私の雑記帳
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2009年07月27日(月) |
同級生だった友人のこと |
今日は友人の手術日だった。 27日だと覚えていたはずなのに今日が27日だと気がついたのは夜9時をまわっていた。迷ったが、思い切って家に電話しご主人に様子をたずねたところ、手術は無事に終わったというので、まずはほっとした。 しこりが出来て(たぶん胸)手術することは決まっていたようだったが、念のため局所麻酔で細胞を取り出して検査したら悪性で医師もびっくりだったというようなことを携帯メールで知らされたのが2週間くらい前で、入院前に1度電話しようと思っていて、気がついたら手術日の夜だったというお粗末な私。
彼女は高校の同級生で、なんだかんだと細々と付き合いが続いている。手紙や葉書を律儀にくれる数少ない筆まめな友人でもある。
私の第2子の出産予定と、彼女の第一子の予定日がわりと近かったので、お互いよく手紙で妊婦の愚痴をこぼしあったし、私は出産数時間前のその日の早朝も、彼女宛の手紙を書いていて、陣痛が始まって病院に向かう途中でその手紙を投函したのを覚えている。
高3の秋に放課後の生物や科学の補習授業(任意)を私は彼女と一緒に受けた。せっかく学校で補習をやってくれるのに、出席する生徒は本当に少なかった。補習の帰り、二人で廊下の窓から見た夕焼けがきれいだったことはたぶん一生の思い出だと思う。
病気のこと自体、携帯メールで知ったので詳細はわからない。 どのくらい深刻なのかもよくわからないし、たずねにくい。 秋に私も手術だけれど、数ヶ月の差で先を越されてしまった。
手助けができるなら、いつでも頼ってくれと友人知人に言うとき、それは純粋にその相手の手助けが少しでも私にできるなら、と他意は全く無く思っているのである。その気持ちに、その場では偽りは無い。 でも、もしかして、本当は、全く無意識のことながら、その相手に結果的に恩を売り、貸しを作ることで、自分が相手より対等以上になることを、全く無意識ながら計算しているのではないだろうか。 具体的な打算など全くないと心底言えるとしても、相手に頼られた時点でやはり貸しを作ったと思えなくもないだろう。 大事な友人に対して打算など考えた事も無いはずだ。 逆もそうである。たぶん、打算ではなく、困ったらいつでも頼って欲しいといわれ、それは本当に嬉しいし有難いと心から感謝している。でもなかなか遠慮して頼れないのは、私の心の中に、借りを作れないと思ったりしているのではないだろうか?
・・うまくいえないけれど、でもそんなふうに自分の気持ちさえ邪推していると、もう息苦しくて叶わない。 一人は寂しいと思う。でも、他者との関わり方も自分自身もよくわからない。 こんなぐちゃぐちゃな頭の中、ぐちゃぐちゃな生活、バカな頭で考えていても何も答えは出ない。
ほんとうに回りくどい文しか書けないことが割れながら歯がゆい。
安倍川増水で花火も無期延期、天気も不安定、私も不安定。
テンションなんて上がらなくていい、下がるのが怖い。 なるべく一定でいたい。不安だらけの毎日、たまらなく怖い。
2009年07月13日(月) |
ドライブのお伴に「スイングアウトシスター」のベスト盤 |
昼過ぎに郵便局に行き、その後どうしようか考えているうちになんとなくドライブしたくなって、セルフスタンドでガソリンを入れがてら、南幹線を東に向かった。ふとこのまま真っ直ぐ行って清水をまわって来ようと思い立つ。
車の中で久しぶりにスイングアウトシスターのベスト盤をかけていたら、なんだか、いつもとは違うどこかへ行ってみたくなったのである。バブルの頃に流行った曲だけど、この曲を聴くと自分が東京に住んでいた頃を思い出す。
南幹線を真っ直ぐいけば清水駅前の通りにぶつかるはずなので、そうしたら南に下がって、叔母の家の近くの魚屋に寄ってこようと考えた。ある一定の景色を通り過ぎると、もう私の活動範囲ではない他所の場所になってくる。道がはっきりわかっているわけではないので、ちょっとドキドキしながら気ままなドライブも悪くないと思った。天気が良くて、いかした音楽があったからだと思う。 なんとか清水の駅前の通りにぶち当たり、南に向かう。そこはかつて(30年以上も前)路面電車が通っていた道である。確か昭和の七夕豪雨で廃線になったが子供の頃、叔母の家に行くのによく乗った。 その終点の港橋からすぐの通りが、清水次郎長の生家がある、次郎長通りである。狭い商店街、平日の2時ごろであったこともあり商店街は活気もなく静かだった。ここもまた寂れてきているのだろう。次郎長通りを南に進んでいくと、目当ての魚屋がある。その店は駐車場があるので助かる。数年前に、経営者が変わってしまい(店主が亡くなったらしい)、とりたてて安くもなく、良いものがあるというお徳感は、もはやないのだが、それでもせっかく来たので、脂ののった鮪を刺身に切ってもらう。(実は今日は父の誕生日、79歳) もともとどこかで刺身を買うつもりだったので保冷剤や保冷バッグは用意してあったので、生ものを買っても困らない。
実はその商店街で魚屋よりすこし手前の練り物を売っている店がある。だいたい白はんぺんしかないが、それがまたとても美味しい。いわゆるスーパーの紀文などが出しているふわふわしたはんぺんとは違って、上等なかまぼこのような歯ごたえのある珍しいもので、たぶん混ぜ物が少なく白身魚を贅沢に使っているのだろう。前にも買ったことがあるがすごく高かったと記憶しているので、今日も5枚だけ買った。すると「800円です」と言われた。1枚160円!!驚きの金額である。でも、旅の土産だと思うと美味しいとわかっているだけに悪くない。
買物も終わり、魚屋を出て帰路に着く。叔母の家の前を通ったが車が止められない狭い道なので、寄らずにそのまま車を走らせた。帰りはさらに南に下がって駿河湾の海岸線(国道150号)を帰ろうと思った。150号に出る手前の道で、かつて好きだった人と決定的な別れ話をした喫茶店とおぼしき店を見つける。(あるいは違う店だったかもしれない)彼はその後、青年海外協力隊でタンザニアに行ってしまってその後会っていない。もう20年も昔の話。(公務員だった彼は2年の後、日本に戻り、中国の女性と結婚し少なくとも女の子が一人いるようである) もう20年経ったというのに当時を思い出して苦しくなった。アフリカに赴任前の研修で東京(代々木だったか?)に行った彼を追いかけて私も当時2度目の上京を果たすのである。まったく情けないほどに彼を好きだった。それが平成2年で、私は翌年に静岡に本格的に戻り、結局それからずっとこちらである。いつか、いつか、チャンスがあればまた東京に住みたい。静岡は辛い思い出が多すぎる。ふるさとなんて、たまに戻って懐かしむくらいが丁度良いのだ。
150号の通りには比較的簡単にたどり着き、今度はひたすら西を目指す。最近バイパスのような新しい道が出来てしまってちょっと心配したが、久能あたりからいつもの海岸線の景色である。一人で運転中なので、携帯のカメラであてずっぽうに写真を撮った。
なんだか車の中しかとれていないが、一応駿河湾の沿岸を西に向かって走らせているところ。遠くに大崩海岸が見える。 信号がほとんどないのですいすいと車を走らせて気持ちよかった。ただ大型トラックが後ろにいてかなり接近してきたので、ちょっと怖かったけれど。
スイングアウトシスターのベスト盤は、何度も聴いているとあきるので、しばらく聴いていなかったが、久しぶりに聴くと、とにかく今日のドライブにうってつけだった。「トワイライトワールド」も「ブレイクアウト」もあまりにも有名だけど飽きの来ない、洗練された都会的な曲だと思う。何か特別な思い出と結びついていないので、過去は過去でも苦くないのである。
150号から離れて、田圃の道を自宅に向かう。途中で養鶏場の前の販売機で卵を購入。えさから違う放し飼いの鶏の卵で、新鮮さも味も全く違う。(スーパーの特売卵はえさが怖い)
ちょっとスーパーで砂糖などの買物をして帰宅したのが3時。だいたい2時間くらいの短い旅で、走行距離は26キロだった。 ちょっとしたドライブ気分で、気分転換になってよかった。 明日は退院して2度目の受診日。手術の件についてもう一度良く話して来ようと思う。
地元のイトーヨーカドーで大変に不愉快な思いをした。 10日まで使える割引クーポンを使い、お茶とか水とか清涼飲料水の何種類かの500ミリのペットボトルを購入したが、レジでの清算が終わりレシートを見てみると、あるお茶を6本買ったが5本分しか割引していない。すぐにレジの女性に尋ねると「割引は1製品につき5本まで」と言う。しかしそんなことは何処にも明記されていない。「でも上からそういわれているんです」とレジは言う。ならば返品したいというと、「食料品は返品できない」と驚くような事を言う。割引があるからまとめ買いしたのであって、割引がないならわざわざ買わない。責任者を呼んでもらうことにしたが、もうその時点でものすごく嫌な気持ちで、虚しくなった。黙って帰ろうと思ったらレジ係が戻ってきて「副店長に聞いたら、本当は5本までだけど特別に割り引く」と言って30円を返してよこした。 大量に置いてある割引クーポン、利用制限があるなら明記すべきで「書いてないけど5つまで」で知らずに買ってしまって「返品できない」はないだろう。 たった30円のことだけど騙された気持ちだし、対応も物悲しくなった。会いたくはなかったけれど、客の前に出てこなかった責任者の舌打ちが聞こえてくるようである。 声を荒げたりはしなかったが私はクレーマーだと思われたに決まっている。 お肉などで「本日○○は2割引」と値引きをうたっている時は、だいたいいつもよりその肉の単価が上がっているような店だ。 イトーヨーカドーが大嫌いになった。
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