* たいよう暦*
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なぜか、転校生、転入生の少ない学校で育った私は、「さようなら」は卒業式でしか知らなかった。 「いっぺんに、さようなら」 その先には常に新しい環境があった。
「さようなら」は、先生の為の言葉でもあった。 春になると、一人、二人、先生がやめていく。転勤していく。 今まで自分の先生だった人が、知らない誰かの先生になる。 そして、「さようなら」の次にはもう「こんにちは」はないかもしれない。 「何人かに、さようなら」 もう、会えないかもしれない先生たち。
会社に就職してから、「たった一人へのさようなら」というのを知った。 転勤。退職。 それまで家族よりも長い時間を一緒にすごした仕事仲間が、次の日から来なくなる。会わなくなる。 一人へのさようならは、いっぺんにさようならや、何人かにさようならより、ひりひり心にしみた。
でも、昔ほどさびしくは、ない。 また、会おうと思えば会えることを知ったから。 仲が良ければ良かっただけ、心がつながりあえば心がつながっただけ、また、きっと会えることを知っている。
昔ほど、さようならは、さびしくなくなったのは、人とのつながりは、そう簡単に切れるものではないと思うようになったから。 そして、そう思うようになったのもあるけれど、大人になったから、なのかな。 でも、「また、会おう」のある、さようなら、は、前ほど苦手ではなくなった。
「また、会いましょう。さようなら」 今日は、さようならの日。
「あれ?今なにするつもりやったんやっけ?」 ということが、仕事中、ときどき、ある。
立ち上がった拍子だったり、歩いてコピー機方面にむかっている途中だったり、引出しをあけた瞬間だったり。 ところが、なにをするつもりだったのか、ふっと忘れているのだ。
えーっと、なんだったっけな。 えーっと、えーっと、 うーん・・・?
と、よくそこで、立ち止まって考えていたものだけれど、ある日、隣に座っている先輩が言った。
「そういうときにね、うーん、うーん!と頑張って考えると、逆に、考えるストレスで脳細胞が死んでいっちゃうんだって!」
ええっ?! なんて脳細胞って、デリケートなんだ! それでなくても、生まれてからどんどん死につづけている脳細胞が、これ以上減っては大変だ!
と、それ以来わが職場では、そういう時はそーっと元の動作に戻り、無理に考え込まず時がすぎるのを待つことにしている。
それでも、意外とそうやっている方が、思い出すのが早かったりするのだ。
人間と一緒だなあ。 ストレスって、いけないみたい。 ストレスから解放されると、本領発揮したりするみたいなのだ。
ストレスストレス。 たまらないように、しなくっちゃ。
幼稚園の時、洗濯機といえば二層式で、ぐるりん、ぐるりん、と泡がもこもこ回る様子を見ることができた。 あの泡は、本当にわたがしのようにおいしそうで、きめ細かくて、きらきら日の光をあびて美しく見えた。 何度かこっそり、その泡をすくいだしてみたことも、ある。 すくいあげて、風にとばしたこともある。 背伸びして「ぐるりん、ぐるりん」回る洗濯槽の中をのぞきこむことは、おやつがたくさん入っている戸棚をこっそりあけて見ることの次に、わくわくする出来事だった。
今は、もう、全自動の洗濯機がほとんどで、あの閉ざされたふたの下で、何がおこなわれているか見ることができない。 ぴーっ、ぴーっ。 という呼び音に行ってみれば、洗剤のほのかな香りの残る、しめった衣類がぐったり横たわっているばかりだ。 あのふたの下で、いまでももこもこの泡は、ぐるぐると回っているのかな。 今度こっそり、のぞいてみよう。
ぐるぐるの泡が見られなくなってしまったけれど、家事の中で洗濯が一番好きだ。 そういうと、「洗濯ってほとんど洗濯機がやってくれるやん」と言う人もいるけれど・・。 ま、ほとんど洗濯機がやってくれるわけだけど、汚れていたものがきれいになった・・・という気持ちよさと、しわくちゃになっているものを、ぱんぱんっ!と日の光の下で干す爽快感。 ま、人間がすることは干すだけなんですけれど。 やっぱり、洗濯は家事の中で一番好き。
今日は30分早起きして、洗濯ものを、ぱんぱんっ!と干しました。 朝の光の中で、気持ちよく風になびいている洗濯ものを見るのは、なかなかいいかんじ。 早起きは苦手だけれど、ま、洗濯物のためならがんばれるかな。
あぁ〜。 私もどっか、飛行機に乗って、遠くへいきたぁ〜いっ! いいなあ、いいなあ! いってらっしゃいませ。 くーっ。
なんだか気になって、「せつない」を辞書でしらべてみました。
「せつな・い<切ない>」 (「切なり」の変化)自分の置かれた苦しい立場・境遇を打開する道が全く無く、やりきれない気持ちだ。
・・・・・・・・。 ・・・・ちがう。 私の思っていた「せつない」とちがーう! というか、私の理解の仕方が間違っていたんだけれど。 えー。「せつない」ってそういう意味だったんだぁ。 じゃあ、「この間の気持ち」は「せつない」とはちがうなあ。
では、この間の気持ちは・・・・・ 気持ちは・・・・・ ・・・・・・・。 ・・・・・・・・・・・・。
だめだっ、出てこないっ。 日本人だから、たくさん日本語を知っているハズなのに、あの時の気持ちにぴったりの言葉を見つけることができない。
自分の、感情なのになあ。 表現すべきすべを知らない。 ああ、表現って、ムズカシイ。
「言わんでいいで。聞く気ないから」 「えっ・・・?」 「聞く気ないから、言わんでいいって、言ったの」
そんなの、聞こえてましたよ。 ただ、言葉の内容が信じられなくて、聞き返したんだってば。
営業担当者が、全員留守の時に、こりゃー、営業の判断を聞かなくちゃ前に進めないな、って事態がおこった。 担当者に電話をかけても、電話に出られない状態。 もう一人のサブ担当者に電話をかけても、同じくつながらない。 担当ではないけれど、同じチームの人に相談してみようと思ったら、私のばたばたをちらっと眺めていたらしいその人から、話す前に冒頭の言葉を投げられてしまった。
・・・・・目が、点。
聞いてから拒否されたんではない。 聞く前に、そんなわずらわしいことにかかわりあいたくないと、宣言されたのだ。 きのう今日入った新人って、わけではない。 ベテランだ。 同じチームの一員で、キャリアをつんでいる人だからこそ、相談してみようと思ったのに、なんだ、それ。
社会人として働いているからには、プロだ。 さっきの台詞は、プロの台詞ではない。 ということは、この人は素人だ。 素人に聞いても仕方ない。
「じゃ、いいです」
それだけ言って、席に戻って、自分で考えつくベストをつくすことにした。 ここで、自分ひとりで動いてたとえ失敗したっていい。 素人の手を借りるよりは。 と、考えた。
そんな言葉、聞きたくなかった。 情けない、言葉だと思った。 言ってて恥ずかしくないんだろうか? 恥ずかしくないから、いえちゃうんだろうなあ。 でも、ベテランだよ。 プロだよ。 あ、違った、素人だった。
頭の中で、ぐるんぐるん、言葉が回った。
同じチームの一員として、働いていることが心底イヤになった。
でも、ふと冷静に考えてみる。 もしかして、私がこんなに腹立たしく情けなく思ったのは、こんなに困っているのに、手を差し伸べてもらえなかっただろうか。 助けてもらえなかったことに、自分の都合よくいかなかったことに、勝手に腹を立てているのだろうか・・・。
そんなことない、とは言い切れない。 より楽な道を選ぼうとして、救いを求めていった気持ちも、どこかに、あった。 その人に意見を求めに行ったのは、ベストではなかったかもしれない、な。 もっと冷静に判断すべきところも、あった。
自分の甘えの気持ち2割、ほんとに困ってたの8割、ってところかな。 拒否されたことによって、2割の甘えを、目の前に突きつけられたかんじ。
反省。
そして、それでも、思う。
それでも、やっぱり、この人とは、やっていけない、って。 いけない、かな。 いけない、んだろうな。 でも、やっぱり、そう思ってしまうな。
一気にあふれでたいろんなことに、ちょっととまどいました。
いろんなことを、思い出しました。 いろんな、こと。
それだけじゃなくて、ほかにもいろんなものがあふれでました。
せつない。 この言葉が、今の気持ちにいちばん近いかも・・・。
せつないなあ。
実は、非常に前歯にコンプレックスを持っている。 形でいえば、タイルのように長方形で、横の歯に比べて、とりわけでかい。
乳歯の時は前歯に隙間があったせいで、どんなに歯磨きをがんばっても、必ず虫歯ができた。 その虫歯の茶色がイヤでイヤで、早く永久歯にはえかわらないものかと切望していた。 はじめて、歯茎にその先が見えた時には、よしよし、と期待をかけたものの、毎日のびるにしたがって、はっきり長方形となり、タイル歯だとわかると、ひどく落ち込んだりもした。 「うさぎみたいで、かわいいよ」 小学校の時の友達はそう言った。 小学生の言葉って、真実をついて残酷な時がある。
数年前に、マウンテンバイクでみごとにすっころんだ。 顔からおちたせいで、左の前歯がかけ、そのとなりの歯もレントゲンではひびが入っていることがわかった。 「差し歯にしましょう。」 歯医者さんにそう言われた。 「一本8万5千円です」 今なら、「ひえーっ、たかっ☆」ぐらい言ったかもしれない。 しかし、冷静さを欠いていた私が気になったのは、値段よりもなによりも・・・ 「先生、前歯の形ってかえられますか?」 わくわくわく。 期待にあふれて先生をみあげた。 「?」 「あの、もうちょっと、小さく、とか、もうちょっと、違う形とか」 「・・・・あのですね。 差し歯というのは、今ある歯の場所に入るわけで、それより小さければ両脇があいてしまうわけです。」 ! 「そして、形を変えるといってもねえ。右の前歯はその形なのだから左の前歯だけ違う形だとおかしいでしょう?」 ・・・!! そっ、そうなのかあ〜・・・がっくし。
今なら、わかる。 冷静になれば、そんなこと言われなくても、想像がつく。 しかし、私はその時思い切り期待してしまったのだ。
わー!痛い目みたけど、前歯の形がかわるかもしれんのかあ! わはは。お金はいくらかかってもいいやー!えへへ。 「この前歯」じゃない自分を想像して、ちょっとうきうきしてしまっていたのだ。
そして、その時、差し歯は私の以前の前歯と同じ形に作られた。 当たり前だけど、ちょっとだけ残念だった。 でも、腕のいい先生とめぐりあったおかげで、なに不自由なく暮らしている。
「あっ。これっ・・・・!」 今日、歯磨きをしていて、大事な自分の方の右の前歯に、ちょこっと、ほんのちょこっと 茶色いものをみつけてしまった。 ひええええ。虫歯や、絶対。 はああああ。虫歯や。歯医者いかなくちゃ・・・。 前歯ととなりの歯のすきまにできる虫歯は、私のお得意とするところ。 歯並びの関係で、どんなに気をつけていても、いつのまにかできてしまう。
もちろん、差し歯の方の歯には、虫歯はできやしない。 同じ位置で、同じ場所で、同じ形で、私のために働いてくれている。
虫歯にならず、丈夫で、いい働き。 差し歯に感謝しなくちゃ、な。
期限のある宿題を、期限までに仕上げなかったことは、ない。 そうだ、期限を決めよう!
と、今日思いたちました。
最近、こつこつやっていること。 大海の中を小舟で漕いでいるようなかんじなので、なっかなかすすまないし、大波小波にざっぷんざっぷん。 海で漕ぐのは楽しいのだけれど、大海は果てしなく広く、そのむこうの新大陸は果てしなく遠い。 そう思ってずいぶん気弱になっていました。 でも、期限を決めたから、漕げるところまで、漕ぎつづけるぞーっ。と、力がわいてきました。
抽象的な話だなあ。 ま、そんな一日だったのです。 力のかぎり、漕ぎまくるぞーっ。
朝、家を出るときは、ひどい空の色ではあったけれど、まだ雨は降っていなかった。 会社についても、まだ、降っていない。 床から天井までが一枚ガラスだから、外がよく見える。 12階からの眺めは、ちょっとお天気の悪い日以外のなにもんでもない。
「今、台風どこにおるんや?」 何度もインターネットにアクセスする人たち。 「おっ、今徳島らしいぞ」 「こっち来んで」 話だけ聞いていると、なんのことを、誰のことをしゃべっているのか想像もつかない。 やたらと擬人化されている。 「はよ、こいこい」なんていう人もいる。
12時前後が一番ひどかったなあ。 それまで、普通の雨の日の様子だったのに、風がどんどん出てきて、雨の方向が縦横無尽にかわった。 12階だから、風の流れがよく見える。 下を見下ろすと、御堂筋の銀杏並木が、おもしろいように揺れている。 傘がひっくりかえったりしている人も、いる。 えらいこっちゃ。大変なことになってるで。 見下ろすガラスも、そのうちひどい雨が打ち付けられて、まるで水槽の中にいるみたいになってしまった。
学校の時はよかったよなあ。 大雨洪水警報出てれば休みだったもん。 会社に勤めていると、そんなわけにはいかない。 みーんな、ふつーの顔して出勤してきて、ふつーの顔して机について、ふつーの顔して働いている。 一番びっくりしたのは、阪神大震災の時。 結構多くの人が、ふつーの顔・・・こそはしていないけれど、出勤していた。 電車が止まっても、何駅か歩いてきていた。 自分もそうやって会社にたどりついたわけだけれど、なんでここまでして会社に来てるんやろ、みんな(自分もだけど・・・)・・・ってすごく不思議だった。 なんなんだろう、「会社」ってところは。 なんだか、ヘンな世界だよなあ。
そんなことを思いながら一日仕事をしている間に、あっという間に台風は去っていき、夜の7時にはすごいすごい夕焼けが始まった。 すごい。 ほんと、すごい。 台風の影響で、雲がたくさん出ていた。 そこに、反射する夕焼けの光、光、光・・・! まるで映画の中に出てくるような、すごい強い光をもった夕焼けだった。 みんなで口をあんぐりさせながら、しばらく眺めていた。
帰り道、雨はもちろんやんでいた。 だから、帰りも、傘はなし。
なんか、ヘンなの。 台風の一日だったって、気がしない。 なんだか、特別じゃない、ふつうの一日だったみたいでした。
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