私の雑記帳
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2007年06月11日(月) ドラマ好きのたわ言

毎週楽しみに見ているドラマ「時効警察」、今回のはものすごくカメラワークが荒いし、ストーリーもシュールっぽいのだがどこか稚拙な気がしていたが、ラストのスタッフロールでわかった。主演のオダギリジョーが脚本と監督を兼ねていたのだ。
ジョーが以前、NHK教育のインタビュー番組に出た時に超短編自主映画(8mm?)をみたが、芸術的というより、独りよがりのへんてこな映像だったと記憶している。
今日の「時効警察」はその延長だったわけだ。ジョーがこのドラマの続編の出演を受けたのも、1本は自分が撮りたいという条件がついたのではないかと思う。ありそうな話だ。
ジョーはたいして上手くはない役者だが、今の時代に合った不思議な魅力は
ある。ただ永続的ではないと思う、あくまでも今が旬なのだ。
私は、ジョーのファンだと思うが(わりにひいき目で見ているし)脚本や監督は辞めたほうがいい。というか才能がない。
見ている視聴者が酔ってしまうような変なカット割りやハンドカメラで
揺れる画像、狙いがあろうとなかろうと、あれは素人臭くて変。学生の自主映画を、リッチに撮っている感じ。今回、すごく驚いたもうひとつはあの大森南朋の名前を出演者のその他大勢の中に見つけたことである。見つけた私もすごい(自画自賛)。思わずビデオ録画したドラマ映像をもう一度確認してみた。見つけるのに苦労したが、たぶん、本当に1カット、台詞も一言だけのチョイ役が彼だったと思う。本編と関係ない、象の飼育係の役が大森だろう。
ジョーと仲が良いのだろうか。友情出演というやつだろうか。
ドラマは次回が最終回。ドラマについて語り合う相手が欲しい。



日本では夜中の2時からだったので見られなかったF1カナダGP、琢磨が6位だったなんて、見たかった!!ビデオを予約したはずなのに、テープが回っていなかった。見たかった、本当に悔しい。



血圧の薬が切れて二日、今朝測ってみると上は144で下も100、やはり私の高血圧は本物なのだ。明日には、かかりつけのクリニックを受診しようと思う。


2007年06月09日(土) <お気に入り>

最近の私のお気に入り服は、黒の薄手のハイネックのノースリーブシャツ。胸元が日焼けせず、薄手ですっきり見える。通販で買った安物だが珍しく「当たり」であった。
今朝、長女に「この黒シャツがお母さんの最近のお気に入りなんだ〜」と言ったら「お気に入りの(物の)数が多い人ほど、それだけ若く見えるんだってさ。本に書いてあった」と言う。ふむふむ、確かにお気に入りがあるって楽しいことや嬉しいことかもしれない。お気に入りと思えるものが沢山あることは幸せだし明るく見える=若く見える、ということかな?と思った。
折りしも昨日、娘に届け物があり、娘の通う中学に顔を出したのだが、娘の同級生が「○子のお母さん、若いよね」と言ってくれたらしい。その時も私はその黒シャツを着ていたのだ。

だが、しばらくして娘が「実は本に書いてあったというのは嘘。本当は私が作った言葉」と笑っている。くそ−、騙された。
適当なことを言った娘だが、それでもあながち間違いでもないように思った。まぁそんなもの、単なる気持ちの持ちようなんだけど。

夜、ドイツで行われているサミットに出席した安倍総理と昭恵夫人がテレビに映っていたが、私が「森永製菓?のご令嬢だったという昭恵夫人て、実年齢よりも老けて見えるよね」といったら、長女が「きっと<お気に入り>の数が少ないんだよ」とすかさず言ったので、二人で笑った。






2007年06月04日(月) 「山あらしのジレンマ」

ヤマアラシのジレンマ [超心理学]

 独国哲学者ショーペンハウアー(1788〜1860)の寓話に基づき,対人関係の二律背反性を表す為に用いられる名称。寒空に2匹の山あらしが居る。互いに身を寄せて暖め合おうとすれども,相手の体の表面に付いている針が自分に刺さり,苦痛を感じて離れる。そこで体を離すと今度は寒さが身に染みる。それを繰り返す内に適当な距離を見つけ出すと云われる。この寓話の葛藤は互いに傷付かない距離を保持しようとする対人関係に例えられる。


2007年06月03日(日) 私はどこにいるのだろう

自分が実にくだらないダメな人間であると
自己嫌悪の強くなる時、いったいどうやって
気持ちを立て直したらよいのだろう。

どうやって自分を支えたらよいのだろうか。

他者とのかかわりは苦手なくせに
誰かに寄りかかりたい。
たしか「山あらしのジレンマ」?

誰にも何も期待すまいと思う。
他者は私の思うように都合よく動いてくれる
わけがないのだ。
でも、ふと寂しくてたまらなくなった時に
誰か話し相手になってほしいと思う。
すこし元気がでるまで。
そんなふうにかんがえるのも、やはりエゴなんだろう。


2007年06月02日(土) 来年はいよいよソーラン節(運動会日記)

昨夜、第9回アルゲリッチ音楽祭(別府)が夜遅く教育テレビでやっていた。第五回のときに記念で東京・サントリーホールでも公演が行われたので、別府に行くよりかなり近いと思い長女と聴きに行ったのに、当日アルゲリッチ体調不良でまだ来日せずで代役であったという苦い経験がある。それでもこの時は、チェロのマイスキーは予定通り出演していたのでマイスキーだけは演奏を聴くことができたという思い出が。後に娘の音楽の教科書にもマイスキーは載っていたのでなおさら。また、学校の音楽の先生にもこのことを話すと、当地は田舎なので、ちょっと驚かれる。まるで音楽に多少関心がある家庭と思われそうだが、そうではなくて私にクラシックの教養も知識も全くない、ズブの素人なのに。
で、その因縁?のアルゲリッチの演奏をテレビでやっていると知り、つい夜更かしをしてしまったが、今日は次女の小学校で運動会であった。

早朝4時半から起きてお弁当の鳥のから揚げを揚げたり玉子焼きを焼いたりお結びを握ったり、奮闘。お昼は家族で食べるので、作る量が多い。苦手なお弁当作りで、出かける前にすでに疲労困憊。
そして本番の運動会は、親の社交の場でもあるため、かなり気疲れした。
肝心の娘は個人走で2位だった。運動が得意ではないからよく頑張ったと思う。午後最後のリレー、不注意で見逃してしまい娘を見つけられなくて痛恨の極み。いったい何をしにいったのかと思うくらい。付き合いで話し込んでいて、5年のリレーが始まったのを知ったのは、スタートのピストルの後で、娘をとうとう見つけられなかった。虚しい・・・・。

一番最後は六年生の組体操と、ソーラン節をアレンジした曲で踊りをやる。揃いの青の法被を着て裸足、約120人の六年が運動場いっぱいに踊り、ちょっとした迫力で一番盛り上がるので、見るのが楽しみ。これをやると、六年生はいよいよ卒業の年という気がする。長女も2年前に踊った。来年、プログラムに変更がなければ次女もこれを踊るのだ。
本州に住んでいて、なぜソーラン節なのかは不明。

写真は、次女の団体競技のタイヤ取り。(他に竿のような棒も取る)だんだん集団になってきて団子状態で膠着している場面。





pearl〈パール〉 |MAIL

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