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2007年01月03日(水)

旧暦の人ですから。

私は旧暦だから。
とか言いつつ。

昔からそうなのだけれども。
最近とみに、全く新年というものを感じない。 
切り替えの実感もないし。
そりゃそうだが。
単に日付の話だけで、新月でも満月でも、木星のサインが変わる日でもないのだから。

お祭り番組に縁遠くなってしまった所為もあるのかもしれない。
見たい番組はDVD録画して、時間があいたら順繰りに見る。
CFは飛ばすので、これまたお正月気分がわかない。

何だろう。
何となく休暇という以上の感じがしない。
しかも、だるい。
やる気NOTHING(← 何時の言葉だ)

とりあえず、次の新月を目指して、身体と気持ちを引っ張るですよ。
っつーか、これから旅行なのだけど。
休暇の本番はこれからっつーのに、こんなにダウナーでどーするよ。

一年の計は、立てない。
意思的でない人だというのが、去年一年でつくづく身に染みた。

年明け2日から、ヨガマット抱えて外出すると、去年の私が想像しえたであろうか。
太極拳のDVDを買うとか?
モーツァルトのソナタを連日練習するとか?

全くもって。

『人生何が起こるかわからない。』ならまだいい。
そりゃ、世間や周りが何するかはわからないだろーよ。

こっちは、自分が明日何をしだすかすら、わからない。
ピアノを午前と午後2回練習するなんて。
ヨガにいたっては、自宅練しすぎで、背筋痛めて、2日のコースへの出席も微妙だったくらいだ。

誰かがこの身体を操っている。
私の意志でも予定でもない。(少なくとも意識野では)
誰か乃至は何かが、リモコン操作をしているに違いないと思う。

もう、好きにしてという感じ。
これだけわけわからないと、もう、投げやりになるしかないっすよ。

守護霊様が居たとして、彼or彼女には想定内のことなのだろうか?
美輪明宏には見えるものなのだろうか?


という話はあるが。

一応、備忘録的に、2006年というものを振り返ると。
一言で言えば、山本耕史さんに明け、暮れた年だったように思う。

2005年年末の組!番宣、ばくばくの紅白。
そして組!!。
1日/3日/8日と3回見て、その後のマチベン。ミラクルバナナ。秋のTTB。
MUSIGも1クールかと思ったら、案外続き。
そしてもちろん『毎日モーツァルト』。

『毎日モーツァルト』が終わってしまったのは、本当に痛い。
これを見るために、少々眠かろうが、具合悪かろうが、ベッドから這いずって出てきていたのだ。
なくなったら何のために、朝起きれば・・・。(社会人としてなってない。)

それでも!
まぁ2007年は、年初からそれなりにイベントはある。
年明けからもすでに『華麗なる一族』の番宣捕獲にいそしんでいる。
『それでもボクはやってない』『ユメ十夜』もあるし、2月からはHEDWIGもあるし・・・。

あぁそれにしてもだりぃ。
でも、何とか身体と気持ち引きずって、まずは『華麗なる一族』初回の1/14日に、たどり着け!




2006年12月27日(水)

アマデウス・ブログ

『毎日モーツァルト』の番組も好きだけど、
モーツァルトが書いている(?)ブログが、これまた好きだった。

ちなみに、彼は先週末になくなったので今は天国から書いている。
>こんにちは天国のモーツァルトです。
>なんでブログ書いてんだよ!って??
>まあいいじゃないですか。
ということです。

ずっとモーツァルトが書いているブログを毎日読んでる気分だったから、
上の文章もするーっと、言葉通りに受け取っちゃっいました。

来週からは、ホントのホントにこのブログも停止しちゃうんでしょうね。
でも、しばらく残しておいてくれないかなー。

山本さんの映像もあるし。
全くFAN心理を掴んでいらっしゃる。まだ色々あるのかしら。全部出しちゃえ!

でも、今回のピアノを弾く映像は、ちょっとへこんだ。
「見よう見まね」と言いながら、結構上手い。

というか、私は全然音を取れない人なので、見よう見まねで、音を取れて弾ける人を見ると、
すごく嫉妬してしまう。
脳の中調べたい!
どーして音が取れて、それを鍵盤で解釈出来るのかが、さっぱりわからないの。
神経回路の連結が見たい。

しょぼーんとはしてしまったけれど、『Seasons of love』を弾く山本さんを見れて良かった。
 

『アキハバラ@DEEP』の感想UP。



2006年12月25日(月)

捨てたい病

この間の夜。また悪い発作が出た。

捨てる病。

そこらじゅうを片付けて捨てたくなる。
問題は。

もう、不要なものがない。

そんな時のために、片付けずに残すようにはしてあるのだけど。
基本収集癖がないので、そんなに溜まるものではない。

発作発動から15分で止まってしまった。やれることがない。

廃棄の本が10冊くらい。
売る本が10冊くらい。
まとめてネタがつきた。

本はねー。この間、近所の古本屋に売りに行って、売ったお金で他の本を買ったのだけど、
「いつもありがとうございます。」とか言われてしまった。
古本屋と馴染みになってどーするよ。

あと、CDが5枚くらい。

洋服ダンスはこの間片付けたばっかり。
というか、毎月のように棚卸しているから、もう整理の余地がない。
引き出しもさらったばかり。

綺麗好きなわけでは全然なくて、定期的に持ち物を処分する衝動に駆られるだけ。
前からあったのだけど、前は半年に一回とか3ヶ月に一回とかで、ちょうど良かった。

この頃はデフォルトものを持ちたくない生活で、かつ、ぷち整理衝動が週1、
に加えて、捨てたい病が月1とかになると。

気が付くと、洋服ダンスも本棚もどんどん空いていっている。
何だかちょっと怖い。

どこに向かっているのか?
SHOPPING-BAG LADY?

『ねじまき鳥クロニクル』の短い感想をUP。こちら。




2006年12月22日(金)

本日、モーツァルトが永眠。(@『毎日モーツァルト』)

そーいや。今週のMUSIG!
5分くらいのコーナーの間に、30回位「かわいー!!」と言ってしまった。
(← ばかとしか言いようがない)
何なんだ。あの30男は!
何なんだ。あのオレンジつなぎの可愛さは!!

というぐだぐだはきりがないので放置するとして。

本日、モーツァルトが永眠。(@『毎日モーツァルト』)
なんというか、悲しいというより、軽くなった感じ。
立ち上る煙のように、妙に視界が明るい気分。

この間弾いていて(というほど弾けないのだが)モーツァルトの曲について思ったことがある。
それは、「彼の曲は気持ちをこめて弾いたらいかん。」

あ、という言い方もなんだな。
いけないとかじゃなくて、私なら、気持ちは込めないし、込めない演奏の方が好き。
神経は使う。でも感情は切る。

自分の持っているトラウマとか日常生活のあれやこれやとか、
丹田から湧き上がる意欲とか、体内を奔馬のように駆け回る情動とか、
そういうものを指に伝えないように、弾く。っつーか弾きたい。

その分神経ははる。指先から神経の束を出すくらい。
細やかに丁寧に、シャボン玉を扱うように柔らかく、音を空気の上に置いていく。

モーツァルトを演奏するって、彼が五線譜にPACKした遠くはるか遠くの星が発した宇宙の律動を、
リリースすることだと思っている。

それは音譜通りに弾けということではない。
だって、五線譜に落とした時点で、取りこぼしたものはたくさんあるから。

PACKされた素材を解凍しつつ、出来る限りもとの形を取り戻す。
それは多分最も天然であるがままの並び。
普通であり美しいもの。

棚の上に置物を並べるように。
美しい配置で。
バランスをとって。

奇をてらうとか、"牧神の午後"とか名づけて世界をつくるのでもなく、
ただWell ballanceであるように。
丁寧に並べる。

私にとってモーツァルトを弾くってそういうことだ。


ショパンは音に入ること。気持ちもろとも飛び込むこと。
シューベルトは架空の世界を音で作ってそこでまったりすること。

ベートーベンはねぇ・・・。
まだ、火の要素。占星術でいうところの4元素の火の要素を聞く扉は開いていないので、
聞くのも弾くのも苦手。

気持ちでもなく、構造でもなく。
どうも、彼の曲を聴いていると、歯車に何かが絡まって上手く回らない映像が浮かぶ。

その何かは、多分、意図だと思うのだ。
新しいものを作り出したいという意欲であったり、品のある価値のある音楽を作ろうという目的意識であったり、
それがどうも、スムーズな回転を妨げている気がする。

多分それはそれで、回転が遅くなった分、他にメリットはあるのだろうけれど、
音楽において、火の要素を受け入れるアンテナがまだ開発されていない。

来年『毎日ベートーベン』とかやってくれれば、開発されるものだろうか?
自分の10惑星の分布では火の要素は別に少なくもないので、使おうと思えばいけると思うんだよな。
せっかく持っているんだから、ちょっと開いてみたいし。
意識してみましょ。


来年と言えば『華麗なる一族』!
公式ホームページも充実してきたし。もうわくわく。

大介と大亀専務と芥川とのシーンがあるようだけど。
原作には無かったような。
本では大介の計画を知るのは結構後だけど、TVでは計画そのものに加担する感じなのかしら?

こばさんBLOGでかなり前に読んだのでは、芥川と一子と銀平のシーンもあったとか。
これも原作にはないよなー。
思ったより出番多いのかしら?

それにしても全11回かと思ったら、10回!
上中下巻を10回にしますかー。
飛ばすなー。

まぁ、いずれにしても楽しみっすよ。
TV雑誌ほとんど全部チェックしちゃった。(立ち読みだけど)



2006年12月21日(木)

忘年会シーズンですが

今週は毎日複数の打ち合わせスケジュールが入っていて、
しかも、メインだったので休むと会自体が流れてしまうので、何としても休みたくなくて。

ノロになるなよ〜!
風邪ひくなよ〜!

と神経使っていたので、それだけで疲れた。

そうそう神経と言えば、
何はともあれ毎日出社して席にいることが大切、という状況なので、
会社関係の忘年会は3回あったが、全て蹴った。

行く前から気分が重くなるし、行ったら、翌日とかその次の日とか、ばてて動けなくなりそうだから。
暇なら、まぁ付き合いで・・・として参加していたけど、
今の状況だと、飲み会入って具合悪くなれる余裕がないので、思い切って全て蹴った。

別に飲めないわけじゃなく。
何ていうのかな。
酒に酔うというより、雰囲気にぐったりしてしまう。

この間、人に真面目に尋ねてしまった。
そもそも、相手もあまりまともな社会人とは言えず、人選を誤っている気がしつつも、聞いた。
それを言ってしまうと私の知り合いにまっとうなんて居ないわけだが。

「慰労会とか、今日は楽しい飲み会という話になっているようだけど。
ねぇ。それはそういうお約束だと思っているのかな。
それとも本当に楽しいと思って参加しているものなの?」

ムラ社会で楽しめる人もいる、というか、多いんじゃないのというお返事を頂いた。

そうか・・・。楽しいのかやっぱり。

私は素面で話せないことを、別に聞きたいとも思わないし。
仕事とは違った一面なんか見たくないし。
だって仕事の相手でしょ。
なら、私生活なぞいらん。工数で結構。

素面で話せないことを、うっかり話してしまうって、それ本人にとって後悔ネタならば、
聞かないでやることが思いやりだろうし。
アルコールのサポートで、うっかり話せてラッキーと思っていることならば、
その程度のことを一々聞いてやる必要もない。
自分の表現には自分で責任を持てよと思うので。
人の噂話とか人物評も嫌いだし。


背負い酒というのを自分の中で感じていて。
自分の一生で飲める酒の量というのは生まれつき決まっていて、
そのリミットを越すと肝臓傷めたりするという、自分の許容量。
食事にしても、いや、時間だってそうだけど。

その限りある酒量とか食事回数とかを、もったいなくて楽しくもない飲食会では使えない。
さて、週末は何食べようかなー。

あ、その前に明日でモーツァルトが死んでしまうんだ。(@『毎日モーツァルト』)
今週は毎日朝からうるうる来てたけど。
明日はもう、どーしよう。



alain

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