私の雑記帳
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朝から長女が苦しそう。 寒気がするというので熱を測ったら39度近い。 風邪の症状は無く、仕方なく済生会の救急受診。 血液のCRP値が少し高いので、尿路感染症の類ではないかと細川茂樹に似た当直医が言う。その分野は私の十八番、持病でもあるし、症状からみても私は最初からそんなところだろうと思っていた。それで明日、泌尿器科を受診しろというが、私が数年前、その泌尿器科のA医師(若輩のクセに生意気にも今は科長)に私はかつて入院中にひどい目にあって絶対に許していないので「できれば私が定期的にかかっているGクリニックに行きたい」とわがままを承知で言ったところ「では紹介状を書きましょう」と細川茂樹似の医師は言った。
今日は部活の仕事の、はじめての本番の日。夕方から市民文化会館で奉仕活動がある。ただの練習日なら休ませるが、本人も「本番」初日だけは意地でも休めないだろう。いま娘の父親が会場まで送っていった。 熱は解熱剤のおかげで39.5度から37.5度まで下がってはいる。しかし解熱剤は対処療法。薬が切れればまた苦しみが襲うだろう。 苦しくて苦しくて泣いていた娘はかわいそうだが、私も入院の時はいつもそれ以上に苦しいのに自分で支度して自分で入院してくるのだ。 これで少しは私の辛さも察してくれるようになってほしいと身勝手な母親は思う。
せっかく痩せたのに、最近普通に食欲のままに食べる日が続いたものだからあっという間に一番痩せていた時より5キロ増加。デブは嫌だ、嫌だ、嫌だ。中年太りは自己管理が出来ないだらしない人間に思える。どんなに言い訳してもダメ。デブはやはり醜い。しかもウエスト中心に肉がつくから最悪に醜い。42キロ台でおちついていたのにもう45キロを超えるか超えないかという域までかなり加速してやってきてしまった。
また痩せるのは運動家節食しかない。これ以上汚い中年になりたくない。 自分が惨めだ。見た目なんかより、中身が全くダメな中年女。助けてと叫んでも誰も助けてくれない。ろくでなし人生、いつまで続くのだろう。もう少しマシに生きてみたいと願う。
昨シーズンから凝りだした果物がデコポン。 甘くてホロが薄いからそのまま食べやすくて好き。 ネーブルも大好きだけど、美味しいデコポンを食べだしたら、まるでお菓子のように止まらない。 先日ヤフオクで5キロ2500円(送料込み)というものを恐る恐る買ってみたが、当たり!でとても美味しかった。もうじきシーズンが終わるけど、もっと食べたい。もう一度買おうか迷っている。
紆余曲折あったが、長女が無事に高校に合格できた。 その高校に惚れぬいて、もっと確実に合格できる学校を選んだほうがよくないか?と先生に言われても頑として志望校を変えなかった娘の思いが叶えられて嬉しい。 合格発表の当日、発表の5分前になり「ではそろそろ見に行ってくるよ」といいながら、車の中で待機している私に唐突によこした手紙には「あのテストの結果ではたぶん落ちていると思う。お母さんを憎んだこともあったけれど今では感謝している、これからも一生よろしく」というようなことが書かれていてこれ以上ないというくらい切なくなった。そして数分後に「(番号が)あった・・」と言った後、声にならずに泣いていた娘。切望していた高校に奇跡的に合格できて(たぶん本当にギリギリだったと思う)本当に私も嬉しかった。 私の受験した時代と違い、今は不合格が珍しくない。あとから、知った名前の子が何人かダメだったという話を聞くと今更ながら切なくなる。
3月はそんな長女の受験があり、子供たち二人とも卒業式があり、月曜にはは中学と高校それぞれの入学式があった。私は中学のほうに行かなければならないが、高校の入学式も見てみたかった。私自身もその昔、憧れた高校なので。
卒業式が二日続いたので緊張して感慨に浸ることも出来なかったが、中学も最後は良い先生と良いクラスに恵まれたとしみじみ思う。次女の中学校生活も友達に恵まれますようにと願う。 妹が私に言った「人生究極には、健康な体と友達さえいれば生きていける」という言葉をあらためてかみしめている。
2009年03月17日(火) |
春はやってきたけれど |
眠剤を飲むから眠るけど夜中に必ず目が覚める。 娘が地元難関高に奇跡的に合格し、ほっとしたのもつかの間、己のふがいない現実にまた気が滅入る日が続いている。 私は子供の足を引っ張ってばかり・・。子供に申し訳ない。とても辛い。そう思うと、指の痛みはどんどん増してくるし腎臓界隈の痛みも増す。痛いのは事実なのに疾患ではないと言う事実。 明日は次女の卒業式で、明後日が長女の卒業式。今年の春はめまぐるしく忙しい。
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