* たいよう暦*
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台風が来るからといって、家の中で台風ごっこをする話はなんだったっけ? 若草物語?うーん、外国の話だったことは覚えているんだけれど・・・。
それを読んだからか、それとも思いついたのかよく覚えていないけれど、小さいころ近所の家で、台風ごっこがはやったことがある。 食堂のテーブルをシーツで囲んで暗くして、テーブルの下にいろんなものを持ち込んで遊ぶという単純なもの。 夏は死ぬほどあつかったし、冬は冬で人気(ひとけ)のない食堂は寒かった。 それでも、あきずにうす暗闇の中で、時々テーブルの天板に頭をぶつけながら、何時間も遊びふけった。 そのうち、「目が悪くなるでしょっ。出てきなさいっ」と叱られるまで。
今から思えば、停電を経験したからそんな遊びを思いついたのかも。 それじゃなければ、どこが台風ごっこだかわからない遊びだもんなあ。
うす暗闇は、どこまでも続いているような気がした。 親密にもなれたし、わくわくが湧いてでるような気がした。 いつも見慣れた人形や遊び道具が、まったく違うものに見えた。
台風といえば、そんなわくわくを思い出す。 どんな状況になるかはわかんないけれど、それでも、気分の高揚感。 こればっかりは、押さえられない。
明日、台風が来るんだって。
今日は、どうも体が完全ではない。 一週間の疲れがたまっているようだ。 こういう時は、自分の体をいたわらなくっちゃ。 いたわりと怠惰の違いがよくわからないけれど、 「いたわり」にかこつけて、惰眠をむさぼっていました。
「寝てたでしょ」 お昼すぎにかかってきた電話に 「ううん、寝てないよ」 と思わず反射的にした返事。 小さなことだけど、素直じゃないなあ。 ほんとは、寝ていました。
寝ぼけたまま準備をして、ぼんやりしながら 待ち合わせの場所に行くと、忘れ物をいっぱいしていることに気づきました。 取り返しのつかない忘れ物に、やっぱり「怠惰」だったんだなあと、反省。 そして、相手にも散々迷惑をかけてしまいました。 笑顔でいてくれたから、よけいに心が痛かった。 ごめんね、私の怠惰のせいだよ。 おこっても、よかったのに。 ほんとに、ほんとに、ごめんなさい。
「いたわり」と「怠惰」をはきちがえずに、 今度は忘れ物をしないで、準備万端で出かけよう。 準備は前日の夜までに。 これ、これからの教訓です
2004年06月18日(金) |
オカシナソウベツカイ |
今日は、送別会でした。 9月に結婚するため、6月末にやめていく先輩の。 すぐ隣に座っていながら、じっくり話す機会の少なかった先輩だけれど、底抜けのやさしさのある先輩だということはよく知っています。 幸せに・・・と思いながら、その底抜けのやさしさが私の隣からなくなってしまうことが、正直さびしい。
送別会は、課の10人でやりました。 人数が少ないせいか、わいわいしゃべりました。 最初は、送別会にふさわしい話題で。 お相手はどんな人? いつ、どこで、どんな結婚式をするの? ところが、そこから脱線に脱線を重ね、一番盛り上がった話題は 「ちちげ」もしくは「ぱいげ」について。 こう書くと、なにかわかりませんね。 正しくは「乳毛」(関西弁)「パイ毛」(関東弁) おっぱいのまわりに生える毛(!)のこと(胸毛とはまた別らしい)、だそうです。 なんて話題!これが送別会の話題かいな?!
大正時代の建物を利用したイタリアンのお店で、ぎゃあぎゃあ男の人はその話題で盛り上がっていました。 きっと、後ろの席に座っていたカップルには、大変迷惑だったことでしょう。 モウシワケナイ! おかしいなあ〜、最初は結婚についての話題だったのになあ。そこから、髪の毛の話になり、胸毛の話になり、ついに・・・! どうなってそこにたどりついてしまったのだろう?! 最後は何人かがシャツの前ボタンをあけて、お互いみせあいっこしてました。 ナニヤッテルンダカ!
もちろん、女の人は全員みていませんでしたけれどもね。 あ、そんなことないです、一人だけ見てはりました。 そして、大笑いしていました。
見たくないけれど、あんなに大笑いするなら、ちょっと見てみたほうが よかったかも・・・・?!
とってもオカシナソウベツカイ。
「悩みがないでしょう」 と言われることが、よくある。 たぶん、小さな悩みは人に話すけれど、大きな悩みほど人に言えないせいかもしれない。
別に相手を信頼していないとか、信頼しているとか、言ったからといって解決しないからとか、プライドがあるからとかいう問題ではなく、どうしても、言えない。 ちょっとした問題からスタートして、いよいよ大きな山になってしまった問題も、かれこれ一ヶ月、人に言えずにいた。
今日、ちょっとだけ、初めて人にしゃべった。 でも、そのしゃべり方はきっと、大きな問題っぽくなく普通の話題の中にまぎれこませてだったけれど・・。 それでも、誰かに白状した、ってことで、現状はかわらなくても心はどこかで少しだけ軽くはなった。
ある時、頼ることと依存することの境目がわからなくなってしまって、それからこういう具合になってしまった。 小さな問題は、相手に依存せずにすむので、話せる。 でも、大きな問題になると、依存してしまったらどうしようという恐怖感が先にでる。 すごく、依存しやすい人間だということに気づいているから。 一本線をひけなくなりそうな人間だとわかっているから。 それで、そうなってしまう。
ようは、依存しなくて相談できるような強い心を持てるようになれば話せるようになるんだろうな。
私のそんなじたばたを見ながら、わずかな手旗信号のようなSOSに反応してくれる人がいることが、とってもありがたい。 どうも、ありがとう。
つまらないことだけれど、どうしても納得いかないことがあって、いいがかりをつけました。
わかってます、いいがかりだって。 でも、言わずにはおれない状態だったのです。
というわけで、いいがかりをつけられたあの人へ。 ごめんなさい。 わかってました。
前から話はきいていた。 やってみたいな、と思っていた。 それがうまくタイミングがあって、今日、正式に決定した。
うっふっふ。 初めてのことに、挑戦だぁ! うっふっふ。 わくわくする。楽しみだなあ。
この年になっても、「やったことのないおもしろそうなこと」はたくさんたくさん世の中にころがっている。 きっと、これからどんどん年を重ねても、自分のアンテナをぴんとはっていたら、「やったことのないおもしろそうなこと」はたくさんたくさんみつかるに違いない。
アンテナは、いつもぴかぴかにみがいておかなくちゃ。
さて。 この度の、初挑戦。 まずは、体力づくり、体力づくり・・・?! ご報告は、また、来月・・・!
神経をつかった一日でした。
ふう。疲れた。
今日は、もう、寝よ。
私の母は、すんばらしい運動神経の持ち主だ。
学生時代は、ソフトボール、 主婦になってからは、ママさんバレー、 子育てを卒業してからは、タップダンス、 そして、50才を過ぎてから「できないことに挑戦」と始めたスイミングスクールでは、最初は顔をつけて泳げなかったというのに いまやマスタークラス(一番上のクラス)までのぼりつめたらしい。
どーして、この血が、誰にも受け継がれへんかったんかなぁ。
これが、もっぱら彼女の口癖。
ええ血やのになあ。
大変口惜しそうである。
私はと言えば、マウンテンバイクですっ転んで差し歯になった・・・ほどの、どんくささ。 弟は、まあ、ひいき目にみても「ふつうの運動神経」。 かろうじて期待のかかった妹も、小学校のポートボール学校代表選手、中学校のバレーボール部という輝かしい(?)過去を思わず忘れてしまうぐらい、今は運動とは縁遠い人。 名キャッチャー、名セッター、と呼ばれ 踊りを踊ればいいポジジョン、わずかの間に「マスター大会にでませんか?」とお呼びのかかる運動神経の持ち主とは、えらい違いなのである。
ところが、そんな母にもできないものがひとつある。 車の運転。 こればっかりは、どうしようも、ないらしい。
地図も読める。 運動神経もよい。 地理にも明るい。 と、どう考えても私よりも運転にむいていそうなのに、運転免許を持っていない。 私にとれたのだから。と、免許取得をすすめてもみたけれど、 「いいねん、これは」 とこりゃまたきっぱり。 いつもと違い、珍しく及び腰である。
だから、遠くに出かける時、重い買い物をする時は、もっぱら父の出番。 そして、今日みたいに父のいない日は、私の出番。
かーっ、いい天気! と思わず言ってしまうほどの梅雨の合間の晴れ間に、珍しく母とふたりきりで遠くまでドライブしました。 B型の母は、相変わらず助手席で好き勝手しゃべりっぱなし。 普段長時間話す時間のないワタシには、なつかしい?おもしろい?時間。
「60才になった記念に・・・」と運転免許を取りにいかないかなあと淡い期待を抱いていたワタシだけれど、 たまにこんなふうに時間を共有できるなら、免許がなくてもいいかな。 そう思いながら、往復2時間、母を助手席に乗せていました。
でも、そうは思っても、やっぱりあの運動神経をこのままさびれさすのは、惜しい! と運動神経を持たないワタシは思わず今後の有効活用について、じっくり考えてしまいます。
やっぱり、運転免許、とりにいかない? そしたら、ほら、猫が病気になった時とか、犬の餌を買いにいく時とか、かわいい娘が雨にぬれて困っている時とか、夜遅くて危ない時とかに・・・便利だよ!
うーん、説得力に、かけるか。
たとえば、旅に出た時。 一緒に出かけている相手に対して、すっごい腹のたつことが途中にあったとしても、 もう一緒に旅に出るのはやめよう、と思わない友人と、 大きな波風はないのに、どことなく疲れて、 もう一緒に旅に出るのはやめよう、という友人といるような気がする。 その違いは、どっから来るのだろう。という話を友人としました。
友人曰く、 「あう、あえへんという性格の問題が、まず一番。 二番目は、ねっこのやさしさが、見えるか見えヘンかちゃうか」
どーんなことがあっても、ねっこのやさしいやつは、許せるし、 もちろん、自分も、ねっこのやさしさをいつももっているかどうか、ってことらしい。
そう思って、自分の周りの人間を思い浮かべてみた。 ああ、そうかあ。 ねっこのやさしいやつ、多いなあ。 自分はどうだろ。 ちゃんと、ねっこのやさしさ、持っていれているだろうか。
「ねっこのやさしさ」 表面的なやさしさとは違う、ねっこの部分。 これ、大事だなあ。 これだけは、いつまでも、大事にしていきたい。
「会社づとめ」ってのが、そんなにキライなわけではない。 毎日決まった時間に会社に行って、 歯車のひとつとなって働いて・・・ ということに希望を感じない人もいるけれど、 みんなでひとつのものを作り上げたり、 ひとつの方向性をもっていること。 私は、それはそれで、すき。
時には理不尽なことを言われたり、 世間の荒波ってやつにもまれたり、 思いもよらないことに翻弄されたりもするけれど。
それでも、思いもよらない出来事に出会ったり、 そこでからまなければ一生私の人生には登場しなかった人に出会えたり、 経験と頭で突発的なことを乗り切ったり、 きちんと頭と身体を使って仕事をしていたりすると、 「会社づとめ」を後悔している暇はない。
それでも・・・。 どうしてかな。 金曜の夜には、こんなにうれしくなってしまう! 土曜も日曜も。 これからすべてが自分の時間だと思うと、わくわくわくわく。 えへへへ。 いいよねえ、金曜の夜って。
早く寝ようと思っても、なんだか、眠れず、金曜の夜はいつもの夜より、ちょっと長い。 やっぱり好きだなあ、金曜の夜!
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