銀河鉄道を待ちながら
鬱と付き合いながらの日々を徒然に

2006年10月20日(金) 泥棒はいる。でも実感はない。

今日は何もする予定がなかったので、だらしなく朝食も取らずに昼まで寝ていた。

のそのそと起き上がり、朝食を取った後、ごろごろと横になっていると、ピンポンと玄関の呼び鈴がなる音がした。

いったい誰だろうと玄関に出てみると、立っていたのは警察官だった。

何かと思えば、僕が住んでいるアパートの隣の部屋に泥棒が入ったので気付いたことを教えてほしいとのこと。

何か物音を聞かなかったとか、裏口の方を歩いているような気配を感じなかったとか、いろいろと尋ねられたが、ずっと寝ていた僕には何一つ思い当たる節がなかった。

警察官は一通りのことを僕から聞くと、すぐに立ち去ったが、僕はその後もしばらく隣人に泥棒が入ったという異常事態に対しての動揺が消えなかった。

別に自分の部屋に泥棒が入ったわけでもないのに、隣人に泥棒が入ったという事実は、誰でも犯罪に巻き込まれる可能性があるという当たり前のことをあらためて眼前につきつけられたような気がして、僕は身震いした。

この世に悪、裏があるという事実。

僕のような世間の厳しさを知らないで育った「ぼっちゃん」には肌で感じることができないようなことが、この世の中には厳然としてあるのだ。

まあ、あらたまって言うほどのことじゃないけれど。



2006年10月17日(火) 長崎、行きますか?

数日前、父からメールが来た。

内容は、父の生まれ故郷である長崎で父の同窓会が催されるので一緒に来ないか、というものだった。

もちろん、同窓会自体には出席するわけではないけれど、長崎に行くという遠方の地に行くことが僕の気分転換になるのではないか、と気を使ってくれたのだろう。

僕は、少し考えてから返事をします、と返信した。

長崎には、僕が小学校五年生だったときに一度だけ行ったことがある。
行った理由は、確か親戚の結婚式があったからだったと思う。
時期は、十一月の半ばくらいだったろう。

父の故郷は、長崎とはいっても長崎市とかではなく、壱岐という島だ。

壱岐の海はとても美しい。
エメラルドグリーンに光りながら打ち寄せる波が鮮烈に脳裏に焼きついている。

僕はその島の砂浜で、たくさんの貝殻を拾った。
拾った貝殻は家に持ち帰って、僕の宝物にした。

壱岐の島での出来事は、とてもいい思い出として残っている。

その島にもう一度行くことができるというのは、それ自体はとても嬉しいことだ。

ただ一つ気がかりなのは、父との会話のことだ。

果たして間がもつだろうか。

父と二人きりで長時間話し合ったことなど、これまで一度たりともなかった。

会話らしい会話をするようになったのは、僕がこうして病気になって、父が僕に関心を持つようになってからのことだ。

両親は兄、姉の面倒はよくみていたが、僕にはあまり関心を示さなかった。

それは僕が両親が何も言わなくても学校でいい成績を取ってくる「真面目なよい子」だったからだ。

まあ、要するに、兄、姉の影に隠れて放って置かれたのだ。

別にそれを恨んでいるというわけではない。
ただ客観的に見てそういう経過をたどってきた、というだけのことだ。

両親は両親なりに全力で子育てをしたのだろう。

僕がこのような病気になってしまうような体や心を持つようになってしまったことを、両親のせいにすることはできない。

ただ、両親と僕との間に溝が生まれてしまったことは確かなことだ。

だから、僕と両親とが会話することは普通の家庭に比べて著しく少なくなってしまったのだ。

もし、僕が今回の旅に同行したとしたら、少しはその溝が埋まるだろうか?

埋まるかもしれないし、溝を際立たせるだけかもしれない。

埋めたい、とは思う。

少しでも、父の持っているものを受け継ぎたいと、今は切に思う。

父は還暦を迎えた。まだ若い、とも言えるかもしれないが、もういつ亡くなってもおかしくない、とも言える。

今回の旅は父と会話をする絶好の機会だ。

なのに、父との間にある溝のために、素直に承諾できない自分がいる。

気にしなければいいのだろう。

そうすることができれば、どんなにか楽なことか。

何にせよ、近いうちにあらためて返信しなければならない。

どうするか、悩ましいことだ。


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