伊勢の神宮にお参りをしてきた。 いつ訪れてもあの清清しさは気持ちいい。 平成25年に執り行われる第62回神宮式年遷宮。本年よりその行事が始まっている。時代が移り変わりその奉賛が大変にはなってきているが、どこかの有識者会議とは違って伝統に従い古儀に倣い、大御神様に新しい御正殿にお遷り願う。二十年に一度、西暦の690年から今日まで連綿と守り伝えられているのです。
今日は12月8日、真珠湾攻撃の日でした。 以前日誌にも記したと思いますが、世界連邦日本宗教委員会の事務局の頃、毎年この日真珠湾のアリゾナ記念館を伺い、慰霊を捧げてました。開戦となったこの場所、そして終結となった広島・長崎を線で結び慰霊の誠を捧げておりました。今年も宗教宗派を超えた慰霊団が訪れていることと思います。 今では現地の方々も温かく迎え入れて下さってます。真摯な祈りが、そして日米の戦没者の御霊が繋いでくれたと信じてます。
今日の朝日新聞社説を抜粋引用いたします。 『「あの戦争のおかげでアジアの人々は植民地支配から脱したのだ」と、いまだに主張する人たちがいる。 戦争の初期にフィリピンやインドネシアなどで、一部に日本軍を「解放軍」として歓迎する動きがあったことは事実である。戦争が独立を早める結果をもたらした地域もある。 だが、現在は親日的とされるインドネシアですら、高校生向けの歴史教科書は「わが国を占領したことのある国の中で、日本はもっとも残酷だった」と記す。それが実態だった。 都合のいい部分にだけ光を当てて戦争を正当化するような言動は、アジアの心ある人々を遠ざけるだけだろう。 時はめぐり、いま東アジアに共同体を作る構想が持ち上がっている。そのパートナーはみな、あの戦争の苦しみを味わった隣人たちである。 シンガポールのリー・クアンユー元首相は開戦時、18歳の大学生だった。回顧録(日本経済新聞社)で日本についてこう書いている。 「占領時代のつらい体験を持ち、日本人の特質に潜む恐ろしい一面を知りながら、それでもいま私は日本人を立派だと思う。日本人の持つ集団の結束力や規律正しさ、知性、勤勉さ。それらすべてが日本の力のもとになっている」 こうした思いに応えるためにも、歴史を正面から見つめ、過ちは過ちとして率直に認めなければならない。その基盤に立って共に未来を築きたい。』 《引用終了》
これが戦時下、先頭きって国民を煽っていた新聞の説なのです。 「都合のいい部分にだけ光を当てて」いるのは朝日のほうであって、「歴史を正面から見つめ」「率直に認めなければならない」のも朝日である。 「とにかく悪いことをしたのは日本だけなんだから、謝り続けていくことを基盤に共通の未来を築かなければならない」と仰っているようである。 「過ちは過ちとして率直に認めなければならない」そうなんですよ、そういうふうに特定アジアの国々に朝日から率直に言って下さい!
栃木でまた女児が犠牲となった。 広島での事件の直後だけに誠に残念である。便乗犯というか模倣犯というか、とにかく小さな子どもを狙うなど、誠に卑怯としか言いようが無い。謹んで哀悼の意を表するものであります。
不審者に注意を!ってマスコミでも取り上げているが、どこからどこまでが不審者なのか、明らかに挙動不審な人もいるが、あの人はちょっと変よ、から不審者にされはしないか?あるいは逆で不審だけど例の人権擁護法案とやらがあるので、下手に指摘できないってことはないか? 自分自身でも、別に悪いことはしてなくても、ここで誰か知ってる人にあわないだろうか、会いたくないなって時の行動は人から見れば、きょろきょろしてて不審に思われるかもしれない。それこそ子どもの塾の迎えなんかで、車にエンジンをかけたまま待ってて、通行する人の様子でも何気なく見てても不審な車輌と思われるのではないか?(まあこんなこと考えてオドオドしてるのが一番不審だわねぇ。私は気が弱いもんで(~_~;)) ん〜、でも最近の犯罪は逆に堂々と行動しているからか、分かりにくいのかも。それが困るんだよね。
堂々といえば、例の耐震構造偽造問題のどっかの社長。テレビやマスコミによく出てるけど、何があそこまで堂々とさせるのかねぇ。変に感心しちゃいます。それとやっぱり前にも書いたけどとにかく悪者をつくりたいって感情が皆でできますね。悪いのは設計者・建築業者・審査機関なんかでしょうに手をかさない自治体まで悪者にされてしまう。住民の皆さんの気持ちもわかるけど、対象を見誤らないで冷静に(これが冷静でいられるか!っていわれそうですが)と・・・
小烏神社の鞴祭も終りました。雨もなんとかもちました。宮係りのかたを始めご関係の皆さんお疲れ様でした。
明日から神宮の新穀感謝祭、神道青年全国協議会の顧問会のため出張いたします。2〜3日日記を休みます。
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