今日のおたけび または つぶやき

2011年07月10日(日)  ハリポタ第三巻読了



ハリポタ完結編の公開を目前にして、原作の読書の方はようやく第三巻目、

「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」を読み終わりましたよ。

この遅さ加減! がしかし、ほぼ予定どおり。 



第一巻332ページ、第二巻366ページだったのが、第三巻は468ページと、

ハリーの成長に合わせたかのようにボリュームも増えてきて、

それだけ壮大で重厚で面白い展開になるので嬉しいは嬉しいのですが、

英語ばかりの第1ページ目を読み始めるときはいつも、いったいこの最終ページに

たどりつくのはいつになるのだろう・・・と思ってしまったりもいたします。

でも、少しずつでも読み進めてゆけばちゃんと最終ページにたどり着くからびっくりよ。

カメさんの歩みあなどりがたし。




今夜TVで再放送される「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」は、

次に読む予定の第四巻で796ページ。とにかくかさばるし重いです。

いまどきこんな厚さの本を電車で読んでる人もいないと思ったりもしますが、

読むのは楽しいのよ。持ち歩くのは大変だけど。



全7巻すべて名作ですが、この「アズカバンの囚人」のラスト三章の展開も

本当に素晴らしい。なんでこんな面白いお話が考えつくのでしょう。(感想がいつも同じで申し訳ない)



第三巻ではハリーが「守護霊の呪文」(Patronus Charm)をマスターして

吸魂鬼(Dementor)を撃退するというのが、魔法使いとしての一つの成長段階となるわけですが、

パトローナスを作り出すには、呪文だけでなく「自分が一番幸せだった思い出」が

何よりも重要だというのが大変興味深い設定です。



相手を物理的に攻撃する呪文でもなければ、敵から逃げ去る呪文でもない。

自分自身を守り、強くし、結果的に何ものにも傷つけられない自分を作り出すのは、

喜びや感謝にあふれた想いから湧き出る力以外のなにものでもない、という、

なんとも深遠な考え方に基づいているのです。



訳者の松岡佑子さんが日本語版第三巻のあとがきにこう書いておられます。


 「誰にでも守護霊はいる。しかし、どんな困難に直面したときにでも幸せな気分になれる訓練を

 積まないと、守護霊を呼び出すことはできない。第十二章でハリーが守護霊の呪文の手ほどきを受ける

 場面で、ルーピン先生がこう言っている。「何か一つ、一番幸せだった思い出を、渾身の力で

 思いつめたときに、初めてその呪文が効く」。

 苦しいときにそれを跳ね返す力を自分の心の中に奮い起こすこと。それがとりもなおさず守護霊なのだ。

 呪文は自分の中からその力を引き出すきっかけを与えてくれるにすぎない。」



同意。

いくらハリポタが大好きだからといって、困った時に「えくすぺくと・ぱとろーなむ!」と

唱えようとは思いませぬ。でも、幸せな思い出がある自分、すなわちそんな幸せを味あわせてくれた

人たちや環境への感謝の気持ちというのは、がんばらなくてはいけない時の

力の源となってくれるのは確かかと。



今週末には公開かー。でも行きつけの映画館では最初は3Dと2D吹替しかやらないようなので、

ちょっと待って2D字幕が出てから観るかなー。早く観たいけど。

もともとメガネ着用者の自分には、メガネonメガネとか何の罰ゲームっすか! 

鼻の上が重いし下向けばズレるし、集中できませんことよ。






2011年07月05日(火)  ウルトラマン顔は目に涼しい



ヒガシご出演の番組をいくつか拝見しました。映画「小川の辺」のプロモですね。


この方はいつ見ても涼しげで清々しいお顔立ちと佇まいでいらっしゃいますな。

とにかく猛暑なのだから、これ以上目にも耳にも暑苦しいものはカンベンしてください、な、日々には、

こういう方のメディア露出は節電に一役買ってくれそうですよ。(いやそこまでは)

こんにゃく食べる様子すら涼しげでした。(@「満点青空レストラン」)



いつでも舞台に立てるようにトレーニングを怠らないから、

いつもキレイなビジュアル、いつ脱いでもビルドアップされたお身体、

いつでも声が出る、いつでも踊れる、ということで、それは懐かしの「仮面舞踏会」を

ちょこっと踊ったくらいでも(@「新堂本兄弟」)、動きの美しさキレの良さに歴然と表れていて。



美しい動きや所作というのはつながってゆくものなのか、ダンスのみならず「必殺仕事人」の

渡辺小五郎役にも見られる通り、時代劇での所作や殺陣も素晴らしいですし。



朝日新聞のいつぞやの夕刊にも

「20代より体の使い方がうまくなった。衰えを補って余りあるぐらい」と

語られていましたが、本当に身体も中身も素敵な歳の重ね方をしていらっしゃる。


自身にとって武士道とは何か、という問いには、

「人としてちゃんと生きるということ。人とどう接し、社会人としてどう生きていくのか。

死ぬのではなく、人も生かし、自分も生きるというのが僕の理解です。」



この言葉どおりの姿勢が、先輩や後輩と接する際に発揮されているのですね。

がんばっている後輩のことは常に気にかけてくれているし。




上司でも先輩でも、手下が欲しくて部下や後輩を取り込もうとする人もいっぱいいるけれど、

この方は、一同業者として後輩のことを気にかけ、頑張れるように背中を押してくれる懐の深さを

感じます。でもカタいだけじゃなく、ほどよく遊んでイジッてくれて「口が軽い」という

素晴らしいバランスの良さ。後輩に対してだけでなく、自分が下っ端だった頃の先輩への

接し方やサポートの姿勢もさすがだなと思いましたし。(@「5LDK」)



お仕事がんばろう! と思ってる人たち(先輩後輩問わず)には本当にありがたい存在だけど、

ラクしたいだけの人には「手ぇ抜いてない? ラクな方向にばかり行ってない?」って、

すぐ見抜かれそうで、うっとおしいことこの上ないでしょうな。



ジャニーズの動向にはすっかり疎くなってしまいましたが、それでも個人的には、

ヒガシー光一ー滝沢 というのが正統派ジャニーズの系統で、

いずれも実に腹の据わった最強の座長族でありエンターテイナーである、

という印象はずっと変わっておりません。


この後を継ぐのはどなたなのでしょうね。







2011年07月03日(日)  「コズミック フロント」が素晴らしすぎる



お暑うございます。


暑いのは本当に苦手で、気温が28度を超えると塩かぶったなめくじ的に

しょわしょわしょわ〜と元気がなくなります。

よりによってこの猛暑の中、節電のための最大限の努力が求められることになったわけですが、

追い込まれて考え抜けば、思いもよらないアイディアや技術も絶対生まれるはずだと思うので、

大震災→脱原発→エネルギー政策の見直し を迫られる2011年をきっかけに、

日本は多方面で大きな飛躍を遂げられるかもしれませんね。



ということを、大好きな「コズミック フロント」(NHK)を観るたびに思います。

宇宙の話大好き人間にはたまらない番組でして、宇宙ってどんだけ人間の想像力を超えた

存在なのかしらん、と、感動しきりなわけですが、それ以上に素晴らしいのが、

それを調査し、解き明かしてゆく人間の頭脳。



何万光年も離れたところにある星の非常に詳細な情報なんか、わかるわけないじゃーん

というか、調べようがないじゃーん、と思うのだが、調べる技術が試行錯誤の上にちゃんと生み出されている。

その星が、生まれてからどのくらいで、どんな成分で構成されていて、内部や外部はどのように動いていて、

どのような色や温度で、これから先どうなってゆくか、それが遠く離れた地球にどんな影響をもたらしてきたか、

これからどんな影響をもたらすか、ということを、人間はちゃんと調べて知ることができるほどになっておるのです。



すごくね?



視聴者というか一般人が見せてもらう星や宇宙の画像は、どれも美しく雄大で幻想的だけれども、

調査にあたっている第一線の研究者たちが見ているのは、

どれもほぼモノクロで、ぼんやりとピンボケもはなはだしいようにしか見えない写真か、

膨大な計算式から出された数字の羅列や記号ばかりです。


でも、研究者の皆さんにとってはそれらはまさしく宝の山で、わくわくと瞳を輝かせながら

何年もかけて気の遠くなるような緻密さで分析し解析し、最終的にまるで肉眼で至近距離から見ているかのように

描き直してくれるから、わたしたちにも「ああ、宇宙ってこうなってるのね」とわかるわけで。

太陽の中に入って内部構造を観ることも、銀河を俯瞰で観ることも、生身の人間には絶対にできないけど、

もはやあたりまえのように、美しい映像でそれを目の前に示してもらえるのですよ今は。



どれほど不可能と思われることにぶつかっても、それをひとつひとつ丁寧にクリアしていく様子に、

人間にはこれほどの想像力、発想の転換力、限りなく緻密に物事を進めてゆく根気、があるのだと、

宇宙の神秘以上に、人間の底力の凄さに感動するのです。




ま、それに比べ、目の前のちっちゃいこともなかなか解決できない自分の日常を思うと、

やっぱり、取り組む真剣さや根気が足りないのかしらね、と思ったりするよね。

追い込まれてもとことん考え抜いて必死に試行錯誤を繰り返せば、

たいていのことはどうにかなるんじゃないかしらね。




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