眼圧がちゃんとコントロールできているかチェックのために毎月1回は行かねばなりません。
眼圧コントロールといっても、毎日1回目薬をさすだけなんだけどね。
習慣になってしまえばなんてことないのだけど、「毎日やれ」と言われると、
どんなに簡単なことでもうっとおしくて負担に思ったり。
でもそれが今のところ、眼圧を下げる唯一の方法で、眼圧が高いままだと緑内障になる
危険がかなり高い、と言われたら、そりゃやるしかありませんでしょ。
生きている間は、できるだけ目はちゃんと見えていたいもの。
ステキなオトコマエさんの姿はいつまでも観ていたいもの!(がんばる動機なんてしょせんそんなもん)
ちなみに眼圧は血圧とは関係ないのか、わたしの血圧はむしろ低いほうです。
で、毎月必ず視力と眼圧を測定し、数ヶ月に一度は視野検査をし、
さらに数ヶ月に一度はOTC検査(眼底写真のもっと精密なもの。視神経繊維の欠損が正確にわかる)をしているので、
もし視野がちょっとでも欠け出したら、すぐわかるようになっております。
視野検査で見えない場所があったりすると、データとして円形の中の点々が黒くなって表示されるのだけど、
わたしの左眼には、ぽつんと一箇所だけ、見えずらいところがすでにありますの。
でも本当にぽつんと一箇所だけなので全く問題がなく、「見えない」なんて自覚症状ももちろんない。
先生に「見えずらいという自覚症状が出るのはどのくらいになってからなんですか?」と聞いたら、
「自覚症状が出たら本当に末期なんですよ。たとえば、この円形の四分の一が全部まっ黒になったとしても、
パソコンのカーソルをちょっと見失うくらいのものなの。それくらい自覚症状がない。
先日は、『ちょっと見えずらい』というお年寄りがいらして検査したら、片目が円形ほぼ全体がまっ黒の結果が出て、
僕の方がびっくりした。片目は中心部のほんのわずかを除いて見えていないのに、もう片方の目はちゃんと見えるし、
両目とも視力はいいから気づかなかったらしいの。」
「わたしは視力も悪いし、これで視野が欠けたら何も見えなくなっちゃうから、気をつけなくては」と言ったら、
「あなた、視力はいいですよ。」 「は? これほどのド近眼で、メガネはずしたら何も見えないのに?」
「メガネかければちゃんと見える人というのは『視力はいい』人なんです、眼科医的には。
メガネをかけても見えない人を『視力が悪い』人と言うんです」と。
ほーーーーー。知らんかったー。目からウロコですわー。
なにその超ポジティブ。(いや、医学的にちゃんとした基準なのだろうけど)
メガネかけてちゃんと見えれば「視力はいい」だと? こんなに見えないわたしに向かって。
まるで「骨折してなきゃ怪我ではない」(by某オトコマエ座長)ほどのポジティブさに、
妙に元気づけられてゴキゲンで帰ってきましたよ。
その理屈でいくと、たとえば足が悪くても、「杖ついて歩ければ健脚」。
たとえば貧乳でも「寄せて上げて谷間ができれば巨乳」みたいなもんですかね!(どんどんズレてる気が)
なんかそれでオールOKな気がしてくるよね。ブラボー大雑把!
そして帰宅したら寝顔版「生きてる生きてく」届いてたー。
可愛すぎる43歳のPV最高だったし、ライブテイクの「逃げられない」も「Dear」もヨカッタ。
そして、歌詞カードのブックレットがまたステキだった。
こんなステキなお写真いろいろのブックレットも付いてるなんて全然聞いてませんでしたよ!
自然の風景も、その自然に溶け込んでいるましゃも、
そしてなぜか馬が! 優しそうなまなざしの馬のお顔アップが最高なんですよー。
あのやわらかそーな鼻づらなでたい。なーでなーでしたい。
2012年03月27日(火) |
名言の宝庫ましゃについての考察 |
ましゃ主演の映画ですって!(公開は来年秋だけど)
エリートサラリーマン役らしいですが、「とにかくイヤな奴」だそう。
是枝監督曰く、
「とてもまっすぐで爽やかだったので、全く逆の人間をやらせたら面白いんじゃないかと思いました」
ですと。楽しみにお待ちしております。
そういえば先日、SMAPの吾郎ちゃん主演のドラマ「Dr.検事モロハシ 」を観ました。
悪役じゃない吾郎ちゃんを久々に観てすっごく新鮮でした。
吾郎ちゃん悪役づいてたものなー。『十三人の刺客』の極悪非道っぷりとか、凄まじかったもの。
あそこまでではないとしても、もし映画のましゃを観ながら「こいつ地獄に落ちやがれ」なんて
思ったらどうしましょー。どうしましょー。ま、それはそれで面白いか。(いいのか)
さて、先日の続きですが、ましゃはなぜあんなに名言の宝庫なのか、についての考察。
考察する必要なんてまったくないのだけどね!
いいこと言う人だなー、外見だけじゃなくて中身もオトコマエなんだなー、で、いいのだけどね!
でも、いろいろお話を聞いて「ああ、だからか」と思ったこともあったので。
結論から言えば、考えて考えて考え抜く人だから、ということに尽きるような。
意外に人は考えてなかったりするような気がするのです。直感が大切とはいえそれに頼りすぎてしまったり、
考えてる気分にだけなって、実はすっごく浅いところをうろうろしているだけだったり。
自分を顧みてもそういう面はとてもあります。
ましゃの場合は、すごく深いところまで理路整然と考える習慣ができている人とお見受けいたします。
でもそれだけじゃない。以前ご紹介した天文学者さんのエピソードからもわかるように、
経験や出会いが教えてくれることや、見えたまま聞いたまま以上に深いところにあるものを、
的確に読み取ることできる人だ、という大前提がまずある。
経験を積んだ大人ならみんなそうかと言えば、そんなことは決してないので、
やはりこれはご本人の人間性が培った素晴らしい能力なのだと思います。
そして、そんな風に読み取ったり、考え抜いたりしたことを表現する「言葉」の選び方も、とんでもなく緻密。
それらが、以前ラジオで話されていた「どのように作詞するか」に、とてもよく現われていたので、
抜粋しつつご紹介。
福「(書き始めの)最初の詞はやっぱりどうしようもないものなんですよ。
稚拙な考えとか稚拙な表現とか、とても人に見せられたものじゃない。
例えば、『何かを得るために何かを失う』みたいなことってよく聞くし、
『失ったものを数えて、それはもう取り戻せない』みたいなセンチメンタリズムってみんなあるじゃない?
そのくらいの浅いところから始めて、それに対して自分でつっこんでいくんです。
例えば、『ほんとなのこれ? 何かを手にして何かを失ったって、具体的に手にしたものって何よ?』 みたいな。
たとえば、いままでより良い広い部屋とかを手に入れたとして、『なくしたものって何よ? あの頃のひたむきさ?
情熱?純粋さ?』とか。よくあるでしょ。
で、それを書き出してみて眺めて、『本当にそう?』ってまた突っ込んでいくの。
『まっすぐさとか、ひたむきさとか、自分でそういうこと言う?』みたいに。で、どんどん精査して、
厳しいツッコミを自分に対して入れていくことによって、本質的な感情が浮かび上がってくるんと思うんです。
『生きてる生きてく』に関して言えば、『大人になるってイイことなんだ』って言いたかったの。
それをどう言うか考えたときに、『色々な悲しみなどを乗り越えてここにいるんだよ』なんて言うと
浅いじゃないですか。『乗り越えるって何をどうしてきたんだ?』って考えてると、
『いや待て、乗り越えてないかも』ってなり、『実は乗り越えてなんかなくて、無視してきたんじゃないか、
失敗なんてずっとしてきたし、昨日もしたな』と。そういうツッコミをしていくんです。
どの部分で自分に対するツッコミが止まっているかで、その人の歌詞の深度が違ってくると思うんですよ。
ある程度のセンチメンタリズムで止まってると、その人はそこでツッコミをやめてるということで。
俺ももう大人だから、浅はかなとこで(ツッコミが)止まってちゃいけないな、っていうのがあるんです。
究極的に自分にツッコミを入れていくと、自分って相当ダメな人間だということがわかります。
人には言ってないし見せてないけど、相当ダメなヤツだな俺って、って。
そういうことって人には誰でもあると思います。
その(ダメな自分の)どの部分を切り出すかが問題なんですよ。あまり言っても仕方ないこと詞にしてもね。」
以前もおっしゃっていましたが、作詞するたびにプチうつになるそうですよ。
どんどん掘り下げていって自分のダメなところをえぐるようなことになるから。
でもそうしないと、ご本人的には浅くて説得力のない詞になってしまうということなのでしょう。
聞く側がが「この言葉いいなー」「名言だわー」って共感したり感動したりするものは、
ましゃの中でこれくらい考え抜かれて選び抜かれて出てきたものだからなのでしょうね。
歌詞にしても、その他のコメントにしても。
でも、言葉の扱いって本来はそのくらい気をつけるべきなのだろうな。
不用意なたったひと言で、どれだけの人が足をすくわれていることか。
2012年03月25日(日) |
なくした と 手放した |
ドラマも全部終わっちゃって、これについても語りたいし(あんな貴一やこんな貴一を観れなくなった寂しさよ)、
やっと15分(たまに20分)は続けて走れるようになったけど
体重も体脂肪率も全然かわりませんよ、ということも語りたいですが、
ましゃ先生の名言をまたまた見つけてしまいました。
ったく、またご紹介せずにはいられないじゃないですか、もういいかげんにしてくれませんか、
と、ちょっと困ったフリして実はただ喜んでるだけですよー。
雑誌もまだまだ立て続けに出ますが、今回は「オリスタ」。
インタビューページのピンクのトレーナーが最高にお似合いです。
うん。ピンクが似合いすぎる43歳。
インタビューのタイトルは「大人になるって素晴らしい!」
ーー大人になって汚れちまった・・・的な歌は結構ありますけど、”大人でよかった!”と
堂々と歌ってる曲って、そういえばあんまり印象にないですね。
福「作風としてイノセンスを歌い続ける、みたいな風習ってありますけど、デビュー20年を超えたら、
そこは正直にならなきゃダメかな、と(笑)。だって大人になってイヤなことっていえば、多少体力が落ちたとか、
生活が大変、人間関係が辛い、とかですよね(笑)。僕は、大人になってからのほうが、自分でいろいろ
決められるし、良いことのほうが多いと思ってます。何かを手にして、何かを失ってしまったとかいうけど、
確かになくしたものはありますけど、それをいつまでも引きずってても前に進めないですしね。
しかも、この年齢になるとなくしたものが多すぎていちいち覚えてないぞ!と(笑)。」
それくらい、みんな普通に失ってたりする。」
わたしも、大人になってからの方が生きるのがずっと楽になったような気がします。
そりゃ義務も責任もあるし、面倒なこともイヤなこともありますが、少なくとも自分で考えて行動できる。
子供の頃は、何をどうしていいかわからないし、実際何もしようがなかったりもしたから、
ただただ受身の状態で不安におびえていることが多かった気がします。ほんと、気弱な子供だったことよ。
大人になったら少なくとも、不安要因に対して何らかの行動を起こすことはできますもの。
で、いいことおっしゃるわー、と思ったのは次の部分。
福「あと、”なくした”のと”手放した”のは違いますよね。次に進むために手放したものがあって、
その選択を後悔してるんだったら、それは選択の仕方を間違えていただけで。
それをいつまでも後悔してるんだったら、それを補って余りあるだけの未来を手に入れるために、
いま努力しなきゃいけないんじゃないかと。」
オトコマエの上になんでこんなにいいことおっしゃるのだ。
後悔し続けてても何もいいことないのに、そうやって罪悪感にさいなまれていることが贖罪になるみたいな、
あるいは純粋で繊細で優しい人間の証であるみたいな、そんな感覚があったりするものね。
でもそれって、「いまやるべきことをやらない」ことの言い訳にすぎないし、大人の態度ではないですね、確かに。
他にも色々と興味深いことをおっしゃっていましたが、それはまた後日。
ラジオでは下ネタもふつーにおっしゃって男のエロさ丸出し発言(でも下品にはならない)もしょっちゅうですが、
生き方の指南をしてくれる哲学書のようなスピリチュアル本のような発言もしょっちゅう。
エラソーにも説経っぽくもならずに、サラッと。
なぜこのオトコマエさんは、こんなステキなことが言えちゃうのか?
それについてもまた後日。
|