Mako Hakkinenn's Voice
by Mako Hakkinenn



 サッカー日本代表VSアンゴラ(ネタバレなし)
2005年11月16日(水)

 サッカーの国際親善試合「キリンチャレンジカップ2005」は今日、ドイツ大会に初出場を決めたアフリカ勢のアンゴラを迎え、東京・国立競技場に5万2406人の観客を集めて行われ、今年最後の国際Aマッチを締めくくりました。日本は中田英(ボルトン)、中村(セルティック)ら海外組の主力を招集してアフリカ勢に挑みました。

 いや〜すごい試合でしたね〜!中田!中村!稲本!柳沢!そして大黒!(以下略)

 非常に素晴らしい試合だったと思います。見ごたえのある試合でしたな!

 ……で、肝心の結果はどうだったのかというと、これがねえ……現時点では書けないんですよ。なぜかと言いますと、ゆうきちさんが録画し忘れたらしく、まだ見ていないのだそうな。彼がいつになったら見られるのかはわかりませんが、とりあえず今のところは書けそうにありません。

 というわけで皆さん、試合の詳細はネットニュースなどをご覧下さい。



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 ハッキネン、来季もDTM参戦
2005年11月15日(火)

 メルセデス・モータースポーツは今日、同チームのミカ・ハッキネンが来シーズンも引き続きDTM(ドイツ・ツーリングカー選手権)にAMG・メルセデス・Cクラスで参戦することを明らかにしました。ハッキネンはマクラーレン・メルセデスで98、99年と2度のF1チャンピオンに輝いたあと、いったん現役を引退しましたが、今季からDTMで復帰していました。スパ・フランコルシャンのベルギー戦では見事初優勝を遂げています。

 ミカ・ハッキネンのDTMでのデビューシーズンは、開幕戦ホッケンハイムで8位入賞を果たし、第2戦ユーロ・スピードウェイで3位表彰台、第3戦スパ・フランコルシャンで優勝と序盤は登り調子の活躍を見せてきました。ところが第4戦ブルノでトラブルにより13位に終わり、続く第5戦オッシャースレーベンと第6戦ノリスリンクでは2戦連続リタイヤに終わってしまいます。その後第7戦ニュルブルクリンクでは4位入賞しますが、第8戦ザンドフールトと第9戦ユーロ・スピードウェイでは連続12位。第10戦イスタンブールでは久々に2位表彰台を獲得するも、最終戦ホッケンハイムで15位と、浮き沈みの激しいシーズンとなってしまいました。最終的には30ポイントを獲得して総合5位でした。

 今シーズンのDTMはハッキネンを始め、ジャン・アレジ(AMG・メルセデス)、ハインツ・ハロルト・フレンツェン(オペル)も優勝しましたが、全体を通してみればゲイリー・パフェット(AMG・メルセデス)とマティアス・エクストローム(オペル)の2人による争いで、最終的にパフェットが2位エクストロームに13ポイント差を付けてタイトルを獲得しました。

 そのゲイリー・パフェットは現在24歳のイギリス人ですが、バルセロナで11月末からスタートする今オフ最初のF1の合同テストで、マクラーレン・チームから2日間に渡るテストに招かれており、そのテストの結果次第では、今後マクラーレンかBMWのドイツ系チームからF1デビューを果たす可能性があります。そして今年DTMでチームメイトとして戦ったミカ・ハッキネンも「この1年、僕は近い立場でパフェットのことを見てきたが、彼はDTMでとてもうまくやったよ。彼はとても安定して速いし、最も重要な局面でも絶対にミスをしないんだ。あの能力はF1でも通じるものだと確信するね。だから僕は、彼には十分F1でやれるだけの能力があると思っているよ」とその力量に太鼓判を押しています。

 かつてキミ・ライコネンもハッキネンに力量を認められてF1で成功していますから、もしかしたらゲイリー・パフェットもF1で活躍する逸材かもしれませんね。何と言ってもハッキネンやジャン・アレジらを抑えてDTMを制した若武者ですからねえ。

 話が逸れましたが、ハッキネンには来年、更なる活躍を期待したいです。



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 F1、フィンランド・フィーバーの予感
2005年11月14日(月)

 これからのF1は、フィンランド人旋風が吹き荒れそうな予感です。

 歴代F1ドライバーの中で、フィンランド人ドライバーは7人。1974年にフィンランド人初のF1ドライバーとして登場したレオ・キヌーネンは、プライベート・サーティースで出走しますが、1回の完走と5回の予選落ちに終わります。彼はF1において、オープンフェイスのヘルメットを最後に着用してレースに臨んだドライバーとして知られています。
 続いて3年後の1977年に登場したミッコ・コザロウィツキーもRAM・フォードでデビューを果たしますが、スウェーデングランプリとイギリスグランプリに参戦するも予選落ちに終わります。

 そして翌年の1978年にデビューしたのが、フィンランド人として3人目のF1ドライバー、ケケ・ロズベルグです。彼はデビューから数年はなかなか芽が出ず、中堅チームを渡り歩き、4年で通算8ポイントしか獲得することが出来ませんでした。
 しかし82年、アラン・ジョーンズの引退を受けて招かれたテストでウイリアムズのシートを手にし、初優勝からワールドチャンピオンまで一気に駆け上がります。この年のタイトル争いは熾烈を極め、ロズベルグはわずか1回の優勝でチャンピオンとなったことはよく知られていますね。その後のチームの不調期にも耐え、85年には最後までタイトル争いに加わった後マクラーレンに移籍。この年を最後にF1を引退します。F1における元祖「フライング・フィン」として有名です。

 その後1988年にJJ・レート、91年にミカ・ハッキネン、94年にミカ・サロがデビューし、一時期F1には3人のフィンランド人が顔を揃えていましたが、その中でケケ・ロズベルグがマネージャーを務めていたミカ・ハッキネンが、マクラーレン・メルセデスで98、99年と2年連続でタイトルを獲得し、2代目「フライング・フィン」としてミハエル・シューマッハとともに一時代を築きます。
 そのハッキネンが2001年シーズンを最後に事実上の引退を表明し、その年にザウバーからデビューしたキミ・ライコネンを彼の後任としてマクラーレンに呼び寄せます。ライコネンはデビュー3年目、マクラーレンでは2年目の03年マレーシアグランプリで念願の初優勝を果たし、その後04年、05年と最後までタイトル争いを演じてきました。しかも04年、05年ともにマシンに信頼性があれば、ライコネンがタイトルを獲得していた可能性も十分あり、近い将来チャンピオンになることは間違いないでしょう。

 フィンランド人ドライバーは、98年にハッキネンが初めてタイトルを獲得した年から現在まで、理想的な連続性を持っていると言えます。ハッキネンは98,99年と2年連続でタイトルを獲得した後、2000年もミハエル・シューマッハと最後までタイトル争いを繰り広げました。翌2001年はマシンの戦闘力と信頼性が劣り平凡な結果に終わりましたが、翌年から若いライコネンがマクラーレンのポジションをスムーズに継承し、ライコネンも安定した速さを見せており、これまでのところ順調にフィンランド人の活躍が続いています。

 これにより、F1市場では今、フィンランド人ドライバーに対する評価が、非常に高まってきていると言えます。ルノーの秘蔵っ子であるヘイキ・コヴァライネンが来シーズンにザウバーを買収したBMWに移籍すると言われていて、かのケケ・ロズベルグの息子であるニコ・ロズベルグはウィリアムズからのF1デビューが秒読み段階となっています。
 ヘイキ・コヴァライネンとニコ・ロズベルグがF1にデビューすれば、再びF1にはライコネンを含めた3人のフィンランド人が顔を揃えることとなり、ライコネンを筆頭に若いフィンランド人がF1を牽引していくことは間違いないでしょう。
 ライコネンのいるマクラーレンはすでにトップチーム、ニコ・ロズベルグが行くウィリアムズはここ数年低迷していますが、近い将来必ず復活するでしょう。そしてコヴァライネンが行くBMWも、ワークスチームとして生まれ変わることで飛躍的に進化する可能性を十分秘めています。

 では、なぜフィンランド人は評価が高いのでしょうか。もちろんハッキネンからライコネンへの活躍の流れもありますが、フィンランド人ドライバーはF1以外のモータースポーツでも、非常に活躍しているからです。その中ではWRC(世界ラリー選手権)で1995年から4年連続でチャンピオンとなったトミ・マキネンがもっとも有名ですが、同じWRCに86、87、91、93年にタイトルを獲得したユハ・カンクネンもいます。他にも、前述のJJ・レートは88年イギリスF3チャンピオンで、95年と今年のル・マン24時間耐久レースで優勝、ヘイキ・コヴァライネンはトップ・フォーミュラレースであるワールドシリーズ・バイ・ニッサン(現ワールドシリーズ・バイ・ルノー)の2004年チャンピオン、そしてニコ・ロズベルグは昨年までの国際F3000選手権が発展したGP2シリーズでタイトルを獲得しました。

 ミカ・サロはF1での優勝経験はありませんでしたが、イギリスF3時代にはミカ・ハッキネンと熾烈な争いを演じ、F1ではチームに恵まれなかったものの、99年にはイギリスグランプリでミハエル・シューマッハが負傷し、代役としてフェラーリのシートを得た後、ドイツグランプリではレース中盤にキャリア初の首位走行を果たし、チャンピオン争い中のアーバインにチームオーダーでその座を譲ったために初優勝の夢は消えてしまいますが、自己最高位の2位を得ます。その後、イタリアグランプリでも3位で表彰台を獲得し、その実力を発揮しました。また、満を持してトヨタがF1デビューを果たした2002年は、開幕戦のオーストラリアグランプリでいきなり6位入賞し、デビュー戦でトヨタに初ポイントをもたらす活躍を見せました。
 
 F1キャリアにおいて適切なタイミングで適切なシートを得ることがいかに重要かということは言うまでもありませんが、少なくとも、フィンランド人ドライバーの多くがトップドライバーとしての資質を備えていると言うことは間違いないでしょう。果たして次のフィンランド人チャンピオンの栄光は、誰に輝くのでしょうか。未来のF1も楽しみがいっぱいです。



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 ぽよぎの新アイテム
2005年11月13日(日)

 えー、トップページにいるハーボットのぽよぎ君ですが、今まではうちの真っ白なトップページにあつらえたかのようなフレームがあったので、ずっと白いフレームを使っていたのですが、実はフレームにはたくさん種類がありまして、今日久しぶりにハーボットのフレーム屋さんに行ってみたら、光るフレームを発見したので、それに替えてみました。都会の夜景が光り輝き、遠くにはクルマのヘッドライトも見えます。なかなかきれいですね。今後は定期的にフレームを替えていこうかなと思っています。

 さて、実はもう一つぽよぎに新しいアイテムを買ってあげました。それは発明家のハーボット「シューポン」が発明した「シューダイス」というアイテムです。


シューダイス

 このシューダイスは、アクセスカウンターの、僕が適当に決めたキリ番やゾロ目以外の「マイ番」をゲットすると使えるようになるふしぎなサイコロです。僕が決めた6つの「マイ番」が出ると、このサイコロを振ってお祝いができるというものらしいです。それぞれの目で、お祝いの仕方もちがうようです。ちなみに僕もどんな風になるのかまだ見たことがありません。

 で、今回は皆様に、現在設定されている、僕が適当に決めた「マイ番」を発表しますので、皆様ぜひ狙ってみて下さいね。そして、どんなことが起こったのかBarに報告して頂けるとありがたいです。僕もどうなるのか見てみたいので狙います。また、すべてのマイ番が終わったら、また新たなマイ番を設定しますので、ずっと継続していく予定です。

■シューダイスが振れるマイ番

 020176

 020411

 020659

 020998

 021006

 021275



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 小ネタ係長の休日出勤
2005年11月12日(土)

■現代社会に実在したらすごい人物

 シャーロック・ホームズ。

 彼の並はずれた洞察力とずば抜けた推理力をもってすれば、現代の迷宮入り事件の多くが次々と解明されていくに違いない。今回は、そんなイギリスの作家コナン・ドイルが生んだ20世紀最大の名探偵、シャーロック・ホームズの驚異のプロファイリングテクニックを、とくとご覧いただこう。



ホームズ(声:露口茂)「……現場に落ちていたタバコの吸い殻から推測するに、犯人は左利きで背丈は170cm前後、右足を少し引きずるような歩き方で、常に杖を持ち歩いている。普段は葉巻をたしなむ習慣があり、アルコールはほとんど摂取していないようだ。また視力が弱く、姿勢も悪く常に背中が曲がっている。性格は極めておおざっぱで、細かいことをいちいち気にしない。犯行当時は相当長い距離を歩いてきたらしく、犯行後は馬車を拾って現場を離れたようだ。彼の家はかなり裕福な家庭で……」










なぜ吸い殻だけでそこまで……


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 F1小林製薬
2005年11月11日(金)

ライコネン「うちのエンジン、速いんだけどすぐ壊れちゃうんだよね……」

そんなときはコレッ!

小林製薬の「コワレナオール」!
気温が高い時などに、エンジンにピタッと貼るだけ!
有効成分イルモニアが火照った部分に働きかけ、
エンジンを急速に冷却してくれます!

小林製薬の「コワレナオール」!





ミハエル「今年のマシンはタイヤがグリップしなくてまいったよ……」

そんなときはコレッ!

小林製薬の「グリッポン」!
レース中のピットイン時に、タイヤにサッと塗るだけ!
有効成分ブリジン酸がタイヤの奥まで浸透し、
ゴムの劣化を食い止めてくれます!

小林製薬の「グリッポン」!





琢磨「来年はバトンが残留して、僕のレギュラーシートが心配……」

そんなときはコレッ!

小林製薬の「アグリン」!
シーズンオフに身体にシュッとひと吹き!
有効成分スーパーアグリチンの働きで
フレッシュなレギュラーシートが得られます!

小林製薬の「アグリン」!





レッドブル「今年はそこそこいい成績だったけど、来年落ち込まないか不安……」

そんなときはコレッ!

小林製薬の「クルサドール」!
クルマのシートに乗せておくだけ!簡単でしょ?
有効成分デビドリチルが直接作用し
安定した成績が長時間継続します!

レッドブル「うん!ニオイもきつくない!」

小林製薬の「クルサドール」!



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 Mako、アガシモデルのラケット採用か
2005年11月10日(木)

 久々にテニスの話題を。

 実は最近何かと週末は忙しくて全然テニスに行けなかったのですが、テニスに参加する前にそろそろ新しいラケットに買い換えたいと思っている今日この頃です。だいたいラケットの寿命は3年ぐらいと言われていますが、僕が今使っているラケットは99年に買ったもので、当時4万円以上もしたので未だに使っています。しかし、ラケットも他のスポーツ用品同様日々進化していて、よりスピンがかかりやすかったり、より鋭いストロークが可能になったりと何かと優れたラケットが続々と登場しているようです。

 ラケットの機能の特長は様々ありますが、例えばグリップからラケットの先端までの間で、どこに重心があるかによってもストロークは変わってきます。どこに重心があるのが理想的なのかというのは一概には言えず、使う人のスタイルによってグリップ付近に重心があったり、中央に重心がったり、先端に重心があったりと様々です。 僕の場合、先端に重心があるタイプの方が、遠心力を利用して少しの力で振り切ることができるので向いているようです。
 また、ガットが張られているフレームの面積も様々で、一回り小さいものはストローク向けでスピンがかかりやすくなります。逆に一回り大きいタイプは主に前衛でのボレー向きで、僕は硬式のダブルスをやっているので、軟式のように前衛は前衛、後衛は後衛のままではなく、毎回前衛と後衛が入れ替わるので、ボレーでも使える一回り大きいタイプが僕には向いています。……というか、フレームの面積が広ければ広いほど当たる面積が広いと言うことですからねえ。

 さらに、ラケットのボールが当たった瞬間の衝撃吸収構造も、ラケットによって異なります。ボールが当たった瞬間に上下がしなって吸収するタイプや、左右がしなって吸収するタイプ、あるいは先端部分だけがしなって吸収するタイプなどこちらも様々で、これに関しては実際に色々試してみて、フィーリングが合うものを選ぶのがいいです。

 さて、いいラケットを買おうと思うと値段もそれなりにするのですが、うちの近所にある某スポーツショップでは、ニューモデルを3日間無料で一人3本まで貸してくれるという「ラケットレンタルサービス」があり、買う前に実戦で使用してみて、色々試してみて吟味することができます。さらにこのお店には練習場も完備されていて、まずはそこで試打をして、レンタルしたいラケットを吟味することもできるのです。

 今日はちょっと時間が空いたのでこのお店に行って、ニューモデルのラケットを5本ほどチョイスし、とりあえず練習場で試打してみました。5本試していた限りでは、男子プロテニスプレイヤーのアンドレ・アガシが使っているモデルが一番しっくりくるようです。

 今度の週末はアガシモデルなどを持っていって実戦で使ってみよう。

 もちろんレンタルだということは内緒にしておき、アガシモデルを自慢します。



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 ビンセント・ギャロの精子
2005年11月09日(水)

 「バッファロー66」や「ブラウン・バニー」の監督としても知られる個性派俳優のビンセント・ギャロが、なんと自らの精子を売りに出したそうです。ギャロのオフィシャルグッズを扱うオフィシャルサイト「Vincent Gallo Merchandise」では、人工授精用にギャロの精子を100万ドル(約1億2000万円)で販売。50万ドルを追加で支払えば、自然受精、つまりセックスもOKだといいます。

 また、購入者の写真をギャロが気に入ればディスカウントも可能で、ブロンドや青い瞳、ドイツ軍人の直系、ユダヤ人は5万ドル割引されるそうです。その他、商品説明では、アートからスポーツまで多岐にわたるギャロの多才ぶりや、健康状態や外見、性器のサイズまで解説しており、“遺伝子”の性能の高さをアピールしているらしいです。

 冗談のようなサイトですが、「生まれてくる子供にはギャロという姓名をつけないこと」などという条件も書かれているので、エキセントリックで知られるギャロのこと、本気で精子を売ろうとしているのではないかとみられています。

 ……ものすごい自信ですねえ。1億2000万円ですよ!しかもセックスしたいならさらに500万!日本プロ野球選手の年俸並みですな。ということは、過去にギャロとセックスをしたことがある女性は、1億2500万円のセックスをしたということですか。……いや、たぶんその時は避妊しているだろうから、500万円のセックスですか。いやはや、さすがはビンセント・ギャロ。恐れ入りました。

 興味のある方は
こちらまで。


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 F1、ニューウェイがレッドブルに移籍
2005年11月08日(火)

 F1マクラーレンチームのテクニカル・ディレクター、エイドリアン・ニューウェイが、なんとレッドブルに移籍することになりました!ニューウェイは昨年からレッドブルの前身であるジャガーチームへの移籍問題で騒がれましたが、チーム名や体制こそ変わりましたが、いよいよ現実のものとなりました。

 エイドリアン・ニューウェイは、F1ファンならお馴染みの、エアロダイナミックスの鬼才として高い評価を受けている人物。来年1月にマクラーレンとは契約満了となりますが、これまでヨットのアメリカズカップなどに関心がある素振りをしていました。マクラーレンとの前回の契約延長は7月から1月までというわずか6ヶ月のものでしたが、これは他チームの2006年用マシン開発の戦力にならないようにとのロン・デニス代表による深謀があったからだと言われています。

 レッドブルへの移籍ということは、すでに元マクラーレンのデビッド・クルサードが今シーズンからレッドブルにいますので、クルサードとはウィリアムズ、マクラーレン、そしてレッドブルと、3度目のコンビネーションということになりますね。

 エイドリアン・ニューウェイはイングランド中部のストラットフォード・アポン・エイヴォンで生まれ、1980年にサウサンプトン大学の航空工学で一級優等学位を取得しました。そして卒業後すぐに才能を開花させます。まずマーチ・チームで彼の最初のプロジェクトであったマーチGTPスポーツカーをデザイン、IMSAタイトルを2年連続で獲得します。

 その後1983年にマーチのインディカー・プロジェクトに異動し、1984年型の車両開発。またしても彼のデザインは高い競争力を示し、1984年のインディ500を含む7勝を記録しました。翌年もニューウェイの85CシャシーがCARTタイトルを獲得し、1986年にもタイトルを奪取するに至って、彼のずば抜けたデザイナーとしての名声は不動のものとなりました。
 自身のデザインした車両がCARTレースで常勝するようになったことから、ニューウェイはマーチを退職する道を選び、欧州へと戻ってF1のマーチに再雇用され、今度はF1においてチーフデザイナーとして働くことになりました。
 F1でもニューウェイには技術革新によって、1988年の彼の力作が日本グランプリにおいて、1周のみとは言え、自然給気エンジン搭載車ながら、ターボ車(マクラーレンのアラン・プロスト)を抜きトップを走るほどの快挙を見せました。

 1990年にウイリアムズの優れたテクニカルディレクターであったパトリック・ヘッドがニューウェイとの契約を成立させ、莫大な予算と優れたドライバー、開発資源が自由に使えるようになり、ニューウェイとヘッドは1990年代初期において支配的なデザインパートナーとなります。1991年シーズン中盤には、ニューウェイのFW14が前年のチャンピオンであるマクラーレンと完全に肩を並べるまでになりましたが、シーズン序盤での信頼性に関わる問題とアイルトン・セナの才能に阻まれて、ナイジェル・マンセルがタイトルを奪取することはかないませんでした。
 しかし翌1992年にウィリアムズはF1を席巻、マンセルはドライバーズチャンピオンを獲得し、ニューウェイも初のコンストラクターズタイトルを手にしました。翌1993年にはFW15を駆るアラン・プロストによって2度目のタイトルを得ます。

 その後彼は1997年からマクラーレンに加入し、1998年型の車両に精力を集中します。シーズンオフに入り4ヶ月の後に、マクラーレンはグランプリ最強のマシンとなっていました。ミカ・ハッキネンが1998年と1999年にドライバーズ・タイトルを獲得、マクラーレンも1998年のコンストラクターズ・タイトルを獲得し、2000年にもハッキネンが最後までのフェラーリのミハエル・シューマッハとドライバーズタイトルを争いました。

 2000年から2004までは5年連続でミハエル・シューマッハ(フェラーリ)が王座に君臨し、今シーズンはフェルナンド・アロンソがチャンピオンに輝きましたが、少なくとも2000年、2004年、そして今シーズンに関して言えば、マシンに信頼性さえあればニューウェイのマシンはタイトル獲得も夢ではなかったでしょう。特に今シーズンは、タイトルこそアロンソとルノーに奪われましたが、マシンの速さは明らかにマクラーレンが勝っていたことは言うまでもありません。

 このように、エイドリアン・ニューウェイは「タイトル請負人」と言われ、F1界ではミハエル・シューマッハをドライバーに迎えるよりも、ニューウェイと契約した方が勝利への近道だと言われてきました。そのニューウェイが、いよいよ9年も在籍したマクラーレンから離れ、新たなチームとタッグを組むことになったのです。
 しかもそのチームは昨年ジャガーを買収し実質2年目の若いチームであるレッドブル。レッドブルは今シーズンはデビューイヤーでありながら、ベテランのデビッド・クルサードの働きもあってコンスタンスに入賞を果たす安定した強さを見せました。ニューウェイの加入によって、彼が初めて手がけることになる来シーズン中盤以降の改良型、そして完全にニューウェイ作となる2007年型マシンが大きく飛躍することはまず間違いないでしょう。

 2007年以降は、レッドブルが大化けするかもしれませんよ!



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 本田美奈子.さん死去
2005年11月07日(月)

 朝、いつものように「Yahooニュース」を立ち上げると、トピックスの欄の「本田美奈子.さん」という文字に目が行き、「お!いよいよ舞台復帰か?」などと思いながらよく見ると、その先には「死去」という文字が……。
 驚きました。92年にミュージカル「ミス・サイゴン」に出演したのを契機に、近年は舞台で活躍していたのですが、白血病のため今年1月に入院し、その後は入退院を繰り返しながら闘病生活を送っていましたが、ニュースなどを見ていたら、臍帯血手術などを行い、順調に回復して舞台復帰に向けての準備が進められているような様子だったのに、6日午前4時38分、急性骨髄性白血病でこの世を去ってしまいました。まだ38歳、これからの活躍が期待されていたのに、あまりにも突然のことでしたね。

 本田美奈子.さんは1985年に「殺意のバカンス」でデビューし、同年の「Temptation」で日本レコード大賞新人賞を受賞しました。「One way Generation」「孤独なハリケーン」「1986年のマリリン」などがヒット。パンチ力のある歌唱とセクシーな衣装が話題となり、「和製マドンナ」と呼ばれました。
 92年にミュージカル「ミス・サイゴン」の主役の座を射止め、以後、「レ・ミゼラブル」など数々のミュージカルに出演し高い評価を得ていました。

 彼女は人なつこい笑顔の裏側で努力の人だったそうです。「1986年のマリリン」のセクシーなダンスやファッションが当時話題を集めましたが、衣装や振り付けは彼女のアイデアだったそうです。他人の前では絶対に見せない努力のたまものですね。テレビサイズのアイドルから飛び出し、女性ロックバンド活動に挑んだり、ミュージカル女優に転身したのも、アーティストとしての進化の表れだったのでしょう。1万3000人以上のオーディションを経て主役に抜てきされた「ミス・サイゴン」では舞台セットに挟まれ、足の指の骨4本を折り、7針を縫う大ケガにもかかわらず舞台を務め上げたそうです。

 本田美奈子.さんの命を奪った急性骨髄性白血病は、骨髄でつくっている芽球という、さまざまな血液細胞(白血球、赤血球、血小板)になる大もとの細胞ががん化する病気で、正常な血液細胞がつくられなくなり、白血病細胞が血液や骨髄のなかで増殖するそうです。主な症状に感染症(口内炎、肺炎)、原因不明の発熱、呼吸困難、多臓器不全など。日本での発症頻度は10万人あたり約6人。骨髄移植は患者と提供者の白血球の型が一致する確率が低いですが、赤ちゃんのへその緒などの血液である臍帯血を移植した場合はその確率が高くなるそうです。こうしたことなどから、日本でも急速に広がっています。89年に俳優の渡辺謙、00年にタレントの吉井怜が発症しましたが、どちらも闘病生活を乗り越え、見事に復帰しています。

 彼女の死に際して、誰かが「天使が天国に帰っていったのだ」と表現していましたが、まさにその通りだと思いました。天国から僕たちに、美しい歌声を聞かせて欲しいですね。



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