私の雑記帳
DiaryINDEX|past|will
ここのところ、すこし躁状態ではなかったかと 思われるほど、衝動買いをしてしまい途方にくれている。
昨日から次女が嘔吐で学校を早退し、今日は休んだ。 高熱も出て、弱っている子供を見るのは 親としては辛い。 しかし私も、ここのところ胃がむかむかする状態が続き ひどい頭痛も続いている。 風邪なのかよくわからないが、調子が良くない事だけは 確かで、寝たり起きたりの生活になっている。
それよりも気になるのは、私の記憶力の低下である。 気のせいというか加齢によるものですませていいのか 心配になるほどひどいのである。 人の名前が思い出せない。何をしようとしていたのか 思い出せない。 思い出せないことがたくさん。 ここ3〜4カ月くらいでものすごい勢いでひどくなっている。 いきなり病気だと短絡的に考えたくはないが、 「一体、なんだろうか」と悩む事に困っている。
明日はPTAの係の仕事で学区の巡視(自転車で)当番である。 たいしたことではないけれど、知らない人たちと組んで 「こんなこと、なんの効果があるのだろうか・・」と思うような 不毛な活動に、面倒くさいと思う気持ちが強い。 いま、胃が気持ち悪くて頭痛もあるのに、出かけたくないが 行かねばなるまい。
もうじき年度が変わる。 そうしたらまた家庭調書なるものが何枚も渡される。 親の職業(勤務先)や、保険証の番号まで書かなければならない。 うちのように、現在無職であると書くみじめさ、 保険証がないと書くみっともなさ、つくづく自分がなさけなく思う。 私に人並みの甲斐性があれば、こんなみじめな気持ちにならなくても済むのに。
2007年02月16日(金) |
もう未来を通りすぎたのだ |
私はいつも不機嫌である。
生活の基盤となるものがないことが大きい。
何とかしなければとは思うが、世間に出て行く気力とか 勇気とかエネルギーが足りない。 軟弱というか根性無しというか。
20代のバブル絶頂のころ、私は東京の小さな出版社で 働いていた。当然、貧乏でお金はなく、したがって 欲しい物も買えなかった。でも、若かったから、まだ未来があると 信じていられた。 「いつか、いまの状況を抜けてなんとかなる」と夢のようなことを 漠然と信じていた。 だから貧乏でも、かまわなかった。
今は、中年ババアとなり、未来もなにもない。 娘二人との3人暮らしも来月で5年目に突入する。 この4年はいろいろあった。 不安定な母親に娘たちも大変だろうと思う。 私には確固としたアイデンティティーのようなものがない。 だから、後悔してばかりの人生である。 本当にここ数年間の出来事は、吐きたくなるような 無様な醜いことばかりで、なるべく思い出さないようにしているが それでも、時にはふと思い出して苦しくなる。 どんなに辛い事があっても、昔は頑張れたのは 「未来」にはきっとマシなことがあると信じていたからだと思う。
中年になったいま、私の思うような夢など何も叶わなかった事が 嫌というほど日々胸に突きつけられている。 鏡を見て思う。私がどんなに若く見えたとしても、もうこの衰えは どうにもならない、と。 お金もなく、若さもなく、きれいでも可愛くもなく 生活能力のない、理屈っぽい女が私なのである。
ここ数日、体調が良くない。 明日は子供の参観があるので、明日まではなんとかもたせたい。
もうダメだと思って仕事を辞めて半年。その後10月に ある小さな事務所に採用になって働き始めたけど 諸々の不都合があったりして2週間で辞めた。
その後は、社会が怖くて仕事を探せない。 声高に主張するつもりはないが、他人の何倍も 気が弱い私は、どんなところに行ってもつまづくだろう。 ここ1年で得た自己認識は、私はどこでも勤まらないということだ。 妹が「好きな事はとことんできるが、それ以外は 耐えられないのだから、自分の好きなことを仕事にするしかない」と 言ったが、本当にそうだと思う。 他人との摩擦に傷つき、すぐに死にたくなってしまうような やわな自分。理屈でわかっていながらどうにもならない。 一人でこつこつとできる仕事が欲しい。
私の機嫌が悪いところに持ってきて、次女がドジばかりして 私の神経を逆撫でする。 言葉の暴力で次女を虐待してしまった。でも、そんな時の自分の 気持ちは抑えられないと思う。いや抑えようと思う気持ちはある。 それでも、やはり腹立たしさの方が勝ってしまう。 ゲームばかり、やりたがる次女にはピアノの練習と勉強をした時間だけ ゲームをやってもいよいと煎ってるが、それがまったく比例しない。 ピアノを5分もやったかと思うと、自分では15分はやったと思っている。 しかも5分どころか2〜3分やると、すぐに喋ったり、席を立ったりして 集中して練習できない。なのに、ピアノはしっかりやったと言い張る。 ピアノは正味10分も練習していないくせに、ゲームはその5倍はやってしまう。 うるさい、やぼなことを言うのはいやだが、いかにも「なまけもの」的な 次女に対して、ある種の憎しみのようなものが沸くことがある。 決してきらいではないのに。 そんなとき、母親であることのデメリットを感じる。
あぁ、経済的に自立する日はくるのだろうか。 体調も良いとは言えない日々、悲しいことに最近物忘れがひどくなっている。 いま考えていたことが、思い出せない。 老化なのだろうか。それとも病気・・・?
自分ができる仕事が欲しい。
立春を過ぎて、ようやく新しい年がはじまった。
どうか、実りのある一年になりますように・・。
最近、月がとてもきれい。 夜に洗濯物を干しながら、なんとなく見入ってしまうことも。 太陽と月、この二つが好き。
父の姉の夫、つまり伯父が急死した。
86歳というから若くはないが、一昨日の朝に
突然玄関で倒れて、そのまま帰らぬ人となった。
今日、父と父の兄(伯父)と一緒に私の運転で
お線香をあげに行ってきた。
柩のなかの伯父は、まるで眠っているようだった。
伯父夫婦は、普段は畑の中に作った小屋のようなところで
生活していた。(立派な家はあるが、農作業に便利なので)
伯父や伯母の作る梨やとうもろこしは格別に美味しかった。
あんな上等なものは新宿高野や千疋屋にだってそうはあるまい。
しかし年をとった伯父夫婦にもう農作業はしんどいらしく
つい先日、畑をやめてコンビニ店舗に貸し出したばかりだった。
まだ、そのコンビニになってしまった元の畑の場所には
行っていないので、あの景色がどのように変わったのか
わからない。
父が伯母に「コンビニはもう営業しているのか?」と聞いたら
皮肉にも「実は今日が開店日」と言った。
土地を貸しているだけだが、伯父はコンビニの開店を見ることもなく
あの世へ旅立ったわけだ。
伯父は、寡黙だが心優しい働き者だった。
他人に対して妬みだとかひがみだとか、そういった醜い部分が全くない
人だった。
そんな伯父が、最期は苦しまずに逝ったことはいくらか救いであった。
|