2006年11月25日(土)
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TVの恋愛トークにはなじめない。
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今日はインドのカースト制度の夢でお目覚め。 色々対応策を立てるのだが、結局人の意識ってなかなか変わらず、悩める為政者という話。
前日の夕食、インドカレーとナンが腹にあったからか? 何てわかりやすいというか、わかりにくいというか。
対応策という単語で唐突に思い出したのだけど。 TVとかの恋愛トークで話題に上がることの定番。相談事に対する男女の対応の違いについて。
「女の人から相談・・・と言って話を持ちかけられると、男って一生懸命解決方法を探そうとするやん。 でも、女の人って結局結論なんて求めてなくて、単に話を聞いて欲しいだけやねん。」
定番過ぎて、脳内に若手芸人の口調がAutomaticに流れてしまう。 これを聞く度に、そして「んだ、んだ。」という男性ゲスト女性ゲストの頷きを見る度に、 自分やっぱ、どっか男だーと思う。
先のコメントが悉く異なる。
まず、相談しない。 人に何かを話す時は相手に解決行動を求める時だから、例えば、 私が「お金が無いー。」と口に出す時は同情して欲しいわけでも、日々の暮らしの苦しさを発散しているわけでもなく、「だからおれに金くれ!」と言っている。(例に情感なさすぎ。)
辛い状況を話す→ストレス発散!という回路が自分の中に1ミリもないし、 物理的というか対処療法的な、具体的解決策以外の相談って、これまた1ミクロンも想像出来ない。 心の持ち上げ方とか聞くの? そんなもんは自分でしか何とか出来ないでしょう。 それに心理学とかスピリチュアルとか運気とかの知識だったら、私よりある人って、 素人さんではそうはいないと思う。(しかもそういうのって、実はかなり即物的で実際的なのだ。)
相談する側としてこうなのだから、相談された場合は、解決策を箇条書きで並べて、 コメント以上!と切ってしまう。生物学的には女ですけど。 そしてそれを察するのでしょう。 まず相談されないね。(まれにチャレンジングなのか鈍感な人もいる。)
最後に、人に話を聞いて欲しいという欲求は、たぶん人間なのだからあると思うけれど、 それを相談という形にはしない。聞いて欲しければそう言います。
要するに、恋愛トークネタって、聞いていて全然納得感がない。
相方のケータイをチェックするか?とか言う質問とかあるじゃない? ありえない。 質問自体が理解不能。
言わずもがな。見ねーよ。
理由その1。これは私の悪癖でもあるのだろうけれど。 自分の行動に常に監視人がいる。 自分の斜め上後方から、自分の姿を捉えるカメラが常について回る。
人のいない間にこそこそ人のプライベートを盗み見る自分の後姿、 卑屈に丸まった背中が撮られていることを想像してみ。
きついよー。 横山弁護士(古いねー)のように「いやーっ!やめてーっ!」とじたばた暴れちゃう。 そんな惨めな自分の姿は見たくないね。ぞっとする。
人間って無様だし、っつーか人間ってって言うくくりで人巻き込むまでも無く、 自分で自分のことそんなにいけてるとは思ってない。 日々、かっこ悪かったり、滑稽だったり、無様だったり。
まぁ、それも許せないとこあるんだけど、しょーがないとも思うし、まぁそこを愛おしく思ってあげないと、 と思うところもある。自分がそう思ってあげないと立つ瀬がないでしょう。自分。
だけど、っつーか、だから、姑息とか卑怯とかはね。 やらない。
まぁ、そういう自分の監視人がいることがいま一つはっちゃけられない"たが"でもあり、 これも良し悪しなのだが、こればっかりは無理みたい。
もう一つの理由。 見ないほうが幸せということ。 絶対真実なんて世の中にはなくて、人はそれぞれ独自の真実を抱えている。 現実というフィールドの中でそれぞれの真実はいやおう無く接点を持ち、 その真実の齟齬がコミュニケーションの機会にもなり、時には殺人で解消されることもあるのだろうけれど。
相手の持つ真実が自分のテリトリーを侵食してくるまでは、あえて関わりを持とうとは思わない。 っつーか、相手がプレゼンしてくる相手像以外を見たいとは思わないんだよな。 見せたいものだけを受け取ってそれで幸せなら良いじゃない。 ほじくり返しても面倒なだけだ。
という。 逃げと言ってしまえばそれまでだが。 他人に関心持たないことで、引きこもっていると言ってしまえばそれまでだが。 今のところ、そういうスタンスということで。
では、例えば、ケータイ履歴にある第三者が自分の現実に関わって来たら? 自分の利益を侵す場合は戦います。 (問題はもう一つあってさー、自分の利益っつーので心当たりが物質的なことしかないことかな。 例えば、例えばの話っ!だけど。
侵される利益が、相方、よーするに男の愛情とかだった場合は。 多分本気のバトルはしない。 だって、気持ちは自分の持ち物(資産)ではなくて、その男の人の持ち物(資産)でしょう。 自分のものじゃないから失っても自分の利益の逸失って気がしない。 寂しくないとは言わないが、どこかどーでもいいと思っている。 まぁ暇だったら、ゲームとして遊ぶかもしれないけど。 養育費とか生活費とかだったら・・・、もう多分あらゆる手段つくすね!)
変かなー。
2006年11月23日(木)
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1791年が明けてしまった。
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1791年が明けてしまった。
『毎日モーツァルト』の話。 いよいよ最晩年に来てしまい、"最後の"交響曲、ピアノ協奏曲、公開演奏・・・と、 "最後"というフレーズが次々と出てきて、毎朝ひしひしと寂しい。
休みの日なのに、目覚ましをかけて起きるってどーよ。 どーよって、まぁ一言で言うと『いかれてる』ってことなんだろうけど。
モーツァルトって弾くのも、聞くのもそもそもは好きじゃなかった。 って、これ前にも書いたか。
なんていうか。 陰りのない音楽が、幼稚園児の書くべた塗りの空のようで、 PUREを見せ付けられているようで、 「けっ!すみませんね。汚れてて。」みたいな気分になってしまうのもあって、距離を置いていた。
この番組は、毎朝の習慣にすれば時計代わりになるし、山本さんのナレーションを朝から聞くのも癒されるし、 と思って見始めて、数ヶ月で転んだ。
いいじゃん!モーツァルト。 まず、モーツァルトの100曲入りダイジェスト版を買ってしまう。
そして、この度ちゃんとしたのを買いたくなって、 でも全然知識がないので、指揮は誰が良いのだ?演奏はどこの?とか、色々調べてまずは一枚買ってみました。
知識はねー、ホントにないのよ。クラシックは。 (っつーか、音楽全然うとい。何に詳しいのかっつーと、詳しいジャンルなんて無いんだけど。)
協奏曲って何? 交響曲って何? とりあえずWikipedia読みました。
色々考えたんだけど、王道かしら?(そーか?)と思って、交響曲40番と41番を ブリュッヘンという人が指揮した演奏を買ってみました。
交響曲は夜に家で聞くにはちょっと重かったかーというのが初回の感想。 詳しくはいずれ。
次はシュタードラー五重奏曲が入っているのがいいな。好きなんだ。
その他近況。 先週から立て込んでいて、ばたばたしていたけど、ちょっと今日はまったりしたお休みが出来た。 土日も漫喫で資料作ったりしてたから、その上、21日(火)にRENTの来日公演に行ったりしたので。 (感想はいずれ。)
水曜日は半分死人でした。 ちゃんとしっかり具合が悪くなったから、要するに良い舞台だったんだと思う。(という判断もどうかと) なんとかならんのかなぁ。舞台が良い物であればあるだけ、体調がぐだぐだになるって。 つらい。非常に。
舞台については、さらに、もう一つまずいことがある。 舞台に気持ちが入るほど、曲に心を揺さぶられるほど、まず、一幕の最中にトイレに行きたくなる。 二幕は大体大丈夫なんだけど一幕はやばい。
あくまで自分の中のイメージだけど、体の細胞が音で揺さぶられて、溜め込んだ水分を吐き出してしまう感じがする。
水曜日は体のあちこちがだるくて、重くて、鈍痛がして、とにかくどろどろ。 そういう時は、とにかくやさしいものが着たい。 PeopleTreeのオーガニックコットンのカットソーに今夢中。 着ていると体の細胞がくつろぐのがわかるの。 まとった瞬間に、ホントに生地が肌に触れた瞬間に、 腕とか背中とか、筋肉からふぅーーーっと力が抜けて、神経が伸びるのがわかるの。
疲れていれば疲れているほど、神経がむき出しになっていればいるほと、 服を選ぶ手が、他のものを掻き分けてもオーガニックコットンに伸びる。
値段は○ニクロの3倍くらいするけど、でも3倍以上は気持ち良い。
先日、ちょっと変なことがあった。 自分で使ったはずのない時間に、会社のPCにアクセスログがある。
まぁ、答えは一つしかない。
全くねぇ・・・。ばれないはずはないくらい、分かってもよさそうだが。 かつ、何のためにそういうことするかなぁとは思うが。
仕事の資料見ても仕方が無いでしょう。 Webの履歴が見たかったのか? (見た痕跡あり。かつ、enpitu日記系にも入っている。←業務PCでやっていいのかというそもそも論はあり。)
ということを知った時。 最初の自分の反応は、「こういう時、自分ってまず何を考えるのかしら?」という観察意識。
憤る。 問い詰める。 逃げる。 うろたえる。
意外なことに、そのどれでもなかった。 「さようか。」 以上。
へぇー。と自分でも驚いた。 自分むかつかないのか? どうでも良いのか? ホントに?
ホントだったみたい。 悪感情すらない。軽蔑も嫌悪も不快感すら、ない。
仕事系ネタに秘密はそもそもないし、 日記についても公開している時点で、そもそも秘密主義とは両立してない。 それに加えて、単に今そういう気分というだけだが、ここ一週間くらい前からのMOVEMENTとして、 他人の思惑と自分のやることの、関連性を強く意識しなくなっている。
他人と自分との接点についても、自分の行動へのリアクションというより、 その人の気分とか機嫌の表出と捉えている、最近そんな傾向。
よーするにどーでもいい。
是非はさておき、自分の気持ちは楽。 っつーか、そうしないと日々を過ごしていけないという、環境適応なのかもしれない。 プチ・ダーウィン進化論みたいな。
その他関心事は。 トミー・リー・ジョーンズ。 八代亜紀に涙する演技までやるか。
慰謝料の支払いでもあるのだろうか。 もしくは、庭にもう一つプールが欲しいとか。
あ、もう一つ。 結局、木曜日に仕事の途中にBIG CAMERAに駆け込んで、iShuffleのクリップ型のやつ。 買っちゃいました・・・。
心もとない自分を自分でいじめる自分Sをやっていたのだが、結局2日しか持たなかった。 克己心とか自己統制とか。そういうの無理だ。今更言うまでも無いけど。
2006年11月14日(火)
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iShuffle逝去
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「また一人逝ってしまった・・・・」(源さん@組!) って、別に続いているわけでもないのに、頭にこんな台詞が流れる。
iTuneで認識しないだけならともかく、PCのUSBハブに差し込んでも、ハードディスクとして認識されなくなったのは、およそ3週間ほど前。 会社のでも、漫喫のでも、全く反応無。
と、なると問題はPCではなくiShuffle側にあることは自明の理なのだが、 一縷の望みとついで(自宅のノートPCがそもそも不調だったため)に、思い切ってPCをOSから入れなおしてみた。 PCの不調(=あらゆるRESが遅い)は解消したけれど、やっぱりiShuffleは認識しない。
ハードとして認識されない以上、PC操作では何の働きかけも出来ない。 ただし、充電だけは可能だった。 なら、曲が固定された音楽ギアとして使えばいいかと。 ただ今、ハードリピしているRENTもTTBもハーモニーベルも入っているので、当面は不自由ない、と使っていた。
入手したのは2005年の4月くらいだと思うから、約1年半。 修理にも日数もお金もかかるだろうし、何より日数だよ日数。 2,3週間、いや、一週間たりとも、iShuffleなしでは暮らせない。ここ一年半どこに行くにも一緒だったから。
一昨日。 ついに充電すら出来なくなる。 バッテリーに問題ありなのかもしれない。
で、昨日。 ついに力尽きて、動かなくなってしまいました。
今日。 iShuffleがない。 iShuffleがない車窓。iShuffleがない徒歩。iShuffleがないキーボード。
どれもすごく妙。体の透明度が上がった感じ。依存症みたいだ。
何時買いにいけるかなー。(既に買うつもりになっている。) 出来るだけ急ぎたい気持ちなんだけど、せっかくだから、このむなしい感じをもう何日か味わいたい、 自分にSな気持ちもある。
2006年11月13日(月)
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日本版RENT。かぁ。
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う--------・・ん。 2008年11月12月で、日本版RENT。かぁ。
思うに。 山本さんの話は決まっていると思う。 出るにせよ出ないにせよ、これから決まるというのではなく。 既に結論は出ているのだと思う。
本人の雰囲気から。 そう感じる。
もちろん編集者が編集したものだから、彼の意図がそのまま載っているとも思えないし、 そもそも本音である保証もない。
でも、メディアに載ったインタビューであっても、数を集めると、傾向は見える。 今年の夏頃から、彼のRENTに関するトーンは明らかに変わっていた。 『I NEED RENT!』の電飾を高々と掲げる姿勢から、『RNET、その後』になっている。
それに、全キャストをオーディションで選ぶとは思えないしね。
かつての初演のレ・ミゼラブル。 野口五郎のマリウスなんて、がちのオーディションだったらありえないでしょ。
見た当時、私はガキで、人生初ミュージカルだったけど、それでも『こいつ論外!』って思ったもん。
その他のこと。 あ、今日は木村くんの誕生日だ。 明日は『華麗なる一族』の製作発表だ。
じゃなくて。 お仕事ねたとか、社内事務とか。
TTBでのジョンの台詞が頭をよぎる。(結局戻っちゃったよ)
考えなきゃならないことばかりだ。。。
どーして私に考えることを任せるんだろう。 信じられない。 なんで無理だってわからないかなー。 緻密でも論理的でもない。こういう奴に私はなにも委ねるつもりはない。 っつーか、そんな度胸ねーよ。 ねじの外れたジェットコースターに乗るようなもんだ。
alain
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