私の雑記帳
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2009年06月13日(土) 支離滅裂

長女の機嫌に振り回されている。
冗談じゃない、付き合ってられないよ、まったく。
それでも来週にはピアノの発表会があり、なんとしても最後の練習をやって貰わなくては困る。ヘタでもいい、練習した結果なら。しかし「どうせすきでもないピアノ、部活も忙しく宿題も山のようにある」という理由で、逃げてやらないのでは困る。
それにしてもピアノが全然好きじゃない子供たち。私なら弾いてみたい曲が山のようにあるのに。

長女の1回目の定期テストの結果が出た。数学以外はひどい点で見たことも無いようなひどい順位だった。進学校であるその高校の入試は、娘はほとんどビリで合格したと思っているが、やはり、平均点も超えられない科目を見ると情けなくなる。社会もひどかったが、英語はどう勉強していいかわからないという。その気持ちはわかる、私もそうだったから。でも自分でなんとか勉強するしかない。参考書でもなんでも見て、頑張るしかない。知人の娘のように短期ホームステイで英語圏のどこかに送り出してやれれば、きっと少しは英語が楽しく(苦でなく)なるとは思う。でもそんなお金がない。
私は体調が悪くだるい時、お風呂に入りたいと思う。でもガスも水もかかるからシャワーで我慢する。(寒い季節は週に3回だけ風呂を沸かす)
いまの季節、汗にならなかったら、子供はともかく私だけは身体を濡らしたタオルで拭くだけ。ガス代とか水道代とか電気代だってケチケチけちけち。湯船に浸かりたいけど我慢。我慢できるものは我慢。入院している時、お風呂の許可が出たとき、思い切りお湯を出して熱いお風呂を堪能した。嬉しくてそしてとても惨めになった。
布団だってもうぼろぼろ、買い換えたい。でもそういうのは後回しになる。
妹の家の羽根布団、軽くて羨ましい。
 書いているとどんどん情けなくなる。今の私には自給750円の仕事だってない。しかも健康面に不安があるのに、応募も出来ない。とにかく16日に受診しないと筋腫の事はわからない。
いまくよくよしてもしょうがないのだ。子供の事、私の健康の不安、そして今の状況、どん底である。どんなに頼んでも子供は家事の手伝いをしてくれない。情けない。親も子供もろくでなし。
愛が欲しい。優しくして欲しい。愛されたいと思う。でもそれは「私の儀機嫌をとれ」といっているようなもので、無理なんだ。
じゃあ、私はずっと孤独なんだよね。
  


2009年06月12日(金) 宝くじ

ロト6の数字が4つあたり、4等だった。当選金は11900円なり。
しかし今回、ボーナス数字も当たっていたので、あと一つ数字が合えば2等(2500万円)だった。「もしも」なんていうのはくだらないが、2等だったら人生が少し変わった。
来週、子供のピアノの発表会があり、何人かの知り合いに渡すプレゼントを用意しなければならないが金も時間も無くてまだ用意していない。今回のお金はその資金に回すことにする。


2009年06月06日(土) 折り合い

集合住宅での火災報知器の取り付けが義務化されたそうで、私が入院中に不動産屋がきて大半の家に取り付けて行ったそうであるが私は入院していてできなかったので、今日来てもらい取り付け完了した。

しかし、片付けの出来ない(物が捨てられない)私には大変な労力だった。真ん中の和室に取り付けると聞いていたので、片付けはその部屋と玄関のみである。インチキ大掃除で、とにかく物をどかしただけ。勿論、思い切って捨てるものは捨てもした。しかし片付かない。それでも頑張って、なんとか取り繕った。
そうしてみると、いつもよりは格段にスッキリして、いつもこの状態なら私の心労も減るのに・・と思う。

ずっと気になっていた事が片付いて嬉しい。しかも文字通り少しは部屋も片付いた。できるだけキープしたい。

明日は子供の学校の学園祭本番。病み上がりなのに毎朝5時おきで弁当作りは辛い。明日は、娘も私も世話になった私の先輩と見に行く事になっている。それがまた、おそろしく気が重い。
頭も良くて、仕事も出来て、切れ者というイメージの先輩は話していても仰ぎ見るばかりだが、ふと思う。彼女も全然幸せそうではない。

しあわせの定義(価値観)は人それぞれだとしても、人間誰しも幸せになりたいはず。
努力して頑張った人が必ず幸せになれるとは限らない。勿論逆も真ならずで、頑張らないから幸せになれるということもない。

私はまわりの評価ばかり気にするくだらない癖があり、ほとほと嫌になっている。人に迷惑をかけない範囲で、自由に喋ってそれでおしまいにしたい。
人はどうおもっただろうか?とか、しつこい愚痴で不愉快を撒き散らしたのだろうか?とか、くよくよ思うのが大嫌い。
でも、そういうのは気になるのである、私は。気にするなといわれて、気にならなくなるなら、それは悩みではない。
人にどう思われるかを気にするのが、私なのであり、そこの変更(自己改革?)はもう無理だと思う。というか性格というのは極端には変わらない。
そうなるとあとは、自分とどう折り合いをつけるか、しかない。

最近私は「折り合いをつける」という事をよく考える。妥協とも諦めとも違う、共存みたいな形。
それも単なる理想でしかないのか?

「ヘタな考え休むに似たり」だったか、私は空回りが多い人間なので、無駄に疲れてしまう。でも必ず、何か一つきっかけがあればスラスラと物事がよい方向に向かうのではないかと本気で信じてもいる。

深夜、遠くでカエルが鳴いている。朝に鳥のさえずりを聞くのもそうだけど、少しほっとする。

早く寝ないと、いよいよ体がもたない。続きはまた考えてみる。


2009年05月30日(土) 退院しました

今日、退院してきた。腎盂炎ではなかった・・・。子宮筋腫の炎症による発熱だったようで、詳しくは今後のMRI検査の結果次第。でも子宮を摘出するのも選択肢の一つとも言われている。
今回、二人部屋に入り、音や気配というもので嫌というほど苦労した。家族は見舞いにも連絡もよこさず、帰っても家の中は問題が山積みなので、もう私が休まるところがないと、涙が出そうになった。

唯一、本当に唯一、癒されたのは、とあるかたからの思いがけないお返事のメール。私の心の奥底の苦しみを想像してくれる知人はほんの一人か二人いるが、理解してくれると思ったのはいただいたそのメールだけだと感じた。


2009年05月19日(火) 入院

腎盂炎悪化で今から入院
痛いし苦しい。


pearl〈パール〉 |MAIL

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