★神主の遠吠え日記☆

2009年03月01日(日) 本音は?

もう3月になってしまいました。
鞆では町並みひなまつりが開催中で多くの観光客の方で賑わっています。

首相じゃないですが、新聞は偏っている記事が多い、ですね。
またアサヒ節です。

≪朝日新聞社説引用開始≫
靖国合祀判決―歴史に向き合った判決を
 太平洋戦争で死んだ父や兄たちが、遺族の意思に反して「英霊」として靖国神社に祀(まつ)られた。合祀(ごうし)を取り消してもらえぬものか。
 靖国神社と国を相手取り、戦没者の遺族9人が合祀の名簿から親族の名前を削除することなどを求めた訴えに対して、大阪地裁はすべてを退けた。
 靖国神社をめぐっては、小泉元首相による参拝などを機に、憲法の政教分離原則との背反を問う多くの裁判が起こされた。
 今回は、合祀をめぐって靖国神社を初めて被告に加え、遺族が反対しているのに祀り続けられることで、故人をしのぶ権利が侵害されたという訴えだった。
 判決はいう。原告の主張は、合祀に対する不快の心情や靖国神社への嫌悪の感情としかいえない。権利の侵害が認められるのは強制や不利益を伴ったときだけだ。合祀は信教の自由に基づいて靖国神社が自由に行えることで、強制や不利益を与えない。だから遺族の法的利益が侵害されたとは認められない、という理屈だった。
 これには疑問が残る。まず、判決が靖国神社を一般の宗教法人と同列に扱っていることへの違和感だ。
 靖国神社は1945年の敗戦まで国家神道の中心、軍国主義を象徴する存在だった。国家機関として軍が管理し、合祀対象者は陸海軍の大臣が天皇の裁可を得て決めていた。
 戦後に一宗教法人になったとはいえ、靖国神社が担ってきた歴史をみずから否定したわけでも、断ち切ったわけでもない。憲法の信教の自由に基づいてできた宗教施設と単純にいえるだろうか。そうした背景をまったく顧慮しないまま行われた遺族の権利についての司法判断は納得しにくい。
 もうひとつ、合祀には戦後も政府が関与していた事実がある。合祀対象者は靖国神社が決めることになったが、実際には旧厚生省が「戦争による公務死」と認めた人々だった。厚生省は戦没者の氏名や階級、死亡理由などの情報の提出を都道府県に求め、それを靖国神社に提供した。合祀を遺族に通知させてもいた。
 こうした事実は国立国会図書館の新資料で明らかになり、それを原告側が法廷で指摘した。宗教法人になってからかなり後の時期まで、戦前さながらの関係が残っていたことになる。政教分離の原則を揺るがすものだ。
 だが、判決は「国の行為は多数の合祀を行う上で重要な要素をなしたが、合祀は靖国神社が最終的に決定した」と判断して、国の責任も退けた。
 国家神道が戦争遂行に果たした役割は大きい。そこに遺族の思いの源もある。東京、那覇地裁でも同様の訴訟が審理されている。歴史や憲法の理念に正面から向き合った判断を期待する。
≪引用終了≫

神道は、というより日本人は宗教的にも余りにも寛容すぎたんでしょうね。
一連の靖国に関する裁判には、その多くに一部キリスト教や仏教(特に真宗系)の宗教者が原告となっている。
しかし、伝統仏教と呼ばれている仏教の関係者は出ていない。
曹洞宗だったと思うが、とある住職のブログでこんなことが書かれていた。
「この原告たちはどうみても靖国をただ嫌悪しているとしか思えない。でないとするなら他の宗教者が同じように戦没者を祀ったら、これも訴えるのか。」
まさにその通りではないですか?
我が信ずる宗教があって、そこで慰霊なり供養している満足感があれば、信じてもいない靖国で、遺骨もない靖国で、どんな祀られ方をしようが、不利益はないはず。
朝日がいう「歴史や憲法の理念に正面から向き合った判断を期待する」とはまったく意味がわからない。
「戦後に一宗教法人になったとはいえ、靖国神社が担ってきた歴史をみずから否定したわけでも、断ち切ったわけでもない。憲法の信教の自由に基づいてできた宗教施設と単純にいえるだろうか。」と矛盾してるだろう。
憲法の理念に正面から向き合ったからこその判決ではないか?
朝日の好きな「歴史」とは東京裁判史観に基づいた自虐的歴史感に他ならない。



2009年02月03日(火) う〜ん、国民同意ねぇ

一月はいく、二月はにげる・・あらもう二月!
すっかりさぼりグセがついたようで・・・m(__)m

この国はどうなるのか・・
最近の国政ニュースは実にくだらないことばかり。
これほど首相の悪口を並べるマスコミは他国にはそうないだろう。
与党もそうだが、野党のなんと低次元なことか。
漢字テストを国会でやってる場合ではなかろう。
余りにもくだらないのでさぼってたと言い訳しておこう。

しかし???が出てきたのでちょっと触れておこう。
我が鞆の浦は瀬戸内の中央に位置し、古くから潮待ちの港としても栄えてきた。
現在は過疎が進み、一時の栄華の影もない。
しかし鞆の住民はそんな中でも懸命に暮らし、町おこしに努力している。
この町おこしもやり方はまちまちだが、思いは一緒であろう。
昨今、この町はポニョの町としても取り上げられているようだが、港湾の埋め立て架橋問題でマスコミを賑わしている。
ここで町おこしの思いがぶつかってしまった。
賛成・反対の住民ともに当社の氏子。どちらが正しいとか、賛成とか反対と声をあげるわけにはいかない。ただ住民の多くは賛成・・・
よりよい方法はないものかと・・・
こんな中、市長、知事が国交相と面談し、早期認可をお願いしたそうな。その後の国交相の記者会見で「国民同意」という言葉がでてきた。
国民同意???わからない。
もっと知恵を出しなさい、もっと話し合いなさい、というなら分かるが、国民同意??
ということは、今後も含めて地方或いは当該住民が望んでいても、当該地以外の国民の反対の声があればだめってこと?「国民」の大多数が同意しなければ無理ってこと?
おかしいですよねぇ?
都会は便利に改めてもいいけど地方は無理ってこと?
おかしいですよねぇ。
市の役目は?県の役目は?
もし国交相が歴史ある鞆の町の景観や文化財的価値のあるものを現状のまま残しなさいというならそう言えばいいこと。
国民同意って徒に紛争を煽るような無責任なことは言ってはならない。

鬼は外、福は内、と都合のいい話ばかりではないようです。


後刻追記
毎日新聞ニュース引用

『瀬戸内海国立公園の景勝地、鞆(とも)の浦(広島県福山市)の埋め立て・架橋計画について、金子一義国土交通相は3日の閣議後会見で「市長のやり方では物事が前に進まない。国民が求めることを頭の中に入れ、進めてほしい」と発言、計画を推進する羽田皓(はだあきら)・福山市長を批判した。

 鞆の浦は宮崎駿監督がアニメ映画「崖の上のポニョ」の構想を練ったとされる場所。この問題で、金子国交相は羽田市長と1月28日に会談したが、市長は2月2日の会見で「民主主義の手続きを踏んで地元が最善と判断した事業」と発言していた。

 金子国交相は「市長には行動力が必要。県知事も入れた枠組みの中で、話し合うべきだ」と強調。2日の市長発言について「思いが理解されなかったのは残念。何のために来たのか」と不快感を示した』

「国民が求めることを頭に入れて」とはよく言ったもんです。
そうです。国会議員たるものはそうでなくてはなりません。
でも市長までが「国民が求める」ことを考えるのですか?第一に市民ではないでしょうか。
「何のために来たのか」とは・・・
これが大臣の言い方です。明確な答えを出さない国交省の方が問題だと思いますが。
こんなことでは政府自民党に不快感を覚えます。


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