Getreidegasse


 《 過去  【Index】  未来 》

2011年03月22日(火) 灯台下暗し




地元近隣にも、意外と見所となる場所ってあるんだな。
白鳥さんや野鳥さんを見た時にそう思い始めて
それからというもの、日常生活圏を見る目を少しだけ意識してみる。

百梅に囲まれたり
ちょっとした城下町を散策したり
身近にこんなにも学べることが
知らなかったことが
まだまだあるんだな。

足元過ぎて気付かなかった。
知ろうとしなかった。

まずは目を向けよう。
興味を持とう。
何気ない日常の中に
まだまだ知らない楽しみがたくさん隠れているのだ。



2011年03月21日(月) 蛇口がゆるい


最近涙脆い

でも、人前では泣かない。
一人の時にこっそり泣くのだ。

単に恥ずかしいだけやけど。
皆そうだよね?

不意打ちに弱い。
ノーガードの状態でいきなりブローされると効果テキメン。
『こんなことで?』と自分でもビックリするくらいの日常的で当たり前なことでも
アッサリ行く時は行くらしい。
そんなものなのかもな。



2011年03月20日(日) 遅咲きのピアニスト(424)


【N響版 速すぎです】

【戦火を交えて】の原曲オケ(N響版)を聴く。
余りの速さにコーヒー吹いた。
無理ですって。これは無理ですって。

毎回、原曲を聴く度に『無理だー』とか言っている割には
なんだかんだで最終的にはそれなりに弾けるようになっていたのだけど
今回は心のそこから『本当に大丈夫か?』と心配になった。

もう十何年も慣れ親しんだ曲なのに、ピアノ目線で聴くと
改めてとんでもない曲だ。【戦火を交えて】
*-----------------Today's "100 Questions To The Pianist". -----------------*
024/100.自分のピアノを聴かせたい人はいますか?それは誰ですか?
A.います。たくさんいます。でもその願いは叶わない人たちがほとんどです。



2011年03月19日(土) 遅咲きのピアニスト(423)


【誰得】


想像してみ。

演奏者 私。

ピアノを演奏してるのだけど

どうしてか

客が全員後ろ向き。

その光景

でらシュール。

なんだこれ。

ネタや笑い話としてはアリだけど。

ただ

いちピアノ奏者としてこれはどうかと。

こんな茶番の為にピアノを弾いてるわけではない。

だからもう忘れたい。

*-----------------Today's "100 Questions To The Pianist". -----------------*
023/100.恋人にしたいピアニストは誰ですか?
A.具体名が思いつかないということは…いないということか(寂)
言葉ではなく演奏で会話できる方だと最高ですね。



2011年03月18日(金) 少し前の話だよ




見に行ってきたのだよ。東静岡ガンダムを。

プロジェクト自体は1月で終わりとのコトだったが
立像そのものは3月まで見ることが出来るというコトで
スケジュールを縫って半ば強行で行って来た。

 
《左》東静岡ガンダム 《右》お台場ガンダム


東京 の時と何が違うか?と言えば
ディテールとかいろいろ細かい違いはあるのだけど、なんと言っても
『ビームサーベルを持っているっ!』
という一番の違いを堪能したいという一心で
ビームサーベルがピンクに輝くライトアップタイム(16時頃〜)まで待機することに。


雪雲が喧騒による土埃に見えなくもない


3月とは言え『寒の戻り』で夕方になるとまだまだぐっと冷え込む。
あの遠くの山にかかる雲はもしや…雪雲ではないだろうか。ってくらい寒い。


↓足元アップ

一向に点く気配のないビームサーベル
これじゃまるで石油ストーブの種火だ


そのクセ、暦の上では徐々に陽も長くなり始める頃となり
閉館時間の18時が近付いても空はまだまだほんのり明るい。


早く光るのだーサーベルよ


寒いのと、なかなかライトアップが映えないのとで
ヤキモキしながら耐えに耐えて待っていたのだけど
『まぁ最悪でも会場外からでも見えるしいっかー、デカイから。』
なんて思いつつ、サーベルがピンクに輝きを放つのを今か今かと待っていたら

突然

ブツン!

って、まるでブレーカー落としたかのようにガンダムを照らす明かりが一斉に消えた。
見れば時間はちょうど18時…。
『…え?ライトアップも18時で終わっちゃうんですかい?』


あれま…消えた


が・・・がっかりだーー。そりゃあんまりだーーー。
ひどいよ、ひどいよママン。

落胆と寒さに肩を落としながら帰ったのだけど。
帰りのSAで食べたラーメンが美味しかったからまぁ許そう。



2011年03月17日(木) 少し回顧


前回の日記で『生き急ぐ』という言葉を使い
それを書いた直後に
『そうか、そもそも少し前からそういう生き方をしてたんだもんな。』と気付く。



2011年03月16日(水) 全力疾走の弊害


同じ話をあっちでもこっちでもいろんな場所で言ったり書いたりし過ぎてしまい
『あれー、この話はこの人にしたっけー?』とか
『あれー、この人には何処まで話したっけー?』とか
『(話した後に)そかー、その話はしたことあるんだねー』とか
とても頭がこんがらがる。

特に『〜を知ってる前提で』と思い込んで次の話をしてしまった場合、
予想に反して相手がその話を知らなかったりすると、わちゃーってなるワケで
もうね、申し訳ない気持ちでいっぱいになるワケなんですよ。

当たり障りのない話ならともかく
結構ツッ込んだ話であったり、プライヴェート的な話だったり、マニアックな話だったり
最近はその傾向が顕著化してるので余計に。
同じ話をしてもいろんな環境下で、いろんな世界で、いろんな分野でそれぞれ反応が違うので
使い分けてるつもりはなくても、何より私自身が対応しきれていなくなってきている。
だからちょっと頭の中を整理したい。

いろんな分野で新しいことを学ぶこと、視野を広げること
これらはとても大事なことなんだけど
制御を知らない私は、何事も全力で取り組みすぎてしまい
自身が自爆するだけならともかく、このままでは相手にまで迷惑をかけてしまう。

ちょっと歩く速度を落としたい。
なんか『生き急いでる』感じがしてならないのです。


 《 過去  【Index】  未来 》
→ TOPページ ←


kandama  《mail》  My追加》 
←筆者が元気になる投票ボタン