★神主の遠吠え日記☆

2006年05月05日(金) 日本の何を研究したの?

昨日は午後から島根の大田市での友人の通夜祭に参列してきた。
10年ほど前から肝臓を悪くし、必死に病魔と闘ってきたが、ついに帰らぬ人となった。享年50歳。余りにも早い死であった。
残された奥様や高校生を筆頭に三人のお子様、そして何より年老いたご両親の心中いかばかりか、心よりご冥福をお祈りいたします。


《韓国中央日報引用開始》
日本学専門家クルマス氏「独島問題、興奮は禁物」
「独島(ドクト、日本名・竹島)問題に対する韓国の対応はそれほど賢明ではなかった」。ドイツの代表的な日本学者で、前ドゥイスブルク大教授のクルマス教授(57)は残念がる表情だった。同氏は「興奮ばかりしていては問題解決にプラスにならない」と付け加えた。
クルマス氏は昨年4月、スイスの日刊紙「ノイエ・チュルヒャー・ツァイトング」(NZZ)に「独島または竹島・大韓(デハン)海峡の権利と歴史」という見出しの文を寄稿し、独島問題を国際司法裁判所などに持ち込もうとする日本の取り組みを厳しく指摘した。同氏は03年から東京のドイツ−日本研究所長を受け持っている日本専門家。28日にベルリンでクルマス所長に会った。

−独島問題への韓国の取り組み方をどう評価するか。
「盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領が直接出る、という形は良くなかった。韓国が興奮しすぎたのも問題解決にプラスにならなかった。それよりは中国と歩調を取り、米国に仲裁を要請するほうが良かっただろう。今回の事態は日本の責任が大きい。韓国にも責任が全くないわけではない。日本との対立をオポチュニズム(日和見主義)に利用しているような印象を与えるからだ」。

−小泉政権の意図は何か。
「日本では現在、富益富貧益貧(富む者は富み貧しい者は貧しい、との意)で両極化現象が進んでいる。10年前までも今のように深刻ではなかった。街には失業者があふれている。小泉政権はそうした状況をよく認知している。だから、ナショナリズムをそそのかし難局を突破しよう、としているのだ。一言で国民の情緒を刺激し政治的に活用しよう、との思惑だ。小泉首相は骨の隅々まで徹底したナショナリストだ。同氏の祖父・父親が徹底した軍国主義者だったとの点にも留意すべきだ。デマゴギー(扇動政治)と大衆の人気に迎合する政治スタイルは危険だ」。

−小泉首相と日本の政治家が先を争って、A級戦犯を合祀した靖国神社を参拝している。日本指導層の右傾化の動きをけん制する勢力はないのか。
「日本の多くの有識者に読まれている月刊誌『論者』に最近、日本の著名なジャーナリスト2人の対談(対談「靖国を語る 外交を語る」)が載せられた。その主人公は、進歩勢力を代弁する朝日新聞・若宮啓文論説主幹と保守的な読売新聞の振出人で主筆の渡辺恒雄氏。普段、正反対の見解だった両紙のジャーナリストは今回、異例に同じ見方を示した。小泉首相が靖国神社参拝を中断すべき、と促したのだ。日本の市民運動家も懸念の意を示している」。

−独島問題を国際法で解決しようとする日本の提案は正当なものか。
国際法的に見れば韓国が不利。それでも韓国が独島問題をハーグの国際司法裁判所に持ち込むことに反対する理由が、単に敗訴するのを恐れて、との推測は性急なもの。日本は帝国主義時代から、国際法を老錬に扱い韓国を植民地化した。それを根拠に、いまでも日本の韓国支配が合法的だった、と主張したりする。そうした過去歴史を通じて韓国は、依然として『国際法は超大国の権利』と信じている。独島紛争はそうした歴史的な脈絡から考えるべきだ」。

−歴史的に韓日のどちらに、独島領有権を主張できる根拠がある、と思われるか。
「現在としてはあい昧。どちらもはっきりと領有権を主張できる決定的な文献を確保できずにいる」。

−具体的にどんな解決策が可能だろうか。
日本が独島を放棄するのが最も賢明な選択になるだろう。その見返りに韓国も日本に何かを譲らなければならないだろう。例えば韓国が独島領有権を手にし漁業権は分けあうとか、それに相応する経済的利権を渡すべきだろう」。

−果たして日本が、自国領土と主張する土地を放棄できるだろうか。そうした前例があるか。
「もちろんだ。ドイツは第2次大戦の後、領土をポーランドとチェコなどに譲り渡している」。

−韓日間の対立はいつごろ解消されるだろうか。
「小泉首相と後任首相らが靖国神社を参拝するかぎり、韓日関係の改善は厳しい。韓国・中国など周辺諸国と日本の関係がいまのように悪化したことはなかった。日本内でも多くの有識者が、そうした状況を憂慮している。
◆フロリアン・クルマス=ドイツの代表的な日本学専門家。1949年ハンブルグ生まれ。71年5月、大学在学中に初来日。その後も教育や研究目的で日本に何度か滞在し、20年間、日本社会と文化、歴史、言語学を研究している。著書には『広島、歴史と回想』(「Hiroshima、 History and Reminiscense」、05年)、『近代の日本の言語と文化』(「Modern Boy to Problem Child」、03年)、『親の目から離れて模範生から問題児へ』(「Japan Outside of Control from Model Boy to Problem Child」、98年)などがある。
柳権夏(ユ・クォンハ)特派員
《引用終了》

日本学の専門家などと言えるような知識はないんじゃない?
韓国の専門家としたら?
「ナショナリズムをそそのかし難局を突破しよう、としているのだ。一言で国民の情緒を刺激し政治的に活用しよう、との思惑だ」
日本人が呑気なだけ。扇動するというより喚起を仰いでるということでしょ。
「国際法的に見れば韓国が不利」とわかっているから、国際法そのものを暗に批判し、韓国のいいように解決策を言う。
ドイツと日本ではあの戦争の内容は全然違う。同じように話せんといて。
一体日本で何を研究してたんでしょうね、この人は。きっと普通の日本人の友達ができなかったんでしょうね。



2006年05月04日(木) 国民の休日

ここ2〜3日、珍しく忙しかった?ためテレビのニュースもネットもほとんど目にしなかった。ニュースを見ないということが、こんなに楽だとは思わなかった。だって嫌なことにふれることもなく腹をたてることもないからだ。ん?ひょっとして若い人たちの中のノーテンキな人は全くニュースを見てないってことか?
しかし、休みの多いこと!いまや祝祭日や他の休みも含めて日本は休日王国だとか。ハッピーマンデーだか何だか知らないけど、祝日の意義もそこそこに休みを増やし、連休ばかりで、日本人はグウタラになった。

《朝鮮日報引用開始》
盧大統領「いつまでも米国に頼っていてはならない」
 盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領は3日、韓米関係と関連、「(米国に)頼ることと独自的に友人になることは別個の問題」とし、「これまで韓国は頼る戦略で成功してきたが、これだけ大きくなったのだから、今後は独自的進路を選択し、成功する戦略も考えてみるべき」と話した。
 盧大統領はこの日、シェラトン・ウォーカーヒル・ホテルで行われた民主平和統一諮問会議で「これまで50年間、韓国は(米国に)助けられてきた。それには感謝している」とし、「米国と対立するのではなく、永遠によき友人として共に歩むだろう」と話した。盧大統領は「しかしいつまでも頼り続けることはできない」とした。
 盧大統領は「準備をせず放心していると、北東アジアで歴史の大きな流れに逆行する偶発的事件または不幸な事件を甘受することになるかもしれない」と話した。
朝鮮日報
《引用終了》

アメリカにあんまり相手にされなくなったから?
それでもアメリカには気をつかい、感謝もしている。日本にはこれっぽっちも感謝したことないのに。
結局は日本との様々な衝突にアメリカが乗ってくれないし、きっと日本の味方をすると思ってのことなんでしょう。
最終的にアメリカを敵にまわしても、自分達の主張は正しいとしたいってこと。


《朝日新聞社説引用開始》
天皇と憲法を考える 国民と伝統に寄り添って
 「日本国憲法および皇室典範の定めるところにより、ここに、皇位を継承しました」。元号が昭和から平成に変わって2日後、天皇陛下は即位後の儀式で、こう述べた。服装は列席の各界代表と同じようにモーニングコートだった。
 昭和が始まるときの儀式はどうだったか。昭和天皇は陸海軍を統帥する大元帥の礼服に勲章を帯び、「朕(ちん)、皇祖皇宗の威霊に頼り万世一系の皇位を継承し」で始まる勅語を読んだ。
 こうして二つの儀式を比べると、戦前と戦後の天皇の違いがよくわかる。
 明治憲法では、天皇の地位は神代からの神聖なものとされた。日本国憲法は「主権の存する国民の総意に基づく」と定めている。天皇の役割も「統治権の総攬(そうらん)者」から、国政に関する権能を持たない「象徴」へと変わった。
●御真影から記者会見へ
 そんなことを思い浮かべたのは、昨年来、皇位継承の問題をきっかけに、天皇制のあり方や憲法との関係などが論議されるようになったからだ。
 天皇と皇室は長い歴史と伝統を持つ。連綿と続く血統がある。しかし、それだけで、一般の国民と違う特別な地位を与えられているわけではあるまい
 近代になって、明治憲法が歴史と伝統を踏まえたうえで、その時代にふさわしいように天皇制を位置づけた。さらに敗戦後、日本国憲法によって、天皇の位置づけは大きく変わった。天皇の権威が無謀な戦争に利用された苦い経験からだ。
 天皇制はどう変わってきたのか。憲法はどんな役割を果たしているのか。そうしたことを、この機会に考えたい。
 戦後、国民が最も驚いたのは、天皇の姿や肉声がよく伝わるようになったことだろう。
 「新憲法きょうから施行」。大きな見出しを掲げた47年5月3日の朝日新聞に、もうひとつ「天皇陛下、記者と初の会見」の大きな見出しがある。
 昭和天皇が皇居内で、奉仕作業を見ていた記者たちのところへやってきた。記者たちは天皇を囲み、地方視察の感想や研究のことなどを質問した。その一問一答がくわしく掲載されている。
 「復興には石炭が大事だから、機会があれば炭鉱にも行きたい」「私の生物学も、趣味でやっているから、なかなかものにならなくてね」
 戦前の天皇は「現人神(あらひとがみ)」だった。天皇と皇后の写真は御真影と呼ばれ、全国の学校につくられた奉安殿や奉安庫の奥深くにしまわれた。その前を通る時は必ず最敬礼しなければならなかった。
●国民ときずなを強めた
 記者会見やお出かけなどが報道されるようになって、国民と皇室の垣根が低くなった。その垣根をいっそう低くしたのが、59年の皇太子ご成婚である。
 市民の家庭に生まれた美智子さまと恋愛の末に結ばれたことは、皇室ブームを巻き起こした。子育てや手料理など、日常生活にまで大きな関心が集まった。
 おふたりは、天皇、皇后になってからも福祉施設を訪ね、被災地の住民を励まし、戦地の慰霊の旅を重ねてきた。
 朝日新聞の世論調査は、78年から象徴天皇制について断続的に聞いてきたが、支持率は常に80%を超えている。
 多くの国民と同じような家庭をつくり、平和の大切さを説き、恵まれない人たちに手を差しのべる。そうした皇室のあり方が共感を呼び、国民とのきずなを強めていると思う。そのような行動は、国民主権、平和主義、基本的人権の尊重という憲法の精神に沿おうという天皇の意思の表れでもあるだろう。
 いや、天皇が敬愛され、皇室がいまなお続いているのは、そんなことからではない。千数百年も男系で受け継いできた伝統こそが天皇制の核心である。皇位継承をめぐり、そう主張する人もいる。
●時代に合わせてこそ
 もちろん、伝統を抜きにしては天皇制は語れない。だが、伝統とは何だろう。
 男系での継承は、確かに重い意味を持ってきた。しかし、それを支えたもののひとつに、側室制度があった。これを復活させることはできまい。だからといって、戦後すぐに皇籍を離れた人たちをいまになって復帰させても、国民の気持ちをつかめるだろうか。紀子さまの出産しだいで、当面、男系を維持できるかもしれない。しかし、長い目で見れば、男系にこだわることが、かえって皇室の存続を危うくすることになりかねない。
 そもそも長い歴史の中で、天皇は剣を帯びる武人から、文化的、宗教的な権威に変わってきた。
 古来の伝統も変化してきた。即位後の大嘗祭(だいじょうさい)は皇位継承に伴う重要な儀式だが、長く断絶した時期があった。明治になって加えられた皇室祭祀(さいし)もある。
 伝統のどれを残し、どれを変えるか。皇室は時代に合わせて柔軟に動いたからこそ、長い歴史を保ってきた。戦後も新たな伝統が積み重ねられている。
 古来の伝統や文化を大切にして継承する。同時に、国民の意識や考え方に寄り添っていく。それが国民の求める皇室像ではないか。それはまた、天皇を「日本国と日本国民統合の象徴」と定める憲法の精神にもかなうことだろう。
《引用終了》

憲法記念日の社説ではふれず、今日にもってきましたか!
それも皇室絡みで。
でも中身は変らず。「古来の伝統や文化を大切にして継承する」まではいい。しかし「同時に、国民の意識や考え方に寄り添っていく」って、皇室が国民に靡いていくってこと?つまりは朝日が一所懸命世論を国民意識を変えていくから、それに皇室も倣いなさいってことでしょ!
「長い目で見れば、男系にこだわることが、かえって皇室の存続を危うくすることになりかねない」これからも女系を推進するから皇室を存続したければ従いなさい、と言ってるの?
地道にキャンペーン続けてんだ!


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