* たいよう暦*
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2004年03月12日(金) 飛騨高山

いつもより少しだけ早起きして、いつもより一本だけ早い電車に乗りました。
いつもより「少しだけ」違う今日。
でも持っている荷物も、乗っている自分の気持ちも、いつもと「全然」違う。
うきうきわくわく♪

会社を通りこして、待ち合わせの駅で電車を降りました。
そこからは、友人の運転する車にひろってもらって、4時間半のドライブ。
一路飛騨高山と白川郷を目指します。

そもそもこの旅は、一月の宴会の途中に
「屋根にふりつむ雪につつまれた白川郷」の写真をみんなで眺めたことから始まりました。
しんしんと降り積む雪に囲まれた合掌作りの白川郷。
「行きたい」
誰が言い出したのか、
「行こう!」
誰が賛同したのか。
気がつけばあっという間に話がまとまり、白川郷を訪れることをメインに、飛騨高山を散策する二泊三日の旅の計画ができあがっていました。

旅で出会う場所には、ふたつの種類があるような気がします。
初めて訪れてもなんだか自然になじんでしまう場所と、何度訪れてもいつまでもよそものの顔をしている場所と。
飛騨高山は、私にとって間違いなく前者です。
なんだか、妙になつかしさを感じる町。
子供の頃、よく訪れた京都に似ているせいかもしれません。

高山市内を流れる川の側には、古い町並が残り、江戸時代さながらの家並が残っています。
碁盤の目のような町並みと、町人町の名残が生きている場所。小京都と呼ばれる所以です。
木造切妻造り。10分の3以下の緩やかな屋根勾配。大きく張り出した軒(大屋根)、控えめにひっこむ小庇。
2階には板連子、1階にはいろいろな形の出格子。
家の前に流れる用水溝は雪流し、防火用水に使われるそうです。

昔は人が住んだ家々が、場所も雰囲気もそのままに、観光客相手のお店になっています。
昔ながらの手作り味噌屋。
酒蔵。
お煎餅や飛騨牛の串焼きが食べられるお店。
甘み処。
そば処。
ひやかして歩くと、町の風情を感じることができます。
たくさん歩いて、たくさん買い食いして。
知らない町を、どんどん歩きます。
私は木彫りの小さな豚を一匹買いました。

道路や道ばたにもう雪はなく、一見普通の町ですが、頬に感じるぱきんとした冷たい空気ががそこが雪国であることを思い出させます。

町をそぞら歩くと、体の芯から冷え込みました。
宿に戻ると、部屋におかれたこたつにあたりました。
久しぶりのこたつのあたたかさが、なんだかとても優しい気持ちになれます。

さて、明日は白川郷。
この陽気で、屋根の雪がとけてなければいいんですが・・・。


2004年03月11日(木) 準備

実は、旅立つのは大好きなのに、旅立ちの準備をするのが一番苦手です。

準備が一番楽しいじゃない。
といわれたこともあるけれど、だめなの、とても苦手。

なかなかできあがらなくて、途中何度も途方にくれますが、それでもその後の楽しみを考えてがんばっちゃう。

ふう。
できた。

さて。
旅立ってきます。


2004年03月10日(水) DVについて

新宿で、駆け込み寺を運営しているNPO団体のドキュメンタリーを見た。

すごく見入ってしまった。

運営している人の、葛藤。
駆け込んでくる人の、葛藤。

いろんなことが、あるんだな。
全ての人が、いろんな思いを抱いて生きているんだ。
あなたは、なにを、考えていますか・・・?


2004年03月09日(火) むっ

人の仕事の邪魔しないでよー!

と、思わず口から出かけました。
かろうじて、飲み込んだけれど。

むっ。
私だって、仕事しているんだ。
あなたの都合にばっかり、あわせていられませーん!


2004年03月08日(月) おもひでぽろぽろ

おもひでぽろぽろ。

今日は、そんな一日でした。


2004年03月07日(日) 職人

今日は、私の愛車、通称’すみれちゃん’の車検の日。
友人の職場まで車を持っていきました。
’超一流’の整備士の友人が、ずっと我が愛車の面倒を見てくれているのです。

何度も訪れた友人の職場。
何人もがそこで働いているけれど、群を抜いてきびきびした動きをする友人の姿を見るのが好きです。見ほれます。

友人の働きぶりを見ていると、これが職人というものなのかなあ、と思わされることが何度もある。
友人の手は、無駄な動きを一切しない。
あるべきところ、あるべき場所へ、全てがおさまっていく感がある。
見慣れない道具、見慣れない部品について質問攻めにしても、必ず私のわかる言葉で理解できるように説明してくれる。
そして、きびきびと、着実に、「生まれ変わっていく愛車」を見ることになる。

「さ、これで完了や。元気やわ」
満足げに眺めながら、我が愛車を引き渡してくれた友人。
「大事に乗れよ!」

はい、わかりました。
また二年後、すみれちゃんの面倒を友人に見てもらっていたいなあ。
何年乗るつもりやねん!とあちこちで言われている我が愛車。
初めて自分で買った記念すべき中古の軽。
みんなには小さな車かもしれませんが、私にはちょうどいいんです。いろんな意味で。

この間、無事、4万キロを越しました。
1万7千キロで我が家に来てから、約5年で2万3千キロ。
ほらね。
私にはすみれちゃんが、ちょうどいい。
だから、これからも大事に付き合っていくのです。


2004年03月06日(土) いとをかし

みぞれまじりの雪が
フロントガラスをたたくのを
あたたかい車内から見ているのも
いとをかし


2004年03月05日(金) 鳥インフルエンザ

よく行く「おいしい焼き鳥やさん」。
今日6時半に訪れると、一番客でした。
いつも、6時にはたくさんの人であふれているお店なのに・・・。

「珍しいですね」と言うと
「鳥インフルエンザの影響がもろやで。たまらんわー」
と渋い顔。

いくら加熱した鶏肉ではうつらないと言っても、気にする人は気にするらしい。
間違えた知識と、過剰な反応。
売るほうの立場としたら、たまらないだろう。

しばらくすると、いつものように賑わってきました。
入ってくるお客さんお客さんがみな
「さあ!気にしてる奴らはほっといて、食うで〜!」
と勇ましい。
私も、友人も、その他のよそのお客さんも、たくさんたくさん、心ゆくまで鶏肉をたいらげました。
心の中で、こんな大変な時やけど、頑張ってな〜と、お店の人にエールを送りながら・・・。

加熱した鶏肉からは、インフルエンザはうつらないよ。
とってもおいしくいただきました。
ごちそうさま。


2004年03月04日(木) 文通

小学校高学年から、高校2年生くらいまで。
同い年のいとこと、いわゆる「文通」というものをしていました。

大阪ー京都なんて、今ではひとまたぎ(!)ですが、小さな頃は遠く遠くの、異境の地。
その「異境の地」から届く手紙を、とても心待ちにしていました。
たぶん、いとこも同じ気持ちだったでしょう。
一番話すことが多かった時には、一週間に一通の割り合いで、書簡をかわしていたこともあります。

学校でこんなことがあった。
今日は家で怒られてくやしかった。
今こんなことがはやっている。
私はこんなことを思っている。

たわいのない内容でしかありませんでしたが、同じように成長を重ねたせいでしょう、いろんな葛藤やいろんな壁やいろんな思いを語り合ったものでした。

お互いいろんな世界を持つようになった頃から、自然と「手紙を書く」ことが少なくなりました。
電話で話すことも、会うこと自体も、どんどん減っていきました。
わだかまりができたわけではありません。
たくさんのものを、お互い外にみつけて、お互い違う世界に興味を持ち、共有する世界から同じ時期に旅立ったのだと思います。

「げんきー?最近またさむいなー。風邪ひいてへん?」
私の携帯に届く、従姉妹からのメール。
「げんきやよー。最近はなにやってんのー?私はこの前比良山にスノーシューにいったよ」
たわいのないやりとりが、最近復活しました。
お互いの世界を持った上で、またお互い共有できる世界もみつめられる余裕ができたせいもある。
そして、なんといっても、気軽にメールできる携帯をお互いもつようになったという環境の変化が大きい。

同い年の従姉妹と携帯メールのやりとりは重ねられても、休日が違う為に、いまだにゆっくり会えずにいる。

お互いいろいろあって。
いろんな環境の変化を乗り越えて。
たくさんのいろんなものを作り上げて、たくさんのことをお互いが知らないところで重ねてきた。
まだ、語りきれていない、語り初めてもいないことがたくさん、ある。
きっと、お互いに。

兄弟でもなく、友達でもなく、同い年の従姉妹は子供の頃から、特別な存在だった。
今もこうして、同じように年を重ね、離れていてもつながっていることを不思議に思う。

「一回ゆっくり会おうよ」
そう誘ったことは、まだ、ない。
「会えたらいいね」「そうだねー」
でいつも終始してしまう。
特別だから、同い年だから、なんだか照れてしまうのかも。

「春がすぎて、休日がとれるようになったら、一度ゆっくり会おうよ」
今度、誘ってみるつもり。
そして、お互い重ならない世界を生きてきたここ数年を、ゆっくり語り始めたい。
特別な存在は、やっぱりいくつになっても、「特別な存在」。
早くそれを取り戻したいような、もう少し眺めていたいような、そんな、微妙な気分。


2004年03月03日(水) 桃の節句

「節句って、どういうイミ?」

電話の相手がいきなり言いました。

「桃の節句」「端午の節句」がそれぞれお雛祭りや子供の日を指すことは知っていても、言葉そのものの意味なんてわかりません。

「じゃ、次の電話までに調べておいてね!」がちゃん。
電話をきる時に、宿題にされてしまいました。

「節句」は、もともと中国から奈良時代に伝えられた風習だったそうです。
それを日本人の生活のリズムにうまく適合させたことから、日本の季節行事として深く根を降ろました。
 現代に伝わる五節句は、江戸時代に幕府がそれまでの節句をもとに公的な祝日として制定したものだそうです。

1月7日 人日(じんじつ) 七草の節句<
3月3日 上巳(じょうし/じょうみ) 桃の節句・ひなまつり
5月5日 端午(たんご) 菖蒲の節句
7月7日 七夕(たなばた/しちせき) 星祭
9月9日 重陽(ちょうよう) 菊の節句

これらはお正月の七草、3月の上巳(じょうし/じょうみ)の桃、5月の端午(たんご)の菖蒲、7月の七夕の竹、そして9月の重陽(ちょうよう)の菊と、必ず季節の草や木に彩られるのが特徴となっているそうです。

「へえ。江戸時代は公的な祝日だったのに、最近は休みじゃないんだなあ。損した気分!」
宿題を出した相手に、答えを教えるとそう言ってました。
「桃の節句と端午の節句と七夕は知っているけど、七草が節句だったとはなー。それに、菊の節句なんて聞いたことないよ!」
私だって、初めて知りました。
そして、「節句」が「季節の行事」だったことも・・・。

七草に桃に菖蒲に竹に菊。
昔の人は、季節のうつろいにとても敏感で、肌で感じていたのでしょう。
最近のこの世の中は、温暖化のせいか、どこかおかしい。
「らしくない」季節が多すぎる。

それでも、今日は家には桃が飾られ、「季節の行事」に彩りをそえていました。
しばらく出してあげていない、お雛様。
来年は、出してあげよう。


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