友人Nの結婚式のお祝い会(二次会のようなもの)に出席するために、少し離れた会場へ向かった。
道中、ついでに返却期限が来ていたCDを返そうと思って、レンタルビデオ店に行くと、店の駐車場がなぜか異常に込んでいて、なかなか中に入れない。 結局、15分くらい時間を無駄にする。
なぜか、その時間帯は、道全体も込んでいた。 さらに突然の大雨。 車のスピードを上げるわけにもいかず、「遅れてしまう……」とあせる。
急に前の車が遅さや、赤信号が気になってきて、イライラがつのった。
「急げ」と思いつつしばらく走行した後、時計を見ると、明らかに遅刻が確定していることに気づく。
やばい、と一瞬思ったけど、こうなると人間不思議なもので、もう仕方ないや、と投げやりな気持ちになった後、イライラしなくなった。
まあ、そもそも、飲み会とかに早めに着くのは苦手なので、少し遅れた方がおれにとっては都合がいい。勝手だけど。
どうも、おれは待ち時間というのが性分に合わないらしい。 途中参加の方がテンションを上げやすい。待っている時間は、どうにも落ち着かない。
会場に遅れて着くと、やっぱりおれが一番最後だった。 とりあえず、笑ってごまかす。
飲みの途中、Nのハネムーンの話を聞いた。 Nはアラスカにオーロラを見に行ったらしい。
そこでは一年のうち250日以上オーロラが出るらしく、Nも4日観測して2日見ることができたらしい。
写真もばっちりで、きれいなオーロラのカーテンが写っていた。
すごく感動したんだろうな、というおれの思いとは裏腹に、案外Nの話は淡白だった。 Nの話し方のせいかもしれないけれど、実際見てみると 「あー、すごいなあ」で終わってしまうものなのかもしれない。 現地の人にとっては月と同じぐらいのものであるわけだし。
たまに見て、すごく感動するのと、毎日見て少しずつ感動するのは、どっちが得なんだろう、とふと思った。
帰り際、渡しそこねていた結婚のお祝いの品を、Nにようやく渡すことができてほっとする。 本当はNの結婚式前に送るはずだったのに、時期を逸してしまって今日まで来てしまった品だった。 N夫妻が喜んでくれたので、いっそのこと自分で使ってしまえ、と早まらなくてよかったと心底思った。
仕事で、今日は元某暴力団の組員の人と話をした。
その人は組で言えば、かなり「上の」地位にいた人だから、そこいらのチンピラとは違って、話し方がとても丁寧でカタギに手を出すようなことは絶対にしない人だ。
「最近はヤクザというのもやりにくくなりまして、どちらかというとビジネスになりましたなあ」と、寂しそうに言っていた。 伝統的なヤクザの考え方は失われ、組がお金を吸い上げる集金装置になっているのだという。
最初その人を見たときは、やたらと体格のいい人おじいちゃんだなと思ったが、ここ一年ですごく小さくなってしまった気がした。
持病の悪化と、それに伴って、気持ちが弱くなってしまったことが原因なんだろうと思った。めずらしく組のことを口にしたのもその現われかもしれない。
病気になったり高齢になったりすれば、イレズミ者だろうが何だろうが、他の人と同じように病院で治療を受け、手術をし、福祉に頼らざるを得ないんだなあ、と思うと、もちろんそれは当たり前なことなのに、なんだか悲しい。 今までつっぱって生きてきたんだから、最後までつっぱって生きてよ、って思わなくもない。
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