銀河鉄道を待ちながら
鬱と付き合いながらの日々を徒然に

2006年08月07日(月) vs睡眠障害

今日はいまいち調子がよくなかった。
睡眠がよく取れず、一日ぼおっとしていた。

睡眠がよく取れなかったのは、睡眠障害のせいだ。
僕の睡眠障害は、今に始まったことではない。始まったのは入院してから、睡眠薬が変わってからだ。

五時間続けて眠ることができれば良い方で、日によっては二、三時間後に起き、またその三時間後に起き、それからは一時間毎に起き、と睡眠が分断されて満足に眠れず、だるい感じを伴いながら目が覚めるということがある。

ここ数日はそんな日が連続した。今日調子が悪かったのはその結果だ。

眠気をなくそうと、午前中軽く睡眠を取ってみたが、眠気はなくならない。いや、眠気がなくならないというよりも、何かをやろうというやる気がでない。

こんな状態のまま一日が過ぎると、一日という貴重な時間を無駄にしたという後悔の気持ちが生じてくる。そして、その後悔の気持ちは精神衛生上非常によくない。

「やっぱりおれは駄目な奴だ」
「おれには何もすることができない」

すぐにそんな考えにつながってしまう。
人間調子の良い日もあれば悪い日もある。ただそれだけの話なのだがそういう悪い考えを浮かべているときは、そうやって割り切ることができない。

僕は割り切ることのできない人間だった。割り切れなかったことが鬱になった一因でもある。

これからは割り切ることを覚えていかないといけないだろう。

鬱を克服し、よりよく生きていくために。



2006年08月04日(金) 蝉の抜け殻二つ

看護師さんたちのデスクが置いてあるナースステーションと僕ら入院患者たちが活動する場所は、鍵のかかった扉と上げ下げできる格子付のカウンターとではっきりと区分けされている。

入院患者は看護師に用があるときは、カウンターの格子が上がっているときはカウンターあるいは小窓から、格子が下がっているときは小窓のみから、直接呼び掛けるか小窓の近くに置いてある呼び出しボタンを押してブザーを鳴らすか、どちらかをしなければならない。

午後、僕が外出を申請に行こうと思ってナースステーションを訪れたとき、カウンターの格子は下がっていた。

そこで僕は小窓に行って、呼び出しボタンを押そうとした。
すると、なぜだかわからないが、呼び出しボタンの近くに蝉の抜け殻が二つ並べて置いてあった。

僕は一瞬驚いた後、じっくりとその抜け殻を見た。
蝉の抜け殻を見るのは十二、三年ぶりだろう。僕は蝉の抜け殻を喜んで取っていた少年時代を思い出した。

――あの頃は夏が嫌いじゃなかったな。
夏休みには毎日のようにプールに行き、元来色白な肌を浅黒くしていったものだった。

蝉だけでなく蝶やカマキリやトカゲをたくさん捕まえて遊んだ。どうやってその日を遊ぼうかなんて考える必要もなかった。夏は楽しい季節だった。

そんな夏を嫌うようになったのはいつからなのだろう?
軟弱な僕は、暑くてだるいその季節をいつの間にか憎むようになっていた。

でもそれも今年で終わりだ。
今の僕は夏を楽しめるようになった。

ぎらぎらと照る太陽の下を歩いたり、自転車に乗っていることが、僕の生命を元気付けてくれる。

僕は今日も外出の許可を取る。
そして、今日も炎天下の中を、胸を張って歩いていく。


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