銀河鉄道を待ちながら
鬱と付き合いながらの日々を徒然に

2007年01月01日(月) ああ、元旦なんだなあ。

今日は元旦。

元旦の日の朝食は、我が家では特別なものとして扱われている。
まあ、大抵の家庭はそうなのかもしれないが……。

特別、といっても、それほど大したものではない。
ただ、全員がテーブルについて、朝食の前に日本酒をお猪口に注ぎ、「あけましておめでとう」と皆が同時に言って、一杯やるだけだ。

僕は大晦日から徹夜をしているので、朝食の間も眠くて眠くて仕様がなく、さっさと食べ終わると、二階の自分の部屋に行ってすぐに寝てしまった。

起きたのは午後5時頃。完全に昼夜逆転してしまったわけだ。

去年は元日早々中学時代の友達に会いに行ったが、徹夜明けの今年はそうする元気は出てこなかった。連絡すれば、多分会うことは可能だっただろうけど……。

空いた時間を有意義に過ごそうと思ったが、駄目だった。
起きてからもずっと眠気が取れず、夕食を食べるとまたすぐ寝てしまった。

何も考えずに寝た。考えるのも面倒に感じたからだ。

結局、僕は元日のほとんどを寝ることに費やしたわけだ。

これほど元日らしくない元日を過ごすのは人生で初めてかもしれない。
今年の元旦は、僕にとってただの一日でしかなかった。

新年になって気持ちを新たに……という気分でもない。

僕のうつは徐々に良くなっているものの、依然として残遺症状が残っていて、本を読むのも一苦労、考え事をするのも一苦労だ。

気持ちを新たに、と言ってすっぱり気分が変われるのならば、僕のうつはとっくに治っているだろう。

寝る直前、僕が寝ている部屋のデスクの上に、小さな鏡餅が置いてあることに気が付いた。そういえば、一人暮らしになってから、鏡餅を買ったことが僕にはない。

「正月か……」

と、しげしげと鏡餅を見た。

ああ、餅が食べたい。

そう思いながら、僕は眠りについた。





2006年12月31日(日) 年末に集まって 2006

今年もついに大晦日になってしまった。

一年を振り返ってみると、今年は「厄年」だったといってもいいのではないだろうか。

うつが悪化し入院するという、「考えてもみなかった状況」に自分の身を置くことになり、退院するまでに非常に苦労をしたというその一事だけでも、そう表現するのに値する気がする。

しかし、そういう失うものが多かった生活の中で、得るものもまたあったことも事実だ。

生きていることに何の価値もなくなった僕でも、見捨てずにいてくれる人がいるということを、僕は知った。

それはとても貴重な経験だった。

それは、きっとこれからの僕を支えてくれることだろう。

僕の生活を助けてくれた人たち、僕に優しい言葉をかけてくれた人たち、僕を影ながら見守ってくれた人たち(この日記を見てくれている人はきっとそうだと思っています)、それらの人たちに感謝の言葉を捧げたいと思います。

本当にありがとう。今僕が生きているのはあなたたちのおかげです。



さて、今日は高校時代の友人たちと初詣をするために神社へ行った。

去年の同日の日記にも書いたように、大晦日の夜はそうすることが恒例になっている。

だが、今年はこれまでの年とは少し様子が違っていた。

毎年、集まる人数は大体6人程度なのだが、今年は3人しか集まらなかったのだ。

理由は、メンバーの半数が、結婚して子どもが生まれ家庭を持つようになり、家で新年を迎えなければならなくなったからだった。

今年集まった3人(僕を含む)は、全員独身。
大晦日の夜を友人たちと過ごす。
そういうやんちゃなことは、独身でないと無理なのだ。

幸せな家庭を持たない僕ら3人は、自嘲気味に自分自身を「求愛戦隊独身ジャー」と命名した。

独身ジャーブラウンが僕、オレンジがT、ピンク(男だけども)がMだ。

僕らは「弓道部掲示板」と名づけた自分たちだけの掲示板をもっているのだが、その掲示板に「独身ジャー」となった僕らの大晦日の様子を画像入りで書き込むことにした。

独身ジャーとなった僕は、もう何でもいいやと何となく開き直り、「社会人ならもうそれはやらないだろ」ということを次々を行った。

まず一つ目。
神社の賽銭箱(ちなみに神社はその地方ではかなり大きな神社で、賽銭箱は縦横8メートルくらいはある。当然初詣に来る人もかなり多い)を独身ジャーに対立する悪の組織の中枢部とみなし、「その中枢部を光線銃で爆破した」という設定で、僕が(道行く人が見ている中)賽銭箱の前に片膝を着いて銃を構えるポーズを取り、Mに撮影してもらった。

二つ目。
焚き火をしている場所を敵のエネルギー供給源とみなし、賽銭箱のときと同じように銃を構えるポーズを取り撮影してもらった。寒い中なので、当然焚き火には人だかりができている。

三つ目。
正門の前で頭に小さな鏡餅を乗せ、ポーズを取って撮影。正門なので、一番人が行き交う場所。

それらを撮った画像は全て掲示板にアップした。

新年となり、初詣が終わると、僕らはくじ引きをした。

2007年の僕の運勢は「小吉」。

厄年だった2006年の運勢は皮肉にも「大吉」だったので、大吉でなかったことに僕は安堵した。

僕はそのくじを鞄に入れて持って帰ることにした。

普通、くじは神社の木や所定の場所に結んでおくものだが、厄年だった今年のようなことを繰り返さないようにと、変化を付けたかったのだ。些細なことだが、とにかく縁起をかつぎたかった。

くじを引いた後、僕らは近くにあるガストに行った。これも例年通りのことだ。

僕らはそこで3時間ほど話し込んだ。
内容は特にない。近況や世間話をしただけだ。そしてこれも例年通りだ。

僕らは午前3時半頃、ガストを出てTを家へ送った。

これでお開きかな、と思っていたが、運転手をしていたMの「もう少しドライブするか」という言葉に僕は肯き、深夜のドライブをすることになった。

もっと話していたい。そういう気持ちがMにも僕にもあった。

Mは今年の9月末に会社を辞め、年明けから職業訓練校に通うことになっていた。

Mは会社を辞めるときにも悩んでいたし、次の就職先をどうするかにも悩んでいた。きっと、Mには日頃溜まっている鬱憤があったのだろう。

もちろん、僕の方にも鬱憤はあった。

ドライブしている間に、時刻は午前6時近くになった。

ここまで来ると、初日の出を拝もうという気持ちが強くなり、日の出がよく見える木曽川という川の堤防に行くことにした。

そこには「138(いちのみや、と読む)タワー」というものがあり、元日限定で、タワーの頂上から日の出を見るイベントが行われていた。

残念ながら、人数制限の関係で、そのイベントには参加できなかったが、僕らの初日の出を見たいという欲求は治まることなく、川べりの道に車を停め、車を出て太陽が昇るを待った。

しばらくすると太陽が燦々と輝きながら、少しずつその姿を現してきた。

僕は携帯でその様子を何枚も撮影した。

日の出を見ていると、不思議に気持ちが穏やかになった。

これからは何とかなる。

何の根拠もなしに、そう思えてきた。

僕とMは無言で太陽が昇り切るまでその姿をじっと見つめた。

「そろそろ行こか」

Mがそう言って、車に乗り込んだ。僕も助手席に乗った。

「こうやって徹夜するなんて、今年が最後だろうな」
僕はそう思った。
皆、それぞれの家庭を持ち、ますます大人になって行くのだろう。

Mに家まで送ってもらい、僕は家の玄関のドアを開けた。

家ではもう母親が起きて朝食を作っていた。

僕は朝食を食べながら、MやTやその他の高校時代の友人のことを思っていた。

皆それぞれの道を生きている。僕も自分の道を見つけよう。

新年最初の決意だった。


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