銀河鉄道を待ちながら
鬱と付き合いながらの日々を徒然に

2005年11月03日(木) 営業終了

毎日服用している薬がなくなりかけていたので、いつもの病院に受診した。

いつもの通りドクターに現状を説明していると、ドクターが、「ちょっとテストしましょう」と言って、A4の白紙を取り出した。「木を書いてみてもらえますか」とのことで、何だろうと思いつつ、思うがままに木を書いた。

それは「パウムテスト」というものだったらしいのだが、それを見たドクターが一言、「もう休まないとダメですね」

見た目には分かりにくいが、限界が来ているとのことだった。

ショックだったが、思い当たる節もたくさんあるので、ドクターの指示に従い、診断書を書いてもらった。

ベタナミンという薬を服用していたが、それをやめて別の薬が出ることになった。

このベタナミンという薬は、(自分の感覚としては)とても効く薬で、疲れを感じなくなるというか、効いている間はあれもこれもとやる意欲が湧いてくるありがたい薬である。
ここ最近はその効果が切れると全身がだるくて全く動けなくなるという状態だったので、仕事をするならば絶対欠かせない薬だった(ここ一週間はそれも効きにくくなって仕事をするのが本当にしんどかった)。


結局、近く長期に休むことになり、仕事場の皆さん始め周囲に多大な迷惑をかけるという結果を招いただけで、(たぶん)東京への転勤は終わりを迎えようとしている。


正直、今回のことで僕は自分に対して自信を失いました。

仕事人としても、一般市民としても、ホント人間としてあかんです。

精一杯やったと思うだけに、余計にショックでした。

自分の心の弱さを治さないと、また同じことを繰り返すでしょう。

もう何もかもどうでもいいや。

というのが正直な自分の気持ちです。








2005年10月31日(月) 漠然とした不安

一月に一回くらい、「僕って何なんだろう」と思うときがある。

今日はちょうどそんな日だった。

別に何かあったわけではない。
何かあるような日常を送ってはいない。

それでも急に、そんな気持ちに襲われる。

病気といえば病気なのかもしれない。
普通はそんなことを思ったりはしないだろう。

自分には何かが欠けている。

その何かは、漠然とは分かっている。

自己を価値あるものとして肯定するために必要な何かだ。

でも、明確には分からない。

その何かは、複数かもしれないし、複数の何かの総体なのかもしれない。

ただ、はっきりとしているのは、その何かを手に入れることはもう今はできないということだ。

今できることは、その何かがないことをうまくごまかしていくことだけ。

自分はそのごまかしが下手だから、こういうことになっている。

いつか、仕事で悩んでいることを話したとき父親に「そんなことでは生きていけんぞ」と言われたことがある。

その通りだと思う。

もともと、生きる、ということに対して下手な人間なのだ。

生きる、ということにおいて、その何か、がとても重要だったのだろう。


いつまで今のようなごまかしが続けられるか、時々不安になる。

いつか、どこかに仕掛けられた時限爆弾が爆発して、破綻する気がする。


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