今日のおたけび または つぶやき

2011年11月14日(月)  ベラ姐さんが大好き



結局「妖怪人間ベム」が一番楽しみなドラマになってしまいました。


ベラ姐さん美しくてカッコいいし、ツンデレさんでらぶりーだし。

ベムには多くの悲しみを優しさに変えてきた圧倒的な品格があるし。

ベロは無邪気でまっすぐで、とにかく可愛らしい。

絶妙の組み合わせっすよね、この3人。



人の弱さとか醜さに立ち向かおうとする彼らが、本当は一番弱い立場に置かれ

自分たちの醜さも自覚しているというのが、なんともせつなくもあり、力強くもあり。



人間から多くの心無い仕打ちを受けてきても、彼らを全否定することはないのよね。

納得できることだったらちゃんと聞き入れて、そんな人間からでもちゃんと学んでいる。

ベラのぎょうざ作りや白線歩きしかり、ベムのハグしかり。



ベロなんてもう、仏様のようではありませんか。

助けて癒してあげることしか考えてない。

キズが痛いといえば絆創膏を貼ってやり、いい匂いの花を差し出してやり、


バケモノ呼ばわりされ蹴り飛ばされたりしてるのに

「しょうがないよ、おいらこんなだもん」と、それでもおばちゃんは優しいと庇い、

もみじの葉を拾って「こっちはベラの手」「こっちはベムの手」とふたりのことを想う。




3人の願いとは真逆で申しわけないが、

このままそんな優しくてカッコいい妖怪のままでいていただきたい。

見慣れちゃったらあの妖怪の姿も全然怖くなくなったし、

中身があんなにオトコマエってわかっちゃったからには、妖怪で何が悪い!ってなもんです。


ああ。人間って単純。





2011年11月11日(金)  ストーブ出した



一昨日、やっとストーブを出す気になり(同時に扇風機をしまった)

昨日、灯油を入れて「これでいつでも使える♪」ようにして、

今日、この秋初めてストーブをつけてみました。

冷たい雨にちょっとわびしい気分になっていましたが、温かい火はいいねー。

そう思える季節もいいねー。



ハーマイオニーの得意の魔法に「持ち運びできる火」というのがあって、

美しいブルーの炎をジャムの空きビンに入れて、明かりにしたり手を温めたりしていましたが

雨がしとしと降ってうすら寒い夜には、そんな小さな炎をそばに置きたくなります。

魔法を使えないマグルはキャンドルを灯せばいいだけの話ですが。



なんだか今年は春と秋がすごく短い気がします。

夏と冬しかない日本なんてー。





2011年11月08日(火)  本当は「自分好き」なわけではないましゃ



先週のましゃラジオでもなかなか興味深いお話が。



大泉洋ちゃんに「福山さんは自分自身のことが大好き」と言われたように、

ご本人は本当に自分のことが大好きかと思いきや。



全然好きじゃないんですって。(とは言え、嫌いというわけでもないが、決して好きなわけではないと。)



そ「でもアーティストって多少自分のことが好きじゃないとやってられないんじゃないですか?」

ふ「あー。また勘ちがいしてるねー。全然好きじゃないですよ。

  好きになるために20年くらいがんばってますけど。」

そ「じゃあ昔に比べて少しは好きになってきました?」

ふ「あー。・・・たまに。」 ←すごくアンニュイな響きで

そ「それはどういう時?」

ふ「狙っていたことがうまくいった時とか、思いもかけずいいテイクが取れた時とか。音でも映像でも。」

  そうちゃんは自分のこと好き?」

そ「わたしはやっぱり、自分のイヤなとこばっかり目につきますよね。」



ふ「詞とか書く人は自分のこと好きにならないですよ。自分のイヤなとこばっかり見ることになっちゃうから。

  うそっぽいこと書いたら、『あ、これウソだな』って自分でわかるわけじゃないですか。

  『この一行って嘘偽りのない自分の気持ちが現われてるな』っていう部分は、決して明るいことだったり

  前向きだったりするわけじゃないもの。詞を書いていると、そういう自分のネガティブな部分を観る事になるから、

  自分のことは好きにならないと思う。



ふ「洋ちゃんは自分のこと好きだと思う。メイクの時に、鏡に映る自分を超オトコマエな顔で見てるの。

 『ねえ洋ちゃんどうしたの? なんでそんな顔してんの?』って訊いたら、

 『僕はね、福山さんみたいにいつもかっこいいわけじゃないんですよ。

 だからぼくは、自分のかっこいいところを鏡を見ながら探して探して、

 これカッコイイな、と思ったトコで止まってるんです』って。←洋ちゃん面白すぎ! そして説明が正直すぎ!

 だから洋ちゃんも、ひょっとして自分のことがあまり好きじゃないから、

 好きなところをそうやって探してるのかもしれないけど。」




ふ「自分のことを好きにならないとダメ、みたいな風潮があるじゃないですか。でも俺はそうじゃない。
  
  今の自分は絶対ダメだ!って思ってしまって、自己肯定があまりできない。

  ダメだから向上しなくてはいけない、とは思うけど、ダメな自分を認めよう、ってことにはならない。

  ダメな自分は徹底的に改善して、それでも治らない場合はそれは保留、みたいな感じ。

  だから今の風潮とはちょっと違うかもしれない。古い人間なのかな。」 




もし、わたしも誰かから「自分のことを好きになれ」なんて説経されても(そんな説経される機会はないとは思うのだが)

「はいわかりました」とはまいりませぬ。

天から二物も三物もそれ以上も与えられているように見える人でもこうなのに、

凡人の極みの自分が「あたしって最高」とかなるわけないものね。



それに、自己肯定が強い傾向にある人が、他人のことも同じように肯定するとも限らない。

むしろ「ありのままの自分を認めろ」とか、ぐーたらな自分を棚に上げてまわりからの優しさばかり

求めたり、それが叶えられないと世界で自分が一番の被害者みたいに嘆いてみたり。


自分を肯定して自分を好きなら、それだけで満足してればいいのに、

その上まわりからの賞賛も分不相応にも得ようとするから、大変に迷惑なことになったり。

というか、これはもう「自己を肯定する」ということではなくて、ただ単に「自分にだけ甘い」

ってことなのではないかと。




だからやっぱり「自分はまだダメだ」と自覚しつつ、そんな自分をどうにかもうちょっと成長させようと

がんばる人の方がステキだし、単純にそういう姿はカッコいいと思うし、そういう人に憧れます。

それに、向上心のある人の方が感謝の気持ちを表したり「ありがとう」を言う回数が多いというのも事実。

自分に甘い人は他人にも甘いかというと全然そうではなくて、感謝の言葉よりも不平不満の方が多いというのも事実。



自分はダメだ、と思ってる人の方が不平不満が多そうに思えるけど、全然逆なのよね。おもしろいね。




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