| 2011年06月29日(水) |
「アンダルシア 女神の報復」 |
7月公開の映画は見たいのがいっぱいあるので、ため込まないうちに
行ってきましたよ。まだ「JIN」の余韻もさめないというのに。
わたしにはとても面白かったです。
まぁ、ましゃの出番は大変少なく(そして登場するたび違う女と絡んでいる)、
戸田恵梨香ちゃんに至ってはさらに少なく(せっかく一人前の外交官になったというのに)、
それでもチラとでも出てくれれば大変に嬉しいファン心理。
(戸田恵梨香ちゃんに関しては「BOSS」でもそんな目にあわされつつも、やっぱり嬉しい。
しかーし! そういうファンばかりだと足元見られるのでどうぞ厳しい要求なさるファンも居てくだされ。←人まかせ)
黒田はいつものように、ほぼスーパーマンでいらっしゃいました。
007的ではない(秘密兵器使わない・色気垂れ流さない・女に手を出さない)けど、007並みに強いし
これ以上頼れる人はいないだろう、ってくらい頼れるし、
女にもモテる(ハズ。一見ガード固そうに見えますが、一見だけだろう。)
あらゆる言語を巧みに操り、文化や習慣も熟知し、要人からヤクザから一般人にいたるまで
誰とだって何の交渉だってできるし。
なので、今回の黒田がこれまでと比べて特に人間っぽくなったとは思わなかったのだけどなー。
ただ、懐が深くなったような印象は受けました。人間的にまた成長したというか。
インターポールの神足(寂しがりやの海の猿)や、事件の重要参考人の結花(メイサ嬢)も、
それぞれ複雑な過去を抱えているのですが、彼らと接する黒田が、いつもの黒田なのだけど何かしら
包み込むような懐の深さを感じさせるのです。いいっすよ、あの黒田。
そういう意味では、ましゃの言うとおり「ヒューマン」な黒田です。
話の展開もスリリングに意外な方向に転がっていって飽きさせないし、
メイサちゃんキレイだし、アクションもお話に必要な分量をきっちり押さえていて、
少なすぎずくどすぎず、結末にも満足。
大興奮!とか 大どんでん返し! というわけではないけど、
色々とほどよく素敵にまとまっていて、わたしは好きな作品です。
あとね、景色と街並みの美しさが素晴らしい。
スペインのロンダとか、まんまと行きたくなっちゃったもの。
そしたら公式HPにちゃっかりツアーのご案内とか出てますわよ。
雄大な景色、古くて美しい街並み、そこを縦横無尽に動き回るカッコイイ3人(黒田、神足、結花)を、
もうちょっとよく見たいので、もう一度見てみたい気もします。
でね、ファンの間ではもうおなじみでしょうけれど、TVドラマ版「外交官 黒田康作」の最終話の
ラストシーンから、この「アンダルシア 女神の報復」が始まるのですよ。
あの数日後とか数年後じゃなくて、あの数歩後、といった感じ。
その場面で黒田が「ガレットのおいしいこの名前のお店はどこですか?」と尋ねた
品のいいフランス人おばあちゃまは、「最愛」のPVでましゃと美しく幻想的なキスシーンを見せてくれた
女優さん(モデルさん?)でいらっしゃいますね。
ファン以外にはまったくどーでもいい情報でした。
見事に完結してくれましたねー。
しかも、最後の最後にきてこんなに美しいラブストーリーになるとは。
あの包帯男の出現の理由が、咲ちゃんを助けたいためで、
それを導いてくれたのが龍馬さんだったとは!
仁先生と咲ちゃんと龍馬さんの関係だけでなく、
仁先生に共感し、支えてくれた人々との日々は、あれほどの涙を流しながらも
なんとも美しい多くの名場面を見せてくれました。
奇跡というのは、何の努力や涙もなしにぽっと与えられるものではなく、
とてつもない努力と純粋な願いのはてにようやく生み出されるのだ、ということも。
仁先生の頭のいい後輩がタイムスリップについて理路整然と解説してくれましたが、
(スリップした当の本人の方が色々驚きつつ質問しつつ、熱心に聴講している様子がらぶりー)
正直なところ、ぱられるわーるどとか、無限ループとか、この脳みそでは咀嚼しきれないことが
数多くあるのですが、でもそれはわりとどうでもいいというか。
別次元の世界がいくつあろうと、そこに仁先生や咲ちゃんが何人いようと、
今「自分」と認識できる自分が、今生きている場所でどう生きてきたか、だけが問題なので。
仁先生は元の現代に戻り、咲ちゃんはそのまま生き抜いて医の道を進みながら天寿をまっとうし、
結局ふたりが結ばれることはなかったという、とてもとても切ない結末でした。
しかも、仁先生が江戸から消えた途端、江戸の人たちから仁先生に関するすべての記憶は消し去られ、
歴史にも「南方仁」の名前は一切残されず、そしてそれを現代に戻って確認した仁先生の記憶も、
いずれはすべて失われてしまうなんて。
でも、失われたのは記憶だけ、とも言えるわけで。
仁友堂のみんなのその後の医学界における活躍、
咲ちゃんが守った医院と野風の子ども、現代日本における高度な医療保険制度、東洋内科の存在など、
今現在にいたるまでのありとあらゆる事実はすべて、仁先生が江戸にいた、ということの証明になっている。
誰も証明する人がいなくても、誰も覚えてなくても、誰も知らなくても、仁先生本人すら忘れたとしても、
仁先生がその後の世界を変えたことは、人々の記憶以外のすべてが明確に物語っている。
そして龍馬さんが言ってたように、全部忘れても、見えなくても、聞こえなくても、自分たちは一緒にいたし、
これからもずっと一緒にいるのだと。
これはいったい最高に淋しく悲しいことなのか、それとも最高に幸せで素晴らしいことなのか。
きっと両方なんだろうな。
「記憶」はかなり都合よく、忘れたり捏造できたりするとも言いますな。
こうだったらいいなー、と思っていただけのことを、いつのまにか「こうだった」と自分の脳に事実として
記憶させてしまうこともできるとか。
でも、魂にはすべての記憶がちゃんと正しく刻み込まれているから、死んで魂だけになっちゃったら、
もう自分自身に嘘はつけない、と、江原啓之さんの本で読んだことがありますよ。
咲ちゃんが、うっすらとでも仁先生を思い出せたのは、
まさしくこの魂の記憶を呼び起こしたような感じでした。
自分では自分のことを「お腹の中はまっくろ」とか言いながらも、心底から純粋でけなげで強くて、
まことの無償の愛のひと、咲ちゃん。そんな咲ちゃんだったからこそ起こせた小さな奇跡。
素敵なお手紙だったので書いておきましょう。
○○先生へ
先生、お元気でいらっしゃいますでしょうか
おかしな書き出しでございますことを深くお詫び申し上げます。
実は感染症から一命を取りとめた後、どうしても先生の名が思い出せず
先生方に確かめたところ、仁友堂にはそのような先生などおいでにならず
ここはわたくしたちが起こした治療所だと言われました。
何かがおかしい、そう思いながらも、わたくしもまた、次第にそのように思うようになりました。
夢でも見ていたのであろうと。
なれど、ある日のこと、見たこともない奇妙な銅の丸い板(10円玉)を見つけたのでございます。
その板を見ているうちに、わたくしはおぼろげに思い出しました。
ここには先生と呼ばれたお方が居たことを。
そのお方は、揚げだし豆腐がお好きであったこと
涙もろいお方であったこと
神のごとき手を持ち、なれど、けっして神などではなく、迷い、傷つき、お心を砕かれ
ひたすら懸命に治療にあたられる、仁をお持ちの人であったことを。
わたくしはそのお方に、この世で一番美しい夕日を頂きましたことを思い出しました。
もう お名もお顔も思い出せぬそのお方に、恋をしておりましたことを。
なれど きっと このままでは、わたくしはいつか、すべてを忘れてしまう。
この涙のわけまでも失ってしまう。
なぜか耳に残っている 修正力という言葉。
わたくしは、この思い出をなきものとされてしまう気がいたしました。
ならば、と、筆を執った次第にございます。
わたくしがこの出来事にあらがうすべはひとつ。
この思いを記すことでございます。
○○先生、あらためてここに書き留めさせていただきます。
橘咲は先生をお慕い申しておりました。
橘咲
この文を書き終えて、もうお顔も名前も思い出せない先生を思ってにっこり微笑む咲ちゃんと、
それを読んでだーだー泣きながらも
「わたしもですよ。咲さん。わたしも、お慕い申しておりました」と、
にっこり微笑む仁先生の時空を超えたツーショは、ちょっとズルすぎだと思います! 泣かせすぎです。
すべての記憶と記録が消し去られてもなお、
咲ちゃんのこの文だけは現代の仁先生にまでちゃんと届いたのですね。
咲ちゃんあっぱれ。
歴史に名を刻む、後世に名を残す、というのは確かに素晴らしいことですが、
名を残さずとも、この世界が良い方向へ向かうための実績だけを残した人は、数限りなくいるのでしょうね。
自分の意思で、わざと名を残さなかった人もいるだろうし、
仁先生のように自分以外の何らかの別の大きな意思によって名を消された人もいる。
でも、実績だけで十分ではありませぬか。
仁先生も、咲ちゃんも最高にカッコイイです。
名も実績も残した龍馬さんももちろんカッコイイですが!
江戸の人たちの意識を変えて、自分も成長して、その後の世界も変えて、
現代に戻ったら過去に自分の名前がないことを悲しむより、仁友堂のみんなの活躍を喜ぶ仁先生。
これからもやっぱり泣き虫でちょっと色々気が回らないだろうけど
江戸にいたことなんて忘れて、これまで以上に多くの人々の命を救い続けるだろう仁先生。
「仁をお持ちの人」の使命は、6年間の誰にも知られぬ素晴らしい経験を経て、
これからも脈々と続いてゆくのですね。
感想書いてるだけでも涙が出てきますよー。
| 2011年06月23日(木) |
「ベッジ・パードン」 |

面白かったー。
三谷幸喜作品の舞台を拝見するのは「ろくでなし啄木」に続いて2回目なのですが、
三谷脚本の笑いは安心して楽しめますね。安心して笑えるというか。
弱さや情けなさを侮蔑する笑いではなく、そんな弱さや情けなさをもつ滑稽な人間を
いとおしむような笑い。自分にもああいうことあるさ、笑っちゃうよね、みたいな。
英国留学時代の夏目漱石(野村萬斎)と、彼の下宿先のさまざまな人々との関わりを
描いたものですが、本来は彼がロンドン生活に馴染めず苦悩しながらも、小説家への
道を歩み始めるという、非常に重い精神世界を描く予定だったそうなのです。
それが今回の大震災をきっかけに、こういう時だからこそお客さんを笑わせたいと
方向転換し、三谷氏にしては珍しい「ラブ・ストーリー」も追加したと。
本当に笑いどころがいっぱいですが、後半からラストにかけてはかなり深くせつないお話で、
ただ面白いだけのコメディではありませぬ。
英語がなかなか上達せず、英国人とのやりとりもギクシャクしている金之助(漱石)、
同じ下宿先の住人で、英語も堪能で社交的な日本人駐在員ソータロー(大泉洋)、
タイトルにもなっているベッジ・パードンというのは、その下宿先のメイド(深津絵里)の愛称で、
金之助が唯一、緊張せずに会話ができる相手。
ベッジの弟で、困ったことがある度に下宿をこっそり訪ねてくるブリムズビー(浦井健治)、
下宿の女主人、その夫、その妹、強盗、刑事、牧師、英国女王、街の人、はては下宿の飼い犬まで
計11役をひとりで演じ分ける浅野和之。
コックニーなまりのキツい生粋のロンドンっ子のメイドを演じる深津絵里が、
キュートで強くて優しくて最高に魅力的。
大泉洋ちゃんは、堂々とした日本人駐在員っぷりで、誰と絡んでもとにかく面白い。
とにかくとにかく面白い。そして実物は意外に(失礼)長身でスタイルもとても良くて、
ビジュアルも声も大変に舞台映えする方だったのだなー、と嬉しい発見。
11役のどれも最高に面白くて、それを次から次へと早変わりで演じ分ける浅野和之氏の
芸達者っぷりは目を見張るほど。すごいですこの方。
浦井健治さんのやんちゃな弟っぷりもすごくステキ。
で、ナマ大泉洋ちゃんと同じくらい楽しみだったのが、ナマ野村萬斎さん。
あの素晴らしい声をナマで聞いたらどんな感じかしらん、しかも現代劇で、と、
大変楽しみにしておりました。
やはり素晴らしかったですー。
世田谷パブリックシアターは600席と大変こじんまりした劇場なので、
あんなによく聞こえていてもきっと抑え目に発声なさっているにちがいないと思ったのですが、
本気になったらいったいどこまで届くのでしょうね。本当によく通る、低く深い声でいらっしゃいました。
篠井英介のお声のように聞こえることも度々。
言葉のコンプレックスを抱えているのは金之助だけかと思いきや、
実は登場人物全員がそれぞれ強烈なコンプレックスを抱え、それと日々格闘している。
紳士淑女の国で東洋人がちゃんと受け入れられているように見えながら、
実は厳然とした差別がある。
ということが、この下宿内でのさまざまな出来事を通じて実に巧みに描かれ、
いっぱい笑いながらもほんのりせつなく哀しくなり、そして一筋の希望を残したラストへと
向かってゆくのです。いいお話でした。
場面はずっと金之助の部屋なのだけど、質素ながらとても感じのいい部屋だなー、と
思っていましたら、美術が種田陽平さん。たしかに、これでちょっとやわらかい色みや草花を加えたら
「借りぐらしのアリエッティ」の世界になりそうでした。いいなー、ああいうお部屋。
そうそう、終演後のロビーでSPに出演していた野間口徹さん(尾形の実家に調査に行って暴漢に襲われたメガネの人)
をお見かけしました。SPの人だー! と、ちょっとテンション上がりました。
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