* たいよう暦*
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2004年06月10日(木) お料理

好きな食べ物は、いっぱいあります。
苦手な食べ物も、ちょっと、あります。

今までたくさんのお料理を食べてきました。
おうちのごはん。外のごはん。
おいしいもの。おいしくないもの。
旬のもの。行ったことのない異国のもの。
あまいの。からいの。すっぱいの。
おいしいお料理は、なによりも心の栄養になると思います。
そして、「初めてのお料理」を口にする時は、その出会いにわくわくします。

今日は、私が料理人さんの腕もを独り占め・・・。
「はじめてのお料理」を、注文しました。
できあがるまで片時もそのそばから料理人さんが離れられないような、いろんな意味でとっても贅沢なお料理です。
わくわく、わくわく。
初めてみるお料理に、期待がいっぱい。
初めてみるお料理を作る料理人さんを、思わずじっとみつめてしまいます。

「はい、お待たせしました」
わくわくわく。
スプーンをいれて、一口食べてみると・・・

「あっ・・・やさしい味・・・!」
おいしい、じゃなくて、そっちの言葉のほうが先に口からでました。
なんだか、ほんとに、「やさしい味」
口にいれただけで、ほろっと疲れた心がほどけていくような、そんな味がしました。
お料理だけでなく、料理人さんの心までもいただいているようなそんな気持ちになりました。

ああ。いいお料理だったなあ・・・!
注文して、よかった。
とってもとっても、ごちそうさま。
また、あの味に出会いたいです。


2004年06月09日(水) よっぱらい

生ビール、半分にやられました。

もう、ねむい。
ねむいねむいねむい〜・・・

今日は、これにて、おしまい。


2004年06月08日(火) いってらっしゃい

フェリーで旅立つ人のお見送りに行ってきました。
船での旅立ちのお見送りをするのは、初めて。
短い別れ・・・・ではなく、一年半という長期の別れのお見送りも・・・・初めて。

一年半のながーい旅に旅立つ、ふたり。
会うと、ぴりっとした顔になっていました。
ほんわりが抜けて、ほどよい緊張感のある、顔。
日本で日常生活をする顔ではなく、これから自己責任で動いていく、自分達の旅に出かける、顔。
いい顔、でした。

彼らのかたわらで忠実な大型犬のように、大きな荷物が鎮座ましましていました。
とっても大きいなと最初は思ったけれど、でも、一年半で必要な荷物はこれだけなのかと思うと、なんだか不思議。
日常生活とは、なんといろいろなものに囲まれ彩られていることか・・・
人間、そぎ落とすとこんなシンプルに生きていけるのか・・・
そぎ落とされた少数精鋭の荷物はクレーンで無造作に吊られ、人間より一足早くフェリーに乗せられました。

午前11時。
乗船時間になりました。

外国行きのフェリーの乗船は空港と一緒。、税関があり、パスポートの提示があり、出国手続きがあり・・・。
その入り口の先は、外国の入り口。
見送りの私たちが行けるのは、ここまでです。
あとは展望デッキからのみ。
フェリーのお見送り・・・というと、岸壁で紙テープのお見送りを想像してあこがれていたのになあ・・・。
紙テープはなし、岸壁にもいけません。
岸壁は、コンテナ貨物を積み込むリフトやトラックががんがん走っていて、行けるわけもないのだけれど、なんとなく、想像とちが〜う!とぶーたれながら、別れの余韻のない展望デッキで、船の出港準備を見守ります。

午前12時。
いよいよ、出発です。
ぼーーーーーっ。
想像していたよりも、小さな汽笛が、ひとつなりました。

「笑顔で見送りたい」
そう、思っていました。
一年半の旅に出る彼らを見て、さびしくなっちゃうかなあと思っていたけれど。
それよりもなによりも、旅の無事と、旅のしあわせをねがう気持ちで、自然といっぱいの笑顔で、見送ることができました。

「いってらっしゃ〜い!!」
二人合わせて叫んだ声は、船の音にかき消されることなく、二人に届いたみたいです。
「いってきま〜す!」
ながいながい旅に出る二人は、大きな声で答えてくれました。

大きな船が、消えて行くまで見送りました。
いってらっしゃい。
・・・いってらっしゃ〜い!
旅の無事を、心から祈っています。


2004年06月07日(月) 間に合わない・・・!

明日のために、いろいろと手配をしていると、とうとう間に合わなくて。

約束の場所を訪れることができませんでした。

明日会えるとはわかっていたけれど、それでも、やっぱり、今日も会いたかった。

でも、その気持ちは、上手にポケットにしまいこんで。

明日のために、今日はもう、寝ます。
おやすみなさい・・・


2004年06月06日(日) いい電話

携帯の、音が鳴った。

きのうの、今日。
びくっとなりながら出た電話は・・・

「今なぁ〜、岡本屋におんねん」

遠い別府で、私の大好きなプリンやさんでプリンを食べながら、私のことを思い出してわざわざ電話をかけてきてくれた友人の声だった。

その瞬間、気持ちが一気に遠くまで飛んでいった。

友人が旅に出ることは知っていたけれど、そこのお店に寄るかもしれないことは知っていたけれど、友人が私がそこのプリンが大好きだということを知ってくれていることも知っていたけれど、その場で思い出してくれるなんて、思ってもいなかった。

「じゃあ、持って帰るね〜」

ありがとう、ありがとう。
私が大好きなプリンを、わざわざ持ってかえることにしてくれて。
でも、それよりもなによりも。
遠い地で、私を思い出してくれた、そのことが、とってもうれしい。

ありがとう。

そのことが、とっても、うれしかったよ。


2004年06月05日(土) イヤな電話

昔、携帯がなかった頃。
家の電話は、もっと鳴っていたような気がします。
そして、その鳴る音には、味があった。

昼間かかってくる電話も。
夜中にかかってくる電話も。

鳴っているだけでも、不思議と、友人からの電話は「あ、あの電話わたしのだ」なんてわかりましたし、夜中にかかってくる「いやな電話」は、電話の音が鳴り始めただけで、体も心もびくん、としたものです。

なんだろう。
電話の音の中に、なにか「思い」が息づいていたのだろうか。
音だけでも、不思議と、何かが伝わってきた。

それで言えば、携帯は「気配がない」。
友人ごとに、音を変えたり、相手が表示されるから出る前にわかるせいもあるかもしれないけれど、なんだろう、勘が働かない。
いやな電話も、いい電話も、音では聞き分けがつかない。

なぜだろう。
昔の電話は、電話線で「家」とつながっていて、もっと生き物的だったからかな。
やっぱり携帯ってどこともつながっていない、単独の「機械」だからだろうか・・・。

それでも。
たまぁ〜に。
たまのたまぁ〜に。

携帯の電話の鳴る音でも「いい電話」「悪い電話」ってのが伝わってくる時がある。

そう、今日のは音だけでわかっちゃった。「イヤな電話」
なんで、わかっちゃったんだろう。
でも、わかっちゃったんだよなあ、このイヤな電話は。
ふう。
こんな時は、気配がわからなくても、いいのに。


2004年06月04日(金) 心の栄養

白昼堂々と会社を早退し、自分のために時間を使う。

いえいえ、決してきのうの反動、というわけではありませぬ。
前から決まっていた、約束のために、自分で時間をとってみたのです。

久しぶりにそうやって時間を作って、初めて「こういう時間も必要だったんだなあ」と気づきました。

日々、雑事や日常生活や、日常の遊びに追われていると忘れがちだけれど、花に水をやるように、自分の心にも、「改めて」栄養分を与える必要がある時もあるんだなあ〜と思う。

と、自分に言い訳しながら、今日は自分を甘やかしました。
まあ、こんな日も・・・あり、あり。


2004年06月03日(木) 出会い

入社以来ずうっとしていた仕事を、去年末にとある理由でストップして、今年から新しく始めた仕事がある。
やっと軌道に乗ってきたなあと思っていたけれど、またしても新しい仕事が始まることになった。

そういえば、去年の誕生日に○○才は、頑張る年って聞いたっけなあ〜と、今日仕事分担の話し合いをしながらぼんやり思った。

せっかく、新しい仕事になれてきたのに、また一から始めるのか。という気持ちも、正直ある。
でも、ここでこのきっかけがなければ、この新しいことには出会えなかったんだなあ、と思う気持ちもある。

ということで、今日の私の気持ちは、後半の方を採用することにいたします。

人も、仕事も、出会いだなぁ〜。
出会いを、大事にしていきたい。


2004年06月02日(水) はあああああ

今日は、思いっきり頭を使った。
「はげる」かと思うほど!

あ〜、つかれたぁ〜。


2004年06月01日(火) 12歳

トイレの掃除当番にあたっていた時、同じ班の男子が、天井を洗うことを思いつきました。その当時、いかに他の班と違う仕上げにするか・・・がはやっていたのです。
でも、大人でも手の届かない天井に、子供が届くわけがありません。
そこで考えたのは、「ホースで水を天井にかける」
しかし、子供がねらった所に上手に水をかけられるわけがなく・・・。
勢いあまったホースの水は、天井でつながっている女子トイレの天井へ命中し、そこで掃除をしていた私達の頭におもいきりかかったのです。

「きゃあああああ!」

一生懸命掃除をしていたら、いきなり頭から水をかけられた。
あまりに腹がたった私は、かーっと頭に血がのぼり、すぐさまホースを男子トイレの天井にむけました。
もちろん水は、全開です。

「うわああああ!」
悲鳴が聞こえてきました。
そこで掃除をしていた男子は、全員びっちょんこ。
そして、彼らもそのまま引き下がるわけがなく、すぐさま報復。

「いやあああ!」

悲鳴と怒声のとびかう中で、水のかけあいになりました。
最初は天井むかって。しまいには、直接相手をねらって。
大騒ぎはすぐさま先生の知る所となり、はっと気づけば、トイレは水びたし、先生は怒りっぱなし、服はべちょべちょにぬれっぱなし。
廊下に立たされて、延々叱られるはめになりました。
半そでから出た水にぬれた腕が、窓から入る風にふかれると、ちょっと寒いなあと思ったことも覚えているので、ちょうど今ぐらいの季節だったのかもしれません。

これが、私の小学校六年生の今の季節の思い出・・・・。
単純明快な、しあわせな時期だったと、思います。

今日、小学校六年生の女児が、同級生にカッターナイフで切られ失血死するというニュースを聞きました。
その女児のつぼみであったまま閉ざされた命と、残された女児のこれから背負っていくであろう人生を思うと、やりきれない思いばかりがつのります。

小学校六年生。
いまから考えると、あんなにも平和と単純明快なしあわせで満ちた世界であったように思うのに・・・。
一体二人の間に何があったのだろう。
まだ、小学校六年生・・・やりきれません。


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