銀河鉄道を待ちながら
鬱と付き合いながらの日々を徒然に

2005年03月27日(日) 昭和36年の親父との再会

東京へ引っ越すということが、これほど大変だとは思わなかった。

25日に何とか引越し業者に荷物をもっていってもらうことができたものの、それまでは、夜まで仕事の引継ぎ準備に追われ、深夜家に帰ったら荷物の梱包作業と、毎日3時間くらいしか眠れなかった。

28日のアパート退去日までには、ガスや電話など、全てのサービスを引き上げている必要があるので、ネットの利用も早めに停止せざるを得なかった。

せっかく毎日書いていた日記が途絶えるのは、とても残念だ。

転居先にはまともなネット環境がないので、これからどうやって日記を続けていくか、考えると心配だ。

ブロードバンドは一切できないので、56Kモデムでつなぐしかないのだろうか……。

それにしても一年間もすむことになる次の住居の環境は最悪だ。
6畳一間で、台所やガスコンロがない。
一体どうやって生活したものか。

6畳のうち2畳は荷物で埋まり、1畳は机で埋まってしまう。
残りの3畳で、いかに快適に過ごすか。

昔、父親が高等専門学校にいたころに住んでいた寮が、3畳間だったそうだが、この歳にして父親の学生時代と同じ環境で生活することになるとは思わなかった。

もちろん、世の中にはもっと過酷な環境で生活している人がいくらでもいるのだから、ぜいたくは言えない。
そう思うようしなければ、と思う。



2005年03月12日(土) ビジネストーク

大学時代から友人Tに東京に転勤になったことをメールで伝えたところ、じゃあ東京に行く前に飲みに行こうということになった。

Tはおれと出身地が同じせいか、ウマが合うというか、テンポがかみ合うので気兼ねなく話せる。

適当なバーに入って一杯。
話は自然とお互いの仕事のことに流れていく。

老けたなあ、と思うのは、仕事の話をするのが楽しいと感じるようになったことだ。
昔は、酒をのんでるときに仕事の話なんて、と思っていたが、今ではむしろ、酒をのんでいるからこそ仕事の話をする、というふうに考え方が変わってきている。

しらふのときには、別に仕事の話なんかどうでもいい。
酔っているときに、仕事についてざっくばらんに自分の考えを話すことがとても楽しい。

Tはある中小企業で、社長秘書というようなポジションで働いている。

Tは、社長という大きな責任を負っている人物のそばで常に働いているだけに、話がダイナミックでおもしろい。

今Tの会社は新しいビジネスに挑戦しているらしい。

新しいだけに、なかなか軌道に乗らず、今のところ赤字続きで苦しんでいるらしいが、当たればその分野でのフロンティアになれるのだから、見返りも大きい。

まさにハイリスク・ハイリターン。
ちょっとかっこいいなと思うけれど、たぶん、自分には一生縁のない言葉だろう。

自分は危ない橋を渡らない。その代わり、危ない橋にあえて挑戦する人を笑わない。そういうふうに心に決めている。


 < 過去  INDEX  未来 >


士郎 [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加