
太陽が出ているだけで幸せ。
そんなことに至福の喜びを感じられるのは良いこと。
でもそんなことにしか幸せを見出せない現実は辛い。
写真:『仲良くお昼ご飯』(東京都台東区上野公園にて)

疑問に思ってる人は多いと思う。
「コマ」がどうして「独楽」という字を書くのか。
調べてみるとやはり色んなことが書いていました。
結論からいうと類音からという説のようです。
その昔中国では「獨楽」と言われ、それが伝わったようです。
他に地方によっては「骨」「地雷」「風螺」「冰猴児」なんてものも。
今では電磁力により永久的に回り続ける独楽もあるとか。
写真:『懐かしい風景』(京都市中京区寺町商店街にて)

素直なこと、純粋なこと。
をあまり出すべきでないと思う。
それについて話をすること自体が欺瞞に満ちている。
同じような理由でそのような評価を他人に与えるべきでないと思う。
それらしく振舞ったり、自分を押さえ込んだり。
悲しい話、どちらも無関心を装うのが一番簡単だと思う。
写真:『透き通った先に映るもの』(京都府乙訓郡大山崎町宝積寺にて)

おなかがすいたら眠ろう。
眠たくなくても眠ろう。
眠れなかったら眠れるように体を疲れさそう。
バットを握って素振り1000回。
おなかがすき過ぎて握れなくなったら、才能なし。
写真:『手垢まみれのバット』(兵庫県西宮市上ヶ原にて)

最近「おじぃちゃん」を「おじぃちゃん」と見れなくなってきた。
今までは老人は老人としてあるものとして、 同じように若者は若者として考えることが当たり前だった。
でもその人の少し昔を考えてみると、 それぞれの昔話や思い出により今が作られている。
青春時代があり、甘酸っぱい恋をして、必死に生きてきた。
この写真のおじぃちゃんもそれに漏れることはない。
言うまでもなく、それを最も感じているのは当の本人だろう。
そんな思いが軋轢となったり蟠りになったりする。
そしてまた辛い思いをするのは、なぜか年配にあると思う。
おじぃちゃん、おばぁちゃんの昔話をもっと聞いてみたくなった。
写真:『右手と左手』(東京都中央区月島にて)

なんて勝手に妄想してしまう。
中学生の頃の方がマトモだったなぁ。
写真:『オフィス街を抜けて』(愛知県名古屋市東区栄オアシス21にて)

RUCCの偉大なる先輩まろさんのHPを見ていたらびっくり。
多分同じ色に心動かされたんやろなぁ。
30期まろさんhttp://marocamera.exblog.jp/
勝手にリンクすみません。
写真:『あか』(京都市左京区大原大長瀬町大原三千院にて)

きれいな写真に心躍らない。
そんな時もあるかと思う。
疲れ気味。
めんどくさい。
それって鬱病じゃん。
癒しの方法は心得ている。
時計は1時を指している。
心は満たされていない。
そんな方に送りたい写真
そして音楽
「you raise me up」josh groban
写真:『up!!』(長野県松本市王ヶ頭にて)

漠然とした不安。
芥川龍之介の有名な言葉。
その言葉に深みはないと思う。
漠然としたその言葉に、無数の思いがある。
つまりははっきりしたものが一つもない。
考えたくても考えられなかったのかもしれない。
写真:『1837』(静岡県熱海市にて)

おうちへ帰ろう。
あったかいご飯が待ってるだろな。
幸せな家庭なんて誰でも作るものだと思っていた。
作るというよりはそれが当然のようなものとも。
親の心子知らず。
自分にはその自信と不安が半分ずつある。
写真:『夕暮れの帰り道』(奈良県奈良市にて)
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