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2006年12月19日(火)

終にレクイエム

あぁ、終にレクイエムまで来てしまったか。。。
『毎日モーツァルト』の話。

才能への自負、創作への思い、未来への不安と渇望。
加えて、無神経なまでの無邪気、浮ついた衝動、放埓な下品、いきなりつっ走る恋愛・・・。
今、全てが思い出される。

あまりにも露骨なシモネタはやらないとか、
遺産相続などの人間関係のダークサイドはスルーとか、
もちろん放送されたのは、彼の人生のある部分でしかないのだろうけれど。

それでも、彼の人生をほぼ一年かけて辿った感慨というものは、ある。
見ていてさえそうなのだから、案内人の山本さんが、ある意味"生きた"という感想を持つのは不思議じゃない。


レクイエムはもう、どこか別の場所に足を突っ込んで書いている感じなので、別物として。
月曜日放送の『クラリネット協奏曲』は、来た。
初めてだと思う。モーツァルトで泣いたの。

思うに。
モーツァルトの美しさって、一年かけてこういう結論に達したのだけど、
原理主義というか"絶対美"なのだと思う。

感情に訴えるということでもなく、物語を語るのでもない。
風景情景の描写でもない。
装飾もなく、華麗でもない。
かといって、茶室のような丹念にそぎ落とした静謐でもない。

ただの美。
どこかで聞いたコピーで、陳腐すぎてなんなんだけど、"何も引かない、何も足さない"美。
天然でありながら、完璧なバランスを誇る構築美。

彼の曲って、作ったというより、
宇宙を遠く離れたどこかの星雲から、飛んできた波動を、音符に落としたものという気がする。
(ただ書き写すだけだって間に合わないほどの分量の曲を書いているし。)



ちょっと占星術の話をすると。
自分が水瓶座の音楽を好きになったかーというのが、とても新鮮。

ずっと蠍の月を使って音楽を聴いていたので、溢れる感情とか、ロマンティシズム満載の物語、
または、華やかなデコレーションを纏った曲が好きだった。
ないしは、アコースティックに枯れた曲。

『毎日モーツァルト』を通じて、"透明ですっきり"な曲を受信するチャンネルが自分にたったことが、嬉しい。

これも組!から始まった話。
組!はもう、なんていうか、かつてはまったドラマというに留まらず、
自分の中心に埋めこまれ、多方向に発芽する種となっている。




2006年12月16日(土)

この世のものとは思えない辛いカレー。

PeopleTreeで買ってきた野菜マサラをつかってカレーを作成。
およそレシピメモの通りに作ったにも関わらず、この世のものとは思えない辛さ。

ヨーグルトとかジャムを突っ込んでみるも、手に負えるものではなく。
しかたなく、お玉でひとすくいほどを別鍋に移して、トマト缶を買いに走り、
それで伸ばして何とか食べた。

それでもかなり辛いって、それどーゆー辛さ?!
あのレシピメモは何なんだ!
いくらなんでも、あの辛さはありえんだろう。

まずくはないので、辛いカレーの元としてちょっとは冷凍しておいたが、
結局ほとんどは捨てることに。
ちくしょー! たまねぎ2個泣きながらみじん切りした時間を返せー!
一時間延々炒め続けた時間を返せー!

って、まぁ、DVDに合わせて歌いついでなんで、丸々無駄というわけでもなかったのだけど。
そしてDVDは『リンダリンダ』だったりするのだけど。

ホントにあのDVDはお買い得だった。
リピしまくり。

リピといえば、地上波の『山本耕史とたどるモーツァルトへの旅』も録画してしまった。
BSのを人に頼んで録画して貰ったDISKを持っているのに。。。
そしてまた見る。

何度見ても疑問だ。
モーツァルトのPVなのか、山本さんのPVなのか。
私はどっちも好きなのでうはうはなんだけど、一般にはどーなのかしら?

今のBGMは。交響曲39番。
そして、ただ今、久しぶりにピアノ再開。
昔のモーツァルトピアノソナタ教本を一ページ目から弾いてみるという遠大な
(だってほとんどもう弾けないから)計画を描いている。

自分ってかなりしつこい性格なのかもしれない。
はまり体質じゃないと思っていたのだが、自覚が無かっただけか?
でも、一応COOLで無関心無干渉の人という評価は、一貫して得てきたのだが。
表面硬質でも内面ぐずぐずということは認識していて、が、どっちにしても基調はCOOLだったはず。
なんか最近、ものすごくHOTな粘着になってきている気がする。

占星術から見ると非常に納得が行く。
今さらナンだけど、占星術ってあなどれない。



2006年12月12日(火)

『華麗なる一族』 と木村拓哉

SMAPが各TV雑誌の表紙を飾り始め、あぁ年末だなぁという雰囲気。
もう、季語にしちゃえと思う。
いつ頃からかしら。

98年頃は既にそうだった気がするのだけど。
そして何時どうやって終わるのかな。
これまた各誌一斉か?

『華麗なる一族』のキャスト表もTV雑誌に出だして、わくわくが募る。
しかし、『華麗〜』を木村くんがやることについては、終にこういう展開に来たか〜という懸念もある。

"社会派ドラマ"という意味で新境地とか言われているけど、私は全然、木村くんの路線が変わったとは思っていない。
お仕事ドラマの場合、彼は一貫して、"アンチ常識な役"を演じてきている。

占星術的には、太陽のサビアンが『命令に抵抗する兵士』だから!と読めるが。それはさておき。
アウトローでHEROというと、そういう展開が常套なんでしょう。

だからドラマの中で彼は最初から最後まで軸がぶれない。
変わるのは周りの人だけ。
主人公に関わる人々は、その"アンチ常識"に面食らい、価値観を揺さぶられ、自分の生き方を変えていく。

しかし、ドラマというバーチャルな世界でも、役者は生身で、早い話が時が経つと、年をとる。
それによって人物相関図における立ち位置は変わらざるを得ない。

『HERO』 立ち位置は、とっぽい若手。
(それ以前の、ラブジェネはうろ覚えだけけど、これも確か、型にはまらない若手社員だったよね?)
『GOOD LUCK』 は、これもまだまっすぐに夢を語る若手でいられた。

『プライド』 このあたりから、ちょっと見てて"痛い"。
チームをまとめる先輩という歳になってきていて、ストレートな"アンチ常識"の表現が難しくなる。
『エンジン』 これはもう、"痛たたたた・・・・"という設定。
ピークを過ぎて、「もうあんたの時代は終わったんだよ。」というところからドラマが始まる。
(この企画持って行った人って勇気あるなーと思う。もしくはデリカシーがないか。)

一応"アンチ常識"くんはここでも、『周りの価値観を変え・・』つつドラマは進むが、
周りというのは、孤児院(とは今は言わないのか?)のお子ちゃま達で、品下ったというか、安直というか、世界が小さい印象は否めない。
また、ラストの回で、彼が生きる舞台は外国のラリー。
見方を変えれば、自分の今までの居場所には何の影響も与えられず、立ち去ることが出来たのみ、とも言える。
一言で言うと逃避。

マネージメント担当とか、もうちょっと企画選べよーと、思っていた。


その流れで言うと、今回の『華麗〜』は、こっちに舵を切ったかーと、非常に興味深い。
直近の選択としては順当であるけれど、その分、次の分岐の難易度を高める選択だと思う。

今回、『華麗〜』で、木村くん演じる鉄平は"アンチ常識"な熱い男。
これは今までの木村くん演じる人物のキャラを踏襲している。
が、鉄平は結局、何も変えられずに敗れ去っていく。(原作通りにドラマであったとして)
最後、大きなインパクトを家族に与えるが、それは自分の死と引き換えでしかない。

思えば、そういう意味では、初めて"負ける"木村拓哉が見られるのだなぁと思うと、
新境地と言えなくも無いのか・・・。

いや、もしかして、この作品は木村拓哉の第一期のピリオドという位置づけなのかもしれない。
うーん。それならわかるかも。

どーなんだろう?


2006年12月10日(日)

Rue de Ryuの話。その3(final)

しつこく。

Rue de Ryuにて、龍さんに肩が内側に折れていると言われた話の続き。
私の肩は、Dog's earのように肩の骨が内側に折り込まれている。と。
(← この比喩は改めて鏡を見ての私の感想。)

帰り道頭に浮かんだのは、『肩身が狭い。』という言葉。

フラワーエッセンスを選ぶカウンセリングでも言われたのだけれど、
「防御意識が強い/常に緊張してバリアをはっている。その原因が何か過去にあるのでは?。」

ある。
前に書いたことがあると思うが、面倒なので今回は流すけど、
3歳〜4歳の頃、『肩身が狭い』としか表現できない日々があった。

その後も、しばらく、あった。
teenの頃になると、まぁそれはそうと、なんとか成るだろうという、
世の中に対する多少の知恵なりが付き、また、福祉とか公共機関なりの世間の仕組みというものも分かってくるし、
さらに自分の餌を調達出来るだけの身体も出来てきて、多少は気持ちが座って着たが、
今思えば、本当にteen以前の頃は、世間というものがわからず、まぁその分現実問題に対処しなくても良いという、
子供の楽な面もあるけれど、何も出来ないまま得体の知れない不安に包まれるという子供の辛さもあるわけで、
そんなかんなで、改めて考えると。

そうだ。文字通り『肩身を狭く』して生きてきたんだなぁと思う。

でも!今はそうする必要はないの。
だから、広げていい。


いや、しかし、人には見てもらうもんだね。
肩ねー。それは気が付かなかった。

今までも何度か、姿勢を自分で矯正はしてきた。つもり。
昔、そんなに目立つほどじゃないけどO脚で、で、頭から入るタイプなので原因を考えた。

なんでだ?なんでだろう?
骨が曲がっているという感じでもないし・・・。
あれこれ試行錯誤し、「骨盤が閉じていて、しかも前傾しているからではないか?」という仮説を立てた。

骨盤を地面に対して垂直に立てて、腰骨を後ろに引いて骨盤を開くと、O脚が改善されるようだった。
自己流だったけど、案外的外れではなかったようで、今は外から見るとO脚には見えない程度に改善。
(したのではないかと思う。だといいな・・・)

次に背筋を伸ばした。
猫背だったので、背骨を立てて歩く意識をした。
その方がかっこいいと思ったから。

その2STEPを経て、昔に比べたら立ち姿とか歩き姿とか、ずいぶんましになって来たと思っていたところに、
Third Impactが来た!

そうか、自分はまだ猫背だったのか。
言われて初めて、じっくりと電車の中とかで、他の人を肩ラインを観察した。
なるほど。肩が折れてない。(折れてる人も案外多い。)

肩を開いて、自分ではすごく胸を沿ってるイメージで鏡を見る。
全然普通。
なるほど。

そうかー。
そうだったのかー。


そして、言われて初めて気づいたんだけど、そう言えば思い当たることは前からあったのだ。
幻視とも妄想とも違うんだけど・・・、説明が難しいな。
心象風景とでも言うのかな。

自分の中でイメージとして出てくる人物が、10代のころからいるんだけど。
その人は常に右肩に深い傷を負っているのだ。

銃で打ち抜かれたか、ないしは、打撲による骨折で、骨を砕かれていて肩が動かない。
左ではなく、常に右。

そして、私の肩の折込は右側が特にきつい。
筋肉か、もしかして、骨までも変な形で固まってしまっているらしく、
手を後ろに回した時に右手はろくに背中を触れない。

身体は自覚があったのかもしれない。
訴えはあったのかもしれない。

が、わかりづらいんだよなぁ・・・・。
ということで、肩の話はこれでおしまい。



2006年12月08日(金)

毛穴が・・・小さくなってる。

さて、Rue de Ryuで龍さんに肩が内側に折れていると言われた話の続き。

そうか、自分はまだ猫背だったのか。

背筋は伸ばすよう意識はしていたんだけど、それは垂直方向の猫背。
肩が内側に丸くなるというのは水平方向の猫背。
なるほど。これは気が付かなかった。


別に胸の大きさとか大胸筋とかデコルテにはまだ変化はなしです。
(一週間経ってないから、ある意味当たり前)

ぜんっぜん!予想外のところに思わぬ変化がありました。
それは肌!

肩を開くことを意識し始めて、翌日。
午後になっても鏡を見てびっくり。鼻の毛穴の開きが少ない!

肩と関係あるのか、それとも偶然か?
でも、それはその後毎日続いた。


西に、ビ○レ毛穴パックがあれば買い、それも効果を求めてメンズ用を使い、
東に、デパートに毛穴を消すという石鹸を買いに行き、
北に、IP○Aのシーバムオフを買い、それもリピートまでして買い、
最近は主食をなんちゃってマクロビにし、ノンケミ美容にして、
その効果か大分改善はされたものの、やはり最大の悩みであった鼻の毛穴が!!

小さくなってる。。。。

よーするに原因は猫背だったっつーことですか?
長年あれこれ奔走し、手段を尽くし、客観的にはどうあれ、
自分としては結構な金をつぎ込んで、なお、解消しなかった最大のお肌の悩みが! 
一夜にして解決してしまった。
"猫背"かよ!原因は猫背って、それ何?!

もう、半ば呆然としている。
身体って不思議だー。早く言ってよー!って感じ。




alain

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