私の雑記帳
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身体がだるくて切ない。
求職活動もうまく行かないし、参った。
いつも何かに追われているような窮状と、 お金の無さが身に沁みる。
快晴のよい天気。
ついに風邪をひいたようで、身体がだるくて切ない。
お金がないのが本当に辛い。
こんなふうに、惨めっぽく歳をとっていくことが たまらなく苦しいと思う。
よく晴れた、穏やかな一日。
今日まで半額なので、TUTAYAに行く。 次女が聴きたがっているので「POP STAR」(平井堅)と「WISH」(嵐)を借りてやる。長女も喜んで聴いている。(何がいいんだか)「POP STAR」は歌詞があざといほどオーソドックス。平井堅てところが大きくマイナス。 私は傾向を換えた音楽が聴きたくて探したが、これと言ったものがない。本当はパーシー・フェイスあたりを聴きたかったが、やっぱり置いてない。(がっかり。「夏の日の恋」がすごく聴きたかった) ちょっと迷ったが今はモリコーネという気分でもない。モリコーネ、20年くらい前に出たNHKの「ルーブル美術館」シリーズのBGMのアルバムが聴きたい。CD化されていないんだろうな。レコードは確かキングレコードの大月さんに貰って持っていたはずだけど。あのころ大月さんが「モリコーネは今が買い」と言っていたのが強烈に印象に残っている。とにかくあれからモリコーネが有名になる度に、そのことを思い出す。なぜ「今が買い」だったのか、今になって知りたいと思う。とにかく、「ルーブル美術館」聴きたいなぁ。
レンタルは結局、半額ということが後押しして、『新撰組!』のサントラとフジコ・ヘミングのアルバムを借りた。でも結果的には悪くない選択だったような気がする。まだ聴いていないけど。
DVDで「festival express」という貴重なライブ盤がレンタルで出ていて、よほど借りようかと思ったが、これはいづれ買うつもりなので、今日は思いとどまった。実は先日借りてきた『フルハウス』のDVDもまだ見ていないので、たぶん見る時間がいまはない。本当は『コロンボ』シリーズも借りたいが、もう少し余裕が出来たら、見逃しているものを全て見たい。
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今日の夕飯は、ぶり大根。濃いめに味付けしてしまったが、味が染みて美味しかった。ぶりのアラ498円、大根98円
2005年11月19日(土) |
悲喜こもごも、多忙な一日 |
長女が伴奏に選ばれた合唱の本番が今日だった。学区のイベントではあるが、出場校の関係者以外はそれほど人はいない。それでも、親の私はものすごく緊張した。曲は「栄光の架け橋」だが娘は大きなミスもなく、そつなく弾けて本当に良かった。本当にほっとした。たいして緊張していなかったらしい娘本人も、なんとか弾けて安堵の表情。私はあまり褒めてやったことがないが、過剰に褒めてやったので娘も気をよくしていた。娘にとっては、成功したことより母親に褒められたことの方が大きかったかもしれない。「いつか大人になったら、あれ(今回の伴奏)って私の栄光だったよな〜と思い出すよ、きっと」と身も蓋もないことも言ってしまったが、娘も笑っていた。久しぶりの平和なひとときだった。来週の土曜は家族参観で5時間目に全学年が体育館で合唱するが、その時も同じく伴奏するのでうまく出来て欲しいと願うばかり。 最近、娘はようやくピアノが好きになってきたらしく、出ないと言い張っていたピアノ教室のクリスマス会にも急遽参加することに決めた。曲選びについて口を出すと、「だからピアノはつまらない」と言い出すので私はノータッチだったけれど、なぜ流行歌では練習にならないのか、最近ようやく私の言っていたことが理解できるようになったようで、ピアノ曲をやりたいと言い、以前に使っていた教本から、簡単に編曲しなおしてあるが「別れの曲」(ショパン)をやるという。(先生にピアノピースの楽譜を見せていただいたら、目眩がしそうだった) 何のジャンルの音楽を好きでもいいのだが、子供のときに身につけておけば、一生にわたって音を楽しめる。だから、私は娘にもう少しピアノを続けて欲しいと思う。 私自身は歯の矯正もそうだったが、三十路を過ぎてようやくピアノを習い始めた。豊かな中年ライフを目指すはずだった。私生活も体調も悪くなって停滞して数年経つけれど、今からでもまた少しずつ気持ちが豊かになれるよう努力したい。
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長女と二人で買い物に出て、久しぶりに行きつけの日本茶の喫茶店に行ってみると、当地で作った紅茶がようやく喫茶に出ていて飲んでみたが、さっぱりしていて美味しかった。 前にも日記に書いたが、また和製ロビン・ウィリアムス(瓜二つ)と遭遇。(次女の保育園の同級生の父親で、喫茶店の店長の幼なじみ。その店の設計をした一級建築士)独立なさったそうで、また名刺をいただいた。土曜日なので店は混んでいて、しばらく前にも客として来ていた地元NHKのアナウンサーの顔もあった。お店が有名になるのはいいことだが、土日はやはり混んでいるので、長居も出来なければ、店長やチーフ(奥様)とお話する時間がないのでもったいない。
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娘が丸井のGAPを見たいというので、久方ぶりに行ってみると、以前私がパートで一緒だった苦労人のOさんが掃除婦として床を掃いていた。真面目を絵に描いたような人で、まだこんなに頑張っているんだ、と思うと胸が詰まった。GAPの服なんぞを見ている親子連れは、私たち親子を除けば、みな中流くらいにはお金がありそうだしお洒落だし、親子連れはみな子供に相当お金がかかっていた。そんな中で、寝たきりのご主人と成人しているとはいえ3人の子供と、苦労して立てた家のローンに追われているOさんの苦労を思うと、その場にはいたたまれぬ気持ちになる。Oさんは不器用だけど何事にも一生懸命で、手を抜くということのない人だった。無駄な話しも愚痴も一切言わなかった。Oさんの境遇と自分の境遇など考えると切なくなった。
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夕方久しぶりに、家族で銭湯に行った。 ここぞとばかりにサウナに入るが、なぜか汗があまり出ない。やはり代謝が悪いのか。急いで身体と髪を洗うがその後湯船(ジェットバス)に入っていられたのはたった3分で、時間がなくて泣く泣く風呂から出る。いつも思うが、今度はゆっとり一人で行きたいと思う。
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午前中に行った病院(いつもの泌尿器科)で週刊誌を見たが、今度やるドラマで宮沢りえと瀬戸内寂聴の対談が載っていた。構成されているので、実にたわいもない内容になっていたが、瀬戸内が51で出家して確実に守ったのは男を絶ったことだと言っていたことと、過去の男はすでにみな死んでしまったと言っていたことがやや印象に残った。
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今日は一日ジャニスの「pearl」を聴く。 お気に入りは「TRUST ME」 最近ジャニスに惹かれるのは、何か爆発したいようなエネルギーを抱えているのだろうか。
2005年11月18日(金) |
「La Mer」/クリスマスケーキ |

ハードで破滅的な曲ばかり中毒のように聴いていた反動で 今日は、久しぶりに優しい曲を聴く。
『French kiss』のサントラにしか入っていない曲だが ケヴィン・クラインの唄う「La Mer」は、とても渋くてよい。
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友人にメールを送った後だったので、その返事が携帯に来たのかと思っていたら、妙に長く鳴っている。(私の電話とメールの着信音はよく似ているので聞き分けられない) 見るとFさんからの電話だった。まったく気まぐれな出来事なので狼狽する。
用件というのは「仕事のお付き合い(義理)でクリスマスケーキを買うのでお前にやるが、いつが都合がいいか」であった。唐突に聞かれてもどきどきしているので、何を話していいのかわからない。 私から用事もないのになるべく電話しないようにしようと思って日々耐えていたのに、拍子抜けするほどあっけない。まさかこんなことで電話がかかってくるとは思わなかった。
人ごとながら気になっていた、交通事故で入院していた息子は退院したのかをたずねると、つい先日退院したが、風邪でダウンしているとのこと。「そうよね、内牧(地名・・北の果て)の風はさぞ冷たいでしょうから・・」と皮肉っぽく言ってみて、ふと「でも東京育ちなら、こちらより向うの方が寒いでしょう?」と言うと「うちは海の方だけど、こっちの方が寒い」と言った。「晴海だったわね」と言ったら「勝鬨!」と言って怒られた。 なんと、どうでもいい話しなんだろう・・。
聞いてもいないのに「先に言っておくけど、ボーナスは○日だから」と言った。Fが夏にお中元商品で知り合いに頼まれた商品の代金約24万は私が娘の学費から立て替えたが、最悪はそれをボーナスで返すからと言っていたが、まさか本当になるとは思わなかった。 「先方は(商品代金を)払ってくれないの?」と愚問するが「もう無理」とそっけない。「あなたはそれでいいの?悔しくないの?」と更に当たり前のことを聞いたが「仕方ない」と言うだけだった。 私が先月、詐欺師の口車に乗って発注し買い取らなければならなくなった時の代金は7万弱だったが、その時は商品は私の手元にあった。しかし、Fの場合は客に依頼された分なのでまるまるの損失。人ごとながら、痛恨すぎる。 そういえば、去年も仕事がらみで貸したお金を12月のボーナスで返してくれたことを思い出した。その時は忙しいから振り込んできた。そっけなさすぎて、そのとき私は二人はもう終わったと思った。あれから1年経ったのか・・。
先日、過去の日記を読み返したが3月の日記に「彼は未練というものを全く持たない・・・」というくだりがあった。wetな私とは正反対のdryな性格が羨ましくてたまらない。クールな思い切りのよさは少し見習いたい。
「出来たら年内に食事でも・・」と話したら、返事だけは乗り気だったので少し嬉しくなったが、相変わらずものすごく忙しい、死にそうだとぼやいていたので、多分そんな時間はないだろうと思う。息子二人がそれぞれ受験だし、お金はないし、仕事は忙しいし、Fの頭の中には生活だけで精一杯。私のことなんか、もともと何もない。
でも、それが私たち。 かまってもらえないのが寂しいという気持ちを越えて、私たちは、元々そういう間柄なのだと強く思う。一番さみしいことは彼は私がいなくなっても悲しまないだろうということ。そんなふうに考えると悲しくなるけれどそれが現実、仕方ない。 いつか遅かれ早かれFはいづれ当地を離れるだろう。その時になって狼狽しないよう、私は今から心の準備をしている。こんなふうに、少し離れてFのことを考えられると気持ちも軽くなる。本当はもっと早くからそうすべきだった。わかっていても私はずるいから、心だけは本当に彼に頼りたかったのだ。
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