僕は神社などでやっているお祭りや夏の花火大会に行くのが大好きで、行くと必ずと言っていいほどフランクフルトとジャガバターを買って食べます。やはり夜店と言えばフランクフルト、ジャガバターは定番ですよね。

 で、なぜすっかり寒くなった11月という季節はずれな時期にこんなことを書くのかというと、実は今日は夕飯を食べないまま仕事をしていて、夜10時過ぎに帰宅したんです。しかし、今から何か料理を作るにも食材はお米とジャガイモぐらいしかなく、今から買いに行くのも面倒だということで、電子レンジを使ってジャガバターを作ろうと思い立ったのです。

 僕の自宅に電子レンジが入ったのは4年ほど前で、実家に電子レンジが導入されたのはわずか1年前なので、まだ電子レンジ歴は浅く、ほとんど「温め」や「解凍」でしか使ったことがないのですが、最近色々と電子レンジのかしこい使い方(というか通常機能なのですが)を覚えたので、今日は「根野菜の下ごしらえ」というモードを使います。

 用意するものはジャガイモ、キッチンペーパー、ラップ、そしてジャガイモを入れる器です。まずジャガイモを洗って表面の土をよく落とし、皮を剥かずに丸のまま水で濡らしたキッチンペーパーで巻きます。そのままそれを器に入れ、ラップをします。このときつまようじなどでラップに数ヶ所穴を開けておきます。その後レンジに入れ、だいたいどのレンジにもある「根野菜の下ごしらえ」というモードにし、あとは待つだけ。
 レンジが止まったら、器がとても熱い状態になっているので鍋つかみなどを使って器をレンジから取り出します。ここでまずはラップを剥がし、ジャガイモを覆っているキッチンペーパーを少しだけめくり、つまようじを刺して柔らかさを確かめます。まだ硬いようならもう一度ラップをしてさらに1分程度レンジにかけます。

 ジャガイモが十分柔らかくなっていたら、ラップとキッチンペーパーを外し、ジャガイモのど真ん中にお箸などでブッスリと差し、ジャガイモを割ります。そこに塩を適当に振りかけ、バターをたっぷり乗せれば出来上がり!

 「根野菜の下ごしらえ」って便利な機能ですよねえ〜!例えばカレーやシチュー、おでんなどの煮物を作る時などでも、ジャガイモ、ニンジン、大根などの根野菜はこのモードで下ごしらえして、その間に別のものを調理しておけば、煮込む時にすでに茹であがった状態になっているので時間の短縮になりますよね。

 同様にほうれん草などの葉野菜も「葉野菜の下ごしらえ」を使えば簡単にお浸しができてしまいますね。僕の大好きなブロッコリーは、先に硬い茎の部分をかけておき、途中から上の部分を入れることで柔らかさのバランスが保てるのだとか。

 ……今頃電子レンジの便利さに感動しています。



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 スティーヴ・マックィーン、死の真相
2005年11月04日(金)

 「荒野の七人」「大脱走」「栄光のル・マン」「タワーリング・インフェルノ」などで知られる名優スティーヴ・マックィーン、彼が1980年に50歳という若さでこの世を去ってから、早くも15年が経ちました。
 皆さんは、今日放送された「報道ステーション」のスティーヴ・マックィーン特集、ご覧になりましたか?僕は今日の特集を観て驚いてしまいました。日本では、スティーヴ・マックィーンの死因は肺ガンであるとされてきましたが、実は彼の命を奪ったのは、アスベスト吸引による中皮腫だったのです!

 スティーヴ・マックィーンは1930年、アメリカ・モータースポーツの聖地として知られるインディアナ州インディアナポリスに生まれました。飛行機の曲乗り師だった父は彼が生後6カ月で蒸発してしまい、マックィーンは母方の伯父のもと、ミズーリの牧場で育ちます。
 9歳、12歳の時にと母が二度再婚し、ロサンゼルスに移りますが、不良グループと付き合うようになり、14歳でカリフォルニアの少年院に収容され1年半を送ります。
 出所後は職を転々とし、兵役後もそんな状態がしばらく続きましたが、女友達の勧めで51年からネイバーフット・プレイハウスにて演技を学びます。更にHGスタジオやアクターズ・スタジオでも演劇を学び、舞台を経ての56年、「傷だらけの栄光」で映画デビューを飾ります。
 以後、CBSテレビの「拳銃無宿」で人気スターとなり、以後はアクション・スターとして数々の作品に出演。カー・レーサーとしても有名で、ブルース・リーやチャック・ノリスの門下生でもありました。日本には裁判に出廷するためだけに来日したこともあります。

 スティーヴ・マックィーンは黒澤明監督の「七人の侍」のリメイク、「荒野の七人」(1960)で一躍世界的スタートなり、日本でも有名になりました。その後1963年の「大脱走」、モータースポーツファンにとっては知る人も多い1971年の「栄光のル・マン」、さらにはパニック映画の金字塔と言われる1974年の「タワーリング・インフェルノ」など多くの名作に出演し、そのストイックで体当たりのアクションが人気を博しました。

 世界三大レースのひとつであるル・マン24時間耐久レースを舞台とした「栄光のル・マン」は、国際A級ライセンスを持ち、カー・レーサーでもあったマックィーンが、実際のレースにカメラを持ち込んで製作したセミ・ドキュメンタリー・タッチで完成させた大作であると言うことは有名な話ですね。
 この映画はマックィーン自らのプロデュースで、彼の率いるソーラー・プロが製作。70mmの大画面を使いきった見事な画面レイアウト、息を飲むような絶妙なタイミングのカット割りによって、耐久レースに挑むレーサー、メカニック、それを冷静に見つめる女たちが鮮烈に描かれていきます。どしゃ降りの雨の中にかすむポルシェのシルエット、爆発寸前のマシンから脱出する時の焦燥感等、過酷なレースの息づかいが実に鮮やかに描かれています。また、レース・シーンのみならず、影のある孤高の主人公を渋く演じたマックィーン始め、レーサーに扮した俳優たちの存在感が圧倒的に光っています。ラスト・シーンは映画史上に残る名場面と言われています。

 そのスティーヴ・マックィーンが、主演映画「ハンター」が製作された年に肺ガンによってこの世を去ったというニュースは、世界中に衝撃を与えました。まだ多くの国で中皮腫という病気が認知されておらず、これまでマックィーンを命を奪ったのは肺ガンであると信じられてきました。
 ところが、実際はアスベスト吸引による中皮腫が原因で、マックィーンはまだこれからというわずか50歳という若さでこの世を去ってしまったのです。

 「報道ステーション」では、スティーブ・マックィーンの最後の妻で彼の最期を看取ったニール・アダムスが出演していて、マックィーンの発病から闘病生活、そして死に至るまでの過程を語っていました。それによると、マックィーンは身体の不調を訴えて医師の診断を受けた時点で、すでに医師から「アスベスト吸引による中皮腫」であると告知されていたのだと言います。
 その後も彼は映画を撮り続けながら、病気と闘い、そして病気に打ち勝つために懸命の努力をしました。ところが、病気が徐々に進行するにつれ、アメリカ国内では危険を冒してまで手術をしてくれる病院がなくなり、マックィーンは映画「ハンター」を撮り終えた後、メキシコのファレスという小さな町の私立病院でようやく手術をしてくれる医者を見つけたのでした。
 しかし、その手術の甲斐もなく、手術の数時間後に彼の容態は急変し、1980年11月7日、スティーブ・マックィーンは帰らぬ人となってしまいました。

 では、スティーブ・マックィーンはどこでアスベストを吸飲してしまったのでしょうか。マックィーンは自分の病気を恨むことはなく、なぜ自分がこうなってしまったのか、どこでアスベストを吸ってしまったのか、その原因を探りました。
 マックィーン自身、2つの思い当たるものがありました。ひとつは17歳の時、兵役で軍艦に搭乗した際に、船の内側に断熱材として覆われていたアスベストを、清掃作業などで吸引していたというもの。船舶関係者にアスベスト被害者が多いのは、日本もアメリカも同じのようです。
 そしてもう一つは、スティーブ・マックィーンが大好きだったカーレースが関係しています。レース用のマスクやユニフォームには、耐火用としてアスベストが相当使われていたというのです。もしかしたらマックィーンは、あの「栄光のル・マン」のさなかにも、アスベストを吸引してしまっていたのかもしれませんね。

 スティーブ・マックィーンは、最後まで病気に打ち勝とうとしていました。遺作となってしまった「ハンター」ではすでに病気はかなり進行していましたが、それでもスタントマンを使わず、疾走するシカゴの地下鉄高架線のパンタグラフにぶら下がったり、トラクターとトランザムのチェイスを披露したりと壮絶なアクションシーンを体当たりで演じ、その反面、役柄である“賞金稼ぎ”という仕事では厳しいが、一旦家に帰ると人間臭い、いわゆるスーパーマン的ではないヒーロー像を人間味溢れる魅力で好演しています。

 「報道ステーション」では、死の5日前に録音された病床のスティーブ・マックィーンの肉声が公開されました。その中で彼は友人に「私は決して諦めない。必ずこの病気に打ち勝ってみせる」と力強く語っていました。スティーブ・マックィーンはクリント・イーストウッドと同い年。生きていれば、きっと俳優として、監督として、僕たちにより多くの名作を魅せてくれたことでしょう。



スティーヴ・マックィーン



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 「それマコ」掲示板連載再開は「F1小学校」
2005年11月03日(木)

 先月17日付のVoiceでも書きましたが、2000年から2001年にかけてMaxiさんのサイト(現在休止中)の掲示板で連載させていただいていた長編F1パロディ「それゆけ!マコ・ハッキネン」ですが、先月11日に当サイトで公開した集約版第8集でその連載分をすべてまとめることができましたので、来月をめどに掲示板での連載を再開する予定です。

 さて、その連載場所ですが、BarM−NESTで連載するのではなく、別のサイトの掲示板で連載します。そのサイトは、ヒデボーさんが運営する「F1小学校」です。もちろん以前ヒデボーさんともお話し、すでに許可をいただいています。
 「F1小学校」と当サイトは他の相互リンクさせていただいているサイト同様長いお付き合いがありますが、「それマコ」を「F1小学校」で連載させていただくことで、よりお互いが発展し、サイト間交流の架け橋になればと考えております。

 というわけで皆さん、連載が再開したら、是非「F1小学校」に足を運び、感想などを書き込んでいただけると嬉しいです。「F1小学校」は、僕にとってはヒデボーさんとともに数々のF1パロディを生み出したかけがえのない場所なので、是非皆さんのお力で、「F1小学校」を盛り上げていただきたいと思います。



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 月間エンピツランキングまたも上昇!
2005年11月02日(水)

 先月初めのVoiceで紹介しました通り、9月の月間エンピツランキングで106票獲得して269位となり最高位記録を更新しましたが、先月の月間エンピツランキングでは、さらに票を112票まで伸ばし、順位も242位(3165件中)まで上昇しました。もちろん得票数、月間順位ともに記録更新です!これもひとえに皆様の清き一票のおかげです。ありがとうございました。ちなみに先月もっとも多くの票を獲得した記事は「F1、2006年の新ルール」でした。

 ちなみにランキング2位から10位までの日記は、順位の入れ替わりはあるもののだいたい同じ面子で、その得票数は4000票から18000票の間で推移しています。しかし、ランキング首位の日記は毎回変わらず39417票と、2位に21000票以上もの大差を付けています。どうやら日記のあるホームページを拝見するに、私設のKinki・Kidsファンサイトのようですな。

 うーむ、やはりアイドルパワーは凄まじい……。



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 やってくれたぜ!スーパーアグリ!
2005年11月01日(火)

 F1界でかねてから噂されていた、来シーズンからF1に新規参戦するという、ホンダエンジンを搭載し、佐藤琢磨にオファーを出している、いわゆる「11番目のチーム」に関する発表が、遂に今日なされました!

 今日の午後3時から、元F1ドライバーの鈴木亜久里が東京・青山一丁目のホンダ本社で記者会見を実施し、来シーズンからコンストラクターとしてF1に挑戦することを正式発表しました。新チームは「SUPER AGURI FORMULA 1」と命名され、鈴木亜久里が代表に就き、総勢100名のスタッフで構成される模様です。チームのエントリー国は日本(東京)におかれ、ファクトリーはイギリス・リーフィールドにある旧・アロウズの施設を活用することになるようです。ただし、噂されていた施設のオーナー、ジョン・メナード氏が関わることはなく、完全に施設を売却したとのことでした。

 またマシン名称は「AGURI」に決まっており、パワフルなホンダV8を搭載します。現在はマシン開発を急いでおり、正式なチーム発表は来年1月末〜2月になる予定です。なお、タイヤは現段階では「未定」としており、これからブリヂストンと供給交渉を開始することになるようです。さらにドライバーに関しても現段階ではすべて未定。ただし、鈴木亜久里代表はドライバー選定について「もちろん佐藤琢磨君とも交渉をしているし、ほかのドライバーとも話し合いをしている」とコメントし、琢磨起用に積極的であることを明らかにしています。

■チーム名称:SUPER AGURI Formula 1
■エンジン:ホンダ(V8)
■エントリー国:日本・東京
■ファクトリー:イギリス・リーフィールド(旧アロウズ施設)
■ドライバー:未定(佐藤琢磨と交渉中)

 さてさて、やってくれましたね亜久里さん!今シーズンの第17戦中国グランプリ直前にその存在が明らかになってから、詳細はこれまでまったく謎のベールに包まれており、またマシン開発が来シーズンの開幕までに間に合わないのではないかとも言われていた「11番目のチーム」、やはりかねてからの噂通り、亜久里さんが来ましたか!これで佐藤琢磨の来季レギュラー続投はほぼ確定的とみられ、引き続き琢磨はホンダ戦士として戦うこととなるわけですから、もう亜久里様様ですな!

 いやいや、このニュースは単に「鈴木亜久里がF1チームを率いる」「佐藤琢磨の現役続行は安泰」という意味合い以上に、長いスパンで考えてみると、日本におけるF1にとっては、非常に大きな一歩になりまずぞ!

 だって考えてもみて下さい!鈴木亜久里が第一期ホンダ時代の本田宗一郎に次いで、日本人として2人目のF1チームの監督に就任したということですよ。それはどういうことかというと、チームが今後長期的にF1に参戦し続け、鈴木亜久里自身も監督の座に留まっていれば、鈴木亜久里はマクラーレンのロン・デニス、フェラーリのジャン・トッド、ウィリアムズのフランク・ウィリアムズ、あるいはルノーのフラビオ・ブリアトーレといった名物チーム監督らと並んで、「F1グランプリの新しい顔」となるわけですからねえ!
 しかもチーム名は「スーパーアグリ」!自分で命名して恥ずかしくはないのだろうかと思ったりもしますが、いずれにせよF1の歴史に、新たに「スーパーアグリ」というコンストラクター名が書き加えられると言うことなんですよね!

 鈴木亜久里率いる新チームは、一応ワークスチームというよりはプライベートチームという印象が強いですが、何と言っても世界一の自動車メーカーであるホンダの全面的サポートを受け、メインスポンサーにはIT企業の国内最大手のソフトバンクの名前が挙がっているため、近年プライベートとしてF1に参戦しては消えていったスチュワートやプロストよりは長生きするのではないかと思っています。

 さて、これまでのF1では、なかなか日本人ドライバーが良い結果を残せずに消えていきましたが、今回鈴木亜久里がチームを率いると言うことで日本人ドライバーの起用も積極的におこなっていくものとみられ、日本人ドライバーのF1の窓口は、かなり広くなったと言えるでしょう。何と言っても日本人ドライバーの活躍を願っている鈴木亜久里ですから、今後はより多くの日本人ドライバーがF1に登場してくるのではないでしょうか。

 で、気になるドライバーなんですが、現在のところ最有力の佐藤琢磨の他に、日本グランプリでジョーダンを初ドライブして好タイムを叩きだした山本左近、そして鈴木亜久里がIRLのチーム「スーパーアグリ・フェルナンデス」で起用しており、BAR・ホンダでのテストドライバー経験も持つ松浦孝亮の3人、加えて今シーズンBAR・ホンダのテストドライバーだったアンソニー・デビッドソンなどが候補に挙がっているとみられます。

 亜久里さんは「日本人2人というラインナップも考えられる」と言っていましたが、僕的にはチームも日本、エンジンも日本、タイヤも日本、監督も日本で、ドライバーまで2人とも日本人となると、あまりにも日本色が強すぎてしまうので、ドライバーラインナップは佐藤琢磨とアンソニー・デビッドソンの2人がいいのではないかと思います。
 というか、個人的に来シーズンは、アンソニー・デビッドソンもレギュラーシートに座らせてあげたいんですよねえ。デビッドソンは2年間BARのテストドライバーとしてよくやってきましたし、琢磨もテストドライバーを経てようやくBARでのレギュラーシートを手に入れたわけですからねえ。

 いずれにしても来年のF1は、非常に面白くなりそうです!



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 F1パロディ短編「F1ナイトライダー」
2005年10月31日(月)

●「FORMULA1」に「F1ナイトライダー」をアップ

 4年ほど前に、Barの方に「F1ナイトライダー」というF1パロディを書き込んだのですが、皆さん覚えていますでしょうか。確かそのときには結構好感触だったような気がするのですが……。
 実は僕がこれまでBarや他所の掲示板に書き込んできたF1パロディはすべてストックしてあるのですが、最近そのストックを読み直してみて、「F1ナイトライダー」は今読んでもなかなか面白いなあと思い、今回「FORMULA1」のページにアップすることにしました。

 さて、この「F1ナイトライダー」は、2000年初頭のF1フェラーリと、アメリカの人気ドラマで日本でも放送されて一時期ブームになった「ナイトライダー」というドラマをパロディにした作品なのですが、この元ネタである「ナイトライダー」を知らない方には、さっぱり意味がわからない内容になっています。そこで今回は、そのアメリカの人気ドラマ「ナイトライダー」について解説してみたいと思います。

 「ナイトライダー」は1982年にアメリカで放映を開始されたSFアクション(1〜4シーズン)で、以後アメリカのみならず日本をはじめ世界各国で当時大変な人気を博したドラマです。日本では1984年に「日曜洋画劇場」でパイロット版「ナイトライダー」及びスペシャル版「ナイトライダー2〜6」の放映により高視聴率を得て、週放映のテレビシリーズ版「ナイトライダー」「新ナイトライダー」へと続きました。

 ストーリーを解説しますと、若き敏腕警察官マイケル・ロングは極秘捜査中に実は産業スパイの一味だった女性の裏切りにより相棒を殺され、自らも銃で顔面を撃たれて瀕死の重傷を負う。ヘリで駆け付けたナイト財団総帥ウィルトン・ナイト等によって救出されたマイケルは、最新技術による顔面整形と指紋改造手術を施され別人として生まれ変わる。マイケル・ロングはナイト氏の指示により合法的に葬られ、新たにナイト氏の息子マイケル・ナイトとして甦る事となった。病による死期の近付くナイト氏は、彼のナイト・インダストリー社の誇る科学技術の粋を集めて制作されたスーパーカー「ナイト2000」と、自分の代わりに不幸な人々を助けるために世の中の「悪」と闘うという夢をマイケルに託して人生の幕を閉じる。こうしてマイケル・ナイトの活躍とナイトライダーの物語が始まるのである……というもの。


「ナイトライダー」


 で、そのナイト・インダストリー社の誇る科学技術の粋を集めて制作されたスーパーカー「ナイト2000」というのが、キット(K.I.T.T.=Knight Industries Two Thousand)と呼ばれる人工知能を備えた黒いトランザムで、「人命尊重」と「マイケルを守る」プログラムが組み込まれていても、自ら独立した意志で行動しマイケルの任務を補佐する、様々な驚異の機能を搭載した世界でただ一台のドリームカーなのです。

 ナイト2000に搭載されている人工知能キットは非常に性能が良く、ナイト2000を制御しているので、人間が運転しなくても自分の意志でナイト2000を走らせることができます。また、人間と普通に会話することができるだけでなく、任務にまったく関係ないような世間話などもすることができ、驚くべきことに相棒であるマイケルに対してイヤミや皮肉、ジョークまで言うのです!

 さて、ナイト2000の代表的な特長をご紹介しますと、まず砲弾をも跳ね返す特殊装甲が施されており、鉄の棒で殴られても、銃弾を浴びても、コンクリートの壁や他のクルマとぶつかっても傷ひとつつかない、まるでゲームの中のクルマのようです。また、50ミリの鉄板をも貫通するレーザー光線などの武装も施されているので、まるで未来の戦車と言った感じですね。さらに最高速度は音速を超えるので、このナイト2000がレースゲームに登場したら、他車や壁にぶつかっても壊れないわ、ライバルカーはレーザーで蹴散らせるわ、スピードは速いわでぶっちぎり優勝が可能でしょう。

 そして、ナイト2000の機能の中でもとくにポピュラーなのが、障害物をジャンプして飛び越える能力「ターボブースト」、そして緊急時などにドライバーや助手席、後部座席に座る人間をサンルーフから放り上げる「イジェクトシート」でしょう。
 特に「ターボブースト」はナイト2000の必殺技、「水戸黄門」で言うところの葵の紋所のようなもので、ナイト2000がジャンプしない話はないと言われるほど「ターボブースト」は頻繁に登場し、テレビを観ている「ナイトライダー」フリークは「待ってましたッ!」と食い入るように画面に釘付けになると言うわけです。


飛びますッ!



壊しますッ!



爆発なんてへっちゃら!


 まあ、わかりやすく言うと、アメリカ版「1台西部警察」、アメリカ版「クルマ仮面ライダー」と言ったところでしょうか。では最後に、「ナイトライダー」のノリがよくわかるシーンをご紹介しましょう。


■「ナイトライダー」でよくあるシーン

マイケル「キットッ!ターボブーストだッ!」
KITT「だめですマイケル!距離が足りません!」
マイケル「やるだけやるんだッ!」

(ジャンプするナイト2000)

ブワァァァァァン!(ジャンプシーン:前方から撮影したもの)
ブワァァァァァン!(ジャンプシーン:側面から撮影したもの)
ブワァァァァァン!(ジャンプシーン:後方から撮影したもの)
ブワァァァァァン!(ジャンプシーン:真下から撮影したもの)

(無事着地するナイト2000)

マイケル「わぁ〜おぅ!」

(興奮して毎回同じ雄叫びを挙げるマイケル)
(よく見るとマイケルの口の両側には唾が溜まっている)

KITT「マイケル!お願いですから無茶はやめてください!」

(クルマに説教されるマイケル)
(次のカットではマイケルの口の両側に溜まった唾は消えている)



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 Mako、競馬初体験
2005年10月30日(日)

 僕はこれまでギャンブルは一切やらなかったのですが、僕がよく行く近所のショットバーのマスター(大阪出身)が競馬をやっていて、「今日の天皇賞の馬券買いに行くんやけど、まこっちゃんも一口買ってみぃひんか?」と言われたので、200円一口とささやかではありますが、生まれて初めて馬券を買ってみることにしました。

 今日は第132回秋の天皇賞(G1)というレースが10レース目にあり、マスターも他の常連さんもそのレースの馬券を買うと言うことなので、僕もそのレースの馬券を買うことにしました。
 で、ネットで色々出走馬の情報などを見てみたのですが、如何にせん競馬などこれまでやったことがないので、どの馬が良い馬なのかと言うこともわからなければ、馬のデータの見方や競馬用語もよくわからないので、とりあえず名騎手・武豊が騎乗する「リンカーン」という馬に懸けることにしました。

 リンカーンは牡の5歳馬で、サンデーサイレンスを父に持ち、グレースアドマイヤを母に持つ馬。過去の出走レースでは、前回の京大賞(G2)で武豊騎乗で1着、過去にもG2レースでは勝ったことがありますが、G1では今年6月の福永祐二が騎乗した宝塚記念での4着が最高位で、まだ勝ったことがありません。
 しかし、競馬ニュースを読むと、リンカーンはG1では過去2回、1番人気に指示された誰もが認める実力馬で、いつ戴冠の日を迎えても不思議はないそうです。またリンカーンに騎乗する武豊も「リンカーンのG1制覇を成し遂げる」と自信のコメントを残していました。

 そこで、今回はリンカーンに「単勝」で200円懸けることにしました。「単勝」というのは、1位にならなければまったく何もつかないという賭け方で、言ってみれば「一発狙い」ということです。「副賞」だと値段は下がるものの、確か2着までに入ればお金が入ると言うものです。まあ今回は初めての経験なので、200円ですし、一発勝負で行ってみようと思ったわけです。

 さて、注目の第132回天皇杯、リンカーンは3番人気でオッズは7.2でした。しかし、結果は松永幹夫騎手が乗る14番人気の伏兵ヘヴンリートーマスが、牝馬としては8年ぶりの勝利を収めました。タイムは2分0秒1でした。また、秋の天皇賞連覇を狙った1番人気のゼンノロブロイが2着、3着にはダンスインザムードが入りました。
 で、リンカーンはどうだったのかというと、何と15着でした。タイムは2分0秒9、着差は首の差、通過順位も14→15→16とどんどん順位を落としていくという失速でした。

 いや〜僕の競馬初体験は、武豊なら何か奇跡を起こしてくれるかもしれない、しかもリンカーンがG1で勝つのはもはや時間の問題、レース直前の仕上がりも非常に良かったということで期待していましたが、やはりそんなに勝負の世界は甘くはなかったようですね。しかしまあ、ほんのわずかな時間、夢を見させてもらったような気がします。(……たかが200円で「夢」て……)

 また機会があったらチャレンジしてみようと思います。



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 東京モーターショーに行く
2005年10月29日(土)

 えー、実は今日、幕張メッセで開催している「東京モーターショー」に行ってきました。無謀にも愛車S2000で行ったのですが、行きは朝7時過ぎに東名高速の静岡インターに入り、幕張の会場に到着したのは昼頃。5時間もかかってしまいました。

 東名高速道路は順調に流れていたので、9時半ぐらいには東京には入っていたんですよ。ところがそこから三軒茶屋とか渋谷あたり、さらに湾岸道路から会場までが大渋滞で、全然進みませんでしたよ。ただ、久々に東京タワーやお台場のフジテレビ社屋を間近で観ることができたのは良かったです。東京タワーは、やっぱり大阪で観た通天閣とは迫力が違いました。湾岸沿いに出てからは、レインボーブリッジを通過してしばらくは空いていたので、レインボーブリッジを気持ちよく駆け抜けられて良かったです!

 レインボーブリッジが封鎖されてなくて良かったです。

 さて、渋滞の中ようやく幕張に辿り着いたのですが、幕張メッセの無料駐車場はすでに満車で入れるはずもなく、クルマの列は幕張メッセをぐるりと回って千葉ロッテマリンスタジアムの横を通過し、かなり離れた場所にある臨時駐車場まで誘導され、そこからシャトルバスで会場へと向かいました。

 この臨時駐車場がもうだだっぴろいのなんの!このあたりは広大な埋め立て地なのですが、とにかく東京ドームが3つは軽く入るのではないかと思われるほどの広さで、その向こうには個性的なデザインの高層マンションが乱立しており、何だかとても殺風景な場所でした。


だだっぴろい臨時駐車場



乱立する奇妙なマンション群


 臨時駐車場から会場までは無料のシャトルバスで2〜3分で到着。ちょうどお昼時だったので先にランチを済ませてから、いよいよ幕張メッセの中へ。もうとにかく人・人・人の会場内で、まずは新型コルベットが展示されていたブースでもみくちゃにされました。で、最初は3時間もあれば一通り見て回れるだろうと思っていたのですが、とんでもない誤算でした。人の多さもさることながら、会場は広いわ展示車は豊富だわで、結局お昼過ぎから閉館時間の夜7時までフルで見て回り、ようやく全部を見て回ることができました。


会場の様子


 今回の「東京モーターショー」の模様は、後日「PRIVATE」のページにレポートをアップする予定ですが、とりあえずかいつまんでお話ししますと、やはり普段はまずお目にかかれない国内外の名車や新型車、斬新なアイディアを盛り込んだコンセプトカーを、目の前で観ることができたというのが感動でしたね!
 ミツオカのオロチや日産のGT−Rコンセプト、犬を載せられるホンダのWOWなど、自動車雑誌やゲームの中、あるいはネットの中でしか観ることができなかったスーパーカーやコンセプトカー、その実物はやはり迫力が違いました!雑誌やゲームの中で見た限りでは「このクルマは奇抜すぎてイマイチだなあ〜」などと思っていたりしたクルマもありましたが、やはり実物で観ると迫力満点で、細かいディティールなどもわかって、乗ってみたいクルマばかりでしたぞ!


まるで生き物のようなミツオカの「オロチ」



超目玉!日産「GT−Rコンセプト」


 また名車や新型車の他に、ホンダ、トヨタ、ルノー、マクラーレンの2005年型F1マシン、さらには三菱、トヨタ、スバル、フォードなどの2005年型WRCラリーカーなど、モータースポーツで活躍したマシンも展示されており、特に今年佐藤琢磨が乗ったBAR・ホンダとフェルナンド・アロンソがタイトルを獲得したルノーのF1マシンの実物にお目にかかれて良かったです!


壁に埋め込まれたF1チャンプカー



琢磨のマシンもありましたぞ!


 その他、スバルが初めて作り上げた「テントウ虫」の愛称で知られる名車「スバル360」も展示されていたのですが、やはり「スバル360」は可愛い!絶対今売り出したらブームになること間違いなしなのになあと思いながら、その愛くるしいボディを堪能してきました。


ラブリーな「スバル360」


 そしてホンダのブースには新型S2000も!やはりS2000はホンダが久々に世に送り出した本格スポーツカーですからあるだろうとは思っていましたが、やはりありましたよ!いや〜しかし、S2000も独特なスタイリングではありますが、やはりどうも他のクルマ同様細かい部分の近代化が進んできてしまい、マイナーチェンジするたびに個性が薄れていってしまうような気がします。やはりS2000は僕が乗っている初期型が一番いいなあと思ったりもしました。そう言う意味では、僕が愛するS2000って、性能もスタイリングも本当に優れているんだなあと再確認することができました。


やっぱりあったぞ!新型「S2000」


 ぶっちゃけ、今回のモーターショーで世界中の様々な名車や新型車を見て回りましたが、最終的には「やっぱり乗るならS2000だな!」という結論に至りましたね。いや、もちろん愛着もありますけど、それ以上に長年乗っても飽きが来ない「特別なクルマ」という感じがします。S2000って、適度に奇抜で適度に実用的と、趣味で乗る市販スポーツカーとしては非常にバランスの取れた、それでいて個性的なクルマなんですよね。

 さて、今回は180枚近く撮影できるデジカメと普通のフィルムカメラのEOS7の2つのカメラを持ち込んだのですが、デジカメで175枚、EOSで36枚撮りフィルム12本分も写真を撮ってきましたぞ!とにかくこれだけ多くの貴重なマシンを間近で観る機会などそうそうないので、悔いが残らないように片っ端から写真を撮りまくったのですが、相当混んでいたにもかかわらず、意外と簡単に各マシンの全景を撮ることができました。やはり写真撮影の際に、どんなに混み合っていてもマシンが全部撮せるように、ブースの広さなども計算されているんでしょうね。

 で、昨日の時点で、今日は昼過ぎから雨になることはわかっていたのですが、予報通り午後3時過ぎぐらいから雨が降り出しました。本当は雨で客足が少なくなることを期待したのですが、その考えは甘かったようです。しかし帰る頃には雨も上がり、傘なしでシャトルバスに乗って臨時駐車場まで帰ってこられたので良かったです。

 ところが、帰りは再び大渋滞に見舞われ、東関東自動車道に乗ってからはディズニーランド帰りのクルマも合流してきて、しばらくは全然動かないような状況が続きました。
 しかも!何と途中で車線を間違えて首都高速から降りてしまい、よりによって六本木から渋谷にかけてと、東京でももっとも混雑するエリアで下道に出てしまったのです!おかげでS2000で六本木ヒルズの真横の道を通過してしまいましたぞ!まさか六本木ヒルズの横を、行きは上(首都高)から観ながら通過したのに、帰りは下(一般道)から見上げながら通過するとは思いませんでした。

 あいにく鈴木島男は見かけませんでした。

 また、このあたりの道は上に首都高、下には一般道ががんじがらめのように複雑に入り乱れており、ナビを頼りに走っても、どっちに曲がればいいのか、どの車線に入ればいいのか混乱してしまい、しばらく六本木をS2000でさまよってしまいました。
 しかしまあ、こんな時間(夜9時頃)にS2000で東京の街のど真ん中を走るなんてことはまずないことですから、貴重な経験をしたという意味では良かったですね。

 おかげで静岡に辿り着いたのは深夜でしたよ……。

 ……まあ、途中のパーキングエリアで夕飯も食べたんですけどね。

 今回の模様は後日詳しくご紹介しますのでお楽しみに。



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 バトンをセクハラ扱いした愚かな女性記者
2005年10月28日(金)

 BAR・ホンダ(来季ホンダ)のイケメンドライバー、ジェンソン・バトンが、イギリスのメンズ雑誌で女性ドライバーについて語ったことが「差別発言」だとして波紋を呼んでいるそうですね。

 それによればバトンは、最近話題になっているダニカ・パトリックやキャサリン・レッグ嬢など女性ドライバーの進出について触れ、女性ドライバーにとって大きな胸のふくらみはモノコックの中で快適でないことや、メカニックがシートベルトを締めたりする際に要らぬ心理負担を生じさせることなどをマイナス点として列挙したといいます。

 これについて大衆紙『サン』は、「バトンがグリッドガールの胸に心を奪われていなければ、いくつものレースで勝っていた筈」との、女性記者によるキツイ反論を掲載しているそうです。

 ……頭悪いねえ〜!

 ……いやいや、頭悪いというのは、大衆紙『サン』の女性記者のこと。バカかこの女性記者は……。グリッドガールの胸がどこから出てきたん「だっちゅうの!」きっとこの女性記者はガツンと言ってやったことで高飛車になっているんだと思いますが、論点がまったくズレとるやんけ……。
 というか、大衆紙『サン』自体がバカなんですけどね。知っている方も多いかと思いますが、日本で言う『女性自身』とか同様、根拠もないようなガセネタや噂ネタを載せてあおるのが仕事の低俗な新聞ですよね。

 バトンはただ女性ドライバーの進出について、純粋に想定される問題点を指摘しただけで、これを「セクハラ」と取るなんて、やっぱり欧米社会なんですねえ。
 アメリカじゃ何気なく言った些細な一言で思いがけず「セクハラ」だと言われて会社を首になるケースも少なくないそうです。
 「男女平等」などと言っておきながら、都合のいいところでは「男女の区別(それも理不尽な)」を主張して、ホントそういうところはなんだかなあと思いますな。

 僕がバトンだったら、この大衆紙『サン』の女性記者を名指しでけちょんけちょんにけなしてあげますけどね。僕は基本的に男女平等と考えていますので、批判する時は男女の区別なく批判しますぞ。

 …………まあ、僕はバトンではないんですけどね……。



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