午前中に、一本の電話が入った。 仕事で関わりのあった人が亡くなったという知らせだった。
福祉関係の仕事をするようになってから、訃報に接する機会が多くなったような気がする。 たぶん、福祉が高齢者や病気の人と密接な関係があるからだろう。
その人はまだ50代だったから、意外な感じがした。 まったく、あっけないもんだと思った。
おれは親族の葬式にも出たことがないので、訃報というものに対して免疫がなく、仕事を始めた当初、ずいぶんと苦労した。 「ご愁傷さまです」 と自然に言えるようになったのは、つい最近のことだ。
今日はKの一周忌だけど、特別何もしなかった。
今おれが住んでいるところは、Kの家がある(おれの実家もある)土地とかなり離れているから、ふらっと墓参りというわけにはいかない。
まあ、あらためてKをしのぶなんてことは、おれにとっては、する必要もないか、と自分で納得する。
日曜日にKの実家で一周忌が催され、おれも招かれたが、体調が悪いということで丁重に断りを入れた。
正直、Kの父親に対して、おれは不信感を抱いているので、会いたくないという気持ちがあった。
それに、Kの父親に招かれたKの友人Y(そいつはおれの友人でもある)にも、会いづらい気持ちがあった。
Kの父親は、「Kの生前のことをよく知る友人」と思って、Yとよく会って話をしている。Yもまたそのように振舞っている。 Kの父親は、世の親がたいていそうであるように、生前のわが子が普段どんなことを考え、どんなことをしていたか知らなかったので、その死後、急にそれが知りたくなったらしい。
おれは、KがYのことをどういうふうに見ていたか、言っていたかをよく知っているので、何だかKの父親とYとの関係があほらしく見えてしまう。
それにしても、その二人は、一周忌に来なかったおれをどう思っただろうか?
2005年02月14日(月) |
どうしようもないこと |
明日は、友人のKの命日。
Kの父親は、Kが心臓発作で死んだと言っていた。 でもおれは未だに信じ切れないでいる。
Kの葬儀は密葬だった。ひっそり、本当にひっそりとした葬儀だった。
棺に入ったKの死に顔を見せてもらったけれど、いい顔だったのかどうかはわからない。たくさんの人の死に顔を見た人には、それがわかるらしい。
正直、親友が鼻やら口やらに綿をつっこんで寝ている姿は、冗談にしか見えなかった。現実感が乏しかった。
本当は、自殺だったんじゃないかと、今でも時々思う。
はっきりとした根拠はないけれど、思い当たるふしはたくさんある。
Kは、その頃、大学の論文でかなり苦労をしていた。 Kは何年も浪人していたので、これ以上の浪人はできないとかなりあせっていた様子だったし、「うつ病」を数年前からわずらっていた。
うつの人にありがちなように、Kもまた、薬を集めるのが趣味だった。 集めた中に、毒物があるのを、おれは知っていた。
そして、葬儀が密葬だったこと。 なんとなく、Kの父親はあせっているように見えた。 あるいは、勘繰りすぎかもしれないけれど、自殺だとまずい理由があるのかもしれなかった。
今となっては、調べようもないし、父親にあえて聞くこともできない。
でもそれよりも、一年前のこの日にかかってきた、Kからの電話の方が、おれにとっては重要だ。
おれはエゴイストだから、その方が重要だ。
おれが取れなかった電話。 すぐにかけなおさなかった電話。
おれが違った対応をしていたら、Kの死はなかったんじゃないか?
自殺でも、心臓発作でも、どちらにせよ、そんな運命はなかったんじゃないか?
おれは口では友達だと言うくせに、いざってときは心配もせず電話もかけない、他人を利用しているだけの人間じゃないのか。
今もKのことを考えているのは、きっと、Kのことを悲しんでいるんじゃなくて、「お前のせいじゃない」って納得したいだけじゃないのか。
結局どれだけ考えたとしても、誰もうんともすんとも言ってくれないから、忘れようとしているだけなんだ。
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