私の雑記帳
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2005年12月24日(土) 締めつけられる心

ふたたび、霊感のある占い師と電話で話した。
なにをどう考えても、彼とのことで明るい材料はないようだ。
続ければ、私が苦しむし、その上に何も得られない。
どうにもならないことはよくわかっている。
私の思うようにはならない。

相手をどんどん美化して理想化して夢を見てしまう。
儚い幻と知りつつ、捨てがたい、離れがたい気持ちを、いまはどうすることも出来ずに持て余し、こうやってここに中途半端に吐き出すことしかできない。

私は、彼なりの優しさを私に都合のいいように拡大して受け取ってしまっている。
<痘痕もえくぼ>状態だと、実は自分でも気がついている。

誰にたずねても、彼とは縁がない。
あったとしても幸せな縁はない。
私の幸せとは、なんだろうか。

彼への熱が覚めてしまうことが、私の幸せに通じるとしたら
それは哀しい。アンデルセンの童話のように、それよりも、海の泡になって消えてしまうほうを選びたい。
かつてあったはずの愛がなくなっていくのを感じるくらいなら。
どれほど好きだと思った人も、やがてその愛が無くなっていくのを何度も経験してきた。プラスに向かって勢いよく進み過ぎたベクトルの矢は、まるで引っ張っていた手を離したゴムのようにマイナスに向きを変えて進む。継続した愛などなく、だからこそ認めたくはないが、彼とのこともいつかは終わるのだとわかってはいる。
嫌いになるのか、あるいは幻滅するのか、そうなれば恋の呪縛から解かれるのだろうが、それは心に消えない傷を作る。そして、間違いなく私はその傷をいつまでも引きずるだろう。


先日、ほんの僅かな時間だったが、彼に愛されていると感じ得たとき(私がそう感じたならそれは真実)を、私はその瞬間に『いまが私の最上の幸せ』だと切実に感じた。死ねなかった私が生きぬいてきた意味もそこにあると思った。刹那的すぎるのかもしれないけれど。まるで麻薬のような感覚かもしれない。それほどまでに心が満たされる感覚は、もう二度とないかもしれない。けれども、生きていくということは、これからもそんな瞬間を捜し求めていくということなのだと思う。

彼と私では、どうあっても幸せになれない運命ならば
何もかもがダメになってしまう前に、
何より、決定的に私が傷つくその前に、人生が終わればいいと思う。(直接的な死を意味するものではないが)

たぶん、その最上の幸せな思い出だけでは、これからの人生を生きて行けない。どんな方法にせよ偽物でさえ構わず愛(のようなもの)を求めていくであろう自分を、虚しく思う。私とは、なんと弱いのだろうか・・。

本当はこれから出会う恋こそ私の幸せのかもしれないし、そうなれば、私は彼のことを考えなくなるし、悲恋を嘆いたことも過去になる。やがて彼との恋は死んでしまう。
今までにも、その時々で胸がしめつけられるような恋はいくつもしたが、だからこそ、私は愛が死ぬことを知っている。死ぬというのは消えることとはちょっと違う。

そんな現実から目を逸らせたいけれど、たぶんいまの「憧れの塊」のようなこの恋もまた、私が彼に幻滅し、この恋に幻滅し、昇華することのない恋になる。
こんな辛く切ないことはなく、そんな切ない現実を受け入れるくらいなら、人生などもう沢山だと思ったりする。
でも、私はどんなに苦しくてもこの人生を捨てられるほどの勇気がない。だからどんなに苦しくても、息をして目を開けて生き続けなければならない。

 いつまでもぐずぐずと割り切れぬ心。たいていの動物はカタワになったら生きては行けない。何かの能力が極端に欠落していたら、自然界では生き残れない。
負への吸引力が強すぎて、傷つきやすく脆くて弱い私は、生きるのが怖い。
できるだけ客観的に事実を見据えようと試みてはみるのだが、自分の性分はどうにもならず、何よりも私が傷つく人生を自ら選んでいるという事実は、私の決定的な弱点であるが、それらを含めて、私という人間は弱すぎる。
私は、もう強いショックを受けたくないし、傷つきたくない。
彼が私についている嘘があったとしても、私は死ぬまでその事実を知りたくはない。
わたしが、一番怖いのは彼との別れがどんなふうにやってくるのかということなのかもしれない。
私が何を思っても、たぶん運命には逆らえない。

彼のように、その時々の気持ちに正直で、その感情はその瞬間にその場に置いてこれるような生き方が出来ることを、とても羨ましく思う。でも、私は彼とは違うから、そんなふうには生きられない。
いろいろ考えていくと、二重に三重に不幸に思えて来るのが情けない。でも、以前の私のようにどうやったら死ねるか、ということは考えない。簡単に死ねないことは経験上よく知っているから。


2005年12月22日(木) 愛も進行形


クリスマスプレゼントは、イアン・アンダーソン率いるジェスロ・タルの
「ナッシング・イズ・イジー〜ワイト島ライヴ・1970」。
お薦めの5曲目「ブーレ」はフルートの曲ですごく雰囲気があっていい曲。
いまだ現役という話にも驚いたけれど、有名な人らしいのに私は全く名前も聞いたことがない。

[その他、ご推薦のアルバム]
ド7アーズ ファースト、ツェッペリン セカンド、フリー(クイーンのボーカル/ポール・ロジャース) ハート・メーカー、ビートルズ ホワイトアルバムetc・・


20日に会う約束は守ってくれた。
無理して時間を作ってくれて、会えたことに感謝。
前後の19日と21日は息子二人の誕生日。
彼は今日22日で離婚して1年になった。

久しぶりに会って話して思い出したのが彼の口癖。
「さりとて」と「さだかでない」など、口語であまり聞かない言葉なので耳に残る。

彼との会話はやっぱり楽しいし、彼もたぶん私といて楽しかったと思う。大げさに言えば、一緒にいる時の私たちは全身全霊で愛しあったのだと思う。それ以上でも以下でもない、その楽しかった時間は真実。

さみしいけれど、悲しいと思ってはいけないと自分に言い聞かせる。いつかきっとまた会える。


昨日、友人から言われた言葉を反芻している。
今の気持ちがどんなに大きいものでも、
そのレベルのまま、その状態の気持ちがいつまでも続くことはない。
いまは切なくても、やがて必ず次のステップが来る。
だから、そう悲観することはないと信じたい。


2005年12月19日(月) 色即是空

気もそぞろな12月、そしてこの1週間。
約束は明日なのに、連絡は?と思っていたけれど
いまは電話が鳴らないで欲しいと願う。
いい加減に約束を破る人ではないからこそ、
連絡してこないのは、今のところ約束に変更がないということだと思う。

5月の誕生日の時に約束した「夏には食事に」の約束が
半年経っても食事どころかお茶すらしていない。予定は未定の状態が長かった。
今回も、たぶん明日の仕事のはかどり次第なんだろう。
最悪はクリスマスケーキの引換券の受け渡しだけかもしれない。食事どころか、お茶を飲む時間さえないかもしれない。
いや、本当の最悪は会えないということかも。

期待しても無駄だとわかりつつ心は何かを期待する。
そして約束が叶わなかった時のことも想定して、早々と諦める自分もいる。
ものすごく喜んだり落ち込んだり、浮き沈みの激しさが大きいほど苦しいけれど、たぶんずっと心は捕らわれたままでも、以前の私ほど一喜一憂しないだろうと思える、少し冷静な自分を見つけて、いまは割と落ち着いている。

会おうが会うまいが暮を過ぎたら、たぶんまた5月までは会えない。長い目でみると明日のことより、その先の時間の方がずっと長く、私には耐えがたい。
良くも悪くもそういう相手で、その事実は変えようが無い。

私には本当に疲れる相手であり、憧れる相手ではあっても相性はよくないこともわかっている。
年が開けたら、たぶん私の超停滞していた運気も変わる。(根拠はないけど)
だから、きっと晴れない気持ちも今がピークだと思うようにしている。

去年の今頃から1〜2カ月は気が狂ったようだったし、今年はいろんな嫌な事件も多かったけれど、1年前の自分と比べるとたぶんマシにはなっている。だからきっと、これからもやっていけると思う。

きっとこれからも泣いたり笑ったりするけれど、私自身がいろんな経験を積んだからこそ、以前よりは俯瞰できるような気がしている。


2005年12月18日(日) 寒い

寒い、寒すぎる。
来週はいよいよなのに、こんな時に体調を崩すわけにはいかない。
子供の防寒用の服などをとても安く買うが、それでも二人分なので財布も辛い。お金はどうしてこうも早くなくなってしまうのだろう。

私は、持って行き場の無い切ない気持ちを抱えて、これからずっと孤独に年をとってしまうのだろうか・・。

血圧の薬か睡眠薬か、たぶんどちらかの影響でずっと便秘がひどい。いまだけ勝手に薬をやめてみた。睡眠薬は片方だけ飲んだ。
ぐっすり寝て、火曜日までにコンディションを整えたい。


2005年12月16日(金) いくらかマシなのか

ようやく、金曜日。

とうとう面接を受けた会社から連絡はない。
なんて中途半端なんだろう。

つまらない人生だと思うが、なんだかんだとこの歳まで生きてきた。過去の記憶や写真を見ると情けなくなるということは、その時よりいまの方がいくらかマシというか精神的に少しは成長しているのかもしれない。
経験というものは、確かに貴重だ。生きることは、成長し続けることなのかもしれない。


pearl〈パール〉 |MAIL

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