
朝ごはんは真っ直ぐ向き合って。
昼ごはんは肩の力を抜いて。
晩ごはんは何も喋らず。
そしてデザートは斜めに腰掛けて。
そんな自分がいた。
写真:『揺らぐ手前』(宮崎県椎葉村にて)

今日の朝ごはん。
なわけはない。
南瓜の味噌汁、赤鯛の煮付け、白米。
いつも決まって味噌汁の具から手をつける。
そして汁を啜る。
ふと目をやれば自分の顔が映り込んでいる。
なんか落ち着く。
そこにあるべきものがある安堵感。
それが朝食にも反映される。
今日一日も頑張ろうという気になる。
写真:『新しい芽』(大阪府高槻市にて)

蒸し暑いので起床予定時刻の3時間前に起きた。
天候は快晴。
外は蝉時雨。
額にうっすらかいた汗が夏らしい。
台所に行くと三ツ矢サイダーが置いてあった。
グラスに注ぐと白い泡。
思わず泡を吸い取る。
いつの間にかこれがビールに変わっていく。
ビールの泡を「おちょちょちょちょ〜ぃ♪」
別にビールが飲めないからとかじゃなくって。
今年の夏も暑くなりソーダー。
写真:『サイダー』(大阪府高槻市にて)

55%攻撃論。
あまり耳にしない言葉だ。
それもそのはず。
これは伊勢丹に根付く精神論なのだから。
内容は至って簡単。
可能性が半分(50%)を少しでも上回ったら「とりあえずやってみる」
サントリーなんかの企業理念なんかともよく似ている。
では残りの45%はどうやって補うのか?
答えは至ってシンプル。
「努力」のみである。
僕はこの「努力」という言葉が好きだ。
もちろん言葉には何の意味も持たないが。
狭い狭い実社会で何よりも力を持つと信じている。
精神論の占めるところも大きいが、やはり努力次第でなんとでもなる。
才能だけがモノを言う芸術などに比べてスゴクわかりやすい。
経験上、高校受験も大学受験も「努力」に比例する。
「頑張らない」で最大限の効果があるように見せる人も多い。
でもそういう人も「影での努力」、 そして「表に見せない努力」という人一倍の努力をしている。
才能だけでという人はいないというのが私見だ。
だから僕はある程度以上の努力をしてきた。
また、努力は形に実らなくてもプロセスとして評価される。
これを知っているのと知らないのでは大きく異なる。
もちろん努力が実らないことも多々ある。
多々ある、というか大概がそうだろう。
でも世間の定説は「やまない雨はない」
つまり「報われない努力はない」
努力したものが馬鹿を見る現実を少しでも覆い隠す。
松井秀樹は良い言葉を残している。
「僕は努力を続ける才能を持っている。」
彼の戦っているフィールドは「野球」
努力がものをいう。
とは中々言い切れない。
やはり運動面における才能は否めない。
でも彼はそれをも含めて「努力の才能」と評している。
松井は「努力の量」を闇雲に言ってるのではない。
「努力の方向」と「努力のタイミング」
自分自身で考えなければならない。
そしてそのためには「努力すること」に対して前向きである必要がある。
「努力すること」を隠す、もしくはそのように見せかける。
それを見破れない人はよほどの馬鹿だと思う。
大学時代の友人が「頑張らない」ことを頑張っていた。
これは一見愚かな考えだと見える。
でも実は考え抜いた末の逆説的レトリック。
「頑張らないことを頑張ること」の難しさ。
それを理解したうえでの言葉だと深く心に残っている。
「頑張らないより頑張る」
僕みたいな不器用な人間には簡単でちょうど良い。
写真:『日曜日の応援〜子供たちの戦い〜』(京都市右京区にて)

毎日ノートを書いている。
その日に学んだこと、感じたこと、反省点・・・
特に自分の頭で考えたことを一番書くようにしている。
ただ、自分のキャパ不足ということもあり、復習ができていない。
書くことに必死になっていて、見返すことが少ない。
特に自己満足で書いてるわけでもないが、意識の問題だろうか。
こういう時に同期がいて良かったと思う。
写真:『reverse』(大分県玖珠町にて)

知らないうちに。
結構ありますよね。
知らないうちに嫌いなピーマンのジュースを美味しく飲んでいた。
とか
知らないうちに通りがかりの変質者と肩を組んでいた。
とか。
近頃はまっていることは日焼けした肌の皮剥きです。
あの’ペリッー’と剥ける快感。
まさしく依存性・愉楽性があります。
で、その剥いた皮をいつかの蚊取り線香の灰みたく・・・
集めて××してい×××(自主規制)
よーく眺めていると透き通るような感じと、 これまで自分の体の一部であったという寂しさ。
そして自分の汗と垢の結晶ともいうべき満足感。
味は無味。
手触りは柔らかく、そして伸縮性に富む。
そんな「皮」に憑り付かれています。
世界四大珍味とか言って誰かに食べさせたいなぁ。
写真:『見ようによっては』(京都市右京区にて)

今年の夏は例年に比べて蚊が少ない。
毎晩裸に網戸で寝てるけど、全く大丈夫。
これだけで全然違う。
この世から絶滅しても良いと思う数少ない動物。
今後どうなるか知らんけど、マラリアとかマッピラ御免やし。
それでも絶滅の危機に瀕したら指定とか受けるんかな??
とりあえずこれを書いた今晩以降も蚊が出ないでください。
書いてしまったから逆に出てきたり。
なんか幽霊みたいやけど、どうでもいいや。
健やかなる眠りを。
写真:『put your hands up』(京都市中京区にて)

昨日の日記で繊研新聞のことについて書いた。
今日はそんな社会人になってからの情報収集について書こう。
僕は新聞があまり読めない。
読書は好きだが、新聞はどうも苦手だ。
それは狭い解釈をすると社会人のための教養科目だから。
大学時代の一般教養科目と同じようなもの。
たしかにあるに越したことはない。
でも興味ないものはない。
広い視野も必要ない。
大人になるための必須条件でしかない。
偉くなるため、仕事に支障を来たさないため。
そんなんが嫌だ。
本末転倒極まりない。
・・・おっと。
思わず新聞批判を始めるところだった。
とにかくそんな僕でも新聞は読み始めたということ。
日経新聞と朝日新聞、そして繊研新聞。
他にも覗いているのが「百貨店業界NEWS」というもの。
日経NETの「景気ウオッチ」と同業他社のHPも貴重な情報源。
あと全く関係ないものでは・・「MJR」と「VOA」
前者は置いといて、後者は英語の勉強用。
正式名称は「Voice Of America」
オンラインのニュースだが、スピードがちょうど良い。
そんなわけで今日も3時就寝。
おやすみなさお!!
Jリーグカレーよ。
写真:『黄色の花』(京都市下京区京都駅にて)

会社からの新人教育の一環で繊研新聞を取り始めた。
学生時代から暇な時は図書館で読んでいたが、これが面白い。
そもそも繊研新聞とはアパレル・ファッション業界向けの新聞。
ファッションを謳うだけあって、 というか小売業界との関わりも大きく非常に勉強になる。
毎日目に触れるのはやはり違う。
図書館にふらっと立ち寄って読むのとは違う。
そして何より姿勢が違う。
その業界に身を置いているということ。
同業種だけでなく異業種にも興味は自ずと向けられる。
定期購読してる人も周りにいるし、これぐらいは読もうかな。
写真:『緑が入った』(東京都中央区銀座にて)
2006年07月20日(木) |
夏の始まりが終わった |

日記を長い間サボっていたが、白痴のように過ごしていたのではない。
10日間ほど長期休暇を頂いていて、日本のどこかにいた。
普段太陽の光を浴びれないのでここぞとばかり日光浴。
そうそう、日本のどこかと書いたのも満更でもない。
ある日は兵庫の姫路市。
ある日は京都市。
またある日は鳥取市だったり長野の松本市だったり。
広島市、名古屋市にもいた。
でも10日間の在宅時間は半日ほど。
学生の頃のような放浪癖の再来となりました。
当分は長期休暇もないので、真面目に仕事頑張ろうと思います。
それにしても日焼けがイタイ・・・
写真:『車窓からの朝陽』(愛知県名古屋市にて)
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