仕事の後に彼女とあったときに、彼女の友達Mさんの近況を聞いた。
Mさんは去年の師走に精神病を発症して、1ヶ月半ほど精神病院に入院していた。
彼女の話によれば、退院後、Mさんはすぐに職場復帰したが、結局3日しかもたずに仕事をやめてしまったらしい。 たまたま見たハローワークの求人情報に、Mさんが勤めていた会社の求人が載っていたので、まさかとは思っていたが、悪い予感が当たった格好となった。
Mさんとはおれも何回か顔を合わせたことがあったので「あの人が精神病を……」と思うとやりきれない。
これからMさんの人生にはどれだけの苦労が待ち構えているだろう。
精神病の程度は外見から分からないだけに、周囲の理解も得にくく、「さぼり病」といわれてしまうときもある。
精神病をわずらっているとわかったら、友人も離れていくだろう。 精神病に対する偏見というのは、本当に根強い。
それに収入を得るのにも並々ならぬ努力が必要になる。
一度精神病を発病した人というのは、治ったように見えても、ストレスを感じるとまたすぐに再発しやすい。コップになみなみと水が入っているような状態で、一滴しずくを足らしただけでもこぼれてしまうのと同じようなものだ。 ストレスがない職場なんて、まずないだろうから、新しい仕事に就くにしても、常に再発のリスクと戦わなければならないだろう。
いっそのこと、治療がもっと遅れて、自分の置かれている状況が分からなくなるほどの病状になっていた方がMさんにとっては幸せだったのかもしれない。 正常な自分が半分あるという状況の方が、きっと苦しいだろう。
もしそうだとしたら、おれには責任がある。
おれが何もしなかったら、Mさんの治療が始まるのはもっと後日になっていたはずだからだ。
親御さんや友人である彼女を含め、Mさんの周囲はMさんが精神病を発病しているとは、気付いていなかった。 気付いたのはおれが最初だった。
Mさんが「宝くじが絶対に当たる。神様のお告げを聞いた」と本気で言っている、辻褄の合わないことを言う、と彼女から相談されたとき、おれはMさんが精神病を発病していることを確信した。 Mさんが話したことは、精神病患者の典型的な妄想だった。
そして、Mさんの状態が入院が必要なほどに悪化していると判断したおれは、彼女にMさんを精神病院へ連れて行くよう強く促した。 結果として、それがMさんの入院につながったのだった。
早期に治療を始めることは、一般的にはいいことだ。
だから、最初、おれは何となくKを死なせたことへのつぐないが少しできたような気がして喜んでいた。
だけど、今は本当に良いことをしたのかどうか自信がない。
Mさんのこれからの人生が良い方向に向かってくれることを祈るばかりだ。
朝、目が覚めて、真っ先に思ったのは、やはり東京出向に対する返事をどうするかということだった。
昨日、方針を決めたのに、いざ期限当日になると、また「本当にそれでいいのか」という思いがよみがえってしまう。
単純にYESといったときの将来の自分を思い描いてみる。
東京での新生活。新しい仕事。新しい発見。新しい様々な出会い。 楽しいことが次々と思い浮かぶ。
しかし、次の瞬間には、新しい環境に適応するのに苦労していたり、難しい仕事と残業で苦しんでいる自分の姿を想像してしまう。
二つのイメージを行ったり来たり。 どうにも定まらない。
朝一番で部長室に入ろうと思ったのに、結局、ずるずると二時間くらいためらっていた。
いざ決心して部長に報告すると、部長はわりとあっさりと「まあわかった」と了解してくれた。
昨日決めたとおりに話したわけだが、どうにも最後まで自分の返事の正しさに自信が持てなかった。
部長室を出た後も、「これでよかったのか」という思いは離れなかった。
たぶん、自分は人生で重要な決定をしたのだ。 そんな実感はなかったけれど、多分そうなのだ。
部長が何やらおれとは別の課の課長に話をして、その後その課長が「名簿から外してうんぬん」ということを電話で誰かと話していたのをおれは聞いた。おれは東京出向の候補から外されたのだ。
この日は一日中、頭の中がぐにゃぐにゃと波打っているような感覚に襲われ続け、胃も痛くなり、仕事が手につかなかった。
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