銀河鉄道を待ちながら
鬱と付き合いながらの日々を徒然に

2006年04月10日(月) 調子に乗りすぎて後悔

土日、実家に帰って、そして全てを吐き出すようにして現状を分かってもらったのがよかったのか、今日はとても気分のよい朝を迎えることができた。

が、それからがいけなかった。

調子がいいからと仕事関係のことでホームページを検索したり、頭の痛くなるようなことをやってしまったため、いつの間にかストレスがたまってしまい、その後一日中イライラと戦う羽目になった。

このイライラは普通のイライラとは違う。うつ病から来るものだ。うつ病から来るイライラはなかなかしつこいし強力だ。

夕方ころ、ついに居ても立ってもいられなくなり、すぐさま病院に駆け込み、イライラに効く薬(セパゾン)を処方してもらった。

我ながら哀れになるくらい落ち着きがない一日だった。

貧乏ゆすりが止まらないのだ。

その貧乏ゆすりもハンパなやり方ではない。

もうゆっさゆっさヒドイものである。

薬局で処方箋を渡して薬を待っている間もゆっさゆっさ。

まわりの目も気にせずゆっさゆっさ。

とにかく落ち着かないのだ。

薬はもらったその場で慌てて飲んだ。

結局、あまりその日は効果が出なかったけれど。


今日は調子にのって仕事関係のことをしてしまったためにこうなってしまった。

とにかくしばらくは調子がよくても仕事関係のことはすまい、そう誓った日だった。

追伸 ダヴィンチ・コードの文庫本を買った。おもしろいといいな。



2006年04月09日(日) 実家に帰って

この土日は愛知県の実家に帰って過ごした。

両親には自分の今置かれている状況を、病状のことも含めて詳しく話した。

両親は「そんなことなら帰っておいでよ」と言ってくれた。

僕が「会社は辞めるかもしれない」と言うと、「他にも仕事はあるんだから」と言うあたたかい言葉が返ってきた。

僕には帰るところがある、そう思うと少し気が楽になった。

両親は僕のことを気遣ってくれて、日曜には花見に連れて行ってくれた。

花見をする気持ちにはなれなくとも、その心遣いがうれしかった。

両親と話をしているとき、僕は何度も泣いた。

両親も僕が泣くとは思っていなかったろう。

僕は全てを吐き出していた。


両親には、実家に帰ってくるかもしれないことを告げた。

いつでも帰って来いと言ってくれた。

僕も、そうするつもりだ。


もし僕が帰ってくることになった場合の、今住んでいるアパートの荷物の扱いまで詰めて話し合った。

僕は本当にいつでも実家に帰ってこられるのだ。

いつでも、ゼロからやり直せるのだ。


実家に本当のことを話せてよかった。

これからは、少し気楽に毎日過ごせるかもしれない。

自分には、帰る場所があるんだと思うことで。


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