2006年03月31日(金) |
フェレットがわからない |
僕の実家では、犬を二匹飼っている。
犬を飼うのは実家の習慣のようなもので、それまで飼っていた犬が死んでしまうと、すぐ次の犬をどこからかもらってきて、犬を飼っている状態を絶やさないようにしている。
だから僕は実家にいる間、常に犬がそばにいる生活を送ってきた。
それだけ一緒に生活していると、犬のことはかなり詳しくなってくる。
それは犬がかかる病気の名前だとか、犬の種類に詳しいということではなくて、犬がどういうことをしたら喜び、どういうことをしたら嫌がるか、またどういうときにどういう感情でいるか、ということに詳しいということである。
ところで、僕は最近フェレットを飼い始めたのだが、これが懐かなくて困っている。
犬と違ってどう接すればいいか、全然分からないのである。
もしかしたら、懐いていないと思うのは僕の気のせいで、本当は徐々にではあるが懐いてきているのかもしれない。 僕が、ただそのサインに気付いていないだけかもしれない。
そう、そのサインが問題なのだ。 フェレットに関して言えば、一体全体、どういうときにどう思っているのかさっぱり謎なのである。
好かれているのか嫌われているのか、全く見当も付かない。
フェレットが懐くものとして、どの程度まで懐くのかも分からない状態である。
そんなわけで、僕とフェレットとの関係は必ずしもうまくいっていない。
どちらかというと嫌われている気がする。
なにせ、どうすれば好かれるか分からないのである。
そのくせ躾だけはするから、フェレットからしたら、「いつも怒ってばかりの嫌な奴」と思っているような気がする。
大体、犬と違って、向こうから寄ってこないのである。 (寄って来ないのは嫌われているだけかもしれない。それさえもよく分からない)
それがそういう習性なのか、いまいちよく分からない。 分からないだらけである。
そのうち寄ってくるようになるのもしれないが、それはかなり遠い日になりそうである。
追伸
WEB拍手ありがとうございました。 おもしろいといっていただいて光栄です。というか恐縮です。 またおもしろいといっていただけるよう頑張ります。
今日は一冊本を通して読みきった。
簡単な内容の本だが、読みきることができたということは大きな自信につながった。
内容が簡単で、興味をそそられるものであれば、ある程度集中力が持続するのだ。そこまでは回復しているのだ。
ただし、難しい本に対する耐性は相変わらず低い。
そこが回復するか否かが一番の問題なのだが……。
思考力が弱まっているのも相変わらず。
この日記を書くのも正直しんどいときがある。
書くことが思いつかないことがあるのだ。
考える、ということがどういうことだったか、最近は思い出せない。
これは結構深刻な問題だと思う。
自分が今考えて行動しているのか、そうでないのか、自信が持てないのだ。
僕はもともと仕事のできない人間だった。
仕事が出来ない、自信がなかったところに、東京へ行ってこの始末である。
もう自信はズタボロでなきに等しい。
自分の能力をこれでもかというくらいに疑っている。
仕事は駄目、趣味もできないというこの状態があとどのくらい続くのか、未だトンネルの出口は見えないでいる。
マイナスなことの記述が多くなってしまった。
生活が充実していない証拠だ。
生活を少しずつ変えていかないと駄目だなこれは。
さて、何から手をつけるか……。
今日もまとまりのない文。
まいった、まいった。
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