* たいよう暦*
日記目次|過去日記|未来日記
私には、別宅が3軒ばかりある。 どれもこれもが居心地のいい、第二の我が家。
そのうちの一軒からお誘いがあり、久しぶりに泊まりにいった。 わいわい食べる夕食。 わいわい話すお菓子とテレビつきの夜更かし。 暗くなってから急にしだす話。 にぎやかな声とともに食べる朝食。
どれもが、すでに自分の習慣の一部になっている。
家族と過ごす時間も好きだけれど、 別宅で過ごす時間も好き。 心のそこからくつろげる別宅があること。 これ、私の財産のひとつ。
友人に子供が生まれた時、自分でほれぼれしたことがある。
「私は、赤ちゃんや子供の扱いがうまい」
抱っこなんてお手の物。 おしめをかえたり、遊び相手になったり、離乳食を食べさせたり、天才的にうまかった。 なんで普通のOLやってるんだろう。幼稚園や保育園の先生が天職だったんじゃないだろうか・・・と思ったことも、何度かある。 新米ママや、子供の多い集まりでは重宝される腕前であった。
「おかーさん、私、ほんま子供の扱いうまいで〜。天才ちゃうか」
日頃、ほんとにあんたって子は!と注意されることの多い母に自慢してみた。 人間、一つぐらい才能ってものがあるのよ〜ふふふーん〜なんてノリで。
ところが、母。とっても冷静に一言コメント。 「そりゃ、きたえられているもんね」
・・・? 意味がわからん。
「筋金入りでしょ。7つ離れた妹の面倒みてきたんだから」
・・・・! ああ〜!忘れていた! あまりに妹が大きく育ち過ぎていたから、すっかり忘れていた! そう!我が家には、私と7つ離れた妹がいたのであった!
小学校一年生の夏休み、妹が生まれた。 それからは、私にはお人形なんて必要なかった。 だって、妹をお人形がわりにすればよかったんだもの。 時には、泣き喚き、時には、よだれだらけにされるとんでもない生きたお人形だったけれど、私にとっても、その当時の私の同級生にとっても、すこぶるすばらしいお人形。 ミルクもおしめも抱っこも、全部その「生きたお人形遊び」で学んだのであった。
天性の才能だと思っていたのに、実は、経験から来る学習した能力なのだった。 なあんだ。私って、天才だと思っていたのに〜・・・。
それにしても、天才だと思いこんでいた自分のうぬぼれの強さにびっくりするとともに、妹の面倒を見た(みさされた?)こともすっかり忘れている自分の記憶力にも驚いた。 私って、大丈夫かいな・・・?
この鍛えられた腕前は、どこにいっても重宝される。 ありがとう、妹よ。 これ、すべてあなたのおかげ。
小学校一年生、二年生と受け持ってもらった先生とは、今でも年賀状だけですがお付き合いがあります。
一年間あったこと、それを思わず報告したくなる相手が、今でもその先生なのです。
生まれて初めて出会った「学校の先生」が、「先生」であったことを嬉しく思う。
今日は小さな友人の入学式。 彼女にも、そんな素敵な出会いが待っていますように。
思いもかけないことを、半分下駄を預けられたような形になってしまった。
下駄を預けられたのが、半分でよかった、と思うのは、ちょっと逃げ・・・だろうなあ。 半分でも、下駄は、下駄。 私に預けられたものだもんなあ。 ベストをつくします。
満開の桜の木の下でお花見をしてきた人達と、とある場所にむかいました。 歩いている途中川べりを通りかかると、なにかが大量に流れています。 あれ?とよくよくのぞいてみると、流れているのは、桜の花びら。 川べりに咲く満開の桜が風に吹かれる度に、川面が桜の花びらでうまります。
もうすぐ、桜の季節が終わってしまうんだなあ・・・
今日は、小さな友人のお誕生日でした。
生まれてから、731日目を迎えた彼女。 おめでとう。 すくすく、育ってね。
「プレゼント用に包んでください」 と言うと、 「えっ」 と言われてしまった。 胸元を見ると、実習生と書かれた名札をつけている。 私も思わず、 「えっ」
彼、きっと、プレゼント用なんて初めてだったんだろうな。 「えっ(そっ・・・そんなむずかしいことをっ!?!)」 彼の名札を見た瞬間、彼の状況がわかってしまった私。 「えっ(先輩がやるんじゃなくて、あなたがするの?!)」 お互い同じ「えっ」でも、内容は全然違う。
包装紙を引っ張り出してきた彼。 手が、ちょっとぎこちない。 見ているこちらも、どきどきしてきた。 なかなか、いい位置が決まらない。
うーん。 うーん、うーん。 うーん、うーん、うーん・・・。
人の倍ぐらいかかって、なんとかできあがりました。 ちょっといがんだりしているけれど、丁寧にやっているので、そのいがみもあまり気になりません。 「大変お待たせいたしました。どうぞ」 笑顔がやっと出て、渡してくれた彼。 「どうも、ありがとう」 肩の力が抜けて、やっと笑顔をかえせた私。
はっと気づけば、同じように緊張して私たちを見ていた先輩達がいた。 彼らの顔にも、笑顔が浮かんだ。
こうやって、見守ってくれている先輩がいると、彼もどんどんのびて成長していくだろうな。 がんばれ、実習生! 負けるな、実習生! じっと君のことを見守ってくれる先輩達に、いつ気づくのかな。 いい職場だね。
今日は、毎年続いている”とあるあつまり”のお花見の日でした。
雨でも晴れでも風でも寒くても、 桜あるかぎり必ずとりおこなわれる宴会。
今年は、例年になく前日の夜中からの雨。 そして、激しい寒(かん)の戻り。 それでも、雨の降っている間はいつも行くたこ焼きやさんに避難して、晴れ間をのぞくのを待ち。 午後4時に雨がやんでから、寒空の中公園まででかけ、小一時間ほど桜をみながらブルーシートの上ですごしました。
今は、一斉にメールで連絡をとっているこの花見宴会の案内。 昔は、全て電話連絡でした。 それも、携帯なんか持っていなかったから、家の電話。 誰かのお母さんと話しこむ、なんてこともありました。 友人の家族と言葉をかわすうちに、友人の意外な一面が見えたり。 こういう家庭だったんだ、と思ったり。 それが、次第に、個人の携帯に電話をかけるようになり、そのうち、メールのやりとりになりました。 便利な反面、少しさびしくも、ある。 もう、友人の家族がどんな声だったか、忘れてしまった。 友人のむこうにすけてみえていた「家庭」というものが見えなくなって、「個人」とのむすびつきになってしまったなあ。 これが、世の中の流れってものなんですかね・・・。
一年に一回しか会わない友人もいるし、会ったこともない人も会えるし、いつもの顔ぶれもそろうし。 会えなくても近況を知れるし、来年会う楽しみがあるし。
おじいさん、おばあさんになっても、集まりたいな、と思う”とあるあつまり”のお花見宴会。 ”大阪事務局長”というお役目を、今年も無事はたせました。
無事、終了。 たのしかった。 また、来年、会いましょう。
我が家には、我が家の決まりごとがいろいろあります。 その中のひとつに・・・ 「夕飯時間を過ぎたら、セルフサービス」
つまり、通常の家族の夕飯時間が過ぎたら、母業はもう休業。 時間外に帰ってきてごはんをよそうのも、お味噌汁をあっためるのも、洗い物も、自分のことは自分でしなさい(父以外は)という決まりです。
ところが、そんな我が家の夕飯時のお約束にも、ひとつだけ例外があります。 「餃子の時は、そのかぎりではない」
家族みんなが好きな、手作り餃子。 あまりのおいしさに「焼き加減もぜひプロ(母)の手で!」という強い家族の要望で生まれた特別ルール(笑)。 餃子の時だけは、どんなに遅く帰っても、シェフ自らが焼いて下さいます。
かりっかりに焼けたきつね色の皮と、にらとひき肉のかおり。 市販のものではでない、「我が家の味」と「プロの焼き加減」。 特別ルールの恩恵を受けて、餃子のおいしさは倍増します。 「特別ルール」も含めて、それが、我が家の餃子の味。 なかなか自慢の味ですが、なにせシェフの味ですので、自分で再現して人に披露することはまだできません。
今日は餃子パーティーで、「よそのうちの餃子」をいただきました。 「よそのうちの餃子」これがまた、おいしかった。 披露してくれた方は、笑顔で’そのおうちの味’をみなに提供していた。 「自分の家の味」を自分のものにしている人がうらやましいな。 私も、「自分の家の味」を自信を持って人に披露できるようになりたい。 その人の自信にあふれた手つきと笑顔からそう思った夜でした。
とってもおいしかった。 ごちそうさま、でした。
会社には、当然’カラー’というものがあります。 社風と言い換えてもいいでしょう。 社員の採用の時には、いわゆる’社風にあった人’を人事部が採用するわけです。
私たちが採用された頃、合併の話なんてかけらも出ていませんでしたので、それぞれの会社がそれぞれ採用をとり行っていました。 4月1日に、その二社の新入社員が、一社の新入社員として入社式に臨んだわけです。
同業種でも、会社によって、驚くほど社風が違います。 それが、異業種ともなれば「驚くほど社風が違う」ではすまないぐらい、いろんなことが違いすぎます。 そんな二社が採用した私たち。 一口に’新入社員’といっても、かなり、てんでばらばら。
てんでばらばらな私たちは、社会人一年生なので、社会人とはこんないろんな層が集まるのか、なんて呑気に構えていましたが、そのてんでばらばらさの根元は、採用元が社風の全く違う会社であるというところにありました。 苦労したのは、そのてんでばらばらを一カ所に集め、バランスを考えてチーム分けをし、研修内容を考えた人事部の人々でしょう。 あまりに違う個性をひとつにまとめていたんですから・・。
全員で毎日顔をつきあわせ、2週間の研修期間を終えるころには、てんでばらばらなりにも、なにかひとつのカラーというものができあがっていたように思います。 2週間の研修を終えた後は、それぞれ部署に配属。 そして、この私たち新入社員’あるひとつのカラー’が、「子はかすがい」という言葉のように、まったく関係のなかった二つの会社の橋渡しとしての役割を担うことになるのです。
’かすがい’だった私たち。 ’かすがい’だったことを、少しほこりに思う。 ’かすがい’の役目も、なかなか楽しかった。
|